ヨザックは翌日にはまた王都を出発してしまった。
その後もコンラッドは行方不明のままで、一般にははっきりとした話は伝わってこない。
その上、最近は血盟城の動きも慌しいという、これもまた噂にすぎないがそんな話も流れ始めている。
そんな楽しい噂の少ない状況にふと溜息を漏らして、は王都にそびえる血盟城とその背後の山に見える眞王廟を見上げた。
「魔王陛下、眞王陛下。どうかこの国と……グリエ・ヨザックにご加護を」
今はまたどこに行ったのか判らない幼馴染みの無事を祈ることしかできなかった。



最後の日(4)



焦燥のまま日々を送ることしかできないの元に手紙が届いたのは、ある日の日暮れ頃のことだった。
最近は人間の国でまた良くない動きがあるなんて不確かな噂が流れているが、これに関しては定期的に持ち上がる類のものだ。この類の話を鵜呑みにして浮き足立つような者はさすがにいない。
それでも、や一部の者からすれば、コンラッドが離反したばかりのことでもあるので、恐れはしなくても嫌な符号に眉をひそめる。
そんな中、ヨザックから届いた手紙は衣装の注文書でも、珍妙な土産でもなかった。珍しく、正真正銘の手紙だけ。
いつも注文書や土産に添えているものと変わらない、元気でやってるかとか、無理はするなよとか、内容は他愛もない。
違ったのは、何か困ったことや、ヨザックに伝えたいことがあればコンラッドを頼れという一文がなかったことと、珍しく弱気な一言が添えてあったことだ。
「『今回は少ーしばかり、長い任務になりそうだ。この間やったお守りにもで、オレの安全を祈っておいてくれよ』……普段から長い任務に出てるくせに、今ごろ何言ってるんだか」
ランプの下で手紙を繰り返し読んで、は頬杖をつきながら溜息を漏らした。
ヨザックらしくない。大体、土産物のお守りなんてもの、冗談のネタとして以外で買う男でもないし、どれほど藁にも縋るような状況だろうと、眞王陛下にだって縋らない男なのに。
机の引き出しに仕舞っていた赤い小さな袋を取り出して、はそれを掲げた。
「なに考えているのかな」
何か意味があるのだろうかと袋を開けて覗いてみたが、何かの手紙が入ってるわけでもなく、何の変哲もない小さな石がひとつ入っているだけだった。袋の方も丹念に調べてみたが、二重になっていることも、布と同色の赤い糸で見えにくい文字を縫いこんであるとか、そんな細工も存在しない。
「ひょっとしたら、手紙自体がちょっとしたネタなのかしら……コンラッドがいないことを気にしてるのかな」
今までなら、時間ができたときにふらりと立ち寄るというだけのものでも、の様子を見に来るコンラッドがいたけれど、今はそれも望めない。だから少しはまめに連絡をしておこうということなのだろうか。
だがそれもヨザックのすることとしては、しっくりとしない。
「わたしはヨザみたいに敏腕じゃないんだから、もうちょっと判り易くしてくれないと意味が判らないな……」
意味自体がないただの無事を報せるだけの手紙だったのだろうか。無事を祈って欲しいなんて珍しい言葉を気にしながら、考えても判らないことに首を振って、今まで送られてきた手紙と一緒に束にして仕舞い込んだ。


血盟城から使いが来たのは、その翌日のことだ。
店に二人の兵士がやって来て、血盟城に登城しろと言う。
そんなことを言われる心当たりは、コンラッドと友人であったことくらいしかないのだが、それだって尋問されても判ることなんて何一つない。それにコンラッドがいなくなってからの時間を考えると、随分今更な話だ。
自身にやましいことはないし、逃げるのもおかしなもので、仕方なく素直に兵士について血盟城に上がると、兵役についていた頃でも入ったことのない奥のほうへと案内された。
地下に降りるのではなくて、階段を上がるということは、尋問ではないのだろう。
ひとつ安心はしたものの、また別の不安が湧いてくるのは仕方がない。
一体なぜ呼び出されたのだろうと不安のままに案内された部屋には、気難しそうな男が机に向かっていた。
黒に近い灰色の髪の眼光も鋭いその男とは、もちろん口を利いたこともない。友人の兄とはいえ、相手の身分が高すぎる。
兵士に連れてこられたを見ると、フォンヴォルテール卿グウェンダルはペンを置いた。
「来たか。お前たちは呼ぶまで下がっていろ」
グウェンダルは手を振って二人の兵士を下がらせて、一人取り残されたに近づくようにと指示をする。
足を引きながら机の前まで歩み寄ると、グウェンダルは両手を軽く組んで机に肘をつく。
「グリエ・ヨザックから預かっているものがあるそうだが」
「ヨザックからですか?」
コンラッドのことではなくて、ヨザックの話だったことにも驚いたが、グウェンダルはヨザックの直属の上司だ。それ自体は納得できる。
だが、ヨザックからの預かり物と言われると首を傾げるしかない。
「渡されたものでしたら、山ほどありますが」
「その中に何か特殊な預かりもの、あるいは変わったものはなかったのかということだ」
「特殊な変わったもの……」
はて、と首を傾げるに、グウェンダルは溜息をついて椅子の背もたれに体重を預けた。
「はっきりとした時が来ねば判らぬようにしてあるということだろうか……」
疲れ目のように眉間に指を当てて強く押すグウェンダルを前に、は困惑するしかない。
「……あの、ヨザックがなにかやらかしたのでしょうか」
急に使いを送って、ヨザックの上司がヨザックの国内での動きを知ろうとするとはどういうことだろう。
それだけはないと思うのに、コンラッドのことが脳裡をよぎる。
まさかコンラッドと同じように、ヨザックまで。
いいやまさか、だ。
コンラッドの行動だって理由があってのことだと、今でもそう信じている。コンラッドは眞魔国を裏切ったりはしない。
だが、もしそうだとしたら、ヨザックがコンラッドに協力するために他国へ降った振りをするということだって、あるかもしれない。
身分の高い者からの話に詮索などするものではなく、してもろくなことはないと判っているのに、それでも我慢できずに訊ねてしまう。
「…………」
グウェンダルは、両手を組んだままを一瞥して視線を外すと、しばらく沈黙した。
答えてもらえるとは思っていなかったから、無礼者と叱責されなかっただけでも儲けものだ。そう思わなくてはいけない。
ぎゅっと両手を握り締めて、ヨザックに何があったのかと不安に強く口を引き結んでいると、背後で扉を叩く音が聞こえた。
「誰だ。今は……」
「あのねグウェン、アニシナが呼んでるよー」
入室の許可を得ずに入ってきた声は小さな少女のもので、は驚いて振り返る。
赤茶色の髪と、オリーブ色の肌の少女。どこかで見かけたことがある。血盟城のフォンヴォルテール卿の下へやってくるような少女に知り合いなんていないはずなのに。
だがどうやら少女のほうもに見覚えがあるらしく、目を丸めて首を傾げた。
そして、思い出したように手を叩く。
「飴をくれたお姉さんだ!」
「え……」
「コンラッドのお友達なんだよね?ユーリと一緒に街に買い物に行った日のことだからよく覚えてるよ!」
コンラッドの名前に思わず肩を跳ね上げた。今、この場で口にするのは色々な意味で慎重にならなければいけない名だ。だが同時に、少女の言葉で思い出す。
そうだ、街でコンラッドを見かけたときに、一緒にいた少年と少女がいた。あの子だ。
「コンラートの?」
低い呟きに、ギクリと首をすくめてゆっくりと振り返る。
グウェンダルは眉間のしわを深くして、ますます難しい表情になっていた。
「グリエとコンラートと、両方を知っているのか」
やはりヨザックはコンラッドの考えを知って、彼を助けるために動いたのだろうか。
コンラッドが国を出たとしても、本当に眞魔国の不利益になることはしていないと信じている。ヨザックもそうだと言っていた。だとすれば、コンラッドの真意さえ掴めたのなら、ヨザックが彼の手足になろうとする可能性だって、十分にある。
珍しくヨザックが送ってきた手紙。
あの意味は。
「グレタ」
グウェンダルは沈黙するから、後ろの少女に目を向けた。
「すぐに行く。お前は先にアニシナのところへ戻っていろ」
「うん、判った」
少女は素直に部屋を出て行った。部屋に沈黙が戻る。
ヨザックからの手紙。
は、僅かに手を動かして服のポケットの上に手を添えた。
お守りに祈れだなんて珍しいことを言って来た、あの赤い袋が入っている。
「ルッテンベルク師団の者か?」
グウェンダルが重い口を開き、はゆっくりと頷く。
「はい。戦傷により退役いたしました」
最後の参加会戦の名前を口にすると、グウェンダルは深く息をついた。
魔王陛下は大丈夫だとヨザックは言った。グウェンダル閣下の下で働くのは厳しいが楽しいと言っていた。
混血だというだけで、疑うような人だろうか。だが弟に続いて重用していた部下まで離反したのなら、あるいは。
「近日中に再び呼び出すことがあるかもしれん。それまで、グリエからの預かり物、贈り物、何でもいい。気になる物がないか、よく思い出してくれ」
どんな対応も覚悟をしていたのに、グウェンダルはあっさりと帰ってよいと手を振る。
だが拍子抜けをするには、グウェンダルの言動もヨザックの行動も、不審な点が多すぎる。
「ヨザ………ヨザックは、国を裏切ったのですか?」
もしそうだとしたら、コンラッドのこともやはり理由があったのだと確信が持てる。
ずっとの兄でいると言った約束を破ることになっても。
聞くべきではないことで、返答が返ってこないことも、肯定でも覚悟をしていたつもりだ。
だが現実は、いつだって覚悟よりも非情だ。
グウェンダルは驚いたように眉を上げ、軽く首を振る。
「いや、なぜそのような……ああ、私の聞き方が悪かったのだな。そうではない、グリエは忠実に任務を遂行している」
机に軽く手をついて立ち上がりながら、グウェンダルは少し言い淀んだ様子だった。
「お前を呼び出したのは、グリエから報告書が届いたからだ。自らにもしものことあらば、お前に預けているものを回収してほしいと」
「…………もし、も……?」
その言葉の意味するところは一つしない、そう判っていても、は呆然と繰り返すことしかできない。
「いや待て、早合点はするな。奴が言うには、別に掛けておいた保険が今はないのでまだ早いが私に報告したということだ。……恐らく保険とはコンラートのことだろう。今はあれが血盟城を離れていることを、考慮しての報告に違いない」
コンラッドがいれば、ヨザックの身に何かがあってもコンラッドがのことを知っている。何か、大切なものをヨザックが隠す場所を考えたときに、コンラッドならそうと気づくだろうと踏んでいたのか。
だとしたら、今まで上官に黙っていたことを報告してくるというのは、どういう状況だろう?
「もしもがあった後、というからには、恐らく現状の解決とは無縁のものなのだろう。それでも、必ず回収しておくべき物と奴が言うからには、今のうちに知っておくべきかもしれんと思った。それだけのことなのだ。グリエは今も任務の途上だ」
両手を握り締めて黙り込んだままのに、グウェンダルは肩を叩いて低い声で告げる。
「……近日中に、再び呼び出す可能性がある。そのときは、グリエから送られたものはすべて一旦回収するかもしれん。整理をしておいてもらいたい」
それだけ、今までの任務とは比べ物にならない危険に見舞われているというのだろうか。
血盟城からの帰り道、が足を引きずっていたのは、きっと古傷のせいだけではないのだろう。








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