コンラートと一番仲の良い家族は誰だと問われれば、それは間違いなくであると答えます。
上王陛下は当時、実質的な政務の大半こそシュトッフェルに委ねていたとはいえ……魔王としての責務に追われておいででしたし、グウェンダルは口数が少なく素っ気無い態度を取ることが多かったので、長くコンラートには誤解されていました。
ヴォルフラムは幼い頃こそ、最も近くにいたコンラートによく懐いてはいましたが、の物心がつく頃には既に兄の出自を知って敬遠するようになっていました。
ですがと最も仲の良い家族は誰かと問われると返答に困ります。
あの子は家族の誰からも……父親だけは例外でしたが……愛されていましたから。



沈黙の花(3)



ヴォルフラムと即位前の新魔王との決闘は、王の魔術による懲罰という形で幕を閉じた。
だが正式な盟約を結ぶことなく魔術を使った反動なのか、それとも見たこともないほどの強力な魔術に力を使い過ぎたのか、その場で倒れた有利は昏々と眠り続けた。
新たな王の魔術を間近で拝見できたと感動していたギュンターは、王が倒れた瞬間から恍惚が一転した。
国で最も優秀な名医の診察をと指示したにも関わらず、王の診察は義娘のギーゼラが行い、ただの疲労だとの診断が下ってからは、ギュンター以外の側近たちはすっかり落ち着いてしまう始末。
新王をまだ信用していないグウェンダルの態度はともかく、王の帰還を待ち望んでいたはずのコンラートまで、「ならゆっくり休んでいただなくては」と納得したことが意外だった。
それから二日、まだ目を覚まさない有利に落ち着きなく様子を伺い続けたギュンターと、代わってシュトッフェルと牽制し合いながら滞り続ける執務を続けるグウェンダルの元に、国境の村が他国から侵犯を受けたという報告が入った。
グウェンダルは眉間のしわを増やして舌打ちをして、王の寝室から執務室へ呼び戻されたギュンターは忌々しいと呟く。
「陛下がお倒れになっているというこんなときに……」
「あれが目を覚ましていたところで何ができるわけでもないだろう。先だって王が召喚された折、アーダルベルトが近くを動いていたという報告も受けている。今回は私が出向こう」
「俺も行くよ」
扉を開けて執務室に入ってきたコンラートが前置きもなくそう告げて、ギュンターとグウェンダルは揃って眉を上げた。
「……いいのか?」
「アーダルベルトが指揮を取っているならグウェンダルだけでも十分かもしれないが、あいつが事態を煽っているだけの場合、兵の指揮を取る者とアーダルベルトに相対する者が必要だろう。彼は武人としては一流だ。並みの者では返り討ちに遭う可能性がある」
グウェンダルが何を確認したのか判っているはずだが、コンラートはあえて現状の分析だけに留めて返答し、兄の溜息を引き出した。
「確かに私とお前となら、どちらがどう役割を受けても不足はないな……妥当な人選か。兵の準備を急がせろ」
新王を心配していないはずはないのに、この時期に王都を空けるというコンラートに、ギュンターは同じくすでに陛下に忠誠を誓った者として表情を引き締める。
「ではコンラート。陛下のことは私に任せ、あなたは陛下の剣となり任務を真っ当することに努めなさい」
「元よりそのつもりだ」
コンラートが頷いた、その後ろで再び扉が開く。
「わたしも共に参ります」
!」
執務室に踏み込んできたは、髪をきつく縛り上げ、身軽な軍服に着替えてすでに出立の準備を整えていた。
「たかが国境の小競り合いだ。高官が揃って赴くほどの規模のものではない」
グウェンダルが更に眉間のしわを増やすと、コンラートも嗜めるように肩を叩く。
「医療班からはギーゼラが同行することになっているから」
「そのギーゼラの上官はわたしです」
「ですが、あなたには陛下の診察に残ってもらわないと」
「陛下の御身に異変があれば動くことは叶いませんが、陛下のご容態は落ちついています。
死者を減らすためにも、わたしは絶対に同行します」
二人の兄の言葉にも、教育係の説得にも頑として譲らない。
普段はおっとりと微笑を浮かべていることが多い妹の強い視線に、グウェンダルは首を振りながら席を立った。
「医療班はお前の管轄だ。人員の決定権はお前にある」
「ありがとうございます、グウェンお兄様」
「グウェンダル!」
頭を下げた妹とは対照にコンラートが咎めるように声を荒げたが、兄はそれに一瞥を与えるだけで自身の隊へ出陣の指示を出すために早々に執務室を出て行ってしまった。

「……先の大戦の折、グウェンお兄様もコンラートお兄様も、ヴォルフお兄様やわたしに戦場はまだ早いと、決して前線に出ることはお許しくださいませんでした。でもわたしはもう小さな子供ではありません」
は両手を握り締め、背の高い兄を真っ直ぐに見上げてゆっくりと、だが明確な意志を込めて言葉を紡いだ。
「今なら、お兄様と共に行くことができます。どこであろうと…………どこまででも」
傍で見ていたギュンターは、コンラートの負けをはっきりと見て取った。
の視線を受け止め切れないように俯き、黙って唇を噛み締めている。
可愛い妹を戦場などと危険な場所へ連れて行きたくないコンラートの気持ちは痛いほどよく判るが、何事も経験を積まなければならないこともある。
が言った先の大戦では、彼女は後方においての医療活動に専念していた。直接戦場と相対するような場には出陣を許可されなかったのだ。
当時の彼女の年齢を考えれば当然の措置であるが、もうそろそろ最前線の現場を知る必要があるだろう。
まったく現場を知らず血筋で地位を確保する者もいるが、にそうはなって欲しくない、というのがギュンターの本心でもある。
かつての教え子のために一歩進み出て助言をしておく。
それがギュンターの取った選択だった。
「いいですか、あなたは治癒魔術にも長けていますが、その場で即座に判断を下す最前線と、粗方の治療だけでも施された者が送られてくる後方の医療班とでは、最善の判断に違いが出る時もあります。慣れた者の助言を疎かにしないよう。ですが医療班はあくまでもあなたが指揮を取らねばなりません。そのことも忘れてはいけませんよ」
「ええギュンター。その言葉、しっかりと胸に刻んでおきます」
「よろしい」
久々に教師の顔を見せたギュンターに、は瞬間だけ懐かしそうに顔をほころばせた。
だがすぐに表情を引き締めてグウェンダルと同じく確固たる足取りで執務室を後にする。
「コンラート……」
妹をしっかりと護ってあげなさい。
そう言って慰めるつもりで振り返ったギュンターは、苦しそうに眉を寄せ、拳を固く握り締め、強く口を引き結んで妹の背中を見送るコンラートを見て言葉を失った。
振り返って唖然とするギュンターに、コンラートはすぐに拳を解いて目を閉じる。
「……ついこの間まであんなに小さかったのに……」
寂しそうなその言葉は、まだ子供だと思っていた妹がしっかりと自立を始めている事実を受けて驚いている兄のものだ。
「ええ……も大きくなりました」
同じ感慨を持って息をついたギュンターは、自分の感慨には何故か安堵が混じっていることに内心で首を傾げながら、やはり出陣の準備に出て行くコンラートの背中を見送る。
振り返ってコンラートを見たとき、彼が泣くのではないかと感じたのはきっと気のせいだ。


一緒に王の目覚めを待っていたギュンターが呼び出されたまま一向に帰ってこない。
最初はうるさくなくていいと放っておいたが、王佐を呼びに来た兵士の様子を思い出すと緊迫した表情だったことが気になって、ヴォルフラムは兄の執務室に向かうべく廊下へ出る。
だが兄の元へ行く前に、珍しく軍装を整えている妹と行き会って驚いた。
、なんだその格好は」
「今から出陣するところだからです」
「出陣だと!どこへ!?」
「国境の村へ。人間たちが寄り合って作っている……」
「ああ、コンラートが贔屓にしているあそこか。攻め込まれたのか?」
頷く妹に、ヴォルフラムは呆れたように髪を掻き揚げる。
「小競り合いだろう。何もお前が行かなくとも」
「小競り合いでも死傷者は出ます。わたしは血盟城の医療班を預かる身として、前線に赴くと決めました。グウェンお兄様も許可をくださいましたもの。大丈夫です」
「兄上が?」
ヴォルフラムは素直に驚いた。妹を文字通り猫可愛がりしている兄が戦場へ彼女を連れて行くとは意外だったからだ。
「では兄上とお前が?」
「コンラートお兄様も一緒です」
他国から逃げてきた人間で構成された村で、コンラートがよく気に掛けている。当然行くだろうと思っていたのでそれは頷くだけで流してしまう。
「あんな奴、兄と呼ぶな」
「そんな困らせることを言わないで、お兄様」
は本当に困ったように首を傾げながら微笑んだ。
「わたしには、お兄様を呼び捨てにすることなんてできないもの」
「あんな奴」
ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向くと、はそっと溜息をついた。
「だって……家族なんですもの」







兄妹全員を小さい頃から知っているギュンターは他人ですが、近しい存在。
妹を猫可愛がりしているというヴォルフラムのグウェンダル評ですが、彼本人も
似たようなものかと。


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