有利の部屋の前に戻ったは、扉を前にして唾を飲み込みながら両手を握り締めた。 村田とヴォルフラムが何かを話しながら遠ざかる声に一度目を閉じて、それから意を決したように顔を上げて扉を叩く。 「なに、村田ー?それともヴォルフか?どうし……」 扉を開けて顔を覗かせた有利は、部屋の前に立っているの姿を見た途端、すぐさま閉めてしまった。 あまりにも露骨な拒絶にくじけそうになるところを、唇を噛み締めて堪えてもう一度扉を控え目に叩く。 「お願い、有利。話をさせて」 少し待ってみたけれど扉は開かない。もう一回、扉を叩こうと上げた拳はノックをせず、コツリと小さな音を立てて扉に押し付けられた。 「じゃあせめて、このままでいいから、聞いて」 Punish(6) 「ヤバイ、閉めちゃったよ」 しばらく冷却期間を置こうと決めた直後にが訪ねて来て、驚いてすぐさま扉を閉めてしまった。 閉めた扉に背中に貼り付けた有利は、驚きで起こった激しい動悸に胸を押さえる。 そこにもう一度ノックされて、さらに心臓が跳ねた。 「お願い、有利。話をさせて」 「く、口から心臓が飛び出るかと思った……」 小さく呟きながら、どうして有利のほうがこんなに驚かなくてはならないのだろうと思わないでもないのだが、一度拒絶するかのようなタイミングで閉めてしまった扉はなかなか開けにくい。 「じゃあせめて、このままでいいから、聞いて」 迷っているうちにそんなことを言われて思わず振り返る。だが当然そこには閉じた扉があるだけだ。 「ずっと嘘をついててごめんなさい。わたし、自分のことしか考えてなかった」 分厚い扉越しの声は鮮明とは言い難かったが、それでも掠れることもなくしっかりと聞き取れる。 「自分のことばっかりで、コンラッドのことばっかりで、有利にこんなこと知られたら恥ずかしいとか、そんなことばっかり考えてて、嘘をついて……有利を騙しているんだって判ってたはずなのに、嘘がバレたときに有利がどんな気持ちになるかなんて、全然考えてなくて」 身体ごと振り返った有利は扉に手を当てて、その向こうから懸命に謝ってくる妹に眉を寄せる。 そこはそんなに謝るポイントじゃない。そっちはおれの我侭だと言いたい。しかし先ほどそう責めたのは有利自身だ。 嘘をつかれて、気持ちのいい人間はいないだろう。だが今回のとコンラッドの嘘は、正直に答えるほうが変な問題だ。むしろ双子の妹から正直に恋人との夜の事情を聞かされるなんて冗談じゃない。 「たくさん心配掛けて、都合のいいときだけ頼って……でも大事なことで嘘をついて……有利はずっと傍にいてくれたのに……騙してごめんなさい」 有利は眉間にしわを寄せて、扉に当てた手に額をつけて目を閉じる。 「それは判った、判ったから、他に言うことはないのかよ」 そう言いながら、本当はこれにも少し疑問が残っていた。 大切な妹に手を出した不埒者がその兄に謝るならともかく、妹自身が兄に謝ることなんだろうか。いや、軽率な行動だから反省してしかるべきだと扉に当てた手を握り締めて、自分は間違っていないのだという気合いを込めた拳を作る。 だが扉の向こうから聞こえた声は謝罪ではなかった。 「……お願い……コンラッドのこと、嫌わないで」 「なんでそうなる!?」 有利が思い切り扉を開けると、も扉に手を当てていたらしく、よろめくように部屋にたたらを踏んで踏み込んできた。 謝らなくていいところを謝って、肝心なところがまだ判っていないのか。 村田やヴォルフラムに呆れられて少しは冷静になっていたはずの思考が、再び怒りで沸騰する。 だがはぎゅっと唇を噛み締めて姿勢を正すと、握り締めた両手を胸に目を逸らすことなく有利をまっすぐに見返した。 その目には確かに罪悪感は見えるのに、逸らされることのない視線は、有利が怒っていた行動そのものに対する後悔は見えない。純粋に、嘘をついていたことにだけ、反省しているのだ。 「コンラッドはおれの言いつけを破ったんだぞ!?まだ子供のお前に簡単に手を出してさ!」 「簡単じゃない。コンラッドはずっと待っててくれたわ」 「そりゃ合意は基本だろ!?おれが言ってるのはそうじゃなくて、結婚まで待てなかったのかって話で……!」 「わたしが待てなかったの!」 の訴えに、続けて言うはずだった言葉が空を切った。口を開けたまま、声を飲み込んだというより呼吸そのものを止めてしまう。 「コンラッドはずっと待つから無理しなくていいって、そう言ってくれた。でもわたしがそれじゃいやだったの」 「だ、から……だったら、それを、諌めるのが年上のコンラッドの役目で」 どうにか反論しながらも、混乱しているのが判った。 「もちろん何度も言われたよ。焦らなくていいって。わたしの心と身体が成長するまで、ちゃんと待つからって」 コンラッドがの気持ちを考えずに先に進んだとは、もちろん少しも考えていなかった。 でも、コンラッドが主導してはそれを受け入れただけだと、思い込んでいた。それが思い込みだったのだと、の話を聞いて初めて気づいた。 の真摯な様子は、コンラッドを庇っているのではなく真実を告げているのだと、そう判るほどに混乱する。 「だったらなんでっ」 「もっと傍に行きたいって、そう思ったから」 「それって寄り添ってるだけじゃだめなのか?セ、セッー……エ、エッチなこととかしないと気がすまないのか!?」 行為そのものを口にすることが出来なくて、真っ赤になりながら口ごもって言葉を変える。 だがは握り合わせていた両手を下ろして、まっすぐに有利を見つめたまま照れて目を逸らすこともない。 「そういうことしないと気がすまないのは、不純だと思う?本当に好きだったら、心が繋がっていればそれだけで満足できるはずだって、そう思う?」 勢いで、そうだと言ってしまえればどれだけ楽だっただろう。けれどのまっすぐな視線がそれを許してはくれず、有利は肩を落として小さく呟いた。 「……でも、それが全部ってわけでもないだろ」 「うん、もちろんそうだよ。それが全部じゃない。でも、それが自然な気持ちでもあると、有利は少しも思えない?」 「?」 扉が開けっ放しだった廊下から聞こえた声に、も有利もピンと背を伸ばして振り返る。 「ああやっぱり。も来たんだね」 そののすぐ後ろに、コンラッドの長身が滑るように現れて、有利の表情が露骨に曇った。 有利からの拒絶の空気にコンラッドは一度眉を下げたが、すぐに表情を引き締めて、先ほどの自分の部屋のときと同じように頭を下げる。 「お願いです、陛下。どうか俺の話を聞いてください」 「話ったって、おれの言いつけを破ってごめんなさい以外に何があるんだよ。それならさっき聞いたし」 結局、もコンラッドも揃ってしまったと、乱暴に髪を掻き毟りながら有利が溜息をつく。まだ冷静に話し合える自信もないのに。 「ええ、陛下の言葉に背いたこと、そして俺の意思であなたを欺いたこと。それについては何の言い訳もありません」 「だーかーらー!だったらどんな言い訳なら出て来るんだよ!おれはが成人する、少なくとも学校を卒業するまでは、そういうのはなしだって言ってたんだぞ!?」 「だからそれはわたしがコンラッドにお願いしたの!嘘は二人でついたけど、でもっ」 「それだってひとりじゃできないだろっ!」 身を乗り出して言い合う兄妹に、コンラッドは恋人の肩に手を置いて後ろに少し下げる。 「その通りです。、一人で背負わないでくれ。俺が君を抱いたのは事実だし、それを後悔もしてない。陛下の叱責を受けるのは、当然俺であるべきなんだよ」 「でもっ」 「待て」 が恋人を振り返ったのと同時に、有利は額に青筋を浮かべて右手を待ったの形で差し出した。 二人の視線が有利に向いて、思い切り眉間にしわを寄せた有利はコンラッドに不審の目を向ける。 「あんた今、謝ったよな?それでおれの言ったことを破ったのに、後悔してないってどういうこと!?悪いと思ってるんじゃなかったのかよ!?」 「陛下のお言葉に背いたことは反省しています」 「だからっ……」 「ですが、を抱いたという事実には後悔はありません。だからこそ、陛下のお叱りを受けることが当然なのだと。勢いや、成り行きではなく、俺の意志で背いたからこそ」 まっすぐに見返してくるコンラッドの目は、先ほどのと同じだ。有利の言葉に背いたことと、嘘をつき続けたことに対する反省はある。だが行為そのものに対しては、後悔はないのだ。 コンラッドも、も。 有利は踵を返して、よろよろと部屋の奥へ歩くとソファーの背もたれに手を掛けた。 「もー……なんだよ、お前らは二人とも……」 どうして有利が自分でも理不尽だと思った怒りのほうに反省していて、これこそ反省しろと思っていたことに後悔はないんだろう。 ここは、「軽率でしたごめんなさい」と言うところじゃないのか? 騙したなんてことこそ「そこまで報告義務はないはずだ」じゃないのか? それなのに、二人とも有利と認識がまったく逆だ。 それはつまり、二人のとっての悪いことは「有利を騙したこと」であって、「婚前交渉してしまいました」ではないのだ。 「有利、あの……」 背を向けたまま、黙りこくる有利にが一歩踏み出すと、有利はソファーを回り込むことなく、そのまま背もたれを乗り越えて落ちるようにしてスプリングに身を倒した。 コンラッドとが顔を見合わせて、それからゆっくりと近づくと、有利はこちらの背中を向けて寝転んでいる。 「有利……」 そっと伸ばしたの手が肩に触れる前に、有利が口を開いた。 「お前さー、子供とかできちゃったらどうするつもりだったわけ?そっちのことちゃんと考えてたのかよ」 「それは」 は有利に触れようとしていた手を引いて、傍らのコンラッドを見上げて、それから有利の背中に目を戻す。 「コンラッドが、ちゃんとしてくれたし……」 「予防したって失敗するかもしれないだろ」 「予防って」 まるで病気みたいな言い方だとは思ったものの、自身も有利を相手に避妊という言葉はどうにも生々しくて使いづらいので、その気持ちは少し判る。 「……そしたら、困ったと思う」 「ほらみろ!」 勢いよく跳ね起きて振り返った有利に、けれどはゆっくりと首を振る。 「困ったと、思うよ。そんな形でなんて有利は絶対に怒るし、学校のこととかあるし、他にも色々問題は一杯あるし……でもやっぱり嬉しくなるとも思うの」 「嬉しくってっ!」 「判ってる。ちゃんと現実的に考えてないだろうって思うよね。でも、そんなことを一回も考えなかったわけじゃないんだよ。もしも赤ちゃんができたらどうしようって」 は両手をそっと腹部に添えて目を伏せた。 「きっとたくさん、どうしようって困る。コンラッドのとの赤ちゃんだったら絶対にあっちでは育てられないし、妊娠しててスタツアなんて胎教に悪そうだし、だからって一年もこっちに居続けるなんてできるのかとか、産んですぐに赤ちゃんと離れるなんてできるのかとか……」 「いや、待て待て待て待て」 段々話がずれてきているような気がして有利が慌てて止めると、コンラッドもそっとの肩を抱くように両手を置く。 「もしもがすぐにあちらに戻ってしまっても、俺がちゃんと育てるから」 「そこ!ツッコミどころが違う!そうじゃなくて、なんか考えて欲しいのと違うところに想像が行ってるぞ!?」 有利の激しいストップに、は目を開けてゆっくりと微笑んだ。 「うん。だから、困るけど、産むことは迷わないとは思ったの。何度考えても、色々困ることはあるし、心配することもあるけど、きっと赤ちゃんができたことは嬉しくなるだろうなって」 を指差したまま、有利はソファーにひっくり返るように倒れた。 が背もたれの向こうを覗き込むと、有利はやっぱりこちらに背を向けて、両手で顔を覆って泣いているような仕草で倒れ伏している。 「なんかもー、宇宙人と話してる気分だ」 もしも妊娠しても、最終的に嬉しいという結論しか出ていないなら、軽率だとは思わないはずだ。行為そのものは、決して不純なだけではないのだから。 これだから、社会的に地位も経済力もあるやつが恋人なんていうのは始末が悪い。できちゃった婚になっても、その後の生活の心配がないから簡単に産むなんて結論が出るんだ。 おまけにこの世界でなら、結婚前にが妊娠なんて事態になっても、怒るのは有利とせいぜいギュンターだけで、元から婚約者同士なだけにあとは祝福モードが待っているのも目に見えてみる。王の妹の懐妊だ。国中が祝いの声に包まれるだろう。 これだから異世界なんて。有利がやさぐれたように呟くと、コンラッドが至極真面目に答えた。 「俺は宇宙はともかく、確かに異世界人にはなりますが」 「ボケなのかツッコミなのか判別つけ難いボケはいらねーよ!」 有利は先ほどまでヴォルフラムがもたれていたクッションを引き寄せて、それに顔を埋めて嘆きの声を上げた。 「もうお前ら好きにしろ。コンラッドが責任の取れる大人だったことが全部悪いんだ」 「わ、悪いの?」 むしろいいことなのではと顔を見合わせた二人は、ブレーキをかける一番大きな要因がないのが悪いという意味だとは、きっと判っていないだろう。 「妹が遠い人になっていくー。知らない間に大人の階段上ってたー」 「……なんかその言い方は嫌なんですけど……」 の呟きに、有利は溜息をつきながらクッションの飾りの房についている糸を抜いていく。 仕草が完全に拗ねた子供だ。 「お前らさー、謝るポイントが違うんだよね。そりゃ騙したって言ったのはおれだけど、恋人とエッチなことしましたーっなんて報告を、兄貴や名付け子にするかよ。フツーに考えてしないだろー?子供ができちゃったらどうしようのほうが、どう考えても重要だろ」 「だから、赤ちゃんができても、嬉しいなって結論だし」 「報告はしなくても、陛下が疑惑を持たれたときに嘘をついたことは事実ですから」 飾り房のひとつを完全に抜いてしまった有利は、顔を上げないままに呟いた。 「今は魔王としての話じゃないだろ。……陛下って呼ぶな、名付け親」 もコンラッドも、有利のことが大切だから、二人にとっての悪いことは『有利に嘘をついた』という点なのだ。的外れな拗ね方だと思っていたのに、まるでそこを見透かしたかのような部分で謝られて、むしろ有利のほうが恥ずかしい。 完全に拗ねた声で、けれどもいつもの言葉に、が喜んでコンラッドを仰ぎ見て、コンラッドも嬉しそうに微笑んで手を伸ばす。 「すみません、ついくせで」 大きな手で宥めるように髪を撫でられた有利は、不貞腐れながら真っ赤になった顔をクッションに押し付けていた。 |