まるで物語のように(10)



有利くんとヴォルフくんが広場の中央に出て、お互いに向かい合う。
みんな大丈夫だって言うし、心配ないんだとは思ってもやっぱりどきどきして、ぎゅっと両手を握り締めて身を乗り出した。
「渋谷くん、頑張って!」
怪我しないように。
そう言いたくて声援を送ると、有利くんは剣を持った右手を軽く上げる。
「おう、任せとけ!」
「あーうー」
剣のモルギフも返事をしてくれた……のかな?
えー……この際、あの喋る剣のことは横に置いておいて。
「渋谷くん格好いい……」
自信がないようなことを言っていたのに、朝の光を背中に背負って力強く「任せとけ」だなんて格好いい!
両手を握り締めて有利くんにメロメロになっていると、村田くんの向こうでギュンターさんも有利くんにメロメロになっていた。
「ああっ陛下!なんと凛々しい!日の光を反射して煌めくモルギフを自信とともに掲げるそのお姿!絵師に描き留めさせたいほどの麗しさ……恍惚の一瞬をせめて私のこの胸に消えることなく留めておきたく思います……ああ陛下ぁ」
「……さんって、フォンクライスト卿と話が合いそうだよね」
村田くんが小さく呟いた。どういう意味だろう。
そして広場の中央ではヴォルフくんが金切り声を上げて怒った。
「ユーリ!ぼくの目の前で他の女に色目を使うなんていい度胸だな!?いいだろう、そのことも合わせて、お前の根性を叩き直してやる!」
「これのどこが色目だよ!?」
有利くんに向かって剣先と宣言を突きつけたヴォルフくんは、柄を両手で握って構える。
ああ、始まっちゃう!
「いくぞ、ユーリ!浮気心などを起こしたこと、心の底から後悔させてやる!」
「どこが浮気心!?第一、浮気ってのは恋人がいて初めて成立す……うおっ!」
鋭く繰り出された突きを右に避けて、有利くんも剣を構える。
「ここに婚約者がいるだろう!」
「だからおれは認めてないって!」
「お前から求婚しておいてなんて言い草だ!」
「だからあれは事故だろ!?」
「言い訳など聞かないぞ!」
「だから言い訳じゃねーって!」
「……もしかして、わたし余計なこと言っちゃったかな?」
ヴォルフくんの怒りを煽ってしまったのではと、二人が少し距離を空けたところで隣を見ると、村田くんは手をヒラヒラと軽く振る。
「まあいいんじゃないの。フォンビーレフェルト卿の悋気はいつものことだし」
いい、のかな……?
訓練場の有利くんの目を戻すと、再び剣を合わせていた。
「今まではあちらに行くのも仕方がないと思っていたが、だからと言って浮気まで許しているわけではないぞ!?お前は自由にさせておくと本当に見境がないな!」
「誤解されそうなことを言うな!おれは見境なくない!は仲間だって言ってるだろ!」
「では本当にあの女とは何でもないんだな!?」
「ない!」
訓練場に、剣を合わせる鈍く高い音が響いている。
「……さん」
村田くんに肩を叩かれた。わたしの目にはグラウンドの土だけが見える。
あれ、地面が近いなー。
……って、気が付いたら、地面に崩れ落ちるように座り込んで、両手を土につけていた。
「渋谷のあれは売り言葉に買い言葉だし。頑張れ」
「ががが、頑張れないときだってあるよう……」
グサリときたのよ。あまりにもはっきり「ない」なんて言い切られたら、どこに希望を持てばいいのか判らない。むしろ希望なんてないのでは。
今は片想いでもいつかは、なんて思いたいのに。
いくら売り言葉に買い言葉といっても、今までだってそれっぽいことがあったわけでもないのに。
それでも剣を合わせる音は続いていて、気力をかき集めて顔を上げる。この事態はわたしが切っ掛けだったんだから、ちゃんと見てないと。
「お前は少し目を離すとすぐにふらふらとして!少しは落ち着いて玉座にいる努力をしろっ!婚約者を放っておくにもほどがある!」
「お前が一番言いたいことはどっちだよ!?」
「どちらもだ!他の女のところになど行くな!血盟城に落ち着け!」
「どっちも言い掛かりだ!」
ふたりの言い争いを聞いていると、本当に恋人同士の喧嘩みたい。むしろ夫婦?
「渋谷くんも案外、ヴォルフくんのことまんざらでもないんじゃないの?」
「ああ、さんがとうとうやさぐれた」
村田くんが嘆いたような声を上げたけど、今のは見てなくても判るわ。確実に笑っているでしょ!?
人の恋路を笑う男は馬に蹴られるといいのに。この城にならちょうど馬もいる。
そんな風に落ち込んでいられるのも、村田くんを呪っていられるのも、有利くんが言い争いながらもちゃんと剣を受けているからだ。有利くんが危なかったらそれどころじゃなかっただろう。
「ふーん、渋谷も頑張ってるねえ。ウェラー卿の指導の賜物かな」
「俺はそこまで何もできていませんよ。陛下の素質でしょう」
「当然です!」
コンラートさんが苦笑しながらそう言うと、何故かギュンターさんが自信満々に胸を張って答えた。
「確かに。渋谷は反射神経に優れてるからね。たぶん動体視力もいいんだろう」
「慣れないことでも、すぐにこなしちゃう運動神経かあ……」
やっぱり有利くんって素敵だわ。
村田くんの解説に、落ち込んでいるのに改めて好きだなあなんて不毛な実感をしていたら、上からふっと影が差した。
太陽に雲が掛かったわけじゃない。だってわたしの真上だけが暗くなった。
「何の騒ぎだ」
腰にくるような重低音が、ほぼ真上から聞こえた。


「グウェンダル」
「やあ、フォンヴォルテール卿」
振り仰ぐと背の高い、黒髪の男の人が立っていた。
コンラートさんと村田くんが同時に声を掛けると、訓練場からもヴォルフくんの声が上がった。
「兄上!」
「隙ありっ!ていっ」
さっきまでの高く響く音じゃなくて、鈍い音が聞こえて慌ててグラウンドのほうを見ると、有利くんの剣がヴォルフくんの剣をその手から弾いていた。
「よっしゃー!」
「おー、渋谷の勝ちだ。意外な結果」
「やったー!渋谷くん、格好いい!」
落ち込んで崩れ落ちたままだった格好で両手を上げて喜ぶと、有利くんが応えるようにぐっとガッツポーズをする。
うわーん、やっぱり有利くんカッコいいよう!見込みがなかろうと好きなものは好き!
……でも実感するほど空しくなるのはつらいわ。
村田くんの向こうでギュンターさんが鼻を押さえながら地面にへたったのが、視界の端に映った。
「今のは無効だ!」
「なんでだよ!?」
「突然血盟城に兄上がいらしたから驚いたんだ!卑怯じゃないか!」
「どこが!真剣勝負の途中で気を抜くお前が悪いんだろ!」
「なんだと!?」
「ヴォルフラム、陛下の仰る通りだ。お前の負けだよ」
コンラートさんがグラウンドに向かって歩き出すと、上から差していた影が動いた。
「……なんだこの娘は……黒髪……?」
もう一度振り仰ぐと、厳しい表情の怖そうなお兄さんは眉間にしわを寄せてまっすぐにわたしを見下ろしている。
「え、あ、わ、わたしでしょうか!?」
慌ててわたし自身を指差すと、お兄さんのぎゅっと寄せた眉間のしわが一層深くなった。
ぎゃー!怖い!
「ああ、紹介するよ。彼女は。渋谷と僕の友人だ。こちらに来るときに僕が巻き込んじゃってね。しばらくこっちに居ることになったんだ」
村田くんがそう説明すると、一度そちらを見た怖いお兄さんは深い溜息をついて「次から次へと」と小さく呟いて、手を差し出してきた。
「若い娘が地面に座り込むとは何事だ。立て」
「え、あ、は、はい!」
慌てたあまり、せっかく差し出された手を握ることなくシャキッと立ち上がってしまった。
お兄さんは宙に浮いた手を持て余すように揺らしてから引っ込める。ひぃーっ!ますます機嫌が悪そうに眉間のしわが深く!!
怖くて思わず一歩後ろに下がると、誰かに背中がぶつかった。
「やっほう、グウェンダル!いいタイミングで来てくれて助かったよ」
ゆ、有利くん!?
逃げ腰になっていたわたしの両肩を後ろから握って、真後ろに立っていたのは有利くんだった。
おまけにそんな距離で振り返ったせいで、朝から爽やかな汗を流した健康的な有利くんの笑顔がほんの目と鼻の先に!
「ヴォルフラムと鍛錬中……だったわけではないようだな」
「ちょっとした事故で勝負中だったんだ。あんたの声が聞こえてヴォルフラムがびっくりしてくれたお陰で勝てた。あいつのお兄ちゃんっ子ぶりには感謝だよ」
「む……そうか」
怖いお兄さんの眉間のしわがちょっと減ったかな、と思ったら両肩を握っていた有利くんの手に力が入る。
「んで、紹介しとくわ。この子はおれの友達で……」
「猊下からお聞きした」
「あれ、そう?サンキュー村田。じゃあに紹介ね。この怖い男はフォンヴォルテール卿グウェンダルっていうんだ。グウェンでいいよ」
「え、ええ!?」
この怖そうなお兄さんを相手に、そんな気楽にフレンドリーな呼びかけなんてできないよ!
勝負に勝ってハイテンションの有利くんと、怖いお兄さん……グウェンダルさんを見比べてつい有利くんに一歩寄り添うと、またグウェンダルさんの眉間のしわが増えた。
「……客人の紹介はいい。仕事をしろ」
「はいはい」
有利くんが軽く肩をすくめて頷くと、グウェンダルさんはすぐに背を向けてお城の中に戻ってしまう。
あの威圧感が遠のいて、ほっと胸を撫で下ろしてようやく彼の髪は黒じゃなくて黒っぽい灰色だということに気がついた。
だからなんだというわけでもなくて、ギュンターさんが反応しないのは純粋な黒じゃないからだろうか、と思っただけで。
「なんだろ、グウェンダルってばなんか機嫌悪い?弟が負けてくやしかったとか?」
有利くんが首を傾げると、横を通り過ぎ様にヴォルフくんが足を踏み鳴らした。
わたしは飛び上がって驚いて、有利くんも後ろでちょっとびくっと震える。
何か文句を言うのかと思ったけど、こちらを睨みつけていたヴォルフくんは、ふんと鼻を鳴らすだけでそのままグウェンダルさんの後を追って城に入って行ってしまった。
「負けてないとか怒るかと思ったんだけどなあ」
わたしと同じ感想を持ったらしい有利くんが、汗で少ししっとりとした髪を掻き揚げながらそう言うと、戻ってきていたコンラートさんが軽く肩をすくめて説明してくれた。
「集中を途切れさせてしまったからには負けだという自覚はあるんですよ、あれでも。それからグウェンのあれは」
コンラートさんはわたしを見て、堪えきれないというように小さく笑う。
様に怖がられて、ショックだったんでしょう」
「え?なんでわたし!?」
そりゃ初対面で怖がられて気持ちがいいものではないけれど。
「ああ、なるほどね」
わたしのせいなのと慌てると、有利くんは逆に納得したように手を叩いた。
「気にするな。普通はあんな強面が急に現れたらビビるって。おれも最初は怖かったし。でも心配しなくてもグウェンダルはああ見えて紳士だし、何より小さくて可愛いものが好きだから、に酷いことはしないよ」
「え……?」
「な?安心しろって」
「いや、あの、そうじゃなくて……」
さっきのグウェンダルさんは、小さくて可愛いものが好き……ということは判りました。
でもってね、それでわたしに酷いことをしない……と有利くんに見えたということは……。
「どう思う村田くん!?」
思わず握り拳でぐるんと首を巡らせると、村田くんは乾いた笑いで明後日の方向を見ていた。
「僕は今、君の心理が手に取るように判るよ」







まったく意識せずしてコロコロと彼女を転がす有利でした(^^;)


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