まるで物語のように(8) 魔剣としての力はないけど、普通の剣でもない。 歯切れの悪かった有利くんの説明が正しかったことは、すぐに判った。 「久しぶり、モルギフ」 有利くんが柄に某仮面のような顔のついている、壁の剣に手を伸ばす。 繋いでいた手が離れて、ちょっと寂しくさっきまでの感触を惜しんでいると、前方から篭ったような声が聞こえた。 「うーっ」 「え、なに?」 有利くんが何か言ったのかと顔を上げると、剣の顔の口が動いて……。 「うー」 「ぎゃああああ!剣が喋ったあーっ!?」 「うわっ!?ちょ、、ちょっとそんな強く抱きつかれると……ま、また当たって……」 「だ、だだだって!」 恐る恐る有利くんの背中から顔を上げると、有利くん越しにまた仮面の口が動くのが見えた。 「やっぱり動いてるーっ!」 「!ってばっ!大丈夫だから!」 大騒ぎのわたしはこのとき、後ろで交わされていたという会話は聞いていなかった。 だって本当に恐かったんだよ! 「……ねえウェラー卿」 「なんでしょう猊下」 「普通さあ、恐いものがあったら、その恐怖の対象を持ってる相手に抱きつくものかな」 「恐いからこそ、正直に動いてしまうものじゃないですか?」 大丈夫だからと有利くんに宥められて、一緒に訓練場とかいうところまで向った。 モルギフが恐かったら部屋に戻る?とか聞かれてしまったけれど、自分のせいでこんな事態になったのに、そんな無責任なことをする気にはなれない。 ……それに、せっかく夜になっても有利くんの傍にいられるのに、喋る剣に負けて逃げたりできるものですか! 剣を合わせる有利くんとコンラートさんを、訓練所に入る階段に腰掛けて見ていると、横に座った村田くんに先ほど地下での行動をからかわれた挙句にコンラートさんとの会話も教えられてしまった。 「ええ!?しょ、正直ってあの、つまり、コンラートさんにバレてるの!?」 「バレバレだろう、君の場合。むしろ気付いていない渋谷が貴重だと思うな」 「そ、そんな……」 周りから見てバレバレな行動を取っているのかと思うと恥ずかしい。 ひょっとして、日本でも周りに有利くんのことが好きだってバレてるのだろうかと思うと恥ずかしいやら気まずいやらで、村田くんに確かめる勇気は持てなかった。 だってダンディーライオンズのみんなにも知られてるなんてなったら、堪らない! 事実が判らないのももやもやするけど、ハッキリと言い切られるのも辛かった。 膝を抱えて、剣を振る有利くんを見る。 コンラートさんに色々注意されながら、ときどき剣を素振りして何かの感触を確かめている。 その様子は野球の練習のときのように楽しそうというわけではなかったけれど、真剣さは同じくらいだった。危険物を扱うのだから当然といえば当然だけど。 「……渋谷くんの傍にいたいからマネージャーをするって、村田くんは呆れてないの?」 有利くんはもちろん、ダンディーライオンズのみんなは野球が好きで、とても楽しそうに、そして真剣に練習に励んでいるけれど、わたしが楽しいは野球に触れることじゃなくて、有利くんの傍にいられるからだ。 「え、なんで?だって君をマネージャーに誘ったのは僕じゃないか」 「そ、そうでした」 ここ最近の土日の楽しみも、ときどきだけど有利くんと事務連絡とはいえ電話で話すことができるのも、村田くんがわたしの気持ちに気付いて誘ってくれたのが最初だった。 「呆れるなら僕のほうが呆れられるかもね。だって君がマネージャーに入ってくれたら、楽ができるなーって思って利用させてもらったわけだし」 「そうなの?」 「そうだよ。僕は元々サッカーのほうが好きなんだよ。マネージャーは渋谷に付き合ってやってるだけなんだから、君の根底に渋谷目当てが入ってるからって、呆れることなんてあるはずないよ。それで渋谷ばっかり優遇とか、仕事に偏りが出るなら別だけどさ」 「そういうのは性格上できないの」 任されたことはきっちりとこなさないと、自分の中で気持ち悪い。それはその……手が空いたときとかは、つい有利くんを眺めてしまうのだけど。 「言っただろ?渋谷はそういうところには鋭いんだから、仕事にやる気がないと見たらそう言ってるって。気になるなら今度みんなにも聞いてみなよ。マネージャーに不満がある人―って」 「聞いたからって本人にそれを直接言うー?」 「言う、言わないはそういう信頼関係が作れてるかどうかだろうね。それに白々しい関係だから言わない場合は、不満が雰囲気に出るだろ。大丈夫、君はちゃんと仕事してるよ」 そうかな……そうだといいな。 有利くんとは全然意味が違うけど、チームのみんなだって好きだから、内心で呆れられてたりしたら悲しい。 石段で膝を抱えて剣の練習を見ていたら、コンラートさんの剣を受けた有利くんが足を滑らせて地面に転んだ。 「渋谷くん!」 驚いて立ち上がると、有利くんは平気だと手を振りながら起き上がる。 着ているシャツも土で汚れて、肘も擦りむいて怪我をしているのに、有利くんはまた剣を構えて、さあこいと気合の声を上げた。 「うー……本当に大丈夫かな……」 有利くんが急遽こんな剣の練習をしなくちゃいけないのはわたしのせいで、何もできないで見ているだけのもどかしさに両手を握り合わせて、じりじりと足踏みをする。 練習中なら、ちょっとした練習の手伝いとか、手当てとか洗濯とかスコア付けとか器具の手入れとか、力にはなれなくても、せめてすることは山ほどあるのに。 「あ、そうだ!村田くん、救急箱とかない?」 剣の練習が終わってからの手当てくらいならできると振り返ると、石段に座って頬杖を付いていた村田くんがにっこりと笑った。 「君のそういうところが、僕は結構気に入ってるんだよ」 どういうところが?と首を傾げたけれどそれには答えてくれず、村田くんはお尻についた埃を払うようにしながら立ち上がる。 「治療キットを借りてこよう。医務室はすぐそこだから」 先に立って歩き出す村田くんについて行きながら、後ろを振り返ると有利くんの練習は続いていた。 コンラートさんがときどき厳しい声で注意点をあげながら、有利くんの剣を軽々という感じで受けている。 明日の決闘も練習みたいなものだとコンラートさんは言っていたけど、有利くんが大きな怪我なんてしなければいいんだけど……。 村田くんが医務室はすぐそこだと言った通りそこは本当に近くて、やっぱり綺麗なお姉さんがいて笑顔で救急箱を貸してくれた。綺麗な人しかいないの、この国は? 「はい、どうぞ。陛下のお怪我の手当てはお任せいたしますね」 「ありがとうございます」 救急箱を手渡してくれたお姉さんは、にこにこと笑顔で頬に手を当てる。 「近くで拝見させていただいて実感いたしましたが、本当にお可愛らしい方ですね。ヴォルフラム閣下の悋気も判ります」 「は……あ……」 可愛らしいって、美人な人に言われてもなあ……説得力が皆無。 「あれ、ギーゼラまで知ってるということは、渋谷とフォンビーレフェルト卿の決闘の話はもう広まってるの?」 「ええ猊下、もちろんです。晩餐の間から酷くお怒りの閣下が飛び出してこられたでしょう?そのときに。再び陛下と決闘だって、城内は今とても盛り上がっています」 「ええ!?も、盛り上がるんですか?」 王様が決闘するのに盛り上がるの? どんな国民性なんだろうと驚いていると、美人なお姉さんはくすくすと楽しそうに笑う。 「陛下がこんなに可愛らしい愛……恋人を連れていらしたとなると、陛下トトにも変動が出るかも……と、それはもう」 「恋人!?ち、ちち違います!た、ただの友達です、チームメイトです!」 「あらそうなんですか?お昼にも廊下で陛下と閣下と様で修羅場が繰り広げられていたとの情報も出ていましたのに」 「修羅場ー!?」 絶叫するわたしの横で、村田くんはお腹を抱えて大笑いする。 「情報早いなー。じゃあその情報発信源に、地下で渋谷と彼女が手を繋いで寄り添っていたとかも流しておくと、もっと変動率が上がるかな」 「まあ、そんなことが?」 「村田くん!誤解を広げないで!渋谷くんが困るじゃない!ち、違いますから!渋谷くんは転びかけたわたしを心配して手を引いてくれただけですから!」 そうなんですか?と首を傾げたお姉さんの楽しそうな視線に耐え切れず、村田くんの背中を押して慌てて部屋から逃げ出した。 「なんで!?この城の人って、王様のゴシップ大喜び?賭けなんかしちゃうの!?」 トトというからには賭け事なんだろう。どんな賭けかは判らないけど。 「それだけ渋谷が人気者ってことだろ?王様のゴシップなんて、普通恐くて王に近い人になんて言えないよ。渋谷の人柄が受け入れられてる証拠だ」 救急箱を片手に、口に拳を当てて考える。 確かに、あのお姉さんの様子では楽しそうではあっても、人の中傷を笑うような嫌らしさはなかった。 どちらかというと……。 「渋谷くんの話題ができることが嬉しそうって感じ?」 「ああ、なるほどね。うん、そんな感じかな」 「そっかー……」 王様の決闘を喜ぶなんてどんな国民性かと思ったけれど、それって有利くんが大好きっていう表れだったんだ。それに話題にできて喜ぶくらいなら、明日の決闘は本当に心配いらないということなのかな。 納得しながら訓練場へ戻ると、ちょうど有利くんの練習が終わるのが同時だった。 「渋谷くん、お疲れ様。怪我見せて、怪我」 救急箱を下げて駆け寄ると、肩で汗を拭っていた有利くんは素直に左腕を差し出した。 地面で擦って肘からちょっと血が出ている。 「うわ、痛そう!とりあえず座って。まず消毒から……」 一緒に地面にしゃがみ込み、救急箱を開けて絶句した。 「どうかした?」 「……字が読めない……」 どこの文字だろうという字が瓶のラベルに躍っていて、どれが消毒液なのやら。 「あれ、じゃあヒアリング能力だけが繋がってるんだね」 「消毒液はこれですよ」 膝に手をついて屈み込みながら驚いている村田くんの横から手が伸びてきて、コンラートさんが茶色い瓶を取り上げて渡してくれる。 脱脂綿は形状の問題なので、迷うことはない。十分に消毒液を含ませたそれで有利くんの傷口を拭うと、沁みるのか小さな声が上がった。 「いてっ」 「すぐ終わるから我慢してね。消毒はちゃんとしとかないと」 有利くんの腕をしっかり掴んで血と泥を落として消毒を終えると、ガーゼを傷口に当てて包帯を巻く。 「はい、お終い」 包帯止めがなかったので、端を括って手当てを終える。 「サンキューって、なんかに手当てしてもらうと日本にいるみたいだな」 有利くんは巻いた包帯を上から撫でながら笑った。 「そんなにしょっちゅう怪我をしてるんですか?」 「そりゃね。スライディングしたり、ベースを守って走者に激突もされるし、デッドボールとかもあれば、フライを追ってて球に集中しずぎてフェンスにぶつかったりさー」 「ああ……そういえば、様はチームメイトなんでしたね」 納得するコンラートさんに、有利くんは笑いながら胸を張ってわたしの肩を叩いた。 「そうさ、ダンディーライオンズの出来るマネージャーなんだからな!」 出来るマネージャー。 ノリだろうとそんなことを言ってもらえると、さっき気にしたばっかりだったから、じわりと嬉しくなる。 「わたし、ホントにちゃんと仕事できてる?」 消毒液や包帯の残りを救急箱にしまいながらそう訊ねると、有利くんは驚いたように目を瞬く。 「どうしたんだよ急に。出来てるよ、がいてくれて、おれもみんなもすごい助かってるよ」 本当に不思議そうな顔をされて、それが嬉しくてすぐに首を振る。 「ううん、ちょっと気になっただけだよ。役に立ってるならいいの」 救急箱を片付けて、返しにいってくると立ち上がると有利くんが慌てたようについてくる。 「おれ、なんかを不安にさせるようなこととかしてた?」 「ううん、違うよ!あの、本当に……ちょっと気になっただけ」 有利くん目当てでマネージャーを始めたことが、後ろめたかっただけで……誰かに何かを言われたわけじゃない。 「渋谷くんがああ言ってくれて、役に立ってるって判ったから安心したよ。ちゃんと仕事できてるんだって」 「それならいいんだけど……おれって気が利かないからなー。何かマズイことを言ってないか心配で」 「そんなことないよ!あの、これを借りに医務室に行ったんだけど、そこのお姉さんの話とか聞いてたら、ここの人は渋谷くんのことがすごく好きなんだって判ったよ。王様だからじゃなくて、渋谷くんだから好きなんだって」 気が効かないなんてとんでもないと慌てて否定すると、有利くんはちょっと照れたように笑った。 「そ、そう?なんかそんなこと言われたら照れるなあ」 指先で頬を掻きながら、髪に手を突っ込んで掻き回す有利くんはすごく可愛い。 「魔王とか魔族とかって聞いたら恐いイメージしかなかったけど、そんなことないんだね」 感じたことをそのまま言うと、有利くんは髪を掻き回していた手を止めて、柔らかく、とても嬉しそうに笑った。 「うん。みんないい奴らだろ?おれもこの国のみんなが大好きなんだ」 誇らしげに笑っていた有利くんは、何かに気付いたようにわたしの両肩を掴む。 「……あ、あのさ、が見てるヴォルフは怒ってばっかだけど、あいつも本当はいい奴なんだよ。そこは誤解しないでやって欲しいんだ。……おれのこと「へなちょこ」とか言うけど、なんだかんだ言って、いつもおれを助けてくれる」 あまりにも真剣に詰め寄られて、驚いてちょっと仰け反ってしまった。 「う、うん。だってヴォルフくん、怒っててもわたしの怪我を治してくれたし……それに、さっき怒ったのだって、わたしが渋谷くんのことを魔王なんて似合わないって言っちゃったからだし」 さっきのみんな大好きにはヴォルフくんのことも含まれているはずで、それにこんなに必死に庇っていて、ヴォルフくんのことがちょっと羨ましいなんて不謹慎なことを思いながら頷く。 とても楽しそうに有利くんのことを話していたお姉さん。 大好きな王様が、似合わないなんて言われたら、それは怒っても当然だと思う。 「よかった……おれのせいでヴォルフが誤解されたらと思ってたんだ。怒鳴り散らされても恐かっただろうし」 「それを言うならわたしのせいで、渋谷くんが友達と喧嘩になっちゃったことのほうが申し訳なくて……」 「あー……いや、まあヴォルフの誤解で喧嘩になるのはいつものことだからさ」 誤解、とはっきり言われてしまって悲しいやら、わたしだけのせいじゃないと言われたことに安心するべきやら……。 とほほと泣き笑いで肩を落としたら、何か誤解したのか有利くんは慌てたように腕を上下させて訴えてくる。 「本当にのせいじゃないから!」 「ありがとう。今は渋谷くんのほうが大変なのに、そんなこと言ってくれるなんて渋谷くんって本当にいい人……」 そう言って宥めようとして、村田くんの忠告を思い出した。 「だから渋谷にはどんな状況でも『いい人』って言うのだけはやめなよ?」 ……言ってしまいました。 蒼白になって有利くんを伺うと、照れたように頬を指先で掻きながら、だけど笑っていた。 「そっかなー、そんなことないけどなー」 この反応……思い切り圏外なのはわたしのほうじゃない!? がくりと落ち込んだら、後ろから肩を叩かれた。 「頑張れ、さん」 そういえばここには村田くんとコンラートさんもいたんだった。 慰めてくれたのに、ごめん。 有利くんとの会話に夢中で、いたの忘れてた……。 |
不安になったり喜んだり照れたり落ち込んだり、忙しい一日です。 |