抱き締める自分よりも一回り小さな身体の温かさを確かに感じる。 抱き返す少年の鼓動が、確かにここにいるのだと教えてくれる。 「ユーリ様……」 「会いたかった……」 「わ……わたし、も……」 相手の肩に頬を当て、目を閉じて、互いの温もりを確かに肌で感じた。 君がいた夏(2) しばらくそうやって抱き締めていた有利は、開いたままの浴室へ続くドアから流れる空気を感じて、ようやく今の体勢に気がついた。 「ぅわっ!?ご、ごめんっ!」 有利は慌てて手を離して後ろに下がり……何かを踏んで、後ろのベッドまで滑ってひっくり返る。 「ユーリ様!」 「てて……なんでこんなところに石鹸があるんだ!?」 踏みつけたそれを拾い上げて、思わず悪態をついた。 「の呪いか?……って、あれ、二人ともいない?」 部屋を見回して、コンラッドどころか部屋の主のもいないことにようやく気がついた。 あのが黙って気を利かせてくれるということはないだろう。 有利に恋人がいると知っていたならまだしも、有利は今までの話を妹にはしていない。 いきなり目の前で抱擁なんてものを見せられれば、なら逆上したっておかしくない。 それが黙っていなくなったということは、きっとコンラッドが気を利かせてくれたに違いない。 「ありがとうコンラッド……」 「ユーリ様?」 転んだ有利を心配して傍らに駆け寄っていたが、両手を合わせて何かを拝む有利に首を傾げる。 「あ、ごめん、何でもない」 たぶんきっと恐らく、のことはコンラッドが宥めてくれるだろうと信じて、有利は目の前の少女と再会できたことをただ喜ぼうとした。 そして、はたと気付く。 「……なんでまたこっちにこれたんだ?」 「え?」 「ま、まさかまた……っ」 「あ!ち、違います。わたしもう死のうなんてしてませんっ」 血相を変えた有利に、は慌てて両手を振って否定する。 前回の事故は、たった一人の家族を失ったがそのショックでバイオリンまで弾けなくなって、生きる気力の全て失ってドナウ川に身投げしたときに起こった。その事実は有利だけが知っていることで、はもう一度違うと強く否定する。 「本当です。ユーリ様に助けていただいた命を投げ出そうだなんて、二度としません!」 「そ……そっか……なら、いいんだ。うん、いいんだ……それならまた会えておれは嬉しい……ってよくないじゃん!じゃあなんでこっちに来ちゃったの!?」 「判りません」 も困惑したように頬に手を当てて首を傾げた。 「わたし、自宅でお風呂に入っていただけなんです。いつもと変わったことなんて何も……あ、の……」 「なに、何か心当たりでもある?」 「い、いいえ。だって今日だけのことではないですし……」 「言ってよ。大丈夫、怒ったり笑ったりなんてしないからさ」 は両手を頬に当て、赤くなったことを隠すようにしながら有利から目を逸らした。 「ユ……ユーリ様にお会いしたくて……泣いてしまっただけで……」 「そ……そっか……って、今日だけじゃない?」 怒るも笑うもない。ますます恥ずかしそうに俯いたに、有利まで一緒になって照れてしまう。 「そ、その……お、おれも」 「え……?」 「……おれも、に会いたいって……ちょうど思ってたから……ホントに会えて驚いた」 「嬉しい……」 零れるような微笑に有利の手は勝手に動こうとするのに、同時に硬直して微妙な位置で宙に浮く。ここでコンラッドなら彼女の肩を抱き寄せて、軽く頬にキスの一つでも……。 「で……できるかーっ!」 名付け親の普段の行動を思い出して、自分には不可能だということだけは思い知った。 「あの、ユーリ様?」 「あ、ごめん。のことじゃないから」 床に膝をついて覗き込む位置のままのに、自分が座っていたベッドの隣を軽く叩く。 「とりあえず、床はないだろ床は。座って」 「はい」 が軽く膝を伸ばして有利の隣に座ると、ふわりと握っているものとは違う石鹸の香りが漂った。 そういえば……確か、は……入浴中にこちらに来たと言ってなかったっけ? しかも今、並んで座っているのは妹のものとはいえベッドで、は風呂に入ったら眠るつもりだったのか部屋の明かりはかなり抑えめになっていて、部屋には今二人きり……。 現状に気付いてしまった有利は、叫び出したい衝動に、だが逆に身体は硬直したように動かなくなってしまった。 膝の上で握り締めた拳にはじっとりと汗がにじみ出てきているのに、口の中はカラカラに干上がってしまう。心臓が耳の位置に移動したのかと思うくらいに激しくうるさく脈打って、今にも意識が遠のきそうだ。 膝の上を拳をますます強く握り締めて、有利は必死になって自分に留まれと言い聞かせなくてはならなかった。 もし本当に意識が遠のいたら……彼女のことをどうしてしまうだろう。 自分にそんな甲斐性があるとは思えないのだが、それでも健康的な一般的男子高校生。 好きな女の子を目の前にして、しかも薄暗い部屋の中で二人きりで、まったく何もしないという保証は我ながらできない。 有利の葛藤は続く。 だがだって有利のことを憎からず思っている。いや、会いたいと泣いたことが何度もあって、会いたかったと抱き締めた有利を抱き返して……好きだと言ったようなものだ。 そうだ、お互いにもう好きだと言ったようなもので……言ったような……もので? そこまで考えて、有利は愕然とした。 言ったようなもので……そう、有利はに好きだと告げていない。 それなのに前回はキスしようとしたり、今回なんてベッドルームに悶えたりしたのか!! などと突然、有利が握っていた石鹸を放り出して頭を抱えてベッドに倒れたので、隣で膝を揃えてじっと有利の温もりを感じていたは驚いて身を引いた。 「あ、あの……ユーリ様?」 「ごめん!なんかもうおれだめだーなんてことを……なんてことを……おれって奴は、おれって奴は!」 いやらしい不潔だ最低だ!とゴロゴロ転げ回る有利に困惑して伸ばしていた手を降ろす。 じっと俯いて座っているに気がついて、有利はようやく広いベッドを転がり回るのをやめてに這い寄った。 「?」 「ごめんなさい……ご迷惑、でしたね」 「え、そ、そんなことないって!」 「でも!だってせっかくユーリ様が地球に帰してくださったのに……わたし、ユーリ様に会いたいって……また、戻ってきてしまって……」 「そんなことない!おれもまた会えて本当に嬉しいよ!嬉しくて………ああーっ!でも喜んでばっかいちゃだめなんだよ!がたびたびこっちに来るようになっちゃったら大変なんだから!」 「わたしはユーリ様にお会いしたいですっ」 ベッドに肘をついて覗き込んだが涙を零していて、有利は驚いて跳ね起きる。 「わたしはまたお会いできて嬉しい……嬉しい……嬉しい……わたしにはそれだけで……すみません、このままじゃいけないってユーリ様には言われたのに……ご迷惑になるのはわかっていたのに……」 「違うよ!迷惑じゃないって!あの、そのおれはっ……おれは……その、に色々したいとか思っちゃってっ」 涙を零したままが顔を上げて、有利はほどよい柔らかさのベッドの上に膝で立ち、意味もなく両手を上げ下げする。 「あのだっておれ、健康的な男子高校生なんだって!十六歳の、イケナイこといっぱいしたいお年頃なの!そ、それがこんな部屋に二人きりなんて、色々妄想が駆け抜けて大変なんだよっ」 驚いたように両手の指先を口元に当てて、有利を見上げたの雪のように白かった頬が真っ赤に染まり、有利は自分が何を口走ったのか、ようやく気がついた。 「う……わああああぁぁっ!!」 再びベッドを這いずってから離れると、うつ伏せのまま枕を頭の上に被って隠す。 まさに頭隠して尻隠さず状態の有利だが、も揃えた膝に両手を置いて俯いていて互いに恥ずかしくて相手を見ることも出来ない。 枕の下から悶える有利の呻き声だけが響く中で、は膝の上の手を握り締めた。 「あの……わたし……ユーリ様となら……」 「最低だおれ、最低だ、きっと幻滅された、どうしよ…………え?」 枕を被って内に篭って呟いていた有利は、最初都合のいい幻聴かとすら思った。 恐る恐る枕を取って振り返ると、俯いているの背中だけが見える。 「わ、わたし……ユーリ様になら……その……色々……されて、も……」 「ええええぇぇ!?」 有利が驚いて跳ね起きると、は居たたまれなくなったように両手で顔を覆って身体を折り曲げてしまった。 「ご、ごめんなさいっ」 「いや、ご、ごめんなさいって……その、あの……」 おっとりとしたお嬢様のような印象のあったから聞けるとは思えなかった大胆発言に、有利はぎゅっと服を握り締めた。 いいのだろうか、大人の階段を一段昇ってしまってもいいのだろうか!? このまま頻脈、高血圧で倒れるのではないだろうかとさえ思える緊張に、有利は左胸の上を強く押さえる。 いつも妹に散々年齢に見合ったお付き合いをしろと言い聞かせているのに、兄である自分が破ってしまってもいいのだろうか! いやでも、妹は恋人が恋人だ。きっと最後の一線はともかく、もう色々としちゃっているはずだ。なら自分だってその色々までは許されるはずで……。 どこまでが許されるんだろう? 手を握るくらいは当然として、キスだって昨今の高校生カップルなら当たり前だろう。 触るのはどうだろう?再会した感動で思わず抱き締めてしまった。抱き締めるのはありでいいはずだ。では、どこまでなら触ってもセーフなのか。手とか頬とか、最初から露出しているところはいいとして……。 有利は気分が悪くなるほどの動悸を感じながらじっくり考える。 最初から露出していても、足というのはまずい気がする。もっとも攣ったわけでもないのにふくらはぎや脛に触るとは思えないが、そんなところを触ればきっともっと上まで触りたくなる。それに、たとえ服を着ていても胸などは……。 「む……っ」 触る想像だけで脳が沸騰しそうだ。 「!」 小さな背中が怯えたように震える。 「ほ、ホントに……いい、の……?」 もう一度震えて、は小さくと、だが確かに頷いた。 有利はゆっくりとの側まで再び這い寄って、俯くその両肩に触れた。 「……おれ……その……じゃ、じゃあお互いに最初に段階を……こ、告白から」 ごくりとはっきり音が鳴るほど唾を飲み込んで、後ろからそっと囁く。 「好きだよ……」 「え?」 驚いたようにが顔を覆っていた手を降ろし、振り返った。 有利の想像ではここは「はい」と小さく頷くか、「わたしも」と恥ずかしそうに続けると思っていたので、予想外の反応に有利も戸惑う。 「え、あの?」 「わ……わたし……もしかして……ま、まだユーリ様に……」 「え、あの、まあ、えー、おれのすることに態度では答えてくれてたけど……」 これ以上はないというほど真っ赤に顔を染めて、は堪えきれずに立ち上がった。 「やだっわたし……っ!」 「あ、ちょ、ちょっと待った!」 恥ずかしさのあまり逃げ出そうとしたの手を有利が慌てて掴んで引っ張ったせいで、バランスを崩したがベッドに引き込まれる。 「あのさ、おれは……っ」 もう逃げられないよう押さえ込んで上からを見下ろして、その体勢に有利は言葉を失った。 ベッドの上に、女の子を押さえつけて上から覗き込んでいて……。 「ごっ……」 「好き、です」 両手を押さえられて赤く染まった頬を隠すことも出来ず、涙の潤んだ大きな瞳でまっすぐに有利を見上げたは、もう一度繰り返した。 「好きです……ユーリ様……」 「こ……こんな体勢で……そ、そんなこと言われたら、おれ……っ」 は目を伏せて、消え入りそうな声で小さく呟く。 「い……色々して……くださるって……」 「い……いいの?ホントに……?」 が小さく頷いて、そっと瞼を下ろす。 「じゃ、じゃあ……」 距離を縮めながら有利も瞼を下ろし、今度こそ触れるかと思ったそのとき。 「ユーリ!あの女を連れ込んでいるというのは本当か!」 「ヴォルフ!待てっ!」 リビングに怒鳴り込んできた声に、有利はそのままの上に伏せて力尽きた。 「いい加減にしてくれよー……あの兄弟……」 彼女とのキスを、一度目は兄に邪魔され、二度目は弟に邪魔された。 「あの……ユーリ様……誰か来たならこのままは……」 「ヴォルフラム!ちょっと待ってよ!そこ寝室……っ」 が止める声も聞こえて、同時に両開きの扉が開かれた。 「ヴォルフ!レディーの寝室を勝手に開けるなんて!」 「ユーリ!貴様ぁっ!」 ベッドの上の二人を発見して逆上するヴォルフラムをコンラッドが後ろから羽交い絞めにして、ヴォルフラムの横から寝室を覗き込んだは思いもよらない状態に絶句した。 この状態は何よりも女の子のに悪いと慌てて有利が飛びのいた、それを合図にしたようにが絶叫する。 「ゆーちゃんがコンラッドになったーっ!」 「は………?」 「有利がハレンチなことしてる!エッチ!スケベっ!そ、そんなコンラッドみたいなことするなんてっ」 「んな……し、失礼なこと言うなよ!まだしてない!してないって!に失礼だろ!?何ひとつできませんでした!おれがコンラッドみたいなエロいまねをさらっとできるわけないだろ!」 「だって女の子をベッドに押し倒しておいて、胸とか足とか触んないわけないじゃないっ」 「コンラッド、あんたいつもそんなことしてんの!?おれはキ、キキキスひとつだってできないのに……っその寒いギャグか?それで心に耐性をつけてエロいことをできるだけの図太い神経を鍛えてるのか!?」 「……二人とも……俺もいい加減泣きますよ……?」 |