新王陛下を陰ながら護衛するという任務で潜入した豪華客船の中で、元上官の幼馴染みと再会した。 肩を組んだ手に力を込められて、ヨザックは痛みに僅かに眉を寄せる。 「いてて、隊長、痛えよ。女には優しくしないとモテないわよーん」 「お前みたいな女が実在しても、俺は御免だから問題ない」 「い、いやだから、なんでそんなに力を込めるんだよ」 「最近に会ったか?」 目を瞬いて、近くに顔を寄せた幼馴染みを観察するが、真面目な表情をしているので真面目な話なのだろう。ヨザックは薄く笑っていた表情を消した。 最後の日(2) 「いや。あいつに何かあったのか?」 コンラッドは肩を組んでいた手を話して、ヨザックのドレスを指で摘んだ。 「この服、に注文したものだろう。会ってないのか?」 「王都に行く暇があったはずねえだろ、送らせたんだ。に何かあったのか?」 今度はヨザックの方から距離を詰めると、幼馴染みは何でもない表情で肩をすくめて首を振る。 「俺の私服を新調してもらった。元気なものさ」 思わず拳を固めたが、勝てない喧嘩はしない主義なのでどうにか堪えた。普段の姿ならともかく、女物の礼服では少々動きにくいし、第一殴り合いになれば目立って仕方がない。 「ちっ、なんだよ。思わせぶりな言い方しやがって」 「気になるなら、たまには顔を出せばいいだろう」 「だーかーらー、そんな暇がないんだ」 「もうどれくらい顔を出してない?が嘆いていたぞ」 ヨザックは髪を掻き毟ろうとして、現在の姿に合わせた髪形を思い出して思い止まった。 崩してしまうと直すのに手間が掛かる。 代わりに溜息をつくと腕を組みながら壁にもたれかかる。 「元気なことだけ判りゃ十分さ。ときどきお前が様子を報せてくれるしな」 「人任せにするなよ」 「お前だっての兄代わりだって言ってただろうが。……それとも、もうお前は魔王陛下のお守り……護衛で忙しいってことか?」 揶揄するように肩をすくめると、今度はコンラッドが目を細めた。 「ヨザック」 「はいはいはいはい。そーんな顔しなくてもオレは魔王陛下の忠実な臣下ですよ。陛下のご命令とありゃ、火の中水の中でも馳せ参じー…………例え死地だろうと赴くさ」 「陛下はそんなことはお命じならない」 「だといいがね」 どうやら本気で聞くのないらしいヨザックに、コンラッドは溜息をついて首を振った。 「は素直に理解してくれたんだが。本当にお前は捻くれている」 「あいつはダンヒーリー様が絶対だったから、昔からお前の言うことにゃ甘い―――」 ヨザックが軽く手を広げて皮肉めいた笑みを浮かべたところで、船に衝撃が走った。 「この黒曜石をお前に預ける」 まっすぐにヨザックを射る、黒い瞳。 それこそ預けると言った黒曜石のように、いや、それ以上に強く輝き、迷いのない澄んだ瞳。 知らず覚えた昂揚感は、何よりも心地よかった。 王の命とあれば、火の中水の中、例え死地だろうと赴く。 あの言葉に偽りはない。 だがどうせ仕えるなら、そして命じられるなら、自分から命を預けたいと思うような、そんな相手であればいいと願うのは誰だって同じだろう。 ヨザックは堪えきれない笑みを噛み殺しながら、上機嫌に目の前の扉を開けた。 「お久ー、。お前もそう思うだろう?」 店内で仕立て上げた服を畳んで袋に詰めていたは、突然の問いかけに驚いたように顔を上げる。 「ヨザック!」 驚いた理由が、意味の判らない問い掛けのせいか、久々の訪問のせいかは判らないが。 目を丸めて驚いていたは、次いで眉を吊り上げて、だがすぐに目の前の客のことを思い出したようで、慌てて愛想笑いをしながら商品を詰めて袋を差し出す。 「お待たせいたしました。どうぞまたご贔屓に」 客が商品を受け取り、ヨザックは入り口の前を空けるべく店の奥に移動して、既製品の服を眺めて回る。 と店主は客を見送って頭を下げていたが、その客が出て行くとが勢いよく振り返った。向こうでは事情を知っている店主が軽く溜息をついているのが見えた。 「そこそこ繁盛しているみたいでよかったな」 服の生地を確かめるように触りながらヨザックがにやりと笑って振り返ると、眉を吊り上げたは怒りで顔を真っ赤に染めていたが、やがて何も言わずににっこりと微笑んだ。 「いらっしゃいませ、お客様。何をお探しですか?」 思わぬ切り返しに、ヨザックは目を瞬いた。後ろで店主が吹き出している。まだ混血が不遇に扱われていた時代からを雇ってくれた気のいい親父だが、それだけに気心が知れてしまって困ったものだ。 ヨザックは軽く天井を見上げ、それから既製品の服を一着取り出して身体に当てた。 「これと同じ形のー、アタシに合う服ってあるかしら?」 の笑顔が一瞬で崩れ、後ろで店主は壁を叩いて笑っている。 「ヨザ!」 「まー、そう怒るなよ。オレも忙しいんだって」 「だからって五年も手紙だけってどういうこと!?しかも一方的に送り付けてくるだけ!」 ヨザックが手にしていた服を取り上げて、眉を吊り上げるに両手を上げて降参のポーズを取りながら、後ろの店主に目を向ける。 「お詫びに店の売上に貢献してるじゃねーか。なあ、じいさん」 「そうさな。、休憩に入っていいよ」 絞られておいでと手を振られて、ヨザックは両手を上げたまま天井を見上げた。 店の二階に上がると、勝手知ったる休憩所にヨザックは早々にテーブルについて足を組んだ。は火を起こして水を入れた薬缶をかけて、茶の葉を取り出す。 ヨザックは軽く足を引きずるその後ろ姿を見ながら、頬杖をついた。 五年ぶりに訪れたが、何も変わっていない。店主も、店の構えも、二階が店主の住居兼休憩所になっていることも。 も変わっていない。魔族にとっての五年は大した時間ではない。 少なくとも、外見という意味では。 「いつまで王都にいるの?」 ポットに茶の葉を入れながら振り返らずに訊ねるに、ヨザックは頬杖をついたまま軽く目を閉じる。今から怒鳴られる様子が目に浮かぶ。 「明日には出るよ」 「今日しかいないの!?」 目を閉じていても、が振り返ったのが判る。その薄い水色の瞳が、どんな風になっているのかも判る。だから目を閉じた。悲しそうな顔をされたら離れがたくなる。 「そ……そんなに忙しいの?休暇とかちゃんとある?」 「あるようなないような、だな。今日も仕事の合間に寄っただけだ。お前に土産があってさ」 「グウェンダル閣下ってそんなに厳しいの?」 懐を探りながら、ヨザックは軽く笑った。 「人遣いは荒いな。でもま、あの方の下で動くのはやり甲斐があって面白い」 ヨザックは取り出した小さな袋をテーブルに置いた。薬缶を火にかけたまま、が寄ってきて小さな袋を取り上げる。 「お土産ってこれ?」 「そ。ヴァン・ダー・ヴィーア火祭りの記念お守りだってよ」 「お守りが必要なのはヨザじゃないの?」 「オレは敏腕だからそんなものに頼らなくてもいいんだよ。それ、無くすなよー。効果は間違いないが、代わりにぞんざいに扱うと恐ろしい目に遭うらしいから」 「……ねえ、それ本当にお守り?」 またヨザックが適当におかしなものを買ってきたと、は溜息をつきながら小さなその袋の表面を撫でる。の部屋に、ゾンダーガードの観光タペストリーやカヴァルケードの巻き毛かつらなど、どう考えもには使い道のないものが溢れているのはすべてヨザックのせいだ。 適当に目に付いたものを土産と称して送るのだが、居場所が判るとまずいのでその場では購入するだけに留め、次の任地へ移動してからなど、購入してかなりの時間が経ってから送ったりするので、ヨザック本人もなぜそんなものを買ったのか判らない、なんていうことも珍しくない。 「シマロンに行ってたの?」 の表情が曇って、ヨザックは笑いながら手を振る。 「オレは大体が国外任務だって言ってるだろ。それに今回は面白い任務だった」 「任務に面白いって」 額に手を当てて溜息をつくに、ヨザックは椅子の背もたれに体重を預けながら、天井を見上げた。その向こうの、空をも見透かすように。 「……この先も、やり甲斐があるってもんだよなー」 「ヨザ?」 体重をかけると、椅子の後ろの足の二本がギシギシと音を立てる。こんなところも変わっていない。変わっていないことに安心する。 変わらなくてはいけないのに。 「……まあなんだな、オレはこの先も忙しいし飛び回ってるし、お前はなにかあったらコンラッドを頼れ。人が変わったみたいに穏やかになりやがって、牙が抜けたかと思ったがそうでもなかったし、お前を預けておいても大丈夫だろ」 両手で赤い小さな袋を握っていたは、軽く目を細めて呆れた顔をする。 「あのね、わたしだってもう子供じゃないんだから、いつまでも幼馴染みを頼ったりする必要はないわよ。自分のことくらい、自分でどうにかします」 「それが本当だったら、オレも安心なんだけどねー」 の拳が飛んできて、ヨザックは軽く首を捻ってそれを避けた。 今日の宿を求めて血盟城に入り兵舎へ向かっていたら、上王陛下の個人船の上で別れたはずの幼馴染みと出くわした。 「ヨザック、王都に来てたのか。それなら俺たちと一緒にくればよかったのに」 「オレはいろいろと任務を兼任しているんですぅー」 城に常駐していないヨザックは、同じくこうして地方から出入りする兵士ための宿泊部屋を借りる手続きが必要だ。それが面倒で知り合いの部屋に転がり込むことも多いのだが、どうせ転がり込むなら広い部屋を持っている男のほうがいい。 ソファーを貸せと交渉すると、あっさりと了承した幼馴染みに感謝を表しながら兵舎に背を向ける。 「に会いには行ったのか?」 「行ったさ。土産も渡してきたぜ」 「だったらそのままの家に転がり込めばよかったのに」 幼馴染みは肩越しに軽く振り返り、にやにやと嫌な笑みを浮かべる。 「の部屋だって狭いだろ」 「久々に彼女の手料理を食べて、一緒に過ごせばよかったじゃないか」 「あいつ、今も男いねーのか?泊まりに行った日にちょうど男が遊びに来て追い出されるはめになる……とかは御免だな」 血盟城の庭に目を向けて、幼馴染みの嫌な笑いから目を背ける。 「今はいないはずだ。前の男とは二年前に別れたと言ってたから」 「そうか。いつまでも色気がなくて困ったやつだなあ」 「深い青い目をした、筋肉質な男だったな。確かその前の男も体格が良くては見上げていたっけ。髪は、お前の色に近かったな」 ヨザックは眉をひそめて足を止めた。前を歩いていたコンラッドは気にせずそのまま置いて行く。 「歳を取って好みが変わったのかな。子供の頃は、どちらかといえば細い男が好みだったのに、今じゃお前みたいな筋肉男ばっかり恋人にしてる」 「………そうか」 先を行く幼馴染みの後を追って歩き出すと、今度は逆にコンラッドが足を止めて振り返った。 「それだけか?」 「それだけって、何が」 肩をすくめるヨザックに、コンラッドは溜息をついてうなじを軽く掻く。 「俺はあまりお節介は好きじゃないんだ」 「じゃあそれでいいじゃねーか」 コンラッドは舌打ちをすると、手を伸ばしてヨザックの胸倉を掴んだ。 「知っていて見ない振りをするのは止せ。俺はのことを妹のように思ってる。大切なんだ」 「オレだってそうさ」 「だったら妹の恋愛の邪魔をしてやるな」 「オレが?オレがいつの恋愛に反対したんだよ」 心底疑問に思ったように胸倉を掴まれたまま肩をすくめる。 「常に危険な任務についているくせに、後になって悔やむことになってもいいのか」 「…………だからだろ」 目を伏せて小さく呟くと、目を丸めたコンラッドは息をついてその手を離した。 「お前の気遣いは的外れだ」 「だとしても」 抱き締めた背中の震えを覚えている。 最後に別れたとき、友が見せたあの不敵な笑顔も覚えている。 また後でと笑って拳を合わせた。もう会えないだろうと判っていながら。 だがあの時は、自分が死んでもこいつは死なせないと思っていたのに。こいつが死ぬときは自分が先に死んでいると思っていたのに。 友が死んで、自分が生き残った。 兄の死を嘆きながら、それでもヨザックが生きて帰ってきて嬉しいと、そう言って泣いた妹のような、愛しい存在。 「オレって案外繊細なんだぜー?」 そう言って笑うと、元隊長の幼馴染みは溜息をついて首を振った。 コンラッドは師団長だったから他にも諸々と忙しくて、部隊長同士だった幼馴染みたちの個人的な別れ際の最後の言葉を知らない。 「お前がいるからさ、ヨザック。のことは心配してないんだ。いや、俺だって帰るよ。生きて帰るさ。ま、お前は一応の保険ってやつだな」 「ぬかせ、こいつ。オレこそ本命だろう。生き残るならオレだ、オレ」 お互いに、それぞれ配置につかなければいけない最後のやり取り。敵に囲まれると承知で右翼も左翼もあったものじゃないと、絶望的な状況を軽口で流しながら。 にやりと不敵に笑って拳を合わせた。 「また後でな」 ヨザックは、親友に代わってその妹の幸せを見届ける。 親友から妹を託された、それが約束だった。 |