最初にその少女を発見したのはだった。 風呂に入ろうとタオル片手に部屋に備えられている浴室に踏み込んで、浴槽に裸の女の子が倒れていたのだから、第一発見者がなのは当然だろう。 長い黒髪が顔を半分隠すように覆っていて、その様はまるでホラー映画のようで……。 けたたましい悲鳴を上げたのは当然だが、そこにほとんど間を空けず、人が飛び込んできたのは当然ではなかった。 君がいた夏(1) 「!」 「コ、コンラッド!人が……っ」 脱衣所のドアを開けて駆け込んできたコンラッドに抱きつこうとして。 「なんでコンラッドが寝室にいたのよっ!」 思わず握っていたおろしたての石鹸を顔面に向けて投げつけた。 距離が短かったせいで、コンラッドの反射神経でも掴むことは出来なかった。だが辛うじて首を捻って石鹸を避ける。 「危ないよ、」 「危ないのはコンラッドじゃない!な・ん・で人の寝室にいたの!?おまけにお風呂にまで押しかけてっ!いいから出てってよ!」 裸を見られたと悲鳴を上げながらしゃがみ込み、手を伸ばしてバスタオルを掴んで肩から掛けて睨みつけたのに、コンラッドは首を傾げて動こうとしない。 「飛び込んできたのはの悲鳴が聞こえたからだよ。何かあった?」 が裸を気にしている様子を見て、そこまで重大なことではないと判断したコンラッドは、てっきり気持ちの悪い虫がいたとか、そんなところだろうと気楽な様子でうずくまったの手を引いて悲鳴を聞きながら抱き上げる。 「バカっ!コンラッドのエッチ!見えちゃう、見えちゃうから……って!そう、それどころじゃなくて女の子が!」 「え?」 横抱きに抱え上げられたは、懸命になってバスタオルを引っ張って出来るだけ身体を隠しながら、湯気が流れ出てくる浴室を指差した。 「女の子がいたの!」 「なんだって?」 コンラッドが聞き返したときピチャリと水音がして、脱衣所と浴室を隔てるドアに白い手が掛けられた。 「わたしホラーもダメなんだってー!」 海老のように身体を起こしてコンラッドに抱きつく。 「うわっ、見えない!危ないから!胸は嬉しいけど見えないからっ」 「……その声は……もしかして……」 か細い女の子の声が聞こえて、コンラッドの顔を覆うように抱き付いたが恐る恐ると振り返ると、見たことのない女の子が裸で濡れた髪を後ろにかき上げて立っていた。 「ウェラー卿……ですか?」 「え……」 「……まさか……?」 胸をくすぐるくぐもった声が上がって、はようやく今の体勢に気がついた。 「コンラッドのドスケベーっ!」 引きつけた膝がコンラッドの顎に入った。 幽霊ではなくて普通の女の子だったと判った途端、は眉を釣り上げて顎を押さえるコンラッドを浴室から叩き出した。 だがコンラッドもこちらに固執せずに、ドア越しに有利を呼んでくると言って本当に寝室から出て行ったようだった。 と二人で置いていくということは、彼女は危険人物ではないということになる。 彼女が裸だったので、見て確認することをが許さなかったが、フルネームをというコンラッドの質問に・との答えて本人と確認して行ったので間違いない。 彼女に新しいバスタオルを渡すと、まだ入浴前だったは素早く服を着て、見ず知らずの少女の分の着替えを用意した。 「え、えーと……、さん?よかったら……って、サイズが合わなかったら別に用意してもらうから、とりあえずこれに着替えて」 「ありがとうございます、様」 「さ、様って!?」 見たところ眞魔国の住人ではない。顔立ちが東洋系ということもあるが、黒髪黒眼の双黒で、おまけに話しているのは日本語だ。コンラッドとのドア越し会話は英語だった。 女の子同士で、更に今はバスタオルを身体に巻いているとはいえ、じろじろと見るものじゃないとは慌てて着替えを渡すとドアを閉めた。 「さんって、地球の人……ですよ、ね?」 「はい。以前こちらに来てユーリ様のお世話になりました。様のお話はユーリ様からお聞きしておりました」 あんな美少女と知り合っただなんて話、有利からは聞いていない。 どういうことだと眉をひそめて、ふと以前ヴォルフラムがブツブツとに愚痴を零したことを思い出した。 地球の女の子がこちらに迷い込んで、向こうに帰してあげなくちゃと有利が必死になっていたという話。 「ユーリの奴、ぼくというものがありながら、チキュウの女にうつつを抜かしていたんだ!我が国だけでは飽きたらないのか、あいつは!」 「地球の男に飽きたらUFOなんだけどねー……」 「何!?ユーリの奴、男遊びもしているのか!?」 「ご、ごめんごめん、今のは別の話。有利は女遊びも男遊びもしてないから!」 そんな風に話が地滑りを起こして中途半端に終わった。その後、有利に話を聞いてみるとバイオリンの上手い子だったよと素っ気無い返事が返ってきて、コンラッドにも聞いてみると物静かな子だったと、ギュンターに聞いたら双黒に感動したと相変わらず興奮した答えで……ろくに話を聞けた覚えのなかった子が、確かにいた。 ずっと前にちらりとだけ聞いた話を思い出していると、騒々しくドアを開ける音がリビングの方から聞こえる。 「!」 そしてすぐに寝室の扉が開いた。 「!」 ドアの前にしゃがみ込んで頬杖をついていたは、あまりに必死の様子の有利に驚いた。 「有利、どう……」 有利は腰を浮かしたに向かって駆け寄ってきて、肩を掴んで大きく揺さぶる。 「は!?コンラッドがが来たって言うんだ!どこに!?、隠さないでくれよっ」 「お、おおお、落ち着いて、ゆ、ゆゆ有利っ」 「ユーリ様……」 脱衣所に続くドアが開いて、か細い声が聞こえた。 揺さぶられて回るの視界には、振り返った有利の横顔と、大きな瞳に涙をたたえた美少女の姿が見える。 「っ」 有利はを解放すると勢い込んで立ち上がり、少女の両手を握り締めた。 「ごめん……こんなこと言っちゃいけないの、判ってる!判ってるけど……」 「ユーリ様……」 「会いたかったんだ……」 有利が美少女を抱き締める様に絶叫しかけたの口を、大きな手が押さえ込んだ。 「しー、。静かに」 すぐ傍らの抱き合う二人に聞こえないように、コンラッドは小声での耳元に囁いて、そのまま手を引いて立ち上がった。 気になって気になって仕方がないのにコンラッドは手を引くし、有利と少女は抱き合ったままで確かに声を出すのを憚る雰囲気だし、何度も振り返りながらでも黙ったまま、部屋から連れ出されてしまった。 コンラッドに連れてこられた先は、有利の部屋だった。 を有利の部屋のリビングに押し込めてドアを閉めると、コンラッドはようやく息をつく。 「どういうこと!?あの子だれ!?」 足を踏み鳴らすに、コンラッドは慌てて肩を掴んだ。 「もう少し声を押さえてくれ、。さすがにもう聞こえないとは思うけど、せっかくの再会なのに水を差したら気の毒だ」 「だからどういうこと?だ、だってあんなに奥手な有利がいきなり抱き締めたのよ!女の子をいきなり!コンラッドじゃなくて有利が!」 「……いろいろと言いたいことがあるけど、ちゃんと説明するから座って」 ソファーの方へ連れて行かれて、は憤然とコンラッドの手を振り払ってそこに座る。 「コンラッドならともかく有利が……有利がいきなり女の子を抱き締めるなんて……」 「まだそれを言う?あのね、。俺は以外の女性をいきなり抱き締めたりなんかしないよ」 溜息をつきながらコンラッドが隣に座っての肩を抱き寄せた、その手を乱暴に振り払う。 「判ってるよ。でもわたしのことはいきなり抱き締めたり、廊下でもキスしたり、スカートの中に手を入れてきたり、服を脱がせようとしたり、ソファーに押し倒したり色々するじゃない!有利だったら絶対そんなことしないのに!」 「……ユーリがにそんなことしたら、それこそ大変じゃないか」 「そういうこと言ってるんじゃないの!」 「そういうことだよ」 「なっ……!」 「俺にとってのが、ユーリにとっての彼女ってこと」 「そっ……」 「話はもう少し複雑なんだけどね」 コンラッドは振り払われた手をもう一度、の肩に回して抱き寄せる。 今度はも振り払うことなく、両手で顔を覆った。 「そんな話聞いてないーっ」 「……ユーリにだって恋人はできるよ」 「わかってるよ!」 は肩を抱き寄せていた大きな手を振り払って、ソファーから立ち上がる。 「でも有利はわたしに何も言ってくれなかった!そりゃ、わたしはこんなだし、うるさく言われるかもって思ったら言いにくいかもしれないけど、わたしはコンラッドのことちゃんと有利に言ったのに!バイオリンの上手い子だったとしか言わなかったんだよ!?」 の場合、正しくはコンラッドのことを好きだと話したわけではなく、有利に後押しされて好きだと認めたのだから、言うも言わないもないのだが。 「コ、コンラッドだって……物静かな子だったとしか言ってくれなかったじゃない……有利の恋人だなんて一言も……っ」 「落ち着いて、。ユーリは言わなかったんじゃなくて、言えなかったんだよ」 「どーしてぇー……今までずっと何でも話してくれたのにー……」 ボロボロと涙を零すに、コンラッドは困ったように眉を下げて手を引いた。 の身体は抵抗なくコンラッドの腕の中に崩れ落ちる。 「複雑で……複雑で複雑で複雑でしょうがなくても!有利がホントに……あ、あんな風にしちゃうくらい好きだったら、反対したり怒ったりしないのに……なんで言ってくれなかったのぉ?」 「あのね……ユーリは、きっと彼女の話をするのはつらかったんじゃないかと思う」 コンラッドに縋り付いていた手がぴくりと震える。 「俺との場合とは違うよ。以前彼女がこちらに来たのは事故だ。帰ってしまったならもう会えないと判っていて、ユーリは彼女を帰す方法を探していた」 「…………そう……なの?」 小さく返った声にはもう先ほどまでの憤りはなく、コンラッドはよしよしと頭を撫でながら背中を軽く叩く。 「俺は直接聞いたわけじゃないけど、彼女が大切な人を亡くしてこの世界に来たんだってことは雰囲気で……大体判った。彼女は励まして生きる気力を取り戻してくれたユーリの側にいることを願っていた。だけどユーリの説得を受けて、元の世界で生きて行くと決めたんだよ」 「大切な人……?」 「ユーリは最初、彼女の恋人だと勘違いしていたんだけどね……後で判ったのは、彼女のバイオリンの師で養父だって。両親を亡くした彼女を育ててくれた人だったそうだ」 顔を上げたの泣き腫らした目に、コンラッドは悲しく微笑んで瞼に口付けをする。 「俺だってもしも……考えたくもないけれど、もしもと二度と会えないと思ったら……簡単に君の名を口にすることはできない。心の整理がつけば、君の事を多くの人に話して多くの人に覚えていてもらいたいと思うかもしれない。だけど……同時に大事に大事に胸にしまっておきたいとも思うだろう。ユーリが君になかなか話せなかった気持ちは判る。話せば『いい思い出だった』と終わってしまう……そんな大切な話を、ユーリを差し置いて俺からは話せないよ」 「……うん」 が涙を手の甲で擦って拭おうとしたので、コンラッドは両手首を掴んで唇でその滴を拭う。 「やっ……」 「駄目だよ、これは俺に拭わせて。ユーリを想って零した涙だ。俺としてはとても妬ける。だからせめて、俺の手で拭わせて」 「で、でも……これ、手じゃなくて唇……あ……」 コンラッドはの両方の頬の涙を唇で掬い取って、口付けをする。 「……しょっぱい」 「ユーリへの涙だったからね、俺の味で覚え直して」 「ん………」 もう一度口付けをして、僅かな塩味を帯びた味が完全に消えるまで、何度も角度を変えて唇を重ね合わせ、湿った音が部屋に響く。 「ん……はっ……ぁ………」 ようやく涙の味が消えて、柔らかな唇を舌が割って入ったとき、寝室のドアが開いた。 「うるしゃいな〜……一体何の騒…………何をやっているんだ、お前たちは!?」 「あ、ヴォルフラム」 は現れたヴォルフラムのネグリジェ姿が逆さに見えて、初めて自分がソファーに押し倒されていたことに気がついた。 「あれ?」 「ユーリの部屋で何をやっていると聞いている!」 「……あれ?」 スカートの下の肌を直接撫でる手の感触が。 「このままいけるかと思ったのに……」 ヴォルフがいたんだったとコンラッドは溜息をついて。 「コ……」 は頬を真っ赤に染めて、身体を半ば起こしかけていたコンラッドの腹を思い切り蹴り上げた。 「コンラッドのドスケベーっ!」 |