生まれたばかりのを初めて見たとき、正直に言うと可愛いという母上の言葉に納得はできなかった。
まだ赤味を帯びたしわしわの顔に開かない瞼で細い目。どこが可愛いのかと一目で興味をなくしたぼくに、次の日もを見に行こうと誘ったのはコンラートだった。
母上も兄……当時はまだ兄だと自分で信じていた……コンラートもあの小さなものに盗られてしまったようで面白くなくて断り続けたけれど、熱心に誘うコンラートに根負けして数週間後に再び見たは、驚くほど様変わりしていた。
肌の赤みは薄まり手触りも滑らかで、開いた瞼の下にあったのは宝石のような大きな青い瞳。
まるで精巧にできた人形で、息を飲むぼくを見ながら動く指が、その小さな妹は人形ではないと教えてくれた。
ヴォルテールの領地から駆けつけたグウェンダル兄上も、難しい顔でそれはを可愛がって、ぼくたちはみんな小さなに夢中だった。
だからコンラートがを特別に可愛がっていても、兄妹の中で唯一の女の子だから当然なんだ。
だってぼくも兄上も、のことは護りたいと心の底から思っている。



沈黙の花(4)



「……もう、あんな表情で笑うようになったのか……」
戦場に行く前に会ったは困ったように、何かを飲み込むように、ヴォルフラムに向かってコンラートのことは兄だからと微笑んだ。
戦時中も苦しそうな笑顔を見せたことはあったけれど、あのときとは何かが違った。
無垢で、まだまだ子供だと思っていたのに、いつの間にか大人の、女性の表情をするようになって。
いつの間にか?
どこかで同じような苦しげな微笑を見たことがあるような気がする。
有利の目覚めを待ってギュンターとはベッドを挟んだ向かい側に座っていたヴォルフラムは、薄く開いた婚約者の瞼に腰を上げた。
まだ寝惚けているのか、頼りなく天井をぼんやりと眺め、右へそれから左へと緩慢に動いた瞳に、妹が生まれたばかりの頃を思い出す。
「陛下!お目覚めになられましたか!?」
ギュンターが興奮して大声を出したおかげで、そのたどたどしい瞳の動きが止まって、有利がはっきりと目を覚ました。
目覚めてすぐに現状を知った王が強く希望したので、仕方なしにヴォルフラムは自分の部隊を整えて、戦場まで有利を乗せて馬を走らせる。
「仕方ないってさあ、お前だって妹や兄貴が心配じゃないのかよ」
馬上で揺られ、舌を噛まないように気をつけなら呟く有利に軽く鼻を鳴らした。
「兄上がついている。に滅多なことはない。コンラートも、忌々しいが剣の腕だけは確かだ。案じることはない」
「それにしたって、妹まで行ったのにお前は残ってるなんて……」
「お前が倒れたままだったから、婚約者として残ったんだろう!?」
まるで臆病者だと言われたように感じて怒鳴りつけると、有利は失言だったかと慌てたようになだめに回る。
「いやだって、あの子が戦場って似合わないっていうか……それを言うならお前もだけど」
は血盟城の医療班を預かる身だ。直接戦闘には参加しない」
「なるほど、白衣の天使かー……それは似合いそう。えっとでもグウェンダルとヴォルフラムは自分の領地から連れてきてる兵士なんだろ?コンラッドとは違うんだ?」
「兄上は既にヴォルテール地方を治める領主だからな。現在はぼくが未熟だから叔父上が代行をなさってくださっているが、ぼくも将来的にはビーレフェルト地方を治めることになる。コンラートとは地領を持たない、血盟城詰めになっているんだ」
国境へと馬を走らせつつ、ヴォルフラムは大儀そうに息を吐き出した。
「いい機会だから教えておいてやろう。もちろんぼくたちはみな、魔王陛下に忠誠を誓う者だから、すべては陛下の下僕だ。だが地領を持つ者の兵は、いわば私兵だ。だが血盟城の兵は所属こそ分かれているが、これは陛下の直属ということになる。とコンラートは陛下の兵を指揮する権限を委ねられている、ということだ。意味の違いは判るな?」
「な、なんとなく」
頼りない返答に、ヴォルフラムは溜息を深くした。
は本来ならぼくを助けてビーレフェルトで何かの使役につくことも出来たんだ。そうすればの固有の兵を作ることもできた。なのに血盟城詰めを選んで、ビーレフェルト地方での権利をすべて放棄してしまった」
「それはつまり、お兄ちゃんよりお母さんを選んだとかいうこと?」
「だったらまだよかった!」
刺々しく声を荒げると、有利はまずい話題を振ったかと慌てて口を閉ざした。ヴォルフラムもこれ以上詳しく説明する気にはなれない。
は血盟城に残ると決めたとき、柔らかに微笑みながらヴォルフラムに謝って、けれど決してこの選択は曲げないのだと言い切った。
「母上のお傍にいるということか?」
この妹とずっと一番近しく傍にいることができるのは自分だと自負していただけに、ヴォルフラムの不満は大きかった。
だがは、ゆっくりと首を振ってそれを否定した。
「お母様にはシュピッツヴェーグのご実家があるでしょう?ヴォルフお兄様にはビーレフェルトが、グウェンお兄様にはヴォルテールが。でもコンラートお兄様はルッテンベルクを返上してしまったから、お帰りになるところはこの王都を置いて他にはないわ。わたしはコンラートお兄様の傍にいたいの……」
「あんなやつのために、権利をすべて放棄するというのか!?馬鹿げている!」
激昂するヴォルフラムに、は寂しそうに首を振って握り合わせていた両手に力を込める。
「コンラートお兄様をあんなやつだなんて、そんな寂しい呼び方をしないで」
「だが!」
「わたしが王都に残ると決めたのは、コンラートお兄様のためじゃないの。わたしがそうしたいから……ずっと忙しく国内を移動するお兄様に、待っている者がいると思ってほしいから……だからなの。どうか判ってください、ヴォルフお兄様」
寂しそうな、だか毅然とした姿勢で見せたあの微笑みは、すでに子供のものではなかったのではないだろうか。
自分より、人間の血の混じった兄を選んだなんて。
忘れてしまいたいことなのか、あのときのの表情をはっきりとは思い出せない。


炎に飲まれつつある村で指揮を取るグウェンダルは、消えない炎に苛立ちで舌打ちをした。
「ちっ、法術士が混じっているな」
「おまけに相手に兵士崩れが多数参加しているな。アーダルベルトの姿が見えないわりには手際が良すぎる」
血に濡れた剣を下げて馬を寄せてきたコンラートは、炎に沈もうとしている村に焦燥の色を見せる。
人間の国から逃げてきた者で構成されている村を気にかけて、よく顔を出していた弟にとって村の住人のほとんどが顔見知りだ。そうでなくとも、武器も持たない女子供が傷付き倒れるところを見るだけでも心が痛むというのに。
「グウェン、土で消火はできないか」
「無理だな。この規模の火災を消し止めるほどの地の魔術を使えば森が崩れる。水の魔術でなければ火はどうしようもない」
「では」
「骨飛族に伝令を託したが、水の魔術士が到着するまではもたんな。村は諦めるしかあるまい。敵の駆逐と住人の保護に徹底しろ」
着のみ着のままで逃げてきた者たちがようやくここまで作った村だ。焼け出されても行くところもない。
遣る瀬無い思いで唇を噛み締め、馬を走らせた弟の背中を一瞥して首を振ったグウェンダルの耳に、必死で村の住人と負傷した兵の治療に当たる妹の部隊の喧騒が聞こえた。
「閣下!刀傷は止血だけ施して、火による負傷者を優先してください!」
「ええ、ギーゼラ!あなたは西側の負傷者に専念して!」
肩で汗を拭いながら魔術で癒しを与えていく妹の両手は血で赤く染まっている。
母譲りの繊細な白い指を染める血は、それでも死に往く者引き戻し、負傷に喘ぐ者を助けるためのものだ。
己や弟の手を濡らす血とは性質が違う。
がその高い魔力の活用に医療兵を目指したとき、家族のだれもが賛成した。
穏やかな彼女が、護るために殺すことを旨とする軍人に向いていないことは、だれの目にも明らかだったからだ。本人もそれは判っていたのだろう。
だが彼女の真意は、向き不向きの問題ではなかったのだ。
「閣下!敵が東に移動しています」
駆けてくる部下から待っていた報告が上がり、グウェンダルは手綱を引き絞った。
「よし!そのまま追い込め!ここはウェラー卿に任せ、私の隊の者は続けっ」
今でこそ弟の部隊にも小なりと魔術を使う者が配属されているが、かつてはほとんどが人間との混血で構成され、魔術による瞬時の治療などとは縁のない部隊だった。
命に関わるほどの傷ではなくても、負傷しては傷痕を増やして戻ってくるコンラートに、繊細な妹は泣いて悲しんでいた。
たったひとりでも、高い魔力を持つ衛生兵がいれば部隊の生還率は上がる。
だが混血で結成された部隊に十貴族の者が配属されることはない。何度も却下されても、は諦めずに配属願いを出し続けた。
グウェンダルはそのとき初めて、がコンラートの部隊を癒すために医療兵を目指したのだと知った。







ヴォルフは最初、末っ子の特権を取っちゃう妹を可愛いとは思わなかったようですが、
一度兄妹愛に目覚めてからは妹大好きになったようで。そうなると今度は可愛くて仕方
がない様子(それゆえにコンラートには嫉妬でメラメラ)
地領と兵の所属とかはもちろん嘘八百です。原作にその辺りの記述はなかったかと。
コンラートがルッテンベルクを返上したか(そもそも父から世襲できたのか)すら捏造
ですので、信じないでくださいね〜(^^;)


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