有利が脱衣所に続く扉を開けたとき、同時に中でも扉が開く音が聞こえた。
「だ、だれ!?」
「ありゃ、遅かったか……って今の声、?」
男同士だし、うっかり脱衣所で鉢合わせになっても慌てず騒がず、背中を流そうと思ったんだけどもう上がってきちゃったかと軽く謝ろうとした有利は、開けかけた扉のノブを握ったままぴたりと動きを止めた。
「……コンラッド?」
「陛下ですか?すみません、今出ますから」
「今、中にいなかった?」
「え、そんなことは……」
「声が聞こえたぞ!?」
閉めかけた扉を断りもなく全開にしたら、湯気の充満する脱衣所にコンラッドが一人で立っていた。



Punish(3)



浴室から出てきたばかりらしいコンラッドは、水滴を滴らせながら腰にタオルを巻いただけの状態だった。
「すみません、今出ます。濡れてしまいますから、陛下はそちらでお待ちいただけますか」
棚に用意していた乾いたタオルを手にして、さらりと居間を示す様子には、特に焦った色もない。先にの声が聞こえたと確信していなければ、うっかり素直に従いそうなほどだ。
は?」
「ですから……」
「声が聞こえた」
目を細め、有利は靴を脱いだ足が濡れるのも構わずに脱衣所へ踏み込む。
コンラッドは右足を庇うような仕草で左足に重心を移動させて浴室を背にしたが、有利はそちらには目も向けずに、タオルや着替えを用意していた棚に手を伸ばした。
「あ、陛下……」
「コンラッドにもヨザックと同じ女装趣味があったんだ」
籠に畳んで用意されていたワンピースを手に有利の声が低く下がる。コンラッドは右手で額を押さえて痛みを堪えるかのような表情をする。
「でもこれじゃサイズが小さすぎるだろ。美しい着こなしのためには採寸からだってグリ江ちゃん言ってたぞ……」
ワンピースを手に咎めるような視線を送ると、コンラッドは一度天井を見上げて、それから直立の態勢を取った。
「話を聞いてくださ……」
、出て来い!」
何か言いかけたコンラッドにかぶせるように怒鳴りつけると、しばらくの沈黙の後、控えめな小さな足音が聞こえてコンラッドの後ろで浴室の扉が開く。
開けた扉から濡れたタオルを身体に巻きつけたがおずおずと顔を覗かせた。
「あ……あのね、有利」
「隠れたからある程度は予想してたけど、やっぱり水着着用ですらないわけか……嫁入り前の娘がそんな格好で!」
「で、でもコンラッドなんだから、一緒にお風呂に入るくらいいいじゃない!」
「いいわけないだろ!婚約者と夫婦は違うんだぞ!?」
「でもコンラッドは怪我してて一人じゃお風呂にも入りにくいから……っ」

コンラッドに諌めるように小さく呼ばれて、は唇を引き結んで黙り込む。
有利も痛いところを突かれたように言葉に詰まって、息を吐きながら髪を掻き毟った。
「……判ってる。今回の件に関してはおれにも非があるよ。でも呼んでくれればおれが背中くらい流したのに」
「そんなの、有利を呼びつけるなんてできるはずないじゃない」
「今のはコンラッドにじゃなくて、お前に呼びに来いって言ったんだ。風呂の世話だけはおれに頼むってさ」
反論しようと口を開いたは、うつむきながら小さく呟く。
「だって……コンラッドのお世話はわたしがしたかったんだもん」
「だからって……」
「いつもは一日の半分は有利のところに行っちゃうんだから、怪我してるときくらいわたしがコンラッドを独占したっていいじゃない!」
ぎゅっと両手を握り締めて、これで頬でも膨らませていたら子供の駄々にしか見えないようなことを言って睨み付けるに、有利も、独占宣言されたコンラッドも目を瞬いた。
怒った様子のと、その隣で有利を気にしてどうにか神妙な表情を保ちながらも笑顔を堪えてると判るコンラッドに、有利は溜息をついて額を押さえた。
「ああーもう、なんで妹の恋人のことで妹に嫉妬されなくちゃなんないんだよ……。判った。でも明日からはヨザックに風呂の介助を頼もう」
「……ヨザックにですか?」
「なにその嫌そうな顔。おれはもともと、この話をしに来たんだけど……後にしよう。向こうで待ってるから、まず二人とも服を着ろ……でも一人ずつな。ほら、タオル」
有利はワンピースを籠に戻し、代わりに乾いたタオルを取ってに向けた。
がそれを受け取ろうとコンラッドの後ろから出てきて、湯気で見えにくかった首の付け根から鎖骨の辺りにいくつか散った赤い跡に初めて気づいた。
「……
「え?」
眉をひそめて、妹に不審の目を向ける。
「虫さされか……?」
なんのことかと目を瞬いたは、一拍おいて意味を悟ったように、顔を朱に染めて有利から受け取ったタオルで慌てて首を押さえる。
「う、うん、そ……」
「そんなわけねーだろ!いくらおれでも騙されるか!」
有利は足を踏み鳴らして、怒り心頭での手を掴んで引っ張った。
「ちょっと有利!」
「待ってください、陛下!話を……」
濡れたままタオルしか巻いていないを脱衣所から連れ出そうとする有利に、慌てて引きとめようとコンラッドが手を伸ばす。
だが鋭く振り返った有利がその手を叩き落して、の腕を引いて出て行ってしまう。
「有利待って!」
「陛下!をそのまま廊下に連れ出す気ですか!?」
が有利の腕に抱きつき、後ろに重心を掛けてその足を止めようとして、コンラッドが開けっ放しの扉に手をかけて二人に続いて部屋へと出てきたとき、今度は廊下に繋がる扉が開いた。
「渋谷ー、フォンヴォルテール卿にOKもらって、ヨザックを借りてきた……よ」
遠慮もなく扉を開けながら、部屋の住人ではなく有利に呼びかけた村田と、後ろに従っていたヨザックは、部屋の光景に言葉を無くしてそのまま動きを止める。
いかにも風呂上りなを無理やり引っ張って行こうとしている袖と裾を捲くった有利と、引き止めるように努力しているとコンラッド。
時が凍ったような部屋で第一声を発したのは、心臓に毛が生えているともっぱらの噂の大賢者だった。
「うわー、修羅場」
「きゃああああぁっっ!」
村田の呟きを合図にしたかのように、タオル姿のは引っ張る力の緩んだ有利の手を振り払って、脱衣所に逃げ込んだ。


部屋の情景を見た瞬間、ヨザックには大体の事情が判った。
帰りたかった。心底このまま回れ右して帰りたかったのに、大賢者に直々に指名されて、風呂上りのコンラッドの着替えの介助を頼まれたので逃道を失った。
右足に負担をかけないようにしなくていけないといっても、一応骨はもう繋がっているのだ。一から十まで人の手を借りなければならないということはないのに。
その大賢者は、興奮状態の友人の肩を叩いて椅子に座らせている。
介助といっても、着替えを友人に手渡すくらいしかすることも、する必要もない。
差し出された服を真剣な表情で黙々と着るコンラッドと、扉の向こうで恐らく色々な意味で泣きそうになっているだろうと、気合いで目の前のテーブルを叩き割りそうなくらい怒りを顕わにしている有利と。
帰りたい。
ヨザックは心の底から願っていた。
そんな巻き込まれた不運な幼馴染の悲哀など見向きもせずに、着替え終えたコンラッドは、そのまままっすぐに有利の元へ歩み寄り、頭を下げた。拭き切れていなかった水滴が髪から床へと落ちる。
「……言い訳はなしか」
膝の上の握り締めた有利の両手の拳が震えているのは、コンラッドにも傍らにいる村田にも見えた。
「おれ、あんたに言ったよな?結婚までは待てって言ったよな?まだは十六歳だって、それこそ暗示する勢いで繰り返したよな!?」
「……陛下の言いつけに背いたことには、何の言い訳もありません」
「じゃあどんな言い訳ならあるんだよ!」
振り上げた右拳が激しい音を立ててテーブルを打ちつけた。
立ち上がった有利の鋭い視線を受けて、コンラッドは曲げていた腰を伸ばして、まっすぐに主の目を見返す。
「俺は……」
「待って、有利!コンラッドだけ怒らないでっ」
脱衣所から飛び出してきたもまだ髪は濡れて水滴を滴らせた状態で、おまけにワンピースの背中の紐も括れていない。有利の怒鳴り声にたまらず飛び出してきた様子のから、ヨザックは巧みに視線をずらした。
今はそれどころではない幼馴染に、後で制裁を受けるようなことになっては堪らない。
「ああ、にだって言いたいことは山ほどある!お前、まだ高校生だぞ?結婚だってしてないんだぞ!?コンラッドが好きなのはいいよ!でもそういうことまでしちゃうのは早いだろ!?」
「早いか早くないかなんて有利が決めることじゃない!」
「だから高校生だって、結婚前だからだって言ってるだろ!?」
「好きな人にもっと触りたいって思ってなにがおかしいの?もっと傍に寄りたいって思うことはそんなにおかしい?」
「好きだったら何してもいいってもんでもないだろ!おれはコンラッドならお前のこと大事にしてくれるって信じてたから預けたんだ!なのにこんなにあっさり手を出しちゃってさ!」
「あっさりなんかじゃないわ!コンラッドはちゃんと……っ」
「渋谷、そろそろ」
加速しそうな兄妹喧嘩に、横で聞いていた村田が友人を止めようと口を挟みかけたが、勢いがついた有利は止まれなかった。
「あっさりだろ!本当に好きだったら我慢できないはずないだろ!?結局コンラッドが言った『大事にする』なんてそんなもんだったんだっ!」
「陛下それは違……」
コンラッドが一歩踏み出した先で、眉を吊り上げたが右手を振り上げる。
「あ」
「あ」
!待っ……」
乾いた音が部屋に響き、有利は呆然と左の頬に手を添えた。
は涙の滲んだ目で有利を睨み付ける。
「コンラッドのこと、そんな風に言わないでっ!」
今までどれほど激しく喧嘩をしたときでも、本気で有利に手をあげたことはなかった。それは有利も同じだ。
有利が右手を振り上げて、は痛みを予測して強く目を瞑る。
だが覚悟した衝撃は襲ってこず、代わりにぺちりと小さな音を立てて有利の平手が当てられた。
拍子抜けしたは目を開けて、正面の双子の兄を見上げる。
「言い過ぎたかもしんないけど、でもおれは謝らないからな!」
有利が怒ったように、ただ勢いのように大声で宣言すると同時に、三度無断でコンラッドの部屋の扉が開いた。
「やっぱりここか。何の騒ぎだユーリ。旅行の手配はしておい……」
入ってきたヴォルフラムは、数分前の村田やヨザックと同じように扉を開けた状態のままで部屋の様子を見て固まった。違ったのは、その顔が怒りで紅潮し始めたことだ。
コンラッドはを止めようと手を出した状態のままで、やはり声も出ない様子で硬直していた。
「あーあ……」
村田は額を押さえて天井を見上げたが、ヨザックはその横顔が笑いを堪えているのを見た。
「あ、ヴォルフいいところに来てくれた。チケットとか宿はとれそ……」
の頬を軽くだけ叩いた右手を引いてヴォルフラムを振り返った有利は、その瞬間に駆け寄ってきた婚約者に襟を掴まれ締め上げられる。
「ユユユユユーリ!き、きき貴様あっ!!」
「な、何!?なんだよ!なんでコンラッドじゃなくておれを締め上げ……苦し……」
「自分で何をやったか判ってるのか!?お前はに求婚したんだぞ!実の妹に!ぼくというものがありながら!」
「はあ!?」
「あっ!」
自称婚約者に襟を締め上げられた有利はわけの判らない話に眉をひそめたが、は自分の右手を見て、それから慌てて恋人を見た。
青ざめた様子でコンラッドが溜息をついて、笑いをかみ殺した村田が怒り心頭のヴォルフラムに軽く訂正をした。
「違うよ、フォンビーレフェルト卿。それは間違いだ」
「そう!事故なの!というか、間違いなの!」
も身を乗り出して必死に訴えたが、村田は有利の顔を掴んで無理やり右を向かせる。
「いてっ!村田っ」
手加減した有利とは違って、には強めに叩かれた左頬は赤くなっていた。
「渋谷が求婚したんじゃなくて、今のは求婚返しだよ」
「え!?……あ、そっか!」
無理やり横を向かされて、村田の顔を見ながら遅まきながら有利もようやく気がつく。
左頬を平手打ちするのは、眞魔国の貴族間では古きゆかしい求婚の作法だ。
今時では見ないくらいに古めかしい作法らしいが、魔王が求婚の際に使用したということで、近年再び流行っているなんて話を聞いて、落ち込んだ覚えもある。
「そうだ?そうだだと!?認めたなユーリ!に求婚返ししたと認めたな!?」
「認めてねえ!違う、誤解だっ」
自分の行動を思い出しただけの有利の呟きは、頭に血が上った状態のヴォルフラムに曲解して捉えられていた。
「そんなのぼくは認めないからなーっ!」









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