「双黒の娘が現れただと?」
報告を受けて現れたグウェンダルの眉間の皺が一層深く刻まれていて、有利は怯えたように思わず仰け反った。
正体不明の少女は口止めをされた侍女の手によって着替えをほどこされ、飾り気のない白いワンピースの姿でベッドに横たわっている。
ベッドに広がる見事な黒髪に、グウェンダルの眉間の皺はさらに一本増え、一緒に駆けつけたギュンターの顔はどう見ても緩みかけていた。



アンダンテ(2)



「ぼくという者がありながら、女を連れ込むなんて!」
真っ先に到着していたヴォルフラムは気分を害したといわんばかりの表情で、椅子に座り頬を膨らませている。
「だから!おれが連れ込んだんじゃなくて、風呂場に浮いてたんだってば!」
痴話げんかをしている王と弟を丸ごと無視して、グウェンダルはコンラッドを顧みた。
「どういうことだ」
「こっちが聞きたい。とりあえず、眞王廟に遣いは出したけど」
「陛下には及ばないにしても、なかなか見事な黒髪ですね」
ギュンターはベッドの上で小さな呼吸を繰り返す少女を覗き込んだ。
「陛下と同じ黒だという瞳を見てみたいものです。しかし、眠ったままというのはなにかこちらに来た時に障害でもあったのでしょうか?」
「さっき一度目を覚ましたよ。すぐにまた気を失ったけど、医者の話では時間が経てば起きるだろうと」
「コンラッドが蹴ったりするから、気絶したんだろ!」
着替えをさせた侍女から痛々しいくらいの青黒い痣が脇腹に出来ていたと聞いたとき、有利は小突くように肘鉄をコンラッドに入れた。
そのことも含めて医者に見せたのだが、内臓に異常はなさそうだという診断がくだったので、そこに関してコンラッドはあまり気にしていない。
可哀想なことをしたと思わなくもないが、有利に無害な人物だという保証がまだないからだ。
「こんなか弱い少女を蹴ったのですか!?」
黒髪フェチのギュンターがものすごい勢いで振り返るが、コンラッドとグウェンダルは軽く肩をすくめるだけだ。
「陛下の前で、中身が不明な箱を開けようとしたんでね」
コンラッドが軽く顎をしゃくった先に置かれたケースに視線が集まる。
「ただの楽器ケースに見えるが?」
「ほんとにただの楽器だよ」
首を傾げるヴォルフラムに有利はまだ不満そうに口を尖らせる。
「だから日本人がおれを傷つけるはずがないって言ったのにさ」
「まったく、人間の血が混じったやつは野蛮だ」
「それ関係ねーし、偏見だぞ」
進展しない話にグウェンダルが年少組のふたりを黙らせようとしたとき、小さな呻き声とギュンターの奇声が上がった。
「目を覚ましたようですよ!」
室内の視線が一斉に少女に注がれる。
ぼんやりとギュンターの顔を見上げていた少女は、その後ろに現れたコンラッドの顔を見た途端、ものすごい勢いで跳ね起きた。
ベッドから転がり落ちるようにして、すぐ脇に置かれていたケースをぎゅっと抱き締める。
「ほらみろコンラッド。あんたのせいですごく怯えさせちゃったじゃないか。なあ、きみ。大丈夫だよ。別にきみに酷いことしようとか、そういうわけじゃないしさ」
有利ができるだけ友好的に話しかけようとするが、少女は怯えたようにケースを抱えたまま後退る。
「えーと……あ、そうだ。まずは名乗った方がいいかな。おれは渋谷有利原宿不利。……じゃなくて、渋谷有利。正真正銘の日本人なんだけど、きみも日本人?」
「ユーリ、ぼくにわからない言葉でしゃべるな」
「だってしょうがないだろ、こっちの言葉はこの子にはわからないんだからさ。……ん?じゃあおれ、ちゃんと日本語で話してたんだ?」
意識して言葉を使い分けているわけではない有利は、自分を指差して周囲を見回すがそれが日本語だと言えるものはだれもいない。
コンラッドですら、聞き馴染みのない言語だとしかわからない。
「Wer?」
(だれ?)
「え?なに?ごめん、もう一回言ってくれる?」
か細い少女の言葉を聞き取れずに有利が首を傾げると、少女も少しだけ首を傾げた。
「………あなた、だれ?ここはどこ?」
有利にもっとも聞きなれた日本語が紡がれる。
「やっぱり!日本人なんだ!おれは渋谷有利!ここはー……そのぉ……えーと……け、血盟城っていう場所」
いきなり異世界だと言っても通じないだろうと、場所については具体的な名前で逆にぼやかして、有利は友好的な笑みを作った。
「Nein」
(違う)
だが少女は小さく首を振る。
「え、ナイン?9がどうかした?」
「Nein……ちがう。わたし、日本人じゃない」
「日本人じゃないって、だってものすごく流暢な日本語で……」
「わたし、オーストリア人」
「そ、そうなんだ……。でも、オーストリアってことは地球人に間違いはないわけだよな」
確認するつもりでそういったら、ものすごく不審そうな顔をされた。
地球人に対してなら、地球人なんて聞き方、それはそうだ。


どう話をしたものかと有利が途方に暮れたとき、少女が腰を浮かして有利に向かって身を乗り出した。
「え、なにか言いたいことでも?」
なんでも言ってくれと同じく身を乗り出した有利の後ろで、コンラッドが窓に近寄る。
「ああ、骨飛族だ。眞王廟から返答が返ってきたかな」
「は?あ、コッヒー?」
少女はコンラッドが窓を開けて入ってきた骨飛族をじっと見つめ、それから落胆したように溜め息をついてベッドに座り込んだ。
「え、なんか予想外の反応だけどコッヒー怖くないんだ?」
羽の生えた空飛ぶ骸骨なんて、女の子なら悲鳴を上げそうなものじゃないだろうか。
「それで、なんと言ってきたのだ」
手紙を読むコンラッドにグウェンダルが尋ねると、困ったような表情が返ってきた。
「わからないそうだ。確かに彼女は地球の人間のようだが、どうしてこちらにきたのか、彼女が何者か、なにもわからないと」
「巫女どもめ……」
「え!?じゃあ、やっぱりこの子も帰れないの!?」
「今のところは。陛下の件もあるし、どうにかできるように努力すると言ってきています」
「帰れない?」
小さな声が聞えて全員で振り返ると、ベッドの上で少女が日本語で繰り返した。
「帰れないって……どういうこと?」
「きみ、言葉がわかるの……?」
唖然とした有利に、少女は首を傾げる。
「どこの訛りか知らないけれど、ちょっとだけ」
日本語の会話では彼女がこちらの言葉を理解しているとわからなかったギュンターたちに通訳して、どういうことだろうと尋ねてみるがもちろん同じく首を傾げるだけだ。
答えに気付けたのはコンラッドだった。
「ああ、そうか。陛下、彼女はドイツ語がわかるんですね」
「え?えーと、オーストリアだって言ってたから……た、たぶん」
「似てるんですよ。こちらの言語と、ドイツ語は」
「そ、そうなの?」
「ええ。似ているだけで、やっぱり別の言葉だから、半分ほどしか理解できないみたいですけれど」
「便利なのか不便なのか……」
「ちょっとでも意思の疎通が図れるなら、やっぱり便利ですよ」
前向きなコンラッドの発言に、有利もそれもそうかと頷いた。
「少しでも言葉がわかるんだな?よし、いいか貴様、ユーリに手を出すなよ。ぼくの婚約者なんだからな!」
「わー!ヴォルフやめろって!いきなり異世界に飛ばされて困惑してるところに、妙な情報を植えつけるなよ!」
「妙とはなんだ!本当のことだろう!?」
「だからおれたち男同士じゃん!?」
いきなり揉め始めた有利とヴォルフラムに、目を瞬く少女にコンラッドが一歩近付く。
少女はびくりと震えて楽器のケースを抱え込んだ。
「ああ……さっきはすまなかったね。危害を加えるつもりはないから」
それでも少女がじりじりと後退る。
コンラッドは困ったように微笑んだ。
「すっかり警戒された」
「そりゃ、あんだけ強烈な蹴りを入れちゃあね。コンラッドでそれならグウェンダルやギュンターなんかは……」
「とにかく、双黒の者をおいそれと放り出しておくわけにもいくまい」
見るからにいかめしいグウェンダルと、少し気を緩めるとふたりも双黒の者が揃っていることに顔を緩めるギュンターは敬遠されるだろう。
有利はそう思ったのだが、少女はグウェンダルにもギュンターにも特に怯えた様子は見せなかった。
不機嫌極まりない顔をするグウェンダルの視線が向けられても、コンラッドに見せたような怯えた反応はない。
「そりゃそうだよ。同じ地球人同士、おれが保護しないでだれがすんの。ギュンター、この子の部屋を用意してあげてよ」
「承知いたしました。ところで、双黒の姫君のお名前はなんとおっしゃるのでしょう?」
ギュンターが表情を引き締めて、その美形振りを存分に奮っても、気後れした様子もなければ、見惚れるということもない。
きっと事態についていけていないか、夢だと思ってるんだろうなあと、自分がこの世界に初めてやってきたときのことを思い出して、同情しながら有利はギュンターの建設的な質問を通訳した。
「えーと、とりあえずきみが元の世界……国に帰れるまで、ここですごしてもらうから。それで、名前聞いてもいい?おれは……」
「シブヤ、ユーリ、だよね?」
「あ、ああ、そっか、おれは名乗ったっけ」
「わたし、
ちゃん?日本風な名前だね」
「国籍はオーストリアだけど、両親は日本人だから」
なるほど、それで日本語が達者なんだとか、両親が日本人でなぜオーストリア国籍?と疑問に思うがそこまで突っ込んで聞いていいのか困惑しているうちに、はじっと有利を覗き込むようして見上げた。
「それで、ここはどこ?」
目が覚めて、いきなり知らない場所で知らない人間に囲まれているというのに、あまり取り乱した様子もない少女に、有利の方がひどく戸惑った。







2話目のラストになってようやく名前を名乗れました。


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