妹に恥ずかしい釘を差され、有利は軽く咳払いしながらちらりとを見る。 も恥ずかしそうに指先を絡めて俯いていた。 め……。 協力はしてもらったものの、少しばかり最後に悪戯された有利は妹に悪態をついて、後ろめたいことはしないという意味を込めてランプの明かりを強くして部屋を照らした。 君がいた夏(4) 「座ろうか」 「はい」 そう勧めたものの、寝室で座ると言えばドレッサーの椅子かベッドしかないわけで。 有利は自分に言い聞かせる。 大丈夫、隣の部屋にはが居て……とはいつまで一緒にいられるか、判らない。 大切だからこそ、気軽に手を出すことなんてできない。 「並んで座ろう。少しでものこと、近くに感じたい」 ははっと息を飲んで顔を上げて、すぐに小さく頷いた。 「……はい」 大きな瞳に涙が滲んで、有利は困ったように眉を下げながら指先での目尻を拭う。 「泣かないでよ……おれ、泣いてる女の子とどう接したらいいかなんて判らないよ。今までもてなかったし、女っていえば側にいたのはくらいのものだし……でものこと、大事にしたいんだ。の笑顔が好きだから」 はそっと顔を上げ、有利の困惑の微笑みに自分でも涙を拭う。 「わたしも……ユーリ様の笑顔が好きです」 涙を拭いて、にっこりと微笑むに有利はほっと息をついた。 並んでベッドの端に腰をかけて、一年の間の他愛もない話をゆっくりと語る。 お互いに手を握り合ったまま、だけどそれ以上は触れ合わない。 「へえ、じゃあ今はニューヨークに移動したんだ?外国に移ったんなら不自由とかない?」 「いいえ、ボブは良くしてくださいます」 「ボブ?」 「ええ、今話した、ハインツの友人で今のわたしの後見人の方です。いつでも好きなときに練習ができるようにと、自宅を改造して防音の練習室も作ってくれました」 「ふーん、じゃあ音楽にも理解ある人なんだね」 「わたしの好きにするようにと。……今でも毎日、ユーリ様に教えていただいた応援歌を弾いています」 「え、伊東勤のマーチ?ホントに?ニューヨークで師匠の曲かあ」 会いたかったとお互いに抱き合って。 会えて嬉しいと涙を零して。 彼女がどれほど有利のことを想っていてくれたのか、それを考えるだけで胸が詰まりそうになる。 「おれはこの一年……あんまり進歩なかったかな」 有利は苦笑して、の手を握ったままごろりとベッドに後ろ向きに倒れた。 「相変わらずギュンターとかグウェンの助けがないと王様業もまだまだだしね。ヴォルフにはへなちょこ呼ばわりされるし、コンラッドには世話になりっぱなしだし、にも心配掛け続けだしなー」 「様は、本当にユーリ様がお大事なんですね」 が思い出したようにくすくすと小さく笑う。 「いきなり現れたわたしに色々と思うところがあって、でもユーリ様が大切で……今まで知りもしなかったわたしのことを、理解しようとしてくださいました」 「あ、それは!その、のことをに言わなかったのは……」 飛び起きた有利に、は淡い微笑のままで首を傾げた。 「様が仰ったことは本当ですか?」 「え……」 「ウェラー卿が言っていた……わたしのことを整理してしまいたくなかったって……本当、だと……思っても……いい、ですか?」 微笑みながら、少し不安の色に揺らめく深い漆黒の瞳に、ふと懐かしさを覚えて、有利はきゅっと一度唇を噛んでから頷いた。 「本当だよ。が大事で、大事だから、簡単にいい子だったって終わりたくなかった。きっとあっちで元気に頑張ってるだろうって思うたびに、おれも頑張らなくちゃって思えた。君に頑張れって言ったのは、おれだから」 「わたし……わたし、あのユーリ様のお言葉を胸にずっと前を向いて歩こうと努力しました。したつもりです。でも会いたくて……ユーリ様に会いたくて……」 「……またこっちに残りたいとか、言う?」 は唇を噛み締めて、涙を堪えながら俯くと首を振る。 胸が軋むように痛いのに、それでいいのだと俯いたの手を強く握った。 「離れていても、ずっと君を想ってる」 「……わたしも……ユーリ様のこと……ずっと……」 「好きだよ、」 「……ユーリ様が……好きです」 壊れものを扱うようにの肩に触れると、は涙を拭いた顔を上げる。 視線を交わし、そしてお互いにゆっくりと瞼を降ろして、距離を縮めて。 そっと、触れ合った。 「眞王廟へ遣いを送る前に、向こうから連絡がありました」 翌日の朝食の席でギュンターが報告の手紙を公表する。 「簡潔に言いますと、様のことは、再び事故だそうです」 「巫女たちは何をやっているんだ!」 いつも朝の遅いヴォルフラムが今日ばかりは起き出してきていて、相変わらず有利との間の席に着席して隣り合わせにはしない。 助けてくれればいいのにと有利は妹に視線を送るが、昨日は有利との仲を取り持ったので、これ以上は有利がはっきりさせるまで、ヴォルフラムを裏切らないと宣言したは、知らん顔で朝食を進めている。 だがそれもここまでだった。 「様をこちらに呼び寄せたのは、殿下のお力だそうですよ」 「ほえ?」 「!なぜそんなことをした!」 「え、し、知らない、知りません。だってわたしさんの存在……は知ってたけど、詳しい話は何も聞いてなかったんですけど!?」 「チキュウ側からなんらかの力が働いた時に、殿下が恐らく無意識にその力を受け取ったのだろうと巫女は言っています。ですから、殿下のお部屋の浴室に様がお出ましになられたわけです」 「!」 「何らかとか恐らくとか曖昧すぎて責任とれませんっ!」 「いいえ、大丈夫です」 「え?」 その場の全員の声が重なって、ギュンターに注目が集まる。 陛下と殿下と様の美しい瞳がこの一身に!と身悶えるギュンターの手からコンラッドが手紙を抜き取った。 「今回はが揃っているから、すぐにも彼女を送り帰せるそうだ」 「え?」 再び声が重なった。 ただし有利とは沈んで、ヴォルフラムの声は弾んだ。は上擦った声で立ち上がり、コンラッドの手元を覗き込む。 「そんなこと言われてもわたしは何もできない!……さんの移動する水に手を浸けているだけで……いい……」 コンラッドが指を差した箇所を音読して、ヴォルフラムは喜んだ。有利の恨みがましい視線に、はうろたえるしかない。 「そ、そんな目で見られても……」 「まあ、帰る方法がはっきりしているなら、急ぐ必要はないんじゃないですか?」 コンラッドの提案に、ヴォルフラムの目が鋭く光る。 「余計な口を挟むな、ウェラー卿!」 俯いていたは、膝の上のナプキンを握り締めて顔を上げた。 「いえ、今日帰ります」 「……うん、その方がいいな」 コンラッドとの驚いた視線を受けて、二人は顔を見合わせて苦笑する。 「だってさ、だってスタツアするとき自分の意思じゃないだろ。を帰す前にスタツアしちゃったらどうすんの。次にがくるまで、が待ってなくちゃなんないよ。もしあっちで行方不明とかになってたら大変だ」 「え、でも……」 むしろその方がいいのでは、とヴォルフラムの耳を気にして言葉を濁すに、も首を振る。 「今回はバイオリンを置いてきてしまいました。一日でも触れていないと、すぐに勘が鈍ってしまいます」 有利よりバイオリン?と一瞬眉をひそめたは、だけどまた視線を交し合った二人にそうではないのだと考え直す。 そうではなくて。 離れがたくなることが、怖いのだ。 帰す方法がはっきりしているからと今日を逃せば、一週間後に、いやあと一日、せめてあと半日。 そうやって、より離れがたくなっていくことが、怖いのだ。 「さん、ごめんね」 有利に会えたと喜んだ。 だけど再び会えたということは、再び別れを覚悟しなくてはいけないということになる。 まるで自覚がないのだが、に責任があるということで、はの側に移動するとぎゅっと両手を握り締める。 「いいえ、様のお陰でもう一度ユーリ様にお会いできたのですから、わたしは感謝の言葉しかありません……あの、これは?」 頭を下げようとしたは、手の中の縮緬の袋に首を傾げた。もちろん、手を握り締めたが手渡したものだ。 「せめてお詫びに。持っていたのがこれだけだったんだけど、交通安全のお守りだから……図らずも今回の事態にぴったりなことに」 「いえ!そんな、わたしは様には感謝でいっぱいで……っ」 「まあいいから。お守りは持っていて悪いことなんてないから。それと様はよしてください。ううん、やめよう?だってなんだか他人行儀だもん」 「ですが……」 王である有利の妹を呼び捨てなんてと困惑するに、は屈み込んで耳打ちする。 「有利のことも、ユーリ様じゃなくて、ただのユーリで呼んであげたら喜ぶと思うよ?」 は困ったように、悲しそうに首を傾げるだけで答えは返さなかった。 「お風呂には服を着たまま浸かりますが、野郎どもは出て行きなさい」 朝食後すぐに巫女の指示に従って、が移動してきたの部屋に場所を移した。 そこで、はヴォルフラムを含めて全員を一度寝室から叩き出した。 その上で、有利だけ襟首を掴んで引き戻す。 「!ユーリをどうするつもりだ!」 「有利は魔力が高いから、手伝ってもらうの。有効だって、手紙に書いてあったのよ。ね、コンラッド」 「え、そんな記述……」 「ああ、十行目辺りに」 ギュンターの足を踏みつけてコンラッドが頷くと、ヴォルフラムは疑わしげな目でコンラッドを振り返る。 「眞王廟からの手紙は!?」 「あれ、手元にないな。たぶん、さっきの部屋に置いてきた」 「待ってろっ!」 ヴォルフラムが部屋を駆け出していくと、コンラッドはギュンターの懐から手紙を抜き取り、テーブルの上に広げて置くと上から水差しの水を全部ひっくり返した。 「しまった。うっかりだ。これでは文字が滲んでもう読めない」 「わっざとらしー」 有利は妹と名付け親の気遣いに苦笑して、目を瞬くの背中を押して寝室へ移動した。 「ありがとな、」 「ヴォルフラムを騙すの、良心が痛むんだからね。コンラッドには謝っときなさいよ」 ヴォルフラムが帰ってくるまでの時間くらいはあるはずだが、有利もももう心を決めていて、すぐにでもとを連れて浴室に移動する。 湯気の上る浴槽の前に立つと、は一度大きく深呼吸する。そしての服を着たままゆっくりと足からお湯の中へ入った。 「有利、手を握っててあげたら?」 「うん……けど、おれまであっちに行っちゃったらどうすれば」 「外国なだけならどうにでもできるでしょ。また違う世界に移動となったら別だけど」 「あの、わたし大丈夫……」 「うん、でもおれが大丈夫じゃないかも」 慌てて断ろうと振ったの手を、有利が握り締める。 目を見開くに、がもう一方の手にお守りを落さないように握ってと拳を作らせる。 「交通安全のお守りだから、事故がないようにね」 そう言って立ったままの二人を残し、はしゃがみ込んでお湯だけを見るように俯いた。 「……」 「ユーリ様……」 耳を塞いであげるのが親切だとは思うけれど、そうすると湯に手を浸けるタイミングが判らない。 わたしは石。路傍の石。 そう思えと二人に心で念じながら、意識して声を聞かないように無駄な努力をしてみる。 「また会えて……いや、に出会えて、嬉しかった」 「わたしも……あなたに……出会えたことは生涯の幸福です。………ユーリ」 有利は驚いたように目を見開き、そしてゆっくりと微笑む。 静かな沈黙が浴室に降りて、それから有利が足元にしゃがんで石と化している妹の背中に小さく声を掛ける。 「」 「………さん、元気でね」 が指先からゆっくりと手を浸けると、浴槽にたたえた湯が揺らめき始め、次第に一定の方向に渦を巻いていく。 膝を曲げてもいないのにの身体が沈み始め、有利は強くその手を握った。 も強く握り返す。 「ユーリ!」 「っ」 沈むに合わせて膝を付き、湯にまで手を深く入れて握り締めていたはずの手が、掻き消えるようにしてなくなってしまった。 天井に届いた蒸気が水滴になって落ちてくる音がどこかから響いてきて、だが浴槽の波は穏やかに静まっていく。 「………あーあ、行っちゃったな」 湯に手を浸けたまま呟いた有利の傍らでしゃがみ込んでいたは溜息をついた。 「ごめん、有利」 「お前のせいじゃないよ」 「そうじゃなくて」 は浴槽から軽く浸けていた手を静かに抜くと、濡れた手で湯を指差した。 「俯くんじゃなくて、目を閉じてればよかった」 が指差したので、遠くに浸けていた自分の手ではなくて、すぐ真下を向いてみた。 有利の顔が映っている。 有利の顔が……。 「お前っ……ま、まさか見っ……!?」 「……エヘ?」 「笑って誤魔化すなーっ!」 妹にキスシーンを見られたと悶えた有利が逃げるように浴槽に飛び込んで、その飛沫には慌てて飛びのく。 「もー、お風呂に入るなら、せめて服を脱ぎなよ」 「見られたーっ!お前とコンラッドとは違って、おれもも純情なのに見られたーっ!」 「失礼な!見せ付けようとするのはコンラッドだけ!わたしだって人に見られるのはいやですーっ」 憤慨したようには脱衣所に移動して、ドアを閉める前に振り返った。 「のぼせる前には出てきなよ」 「……おー」 浴槽に膝を抱えて座り込み、背中を向けたままヒラヒラと手を振る有利に、溜息をついてドアを閉めた。遅いようならコンラッドに迎えに行ってもらう必要がありそうだ。 濡れた足を拭いてリビングに戻ると、ギュンターとコンラッドが待っていた。 「殿下!様は……」 「無事に帰りました」 「ああ……帰ってしまわれたんですね……」 ギュンターは麗しい人の喪失の悲しみを詩に書き留めるとフラフラと部屋を出て行って、コンラッドがそれを見送っていたを後ろから抱き締める。 「……お疲れ様」 有利が悲しむと判っていることを、の手で行うというのは楽しいことではない。 そうと判って慰めてくれる恋人に、けれど今だけは甘える気にはなれなかった。 「有利がお風呂で落ち込んでるから、あんまり遅かったら迎えに行ってあげて」 その意思を汲んでから手を離すと、コンラッドはの背中と寝室の方を見比べる。 「……、聞いていいかな?」 「なあに?」 「彼女に渡したお守りの中身」 コンラッドはが昨夜、机の引き出しから取り出したお守りの中身を詰め替えたところを見ている。何か意味があったはずだ。 「……彼女が日本人的感覚だったら、中身に気付くのに時間が掛かるかもしれないし、ひょっとしたらずっと気付かないかもしれない。基本的にお守りは、開けちゃったら効力が無くなることになってるからね」 だから有利には内緒だよと前置きをして、はコンラッドに背中を見せたまま、両手を後ろに回して指を組んだ。 「うちの住所と電話番号」 「え?」 「うちの住所と電話番号を書いて、防水の袋に入れてからお守りに詰めたの。あのねえ、二人がもしわざと連絡先を交換してないんだったら、余計なお世話だと思ったから黙って渡したの。まあ、それに彼女にだけ渡して彼女の住所を聞かなかったのは、ブラコンの妹からの最後の意地悪かな」 「意地悪?でも、連絡が取れるようにしたんだろう?」 「彼女が気付けばね。気付いて、そして夢を現実にする覚悟があるなら、有利に連絡してくるだろうと思ったの」 「夢って……」 「だって異世界の生活なんて夢みたいなものじゃない。一緒にいたのが短い間だけなら、いい思い出ばっかり残るけど、現実になっちゃったらそうはいかないでしょ?わたしとコンラッドほどじゃないけど、海外なんてかなり遠恋だし、覚悟がないと続かないでしょ?」 彼女の覚悟だけを試すところが最後の意地悪なの、と呟いたにコンラッドは苦笑して、その肩に手を伸ばした。 有利が大切で、離したくないくせにそれでも可能性を残しておいて、意地悪も何もない。 そんな言葉をが欲しがっていないのは判っていたから、のそんなところが愛しいのだと、黙って後ろからもう一度抱き締めた。 |
来たからには帰らないとということで、やっぱりこうなりましたが、再会の予感を残し たかったのでした。 今回の話はアンダンテの方が一応優先されていますので、が大脱走〜明日マ までの間に眞魔国にいなかったという前提で進んでおります……が、正直あまり話 そのものには関係ありません。単に二人は初対面ということだけです。 題名を失敗したのは、夏らしさが全然でなかったことでしょうか……アンダンテは 舞台が夏だったのですが(^^;) 短編+長編ということで、どちらも好いてもらえているんだ〜とものすごく感動した リクでした。本当にありがとうございました! 十万ヒット御礼企画としてフリー配布しております。 ダウンロードされる方はどうぞこちらのJava Script版をどうぞv と、終わったのにヴォルフラムとで付け足しがあります。 有利がと上手くいくと、彼のことがあるわけで。 少しヴォルフが寂しい感じになるので隠しでアップしてあります。このままの余韻 がいいと思われる方は読まれない方がいいかと。 隠し場所はこの後書きで悔いているところのどこか。 |