激怒するヴォルフラムを宥めたのは村田だった。 「まあまあ落ち着いて、フォンビーレフェルト卿。これは兄妹喧嘩の結果で、それにもし渋谷とにそんな気持ちがあったとしても、兄妹間じゃ求婚なんて成立しないじゃないか」 「そんな気持ちねえよ!あるわけないだろ!?村田、お前ひょっとしておれを陥れたいのか?実はそうだろ!?」 「やだなあ、被害妄想。誤解だよーって説明してあげてるのに」 「それこそ『誤解』の一言で済むだろ!いらんことまで付け足すな!」 有利を締め上げていたヴォルフラムは、二人の会話にようやくその襟を手放した。 「そうか……ユーリの気持ちは判った。そんなに必死になるくらい、ぼくに誤解されたくなかったのか。心配するな。ぼくは浮気を怒りはするが、ユーリを見捨てたりはしないぞ」 「だから浮気じゃねーって!」 「ああ、のことは誤解だったんだろう?だが喧嘩で平手打ちをするなんて、お前たちも少し迂闊だぞ」 「……なあ村田。どうしてヴォルフは急に機嫌がよくなったんだ」 「必死に誤解と説かれたら、そんなにも自分と別れたくないんだと思うからじゃないかな?」 「ヴォルフ!お前はまだ誤解している!」 否定して欲しかったことをあっさりと肯定されて、有利は頭を抱えて大声をあげた。 Punish(4) 「判ったと言っただろう。それよりがユーリに手を上げるなんて一体何が原因で……」 有利からへ視線を移したヴォルフラムの目が驚きで丸まった。 「!お前、なんて格好をしているんだ!」 「へ?……あっ!」 顔を赤くしたヴォルフラムに指差されて、は自分の格好を思い出した。慌てて大きく背中が開いていたワンピースの後ろを押さえる。コンラッドを怒鳴りつける有利の声が聞こえて、着替えの途中で飛び出してきていたことをすっかり忘れていた。 「髪も濡れているし入浴した後か?だがここはコンラートの部屋……」 「あーらら」 話が元へ戻ったと村田が小さく零す中、ヨザックはの後ろに回って背中の紐を編み上げる。このメンバーなら普段は有利かコンラッドが請け負いそうな役だが、今の二人はそれどころではない。 一瞬静かになった部屋で、有利はヴォルフラムを振り返る。 「……ヒルドヤード行きの旅行はどうなった?」 「あ、ああ。それなら話を聞いたギュンターがすべて手配した。ぼくでもあんなに手際よくコンラート追い出し……いや、送り出す手配なんてできないくらい完璧だ」 旅行の日程表を手渡された有利は、紙の表面を指先でなぞって素早く解読すると、そのまま日程表をコンラッドに押し付けた。 「あの、陛下」 押し付けられた紙に目を落とし、開いて中を確認していいのかと戸惑う様子のコンラッドに、有利はにっこりと笑顔を向けた。 この状況で有利がコンラッドに笑いかけることに、不審を覚えては眉を寄せる。 「おれのせいであんたに怪我させたから、そのお詫びと感謝のプレゼントだよ。ゆっくりしてきてくれ」 中を見ろと促されて、コンラッドも同様の疑問を持ちながら、旅程表を開いて目を瞬いた。 「ヒルドヤードへ温泉旅行……ですか」 「ああ、あそこの温泉が怪我の治療にいいって話をしてくれたのはコンラッドだっただろ?ギュンターが行き帰りの時間も入れて一ヶ月くらい作ってくれたら、ゆっくりしてきてくれ。ヨザックの慰安旅行も兼ねてるから、二人で」 「猊下の御用ってそれですか!?」 「一ヶ月!?」 「そんな……!いえ、ありがたいのですが、そんなに血盟城を空けるわけにはいきません」 ヨザックとが悲鳴のような声を上げて驚いて、コンラッドも困惑の色を隠せない。まして今の状況では別の意味が含まれているようにさえ思えてくる。 「言っただろ、それは『お詫びと感謝のプレゼント』だって。この部屋に来る前に用意してた話で、のこととは関係ないから」 「あの陛下、オレ、断りた……」 「ですがっ」 「今は!」 大きく音を立てて床を踏み鳴らし、うつむいた有利はの腕を掴んだ。 「今はあんたから何も聞きたくない」 床に向かって呟かれた言葉は大きくもない声だったが、コンラッドを黙らせるには十分すぎるほどの重みがあった。一緒にヨザックも何も言えなくなる。 掴んだの腕を引いて、椅子に掛けていた学ランを乱暴に掴むと、そのまま部屋から早足で出て行く。 「待って有利!」 は有利の足を止めよう後ろに体重を掛けながら、後ろを振り返り、また有利の背中を見る。 「お願い、話を聞いて!」 「聞いたって一緒だろ!?お前は悪いと思ってないしさ!おれは許せないんだしさ!おまけにコンラッドからの言い訳まで聞きたくなんかない!」 「わたしのしたことは、そんなに悪いことなの!?」 たまらず叫んだに、有利は勢いよく振り返って腕を掴んだ手に力を入れる。 「お前はコンラッドと二人で、おれを騙してたんだぞ」 が言葉を無くしたその後ろに、部屋を出て追ってきていた村田とヴォルフラムの姿と、更にその後ろに眉を寄せて唇を噛み締めているコンラッドの姿が見えた。 有利はすぐにそのすべてから目を逸らし、静かになったの手を引いて歩き出す。 今度はも抵抗しなかった。 の腕を引いて部屋に戻るまで、有利はずっと無言だった。後ろから村田とヴォルフラムがついてきていることは判っていたが、それについても何も言わない。 の部屋に着いて寝室まで連れて行くと、そのまますぐに背を向ける。 「有利……」 怒鳴り合っていたときとは打って変わって控えめに掛けられた声に、有利は拳を握り締めて首を振る。 振り返らなくてもがどんな表情をしているかは判ったが、何も言わずに扉を閉めて部屋から飛び出した。 部屋の外で待っていたヴォルフラムと村田は、飛び出してきた有利に驚いて左右に避けて道を開ける。 「ユーリ!」 ヴォルフラムの呼びかけにも答えずに、近くの自分の部屋まで走って戻って飛び込んだ有利は、そのままソファーに飛び込むように倒れ伏した。 「ああっ、くそっ!」 走って追いかけてきたヴォルフラムは、有利の怒りの悪態にどう声を掛けたものかと考える。 だが、その次の叫びは予想を大きく外れていた。 「誰かおれの暴走を止めてくれーっ!!」 「なんだと?」 もしかして、コンラッドを一時的に国外に追いやるだけでは許せなくて、徹底的に二人の仲を引き裂きたくなったのかと思ったが、うつ伏せにソファー沈んだ有利は頭を掻き毟って悶えるだけだ。 のんびりと歩いて追ってきた村田は、最後尾として部屋のドアを閉めてテーブルの水差しからグラスに水を注ぐ。 「判っちゃいるけどやめられない。どこかの歌謡曲みたいだね」 「そうだよ!判ってるよ!おれの言ってることのほうが滅茶苦茶なことくらい、判ってるさ!けどさ、頭で判ってても感情まで追いつかねーんだよ!」 「シスコンの弊害だねえ」 跳ね起きた有利の前に水入りのグラスを置いて、村田は困ったように笑いながら向かい合う形でソファーに腰を降ろした。 判らなかったのはヴォルフラムだ。 ヴォルフラムには、コンラッドの部屋にいたの格好から察するに、今まで何度か不審を抱いていたことが確信に変わっただけの話だが、常日頃の有利の言動からいって、二人が一線を超えていたと知ったら有利が激怒することは明らかだった。 どこがおかしいのか判らない。 「コンラートの手の早さに怒っていたんじゃないのか?」 ついそう確認してしまったら、頭を抱えていた有利に鋭く睨みつけられる。 「怒ってるよ!怒るに決まってるだろ!?」 「だったら何が理不尽だというんだ」 その眼光に一瞬気圧されかけたヴォルフラムは、すぐになぜ自分が睨まれるのかという理不尽に婚約者を睨み返して、村田の横に少々乱暴に腰を降ろす。 「結婚までは清い仲でって言ってたんだから、それを破られたらそりゃおれは怒るよ!でも騙してたってなんだ!?恋人とエロいことしたからって家族に報告するやつがいるか?いや、いるかもしれないけど、少なくともやコンラッドがおれに言うはずないだろ?」 「当然だな。今の反応が十分物語っている」 ヴォルフラムが深く頷いて肯定すると、有利はまた頭を抱えてソファーに倒れ伏した。 「それが全部ごちゃごちゃになってんだよーっ」 「……いまいちよく判らないが」 「今は渋谷も混乱してるからね。つまり渋谷の葛藤はこうさ」 村田はヴォルフラムの分の水を差し出し、自分にもグラスを用意する。 「渋谷の怒りその1は、フォンビーレフェルト卿の言ったこと。その2は、それを二人が黙って隠していたこと。時には嘘までついてね。このふたつは密接に絡み合ってはいるけど、別々のものだ」 村田は有利のグラスとヴォルフラムのグラスをそれぞれ手にして、まず有利のグラスを掲げる。 「その1の怒りは、言ってみれば家族としてを心配する気持ち。まだ学生だし、避妊とかしてても妊娠のリスクはある。そうなったときにリスクを背負うのは女の子のだ」 「ひ、避妊……」 妹とその恋人がどこまで進んでいるかは判っていたつもりだが、直接的な単語が友人の口から出て、有利は赤くなるやら青くなるやらで口ごもる。 「妊娠の危険と言っても、二人は婚約しているのだから婚姻を早めるだけなのでは?」 「その辺りは、フォンビーレフェルト卿には判りにくいかもしれないけど……それなら貞操観念だと思ってくれたらいいよ。フォンクライスト卿が君たちに言う『夫婦と婚約者は違う』ってやつ。で、その2の怒りは渋谷の気持ち、つまり渋谷自身のための怒りだ」 村田は有利のグラスを下ろして、今度はヴォルフラムのグラスを上げる。 「これは、とウェラー卿が揃って自分のことを騙していたことに対する憤り。でもこっちは渋谷自身で判っている通り、はっきり言って当たり前のことだろ?こんなに怒る渋谷に馬鹿正直に報告するはずないし、そうでなくてもフォンビーレフェルト卿だって家族に『昨夜とうとう渋谷と初夜を迎えた』なんて報告する?」 「わざわざはしません」 「待て村田!なんで例えがおれなんだ!?」 「そう。だからこっちの怒りは渋谷も理不尽だと判ってる」 跳ね起きた有利の抗議は聞こえないふりで、村田は両手に持った二つのグラスを傾けて、中の水を自分のグラスに注いだ。 「で、別々の怒りが一緒に混ざって渋谷自身でも分けられない。これが今の渋谷の状態」 中身が半分減ったグラスをそれぞれ有利とヴォルフラムの手元に戻すと、村田は自分のグラスを持ち上げて軽く振った。 「はあ……なるほど」 村田の説明に気の抜けた返答をしたヴォルフラムは、有利に呆れたような視線を向ける。 「で、でもさ、結局はコンラッドが我慢してれば、その2の問題だって起きなかったんだ!」 「だからウェラー卿は、事実自分がしたことには言い訳しないって言ってただろ」 「事実………」 中身が半分に減ったグラスを恨めしげに睨み付けていた有利は、クッションを抱えてソファーに再び寝転んだ。 「事実、なんだよなあ……やっぱり……」 「何をいまさら」 コンラッドが有利の言い付けを守って絶対に破っていないと、今の今まで一度も疑わずに信じていたのはせいぜい有利くらいしかいないだろう。あのギュンターだって、何度か疑惑は持っていたに違いないと、自分も何度か疑ったヴォルフラムは肩をすくめる。 「だってさあー………はあれだけ男が怖かったのに……ステップが早すぎだろー?」 「なんだ、に先を越されたのが不満か?だったら今日追いつけばいいじゃないか」 「そんなことは言ってない!」 ソファーから腰を浮かしたヴォルフラムに、有利は蒼白になって首を振った。 「そうじゃなくて、なんだろ、ほら、十六年も一緒に歩いてきたのにさ!」 「だから先に行かれたのが不満なのだろう?」 「違うってー!」 村田は笑いながら水差しを取って、中身が半分に減っていた二つのグラスに水を継ぎ足す。 「不満というより寂しいんだろう、渋谷は。ウェラー卿を責めたら叩かれたしさ。今まで渋谷のことしか見てなかったが今はウェラー卿のほうが大事になって、ウェラー卿も渋谷の言いつけを破って、渋谷よりを選択した……みたいに見えるから」 「勝手な解説付けるなよ!」 「あれ、違ったー?」 友人に笑いながら首を傾げられて、有利はクッションに顔を埋めて小さく呟く。 「……違う……はず」 村田はその有利の指差して横のヴォルフラムを見た。 「さっき言った怒りに、こういう不満も混じってるから、ますます絡まった紐を解くのが難しいんだよ」 有利の反論を待ってみたが、沈黙が続いたことでヴォルフラムは溜息をついた。 |