有利やとは違い、やはりの異界渡りは特殊なことではあるが、何をおいても大急ぎで解決しなくてはならないことではない、という判断の元、眞王廟への使いは明日の朝に送られるということになった。 急遽客間の準備をさせるために席を外していたコンラッドは、喜びに満ち溢れたギュンターを連れて帰ってきた。 「ああ、なんと麗しい光景なのでしょう……」 双黒の者が三人揃うという光景にうっとりしながら、と有利の間に割り込んで威嚇しているヴォルフラムに眉をひそめる。 「ヴォルフラム、少しおどきなさい」 「なぜお前にそんな命令をされなければならない!」 「せっかくの光景が崩れてしまうではありませんか!」 「なにがせっかくの光景だ!双黒が三人なら、大賢者がいればまた見られるだろうが!」 「そうです!猊下がいらっしゃれば完璧でしたのに……」 「とにかくぼくは、ユーリとこの女を見張っておかなくてはならないんだ!」 「コンラッドー……ヴォルフをどうにかしてくれよー」 「無理です」 主君の応援要請に、コンラッドはあっさりと返した。 君がいた夏(3) 一方では非常に複雑だった。 有利の幸せは応援したい。したいけれどやっぱり別の女の子のところにいってしまうのは寂しくて、そしてヴォルフラムにも普段から非常にお世話になっている。 なのに、彼女との仲を応援してもいいものだろうか。 「でも……有利は同性愛者じゃないから……ああもう、有利がちゃんとはっきりしておけばこんなことにはならなかったかもしれないのにー……」 小さく呟いて、ちらりと有利とヴォルフラムを隔てた向こうにいる少女を盗み見ると、うっかりと目が合ってしまった。 がにこりと柔らかく微笑んできたので、も愛想笑いを返す。 悪い子には見えないけれど。 「なにぶつぶつ言ってんの?」 横の有利が小声を拾い上げたので、思わずじろりと睨み上げる。 「さんのこと、教えてくれてなかったからびっくりしたって言ってたの!」 「う……それは、その……」 「いいよ、コンラッドが有利も複雑だったんだって説明してくれたから判ってる。けど、有利が彼女をいきなり抱きしめた時はー」 「うわわっ、!そんな大声でっ」 有利は慌ててを振り返るが、こちらの言葉が半分ほどしか判らないは首を傾げるだけだ。代わりに、爆発したのはヴォルフラムだった。 「なななな、なんだと!?ユーリ、貴様やはり!」 「―っ!」 胸倉を掴まれて揺さぶられる有利からつんと顔をそらす。 「恋人がいたのに教えてくれないなんて、お兄ちゃんと同類扱いされたと思ったショックの分くらいはね」 「あの変態とを一緒にしたわけないだろー!?」 「……お兄さんは一体どんな扱いなんだろう……」 一人だけ冷静なコンラッドは、少し遠い目で可哀想な言われようの渋谷勝利に、他人事ながら思いを馳せた。 強く生きてください、お義兄さん。 ……二人の兄、勝利が聞けば、癇癪を起こしそうな応援だ。 「、頼むよ、ヴォルフを引き受けてくれ。のことを言わなかったのは悪かったよ。でも、なんて言えばいいか判んなかったんだ」 「コンラッドが言ってたよ。さんのことをわたしに話してしまって、思い出として片付けたくはなかったんだろうって」 ヴォルフラムには判らないよう、そしてには判るように日本語で返すと、ちらりと彼女の様子を窺った。 有利を締め上げるのに必死のヴォルフラムはが日本語で何かを言っても気にしないが、は違う。 驚いたように目を見張り、両手を口に当てて、嬉しそうに微笑んだのだ。 涙を浮かべて。 恋する女の子の気持ちは、にもよく判る。 「あー、もう複雑だ複雑だ複雑だー」 だってヴォルフラムのように癇癪を起こしてしまいたい。 有利を取られたくないし、ヴォルフラムのことは大好きだし、だけど恋する女の子の味方でありたい。 そして、有利の幸せは後押ししたい。 溜息をつくと、ソファーから立ち上がって有利の腕を引いて立ち上がらせた。 「ヴォルフラムー、もう有利のことは部屋に連れて帰っちゃって」 「無論そのつもりだ」 「ヴォルフラム!陛下に乱暴するのはおよしなさいっ」 「ーっ!この裏切り者ーっ」 首をがっちりとホールドされた状態で引き摺られて行く有利に、はムッと腹立ちを覚えながら、今度は日本語で有利に手を振った。 「わたしはさんと『この部屋で』おしゃべりしてるからー」 「え?」 有利とが同時に声を上げる。 そして、もう一度眞魔国語に戻した。 「おやすみ、有利、ヴォルフラム」 笑顔で手を振り、有利を救出に行こうとしたギュンターを呼び止める。 「さんとお話ししたいの。部屋の用意だけしてくれたら、後でわたしが送りますから」 「え、し、しかし殿下にそのようなことを」 「コンラッドがついててくれるから大丈夫です。有利とヴォルフラムのことは二人に任せておけばいいですから、邪魔しに行っちゃだめですよ」 「うっ…え……し、しかしですねー……」 「だめですよ」 にっこりと笑顔で念を押すと、ギュンターはがくりと項垂れて王妹殿下の命令を拝命した。 「これでよし」 有利とヴォルフラムが退場して、ギュンターが渋々と帰っていくとはにっこりと笑顔でを振り返った。 「ようやく落ち着いて話せる」 「あ、あの……」 「有利が来るまでの間、話し相手をしてくれる?」 「え……ですがユーリ様はもうおやすみに……」 戸惑うには肩を竦めての向かいのソファーに座った。 「まさか。ヴォルフラムが眠ったらもう一度戻ってくるでしょ。さん座って」 そう言って、一人部屋に残っていたコンラッドを振り返る。 「コンラッド、わたしお茶が飲みたいな」 「はいはい、淹れてくるよ」 日本語で話せばコンラッドには意味が判らないけれど、そこに男がいるといないとでは、の気持ちに違いがあるだろうと思ったのだ。 コンラッドが素直に部屋を出て行って二人きりになると、は向かいに座ったを改めて眺めてしみじみと感じ入る。 アーモンド形の大きな瞳、薄めの唇に透き通るような白い肌、長い髪は今はただ後ろに流しているだけで、一見して日本人形のようなしとやかな雰囲気。 「有利の面食い……」 小さく呟いた声は幸い聞こえなかったらしく、は軽く首を傾げた。 は咳払いして気を取り直す。 「ええっと、有利と出会った頃のこととか聞いていいですか?さっき言った理由で有利は全然あなたのことを話してくれてなくて。ぶっちゃけ有利のどこが好きなのかとか」 は目を丸め、困ったように頬に手を当てた。 「どこ、と仰られましても……」 ああ、感覚的なものなのかと思ったら、正反対だった。 「ユーリ様のお優しいところも、ご聡明なところも、真っ直ぐなところも、お元気なところも好きです。見ず知らずのわたしを心配してくださり、本当に親身になって叱ってもくださいました。励ましても、諭してもくださいました。今のわたしは、ユーリ様とお会いできたからいるのですから……どことは」 有利の全てが好きらしい。 そうか有利はいつもこんな気分を味わっているのかと背中が痒くなる思いで、は少し反省した。これから有利の前でコンラッドの話題を惚気るのはできるだけ控えよう。 「有利からはバイオリンが上手いって聞いてるんですけど……」 「ええ……わたしには、それしかなくて……でもわたしの弱さで音を失いそうになったとき、ユーリ様が仰ってくださったんです。わたしの音が好きだと……一人で寂しそうに弾かず、ユーリ様の前で弾いてほしいと……」 バイオリンから有利に話が戻るとは思わなかった。 はぐりぐりとこめかみを指先で押さえる。 幸せそうに有利のことを語るを見ていると、ときどき有利がバカップルと自分たちをからかいたくなる気持ちが判った気がする。 まともに聞いてられない。 「それに、ユーリ様のお好きな野球選手の応援歌も教えていただいたんです。地球ではその曲を毎日弾いて……ユーリ様のことをお慕いして……」 笑顔で有利との思い出を語っていたは、途端に大きな瞳から涙を零した。 思わず腰を浮かすに、慌てて指先で涙を拭う。 「申し訳ありません……ユーリ様にまたお会いできたのが……う、嬉しくて……」 ヴォルフラムから聞いた話によると、彼女がこの国にいたのは去年の夏だ。もう一年近く経つのに、二度と会えないだろうと思っていた相手を毎日想って、思い出の曲を引き続けていたというのは一体どんな気分なのだろうか。 再会できただけで感極まって泣いてしまうような、そんな気持ちを。 「え、えっとね、さん」 何が場繋ぎの質問をと慌てふためいているとノックもなくドアが開いた。 「、」 有利が声を潜めて駆け込んできて、は慌てて残っていた涙を拭ったが、有利はそれを見逃さなかった。 「!?、を泣かせたのか!?」 「し、失礼な!そんな小姑な意地悪しないわよ!」 すぐさまの元に駆け寄る有利に、それならこんな密会の手引きをするかと慌てて手を振る。 「ち、違いますユーリ様。あの……ユーリ様との思い出を聞いていただいていたら……もう一度ユーリ様にお会いできたことが嬉しくて、それで……」 「……」 「ん、んー」 そのまま見つめ合う二人に、が軽く咳払いをすると、握り合っていた手をぱっと離した。 「あのね、ヴォルフラムがもしも起きてきたときのために、わたしはここにいるから」 「え?」 はともかく、有利があからさまに不満そうな顔と声を上げて、はジロリと白い目を向ける。 「だから寝室を使えって言ってるの。彼女部屋どころか、ここだろうと二人きりでいるのを見つかったら、今度こそ有利は柱に縛り付けられるよ」 「う……」 まざまざとその光景が思い浮かんだのか、有利は僅かに青褪めてに向かって両手を合わせた。 「ごめん、頼む」 「はいはい。頼まれました」 二人が寝室に移動すると、はドアを閉めながら二人ににっこりと邪気のない笑顔で釘を差した。 「言っとくけど、会うための場所の提供だからね。有利……『健全な』お付き合いでね」 「ばっ」 揃って真っ赤になる二人に笑顔で手を振って、扉を閉めた。 いつも言われているのだから、ちょっとした意趣返しみたいなものだ。 閉めたドアにもたれて舌を出していると、廊下側のドアが今度はノックの後に開いて、コンラッドが入ってくる。 「あれ、だけ?」 が呆れたように肩を竦めて寝室を指差すと、納得したように頷く。 立派なドアはそれなりの防音ができるので、騒ぐかよほどドア近くで会話でもしない限りはお互いに声は聞こえない。 は気軽にソファーまで戻ると、コンラッドが用意してきてくれた紅茶を二人分淹れた。 「ここで二人に持っていったら邪魔なだけだしね」 「ユーリに怨まれるよ」 「協力してあげたのに怨まれる筋合いはないわ……」 が拗ねたように頬を膨らませてコンラッドに紅茶を差し出すと、それを手にコンラッドは向かいではなくの隣に座る。 「ユーリに協力してあげたんだね?」 「だって……有利が彼女を好きならしょうがないじゃない」 今頃有利の部屋の寝室で、有利に宥められ眠りについているヴォルフラムのことを思うとズキズキと良心は痛むけれども……には、どうしても有利が優先なのだ。 「ヴォルフラムのことは、有利が自分でちゃんと決着をつけるでしょうし!」 このまま中途半端だけは、いくら有利が大事でもも見逃すつもりはない。 そういう二股男(有利にそのつもりはなくても)には天誅をと拳を握り締める。 「それに……有利が彼女にほだされる理由は判ったよ……あんな美少女が有利にメロメロなんだもん……」 目を閉じると有利のことを語る彼女の微笑がすぐに思い浮かんでしまうのだ。 「そう?確かに彼女も可愛いかもしれないけど、俺はが一番だな」 「……コンラッドのは贔屓目って言うの」 さすがにそれでは照れないぞと、は肩を抱き寄せてきた手をペチリと叩いた。 「でも……二度と会えない……二度と会えないねえ……」 「?」 「彼女は地球の人なんでしょ?なんで会えないんだろう?」 「オーストリアに住んでいると言っていたよ。日本とは遠いだろう」 「オーストリア!?日本人じゃ……あ、名字が違ったっけ」 は、カリカリと頭を掻いてコンラッドを見上げた。 「あのね、防水仕様の袋とかって用意できる?」 |