の腕を引いて部屋に戻るまでの間、有利はずっと無言だった。
その背中を見ていられなくて、は腕を引かれるままに俯いて廊下の床を見ていた。
有利を怒らせないようにとコンラッドとの仲を隠していたことで、そんなに有利を傷つけることになるとは思っていなかった。
自分のことばかりで、心配してくれている有利の気持ちを考えることは、確かになかったように思う。怒らせたくないとか、反対されたくないとか、それは自身が楽しい交際をしたかっただけの話だ。
考えるほどに有利に申し訳ない気持ちになって、けれど申し訳ないと思うことに、今度はコンラッドに対して罪悪感が生まれる。
後ろめたい付き合いなんかじゃない。自然な流れだというのなら、嘘を重ねてまで、家族を騙してまで隠すことなんてなかった。
を寝室に押し込めて有利が去ったあと、は床に座り込んで扉を背に抱え込んだ膝に顔を埋めて、これからどうするかをずっと考えていた。
有利を叩いた右手が、じくじくと痛みを主張している。



Punish(5)



「お悩みのところあれなんだけど、本当にウェラー卿を国外に出しちゃっていいの?」
村田からの問いかけに、有利はクッションから顔を上げると、ごろりと寝返りを打ってソファーに横向きに寝転ぶ。
「だってー、おれも少し頭冷やしたいしー。一ヶ月くらい間があったら、コンラッドの言い訳も少しくらいは冷静に聞けるんじゃないかってー」
「ええい、その間延びした喋り方はやめろ!」
既に内心は知られてしまったと、拗ねたことを隠そうともしない有利の話し方に、ヴォルフラムが眉がひそめる。
「それはそうかもしれないけどさ、今のまま別れたら後で気まずいと思うけど?」
「それはおれも考えないでもないけど……」
腹筋を使ってソファーから起き上がった有利は、掻き毟ってぼさぼさになっていた髪のままで頭を振った。
「今は何を聞かされても、言い訳するなで返しちゃいそうなんだよ。それじゃ話にならないだろ」
「言い訳するなもなにも、ウェラー卿が何を言っても言い訳でしかないわけだけど」
「それを言うな……」
有利は溜息をついて、先ほどまで顔を埋めていたクッションを掴んで膝に乗せる。
「しかしユーリ、コンラートを追い出して、それでだけを残すのか?二人とも自分のしたことが原因だが、怒ってるお前と常に一人で対面するのも相当つらいと思うし、顔を合わせるたびにコンラートの帰国の寛恕を請われるのも、今度はお前がつらいだろう」
「そうなんだけどさー……だからってを一緒にヒルドヤードに送ったら意味ないし」
「反省してるなら、さすがに自粛はするとは思うけどねー。まあ、避けるほうが無難は無難だね。だったら、は眞王廟で預かろうか?」
「はあ?」
ごく軽く出された村田の提案に、有利は間の抜けた声を上げて不審そうに眉を寄せる。
を出家させるというのですか?」
ヴォルフラムのやや慌てた言葉に、有利は勢いよく立ち上がる。
「そ、そこまでさせるつもりはないぞ!確かに結婚前にそこまで進んじゃうのは軽率だと怒ったけど、別に二人の仲を引き裂くつもりじゃ……っ」
「違う違う、二人とも落ち着いて。ウェラー卿が帰ってくるまで、と二人で顔を合わせるのはも渋谷も気まずいだろうから、一ヶ月だけ預かるって話だよ。対外的には……そうだな、婚約者の怪我の治癒祈願と、あれくらいの怪我で済んだことに対する感謝を眞王に表す、とでもすればそれほどおかしくはないだろう。ついでに国の平安も祈願していることにすればバッチリ」
「ついでってお前……あー……でもそうか、眞王廟へのお参りってことにするのか……それはいいかもなー」
「え、しかしユーリ」
ヴォルフラムは戸惑うように隣の大賢者に視線を送り、それから有利を見た。
「えーとその、なんだ、眞王陛下への祈願を罰のように扱うのは感心しないな」
「う……た、確かにそれはマズイか?」
有利が戸惑う様子を見て、村田は気軽に笑いながら手を振る。
「対外的には罰じゃなくて祈願なんだから問題ないって。それにさ、昔の人は罰のひとつに写経をさせたなんてこともあるし、懺悔なんてものもあるし、自分の行いを悔いるのに僧院に行くのは別におかしなことじゃないよ」
「昔って、本当にどれくらい昔だよ。うーん、でもそっかー……どうしようかなあ」
再びを眞王廟へ送るという案に揺れる有利に、ヴォルフラムは説得を試みる。
「しかし考えてもみろ。他国の僧院のことは知らないが、眞王廟には眞王陛下の御魂が確かにおられるのだぞ?罰として眞王陛下の元へ送り込むのは失礼じゃないか」
「その点は大丈夫。彼はのことをとても気に入ってるから、理由はなんでも近くにいてくれたら嬉しいと思うよ」
ヴォルフラムの説得を村田があっさりと覆して、考え込んでいた有利は頷いた。
「よし、じゃあ村田の案を取ろう。しばらく頭を冷やしたほうがいいのは、おれももコンラッドも一緒だしな」
「ユ、ユーリ……」
ヴォルフラムが肩を落とした横で、村田はにっこりと笑って指を組んだ手の甲に顎を乗せて身を乗り出す。
「じゃあは眞王廟で預かるよ。いつから預かろうか」
「今日はもう遅いし、いきなりじゃそっちも困るだろ?明日からだったら?」
「じゃあそういう風に連絡を飛ばしておくよ。僕も今日はこっちに泊まって、明日の朝にを連れて行くから」
とんとんとまとまっていく話に、ヴォルフラムは「ぼくはもう知らないからな」と呟いて額を押さえた。
「そーいやさ、なんで眞王がを気に入ってるって、村田に判るんだ?」
「何言ってるんだよ、僕はこれでも大賢者なんて呼ばれて普段は眞王廟にいるんだからさ」
「そ、そうか」
答えになっていない答えを返されて、首を傾げながらも有利は頷いた。


眞王廟に連絡を入れてくると村田が席を立って部屋を出ると、正面に両手を握り締めて不安そうな表情でが立っていた。
驚いて目を瞬いた村田は、口を開いたに黙っているように指示して、素早く廊下に出ると扉を閉める。
「渋谷と話し合いにきたってところ?でも今日はよしたほうがいいな。頭に血が上ってるから、喧嘩別れするのがオチだよ」
「でも……時間を置くと気まずいだけになる気がして」
「それが間違ってるとは言わないけど、一晩くらいは空けたほうがいいと僕は思うな」
は眉を下げて、握り締めた両手を下ろした。その手が震えてるのを見ながら、村田は歩こうと促す。
その後ろで再び扉が開いてがはっと顔を上げたが、出てきたのは有利ではなくヴォルフラムだった。
「猊下、ちょっとお話が……あ」
「はいはい、何?聞きますよー」
を見て声を上げたヴォルフラムを廊下に引き出して、村田はその腕を掴んで歩き出す。
有利の部屋の扉と村田を見比べて、は戸惑いながら村田を追ってきた。
「あのさあ、話し合いって言っても、は何をどう言うか、ちゃんと考えをまとめてきたのかい?」
「それは………まだ……。でも」
「じゃあ平行線だ。結果は一緒さ。せいぜい、渋谷が投げやりに勝手にしろって言って終わりだね」
あっさりと予想された結果に、何も言えなくなってはうつむく。
「やっぱり有利……怒ってるよね」
「烈火のごとく」
「げ、猊下」
まったく抑えることのない村田の表現に、ヴォルフラムは困ったように俯いたを振り返って、それから村田をたしなめるように小声で呼びかける。
「……傷つけたよね」
「そうだね。君とウェラー卿にだけは、嘘はつかれたくなかっただろうね」
「猊下!」
が足を止めて、村田も立ち止まった。突然の二人の行動に、ヴォルフラムがたたらを踏むはめになった。
村田と慌てて止まったヴォルフラムが振り返ると、俯いていたが顔をあげて握った両手に力を込める。
「わたし、やっぱり有利のところに行って来る」
「やめたほうがいいと思うなー」
そうはっきり言われても、今度は俯かなかった。
「忠告してくれてありがとう。でも、今行かなくちゃいけないと思うの。わたしが自分のことばっかりで浮かれていたのはその通りだし、そのせいで有利に心配をかけて、傷つけてしまったなら、ちゃんと話さなくちゃいけない。有利に嫌われたくないし……コンラッドのことも、嫌って欲しくないから。少しでも長く、傷つけたままでいたくないから」
「渋谷が君を嫌いになるなんてことはないよ。大切な家族だからね」
「……だったらそれこそ、このままでいいわけないもの」
「あ、
心を決めて身を翻したにヴォルフラムが手を伸ばす。だがその手を村田が掴んだ。
「猊下!」
「放っておきなよ。家族の問題に口出ししてもややこしくなるだけさ。これは渋谷ととウェラー卿の問題だ」
有利の部屋に向かうとは反対の方向へ歩く村田に引きずられる形に、戸惑いながらヴォルフラムは二人の背中を交互に見る。
「ですが猊下、あんな言い方でははユーリの心情を誤解したままではありませんか」
「そのほうがいいってこともあるんだよ。それにさ、問題は半分くらいもう解決してるし」
「え?」
「渋谷が言ってたじゃないか。とにかく、僕は明日に備えてフォンヴォルテール卿なり、フォンクライスト卿なりに話を通しておかなくちゃね」
「それは話し合いが決裂することが前提ではありませんか!?」
部屋に戻ろうと振り返るヴォルフラムを引いて歩きながら、村田はさあねと小さく呟いた。


有利とと村田とヴォルフラムが去った後、ヨザックは重い空気をまとう友人を振り返った。
自業自得としか思わないのに、なぜか一抹の同情も湧き上がるから不思議なものだ。
「しかし……お前らしくないドジを踏んだもんだな」
そのまま立ち去るという選択を取らなかった自分の友情に心の中で乾杯を呟きながら、ヨザックは友人の肩を叩いて部屋に入るように促す。
「ドジ……」
俯いたコンラッドはその場を動かず、ヨザックの言葉を小さく繰り返す。
「そうだろ?今までは上手く誤魔化して、陛下を煙に巻いてたのにとうとう姫に手を出してたことがバレちゃってさ。まあほらあれだ、あれだけ姫を溺愛してる陛下が厳罰を下さなかったことだし、ヒルドヤードに行って帰ってくる頃には、謝れば許してもらえるだろ」
「……そうか……そうだな」
納得したかのように頷いたコンラッドは、しかしヨザックの勧めとは反対に廊下へと踏み出した。
「おいおい、どこに行くんだよ」
「陛下のところへ」
ヨザックは軽い口調で、歩き出そうとするコンラッドの肩を掴んで引き止める。
「だから、帰ってきた頃にはって言っただろ。今日行っても陛下を激怒させることになるだけだと思うけどねー」
「だとしても。いや、だからこそか」
「怒られてすっきりしたいってー?でもそれはお前の都合であって、叱る立場の陛下には堪ったもんじゃないよなあ」
おどけるように、からかうように、皮肉なように白々しい声を上げると、コンラッドは肩を掴んでいたヨザックの手を静かに取って持ち上げる。
「陛下には誤魔化して黙っていればいいと騙していたときから、俺は自分の都合ばかりだったんだ」
「開き直りかよ」
「なんとでも」
ヨザックは歩き出したコンラッドの肩をもう一度掴んで引き止める。
「まあ待て。止めないからちょっと待ってろ。杖持ってけ杖」
「それは……」
有利はコンラッドに怪我をさせたことに負い目を持っている。杖を持っていくのは、有利にそのことを思い出させる結果になる。
渋るコンラッドに、ヨザックは素早く部屋に戻って杖を手に戻ってくる。
「らしくないぜ。使えるものはなんでも使うのがあんたのやり方じゃなかったか?」
「陛下を守るためならな。だがユーリにそんな手は使いたくない」
「じゃあ発想の逆転だ。これで陛下の部屋に行く途中でまた骨でも折ったら、あの方のことだからきっと気にされるぞ。陛下がお気の毒だろ」
コンラッドは眉を寄せてヨザックを見て、それから差し出された杖に視線を落とした。









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