に素っ気無くされた理由が「有利たちに関係を知られたことが恥ずかしいから」というものだと判ったときは安心した。 有利からしばらく白い目を向けられることは覚悟していたが、まさかに避けられるとは思っていなかったから、これでもグウェンダルに愚痴を零すくらいには心配していたのだ。 自分の若かりし頃は古くて覚えていないので、それがどれくらいくすぐったく恥ずかしいものかと言われると実はピンとこないのだが、その辺りは男女の差もあるだろうからということで、自分の昔は参考にならない。 だが特に深刻な理由ではないので、大人しく待っていれば時間が解決してくれる問題だということも重々承知している。 ……その、大人しく待つ気がないだけで。 有利の元へ着替えを運びながら、コンラッドは勤務日程を考えていた。 林檎に魅せられし者は(3) 「うーむ……」 コンラッドが帰国してが血盟城に戻ってから、ここのところ連日で血盟城に遊びにきていた大賢者は、政務に忙しい王とその傍で仕事を手伝う護衛の男をソファーから眺めて小さく唸った。 有利もいつまでも気まずいままというわけもなく、今では通常通りの接し方に戻っている。 もっとも、それでもコンラッドとの両者が目の前に揃うと、ふとした拍子に挙動不審になるので、きっぱりさっぱり割り切ったというわけでもないらしい。 一度は許した話なので、今更蒸し返してグチグチと苦情を述べはしないが、有利の婚前交渉反対の主張は今でも別に取り下げられてはいない。 要するに、時間は戻せないので終わったことは仕方がないがこの先はまた別、というわけだ。兄の姿勢としては、間違っていないと村田も思う。 そう結論付けて態度で示したことで、思った以上に早く有利が落ち着いてしまって、村田は唇を尖らせて不穏な言葉を呟いた。 「もうしばらくは遊べると思ったのにな」 「何がですか?」 村田の相手をしていたヴォルフラムがその独り言を拾ったらしく、カップを手に首を傾げる。 「いや。そういえばは?」 「なら、ここ二、三日はあまりここには立ち入りません。書庫に篭っているか、部屋でギュンターからの課題の自習していることが多いようですが」 「ウェラー卿が渋谷にべったりだから、一緒には居づらいのかな」 カップを手にして笑う大賢者に、有利のペンが紙の上を滑った。 「………村田、お前わざと?」 「え、なにが?」 ことさら目を丸めて首を傾げると、有利は邪推したかと思ったらしく、顔を赤らめて目を背ける。 「あ、いや、別に」 「ところで、それならウェラー卿も昼間はあんまりに会えないんだね。寂しいねえ」 「やっぱりわざとじゃねーか!」 「昼というか、帰国してからはあまり一緒にいる時間が取れなくて」 苦笑いのコンラッドは、有利とは対照的に特に焦った様子もなく、有利の手元の書類を次のものに置き換えた。 「じゃ、夜だけ?わー、即物的ー」 「むーらーたーっ!!」 有利が机を叩いて立ち上がるのと、ヴォルフラムが軽く息を吐くのは同時だった。 「それが猊下、こいつもさすがにユーリの逆鱗触れたことが堪えたらしく、このところは大人しいものです」 「え?」 「それは邪推だぞ、ヴォルフ。単にまとめて休暇を取った分、他の者の職務が増えていたから、今それを返しているだけさ」 見回りだの夜警だのの任務についていて、このところは夜も所在がはっきりしているという話に村田は目を瞬いた。 「へえ、じゃあ本当にあんまりに会ってないんだ。二週間ぶりなのに」 「まったく会わないわけじゃありませんから。食事のときや、朝の陛下のロードワークのお供のときに会っていますよ」 「ふーん……なんだか爽やかなお付き合いになっちゃったんだねえ」 有利やヴォルフラムの反応を見る限り、どうやら嘘偽りはないらしい。どうせ一時的なことには違いないが、そのうち通常通りの生活に戻るのはなにも不自然なことではない。 要は、有利がどうしてもコンラッドの動向を気にしてしまうであろう今だけを、粛々として暮らしているわけだ。有利と、どちらもが早く気にしなくなるように、と。有利が思ったより早く落ち着いたのは、そういうコンラッドの行動にも理由があるのだろう。 こうなると、逆に有利に対して健全お付き合いをアピールする機会を与えてしまったことに、珍しくコンラッドに負けた気分になる。 「『なっちゃった』ってなんだよ。すごくいいことじゃないか」 有利にジロリと睨まれて、村田は軽く肩を竦めた。 コンラッドはそんなやり取りにも特に感想を述べず、サインの終わった書類をまとめる。 「それでは陛下、そろそろギュンターがグウェンのところから戻ってくると思いますから、俺はこっちの資料を元の場所に戻してきます」 「ん、頼んだ」 コンラッドが大量の本だのファイルだのを抱えて部屋を出て行くと、村田は溜息をついて身体を捻りながらソファーの背もたれに頬杖をついた。 「つまんないなー。何か事件が起きないかなー」 「不吉なこと言うな!」 有利が机を叩いて、ヴォルフラムは呆れたように溜息をついた。 有利をからかうために村田が所在を聞きたがっていたはその頃、地下書庫の背の高い書棚の間で、踏み台として置いてある脚立の一番上の部分に腰掛けて本を捲っていた。 夢中になって読んでいたつもりはなかったのに、扉を開けて誰かが入ってきたことにはまったく気づいていなかった。 昼間でも地下には日の光は届かず、扉を開けて吹き込んだ風でロウソクの火が揺れる。 「」 呼ばれて顔を上げると、両手になにやら大量の本を抱えたコンラッドが書棚と書棚の間の入り口に立っていた。 「まさか一人?誰か連れてきてる?」 「ううん、ちょっと本を取りに来ただけのつもりだったから」 は閉じた本を片手に、軽い足取りで脚立を飛び降りるとコンラッドの前まで早足で駆け寄る。 「半分持つよ」 「大丈夫。それより」 本を抱えた身体を捻って腰を屈めたコンラッドに、も軽く背伸びして唇を重ねた。 触れるだけのキスをして、が照れたように笑うとコンラッドも笑顔で応える。 「やっとからもしてくれた。慣れてきたかな?」 「廊下と違って、ここなら滅多に人が来ないし」 手伝わなくていいと言われたものの、コンラッドが重ねて持っていたうちの数冊を勝手に取ると、一緒に後ろについて歩く。 「古い地図?こっちは百年前の測量結果って」 「今、治水の案件が上がっててね。いつまでも『よきに計らえ』だけじゃよくないと陛下が仰ったから、簡単な知識だけでもとギュンターが説明に持ってきていたんだ。は何を取りに来てた?」 「ギュンターさんから眞魔国の歴史を知るのに、史書を読んで年表にまとめなさいって言われてて。でもギュンターさんが持ってきてくれた資料って、なんていうかこう……お話みたいな感じで捏造っぽい話が多いから……」 があげた本の名前に、コンラッドはくすりと小さく笑った。 「ああ、それは子供向けの誇張が多い伝記だね。眞王陛下が光と闇を従えて何もないところから現れたとか、第七代フォルジア陛下が海を割ったとか、そういうやつじゃなかった?」 「……子供向け」 「年表を書けと言ったなら、ギュンターも渡す本を間違えたんだろう。を子供扱いしたわけじゃないと思うよ」 はコンラッドの後ろについて歩きながら、その広い背中をじっと見ていた。 あの約束から三日、こうやって二人きりになる時間はまったくなかった。廊下で会ったときには、前に有利がいるのにすれ違いざまに軽くキスをしてきたりとか、夜に部屋まで送っておやすみのキスとか、ルール通りといえるか微妙ながらもコンラッドとの接触は確かにその程度だった。 それが余計に『有利の目を意識していると、より意識してしまった』のは最初の数回だけで、すぐにそんな秘密のちょっとしたルールにどきどきして楽しくなった。 ……はずだったのに。 は抱えた本を片手に寄せて、空いた手で軽く自分を煽ぐ。 二人きりで会ったら軽くキス。約束どおり。今朝まではそれが付き合い初めの頃みたいでくすぐったくて、嬉しかった。 なのに今、それが少し物足りない。 廊下などのどこに誰がいるか判らない場所では、触れるだけの一瞬のスキンシップなのは当然だったけれど、こんな他に誰もいない密閉された空間では、もうちょっと、もう少し、コンラッドが何かすると思っていたらしい自分に気づいて、恥ずかしさで顔に熱が篭る。 赤くなったと自覚する頬を擦りながら、心の中で自分に呆れて仕方がない。 コンラッドは両手にたくさん本を抱えていたから、とか。 だったら本を片付けてしまえば、もう少し……こう、ゆっくり寄り添えるかな、とか。 色々と浮かぶ考えに慌てて首を振ると、通路を曲がって書棚の間に入るコンラッドの背中を追った。 書棚のラベルを確認しながら、手にしていた本を戻していくコンラッドの横顔を見上げる。 そういえば、こんな風に近くでゆっくりとコンラッドの顔を眺めるのも久々かもしれない。 それもコンラッドが帰ってきてからというもの、照れてそれほど長く直視できなかったり、すれ違うだけだったりしたからだ。 書棚の高いところに本を仕舞ったコンラッドの茶色の瞳がのほうを見る。 「、そっちの地図を……そんなにじっと見つめて、俺の顔に何かついてる?」 「え!?ううん!何でもないっ!ち、地図だよね。はいっ!」 まさかコンラッドに見とれてましたなんて言えるはずもなく、慌てて勝手に預かった地図を差し出す。 「ありがとう」 にっこりと笑顔で受け取って、コンラッドはそれも書棚に直した。そして次の棚へと移動をする。 「……かなり物足りないかも」 は小さく呟いて、慌てて首を振ってその感想を打ち消そうとする。 笑顔だっていつも通りだし、会話だって普通にしている。何一つ、普段と違うところはない。 それこそ、こんなところでコンラッドが何かしてこようものなら、「セクハラ!」と怒っていたくらいなのに、どうして物足りないはずがあるだろう。 「、過去の測量結果の方も」 「あ、はいっ」 手渡したそれが運んできた本の最後だったらしく、手ぶらになったコンラッドはが抱えていた国史をひょいと取り上げた。 「部屋まで送るよ」 「あ、うん」 ここも普段なら「いいよ、これくらい」と言うところだと思うのに、素直に頷いてコンラッドの後ろについて歩く。 せめて手を繋ぎたくても、書棚の間は並んで歩くには狭かった。 「な、なんだかこうやって一緒に歩くの、久々だね」 「そうだったかな」 緊張して話題を探したのに、前を歩くコンラッドはあっさりと首を傾げた。 はうっと言葉に詰まる。 もしかしなくても、物足りないのは自分だけなんだろうか。 いや、もしかしなくてもきっとそうだろう。 もしコンラッドもそう感じていたなら、こんな滅多に人がこないようなところでも、触れるだけの軽いキスで終わらせるはずがない。 「せめてぎゅーっと抱き締めたりとかあるよね……」 「?」 ぶつぶつと小声で呟いていると、肩越しに振り返ったコンラッドに不思議がられた。 「な、なんでもない」 慌てて手を振って誤魔化しながら、部屋に着けば別れ際にもう一回キスくらいはあるだろうと考えて、そんな期待をしている自分に軽く落ち込んだりする。 これではまるで欲求不満だ。 自分が恥ずかしいからとコンラッドを遠ざけておいて、コンラッドより先に欲求不満になるだなんてどういうことだろう。今朝までは現状に満足していたはずなのに、急にそわそわと落ち着かないなんて。 「あ、あの……部屋に行ったら……一緒にお茶でも飲まない?」 これなら少しは一緒にいられるとそう言ってみると、コンラッドは振り返って頷いた。 「いいね、じゃあこの本を部屋に置いたら陛下のところへ行こうか?それともこのまま……」 「え、有利?」 当然一緒に休憩するのだろうと取られて、思わず聞き返してしまった。 「うん。陛下もそろそろ休憩を取られてもいいだろうと思ったんだけど」 「そ、そう……」 がっかりしたことを顔に出さないように頷いて微笑んだに、コンラッドは立ち止まって身体ごと反転するとそっと頬に触れてきた。 「何か気がかりなことがあった?」 「え、ううん!そんなことないよ!」 コンラッドの掌が触れたことに、ただそれだけでどきどきと胸が高鳴る。 「それならいいんだけど」 それなのにコンラッドがあっさりと引いてしまって、かなり拍子抜けする。また歩き出そうとしたコンラッドに、思わずその服を掴んだ。 「?」 「あ、あのっ」 コンラッドの服を握り締めて俯いたは、顔を上げることができないまま消え入りそうな声で囁いた。 「い、今すごく……コンラッドが……不足してます……」 ぎゅっと目を瞑って、なんとか搾り出した言葉に、しばらく沈黙があった。恐らく一、二秒程度だったはずだが、それでもには長い沈黙だった。 「そうだったのか……」 小さく返ってきた言葉に顔を上げると、コンラッドは困ったように首を傾げる。 「けど、今は資料を戻してくると言っただけだから、陛下のところへ戻らないと」 「そ……うだよね。ごめんね、変なこと言って。気にしないで」 慌てて手を振って笑うと、コンラッドはその振った手を握り、手にしていた国史を棚の空いた場所に置いて、を引き寄せる。 「でも……少しだけ」 あっと思う間もなく、腕の中に抱きこまれ、頬に触れただけでなく身体全体を抱き締めるコンラッドに熱に、切なくなって目を閉じた。 再会してからずっと気恥ずかしさが先に立っていたはずのに、今はコンラッドが恋しく仕方がない。それだけ今まで、寂しいと思う間もなくコンラッドが傍にいてくれたんだと実感すると、少しでも長く傍にいて寄り添っていたいという想いがどんどん強くなってくる。 「部屋まで送るよ」 「……いい。部屋まで送ってくれなくていいから、もう少しこうしてて」 髪を撫でて囁かれた言葉に、急に寂しくなってコンラッドの服を握り締めると、コンラッドはそっと微笑しながらの頬を撫でて上を向くようにと指先で示す。 示された通りに顔を上げると、口付けが下りてきた。 今度は、先ほどのような触れるだけのものではなくて、もっと深く絡み合うような。 「……ん……」 誰もいない静かな地下の書庫では音が反響するようで、の耳に湿った口付けの音がよく届いた。 ゆっくりと唇が離れると、コンラッドの後ろで影がロウソクの明かりに照らされて、ゆらゆらと揺れているのが見えた。安定しないその影の動きに煽られるように、コンラッドに強く抱きつく。 有利やヴォルフラムたちの目が恥ずかしいからと、しばらく距離を空けるようになったのはのせいだ。その上、先に音を上げるなんてどうかしている。それなのに。 「お願い……もう少しだけ……」 「……だったら、その少しの時間に、もっと俺を感じておく?」 抱き締めていたコンラッドの手がゆっくりと誘うように下に滑りて、は驚いて弾かれたように身体を起こした。コンラッドを見上げて、それから迷うように視線を落とす。 「えっと……部屋で……」 「そう……じゃあ送るよ」 すぐに離れた手に驚いて顔を上げたに、コンラッドは困ったように微笑む。 「部屋だと自制が利かなくなると思うから。また後でね」 人差し指を口に当てて、陛下には内緒だよ、と。 「後っていつ?」 「もうしばらくは、ゆっくり時間は取れないから……月が改まる頃なら……」 はぎゅっと口を引き結んで俯くと、もう一度コンラッドに身を委ねるようにして抱きつく。 「……ここでいい?」 確認するように訊ねられた言葉にが小さく頷くと、コンラッドはその身体を優しく抱き締めた。 |
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