戦地へ、死地へと向かうかつての同僚たちを見送るしかない身がもどかしかった。 引きずったこの足が、元のように動けば、こんな怪我さえしなければ、一緒に戦えたのに。 ……みんなだけ、先に死なせたりしなかったのに。 「そう言うなよ。大丈夫、オレたち三人とも生きて返ってくるって」 オレンジ色の髪の幼馴染は、まるで子供をあやすかのようにの茶色の髪を撫でて、の兄と、部隊の指揮官でもあるもう一人の幼馴染みと一緒に王都を出陣した。 一年前、国内外で転戦を重ねるうちには右足に一生残る戦傷を負った。引きずりながらでも歩くことなら杖がなくてもできるが、走ることは決して叶わない。そのために退役を余儀なくされた。 兵士だった頃、戦場に出て血にまみれるのも、人を殺すのも死を目の当たりにすることも怖かった。だが一人残されて、死地へ向かう大切な人たちを見送るしかないことも恐怖なのだと、こうして思い知らされる。 「お願い……みんな無事で………」 それが叶わない願いだということを、も嫌というほど判っている。これから彼らは、陥落寸前の領地を十倍近い数の敵から死守するために向かうのだ。 アルノルドの地へ。 「兄さん……コンラッド………」 両手を握り締め、祈るような思いで王都の門をくぐっていく一団の無事を願う。 その中に、見知ったオレンジ色の頭を見つけて、胸が激しく痛む。 「ヨザック……」 生きて帰る見込みのない出陣。 それでも、三人はきっと帰ってくると信じて。 戦友たちが一人でも多く帰ってくることを信じて。 最後の日(1) 兵士だった頃は短く刈り込んでいたの髪も二十年の間に長く伸び、今では毎朝編みこむ必要があるほどになった。 凄惨な大戦が終わりを告げ、あれから二十年。 新王が即位して、国は大いに盛り上がっていた。 新しい王はまだ十五歳の子供だというのに、双黒の見目も麗しい気品溢れる方だというだけで、だ。 もっとも、その祝いを契機に新しい服を新調しようという客が増えてくれたのだから、店が儲かって店員のとしても悪い気はしない。 そう思っていたら、の様子を見に来たと久々に店を訪れた友人までが、せっかくだから記念に新しい服を作りたいのだと言ってきて少々呆れてしまった。 もっとも、彼の身分ではこんな王都の一角の庶民の店で服を作る必要などなく、もっと一流の店から一流の腕を持つ者を呼び寄せることだってできるのだから、幼馴染みなりのご祝儀でもあるのだろう。 「まあね、コンラッドは陛下の側近なんだから浮かれようってものだろうけど」 「手厳しいな」 色合わせに、苦笑する幼馴染みの肩に掛けていた布の上に、もう一枚別の生地を掛ける。 「こんな感じでどう?」 「に任せるよ」 「張り合いがないわコンラッド……ヨザはもっと色々注文をつけるわよ」 「その道の巧者の腕を信じているだけさ。ヨザックは最近顔を出したのか?」 コンラッドの肩から生地を巻き取りながら、は軽く肩をすくめて息をつく。 「来てないって知ってるから様子を見に来たくせに。遠くから注文書は届くんだけどね。最近は採寸してないのに」 「へえ、わざわざに頼むのか」 「女物の時はね」 が指差した先には、やたらと大柄な女性向けのドレスが壁に掛けてあった。煌びやかな飾りのついたそれに、コンラッドは急に真顔になる。 「……あれはヨザの注文の品か」 「女物は費用がかさむから、わたしに頼んで格安であげようって寸法なのよ。そのくせ経費請求は市場価格でやってるみたい」 「抜け目がないなあ」 年上の幼馴染みは苦笑して、もうひとつ自分の肩に残っていた生地を外して巻いていく。 「じゃあは、今ヨザがどこにいるのか知ってるのか?」 「ううん。グウェンダル閣下の下に配属になってからは、ヨザは極秘任務ばっかりでしょう?どこにいるかはさっぱりよ。注文の品は指定された場所に送るだけ。いっつも連絡は一方通行なんだもの。嫌になっちゃう」 少々荒く息を吐いて憤慨するに、コンラッドは笑いながら巻き取った生地を渡してきた。 「ヨザックなりに、気を遣っているんだろう。任務の関係で連絡は取り合えないから、せめて無事を報せているんだ」 「言われなくてもそれくらいは判ってるわ。二人ともいつまでも子供扱いして!わたしだって、もう九十歳は超えてるんですけどね!」 「は妹みたいなものだから。いくつになっても、妹は妹だろう?」 「一人っ子のヨザはともかく、あなたにはちゃんと弟がいるんだから」 「ところが弟は俺に甘えてくれないんだ」 「わたしだって甘えてないでしょう!?」 まるで自分が甘えているかのようなことを言うなと憤慨して振り返る。 「わたしより、まだ成人すらしてないのに即位した陛下のほうがコンラッドを必要としていると思うけど」 少し嫌味を含んで言うと、コンラッドは困ったように眉を下げて苦笑した。 「もちろん、陛下のことはお守りするし、俺の力の及ぶ限りお助けする。でも今はいいんだ」 先日即位したばかりなのに、さっそく傍を離れていていいというおかしな話に首を捻りながら、受け取った生地に使用する予定の長さを書き込んだタグを貼った。 「……が心配していることは、判っているつもりだ。でも、新王陛下は必ずこの国を守ってくれる。そういう方だ」 振り返ると思いの他、真摯な表情をしていた幼馴染みに、は目を瞬いて、そして軽く溜息をつく。 「あなたがそう言うなら、信じるわ」 魔王の息子でありながら、混血であるがゆえに死地に赴いた元王子。同胞のため、常にその身を矢面に立たせていた仲間。死んでいく同胞のために、涙を流したその苦しみも、悲しみも、怒りも、共有した幼馴染み。 国の頂点に立つ王がこの国の往く道を大きく左右する、その重要さを知っている彼が手放しで誉めるというのなら信じる。 彼がまだ、同胞を失う悲しみを忘れていないと信じているから。 「ヨザもみたいに素直なら助かるんだがな……」 「あら、コンラッドは素直なヨザが見たいの?」 それってどんなのかしらとが首を傾げると、コンラッドは自分で言ったくせに酷く嫌そうな顔をする。 「素直なヨザックか……何か悪い病気になったとしか思えないな」 「酷い幼馴染みねえ」 そう言っては笑ったが、コンラッドは心底そう思っているように渋い顔で首を振った。 扉が軋んで開いた先に、暗い顔の幼馴染みが立っていた。 オレンジ色の髪からは白い包帯が覗き、右腕も肌が見えないほど包帯で覆われた状態で吊っている。ゆっくりとした足取りは、と同じで少し引きずっている様子があって、どうやら足も怪我をしているようだ。 こつり、こつ、こつり。 不揃いな足音が、屈強な友人の傷の深さを思わせる。 それでも生きて帰ってきてくれただけでいい。涙が滲みそうになって、はそれを懸命にこらえてこちらも足を引きずって兄の友人である幼馴染みに歩み寄る。 「お帰りなさい、ヨザック……」 歩み寄るは、だが嫌な音を立てる心臓の鼓動を自覚せずにはいられなかった。 なぜヨザック一人なのか。 なぜ、兄が一緒にいないのか。 「……」 「ヨザ、あの、兄さんは?動かせないくらい傷が酷いの?コンラッドも酷い傷だって聞いているけど……」 「死んだ」 聞きたくなくて早口で遮った、判っていた結果。だが判っていたのに、その事実を告げられた瞬間、は膝から崩れ落ちるように床に座り込んだ。 うそ、と。 言いたいのに声が出ない。 ヨザックは自身も深い傷を負っているのに、床に座り込んだの前に膝をつくと、包帯だらけの左腕を伸ばしてその身体を抱き寄せる。 「すまない。守れなかった。あいつを守れなかった。形見すら、何も……」 大きな戦が続いて、たくさん死んだ。仲間も、友達も、たくさん亡くした。 それでも、大切なたった一人の家族だった兄は、その友人で家族も同然のヨザックは、コンラッドは、いつだって帰ってきた。 だからこんな暗い時代にでも耐えることができた、のに。 王都まで戻ってきて、手当てもしっかり受けているはずなのに、抱き締めてくるヨザックからまだ血の匂いがするように感じる。酷い傷だ。深い、消えない傷だ。 は目を閉じて、ヨザックの背中に両手を回して強く抱きつく。 「お帰りなさい……」 兄の死は悲しい。苦しい。痛い。つらい。 だけど、戦って生き残って帰ってきた幼馴染みに、生きてることを罪悪のように謝って欲しくはない。 みんな帰ってきて欲しかった。誰一人欠けることなく帰ってきて欲しかった。 だから、せめて、帰ってきた、大切な人の無事を喜びたい。 帰ってこなかった人を悼むのと同じだけ。 横でヨザックが息を飲む声が聞こえた。 背中に回された腕に力が篭る。 「……これから、オレが絶対にお前を守る。あいつの分まで、オレが」 「いいんだよヨザック。そんな風に思いつめなくていいから、今はゆっくり休んで……」 お互いに相手を抱き締めたまま、その声が震えていることは聞かない振りをし続けた。 そうして、彼はの兄であることを、自らに課したのだ。 の気持ちなんて、おかまいなしに。 「馬鹿ヨザ」 日の暮れた空を見上げて、は唇を尖らせて軽く悪態をつく。 ヨザックはコンラッドの部隊にいるものだとばかり思っていたから、退役後のは王都に新たな生活の基盤を築いた。当時はまだあまり扱いのよくなかった混血にも理解のある雇い主に恵まれて、王都の一角にある服飾店に勤めることができたのは幸運だった。 ルッテンベルク師団はアルノルドの戦いを経て、コンラッドを筆頭に英雄として国に迎えられた。混血だからという理由で国に背くことなど決してない、危険な存在ではないと、その身を以って、たくさんの犠牲を以って証明した。 悲願は達成された。 そうなると、コンラッドの基盤が王都であるだけに、ヨザックも王都に駐留すると思っていたのに。 コンラッドは軍役を退き、ヨザックはフォンヴォルテール卿の下へ転属した。 それならヴォルテール地方に移動しようかと思ったのに、ヨザックは自分は国外任務が多いから、王都のコンラッドの傍にいろと言って聞かなかった。 当時のコンラッドは心に痛手を負って荒れていて、そのもう一人の幼馴染みに対する配慮でもあると判ったからはそれに素直に従った。 だがコンラッドはしばらくすると唐突に行方不明になり、数年後に唐突に帰ってきた。 戦中の頃の自信に満ち溢れた、ある種嫌味ったらしかった様子すら一気に通り越して、思わず「誰!?」と聞きたくなるような穏やかな様子を纏って。 コンラッドが自暴自棄の状態から抜け出していたのは喜ぶべきことだが、結果的にコンラッドの傷を癒すことにはなんの貢献もしてない。 こうなると、初めからヴォルテール領に行っていればよかったと思いたくなっても無理はないと思う。 もっとも、たとえヴォルテール領にいたとしても、ヨザックが滅多に帰ってこないことに変わりはないのだけど。 そうして、いつの間にかずるずると王都に居着いてしまって、ヴォルテール領へ移動できないまま今に至っている。 何しろ、王都にいるとときどきコンラッドがヨザックの近況を、といっても元気にしているという程度の話だが、それでもそんなことを教えてくれる。 それがヨザックの策略なのは、何となく察しがついていた。 おかげで王都を離れる踏ん切りが中々つかない。 コンラッドもいつでもヨザックの居場所を知っているわけではないようだけど、民間人のとは違い、国の高官の彼はまだヨザックと連絡が取れる。近況を教えてくれるということは、そういうことだ。もしヴォルテール領に行けば、それらの小さな話すら聞けなくなる。 そうして、ヨザックもまたコンラッドからの近況を伝えられているらしい。 「……ヨザの馬鹿」 そんな風に気に掛けられたって、ちっとも嬉しくない。 気にされないよりましでも、妹として気に掛けられて嬉しいものか。 「あーんなに鈍くて、なにが敏腕諜報員よっ!」 敏腕というなら、家族愛と異性への好意を見分けて見せろと、どこにいるのかも判らない幼馴染みに悪態をついた。 |