ようやくに笑顔が戻って、ほっとする。 重ねた唇も、舌で辿る口内も、もう朝ほどはっきりと高熱を感じさせることもなく、そのことも合わせて二重に安心した。 「……そっか」 キスの後、は俺の胸に身体を預けて小さく呟く。 「なに?」 乱れた闇色の髪を指先に絡めながら訊ねると、は俺にもたれたまま首を捻って顔を上げた。 「自分がね、恥ずかしくて嫌になるくらいに嫉妬して、そればっかりになっちゃって、間違ってるって思うのにどうして止められなかったのかなって思ってたの。……それで、きっと思い出には勝てないのが怖かったんだなって……」 はっきりとは言わなかったが、やはり魔石のことが引っ掛かっていたんだろう。俺の心がまだジュリアのことを忘れていないと、それが不安だったのかもしれない。 そんなことはないのだともう一度念を押す前に、は小さく唸りながら顔をしかめた。 「我ながら小さいなあ……」 反省するようなその様子に、つい笑みが漏れる。 「それが俺に対してなら、俺は大歓迎なんだけどな」 額にキスを落とすと、はくすぐったそうに首を竦めた。 時を紡ぐ風に寄せて(10) 「さ、。もうベッドに戻って。身体を休めないと」 腰を抱き寄せ場所を移動して枕元を空けると、をゆっくりと寝かしつける。 の手が俺の背中に回って服を握り締めた。 昨日はこの役をキアスンがやっていて、変に嫉妬したんだった。が緊張したようにキアスンの服の端を握っていた様子が、まるで二人の床入りの瞬間のように見えたと……。 だけどこうやってからも抱きついてもらえると、これが俺とキアスンとの差だと実感できて、それはそれですっきりした。そうか、俺はまだあれを気にしていたわけか。 よりよほど俺のほうが小さいような気がする。 「……あの、コンラッド?」 寝かしつけた後も覆い被さったまま、身体を起こさず枕の位置を整える俺にが首を傾げた。 「キスだけ」 「も、もういっぱいしたし……」 「もう一回」 横たわったの姿勢を整えると、返事も待たずに唇を重ねる。俺の肩を掴んで押しのけようとしていた力が弱まった。 舌先で軽くの舌を辿ると、くすぐったいのか小さく震える。そんな風にキスを楽しんでいたら、うっかり肘が当たって脇に避けていたスープ皿を盆ごとベッドから落としてしまった。 「お皿!」 「ああ、しまった」 金属の盆が床にぶつかり、陶器の皿が割れる激しい音が響いて、が驚いたように俺を押しのけ、俺も素直に身体を起こした。 だが。 その瞬間、ノックもなしに扉が開いた。 「コンラート!今の音は何です!?何がありました!」 剣に手を掛けた状態で飛び込んできたキアスンは、ベッドの上の俺たちを見て固まった。 俺の下でも硬直している。 「……コンラート……あなた、何をしているのですか?」 「待て、違うキアスン」 キアスンが飛び込んできたタイミングもまずかった。キスの最中ならの手も俺を誘い込んでくれていたのに、皿が落ちた音に俺を押しのけた直後のこの体勢。 そして入ってきたのがユーリだったなら、の対応も違ったかもしれない。 だがキアスンと俺のやり取りに硬直から解けたが最初にしたことは、顔を真っ赤に染めて、乱れた胸元を握り締めるようにして掻き合わせることだった。さっきの話し合いの前にじゃれたはずみで、少し緩んでいたせいだ。 「コンラート!あなたが同じ過ちを繰り返すとは思いませんでした!」 そのを見たせいか、青褪めていたキアスンの顔が一気に紅潮する。 「今朝方もそれで殿下の熱が上がったと言うのに、本当に看病をする気があるのですか!?やはりあなたはしばらく殿下のお傍を離れるべきです!」 「違う、誤解だ!」 それ以上を言わせてはならないと、慌ててベッドから飛び降りる。 俺とが朝に交渉したと知っているのは、当事者の俺と、それに朝の診察に訪れた医師と、キアスンだけだ。 朝、診察に訪れた医師は、俺がの身体に残してしまった跡を見つけて熱が上がった原因を悟り、キアスンはこの城の次期当主としての責任感での病状を知りたかったことに加え、ジュリアのことで揉めていたらしき俺たちの経過に責任を感じていたこともあって医師の診察の結果を隣室で待っていた。 俺が病気のを抱いたと知ったときの二人の呆れた冷ややかな眼差しは、それはもう痛かった。 だがは熱や脈を診た診察の間も疲れきって泥のように眠っていたから、キアスンたちに朝のことを悟られているとは知らなかったのに。 止めようとした俺が駆け寄るよりも早く、キアスンは衝撃を受けたように首を振って続けてしまう。 「私はてっきり合意の上かと……ま、まさか朝も今のように無理やり……!」 「待て、誤解だ!」 これ以上、の前でベラベラ喋らないでくれ。 おまけに朝も今も無理やりなんてしていない! 俺が飛び掛るような勢いでキアスンの口を塞いだ時には、肘をついて半身を起こしかけていたはすべて悟ってしまっていたようで、唖然として呟く。 「……え?………朝って……え、嘘……な……なんで……」 「、落ち着……」 俺がキアスンから手を離して宥めようとするより早く、混乱しながら、だがキアスンと目が合うと、は涙目で顔を真っ赤に染めブランケットを抱き締めて、頭までベッドに潜り込んだ。 「嘘ーっ!やだあっ!」 話題が話題だけに、女性のの反応に、俺を叱り付けるような姿勢だったキアスンも顔を赤らめて視線を逸らす。 「も、申し訳ございません。その、わ、私はこの城の主代行として、殿下の病状が悪化したなら、その原因を知る必要があったので……」 「もういい、よせキアスン。あとは俺が説明す……」 「もう二人とも出て行ってーっ!!」 枕が飛んできた。 俺との進展度をキアスンに知られたと判ったは、ベッドの中に閉じ篭ってしまった。 これは俺やキアスンが傍にいると休むどころではないと、床の割れた皿だけ掃除して、早々に諦めてユーリを呼びに部屋を後にした。 「すみませんでした……女性の殿下にあのような話題を」 廊下を並んで歩きながら言い難そうに謝られても、俺としてはすみませんで済むかと言いたい。確かに元の原因は俺なんだが。 「は本当にああいう話題には弱いんだ……俺と二人きりでもあまり……」 「ですが、もう婚約を交わされて久しいでしょう。いつご結婚かと一部では噂されているほどではありませんか」 「まあな」 その一部がどの筋なのかは既に押さえているのだが、俺がその情報を規制する気がないので、未だに野放し状態になっている。ある意味では、地方に行くほど結婚が近いと思われていても当然だろう。 「キアスン、ひとつ注意しておくが、この話は絶対陛下のお耳には入れないように」 「はあ……」 頼りない返事に、強く念を押して置く。 「陛下には、正式に婚姻するまでは、決してそういうことをしてはならないときつく言い含められている。陛下はを溺愛なさっているから、事が知れると大事に……」 「陛下のお言葉に背いているのですか!?」 廊下で声を裏返して叫ぶキアスンに、慌ててその口を塞ぐ。 「声が大きい!」 キアスンは何度か頷いて、俺が手を放すと襟元を直しながら息を吐き出す。 「まさかあなたが陛下のお言葉に背くほど強引とは……」 「待て。誤解がないように言っておくが、の意思をまったく無視してことに及んだことはないぞ」 必ず一応の合意は取り付けていると付け足しておくと、キアスンは引きつった笑いで溜息をつく。 「一応ですか……」 一応でも許可が降りることが重要なんだ。がどれほど男を苦手としているか、実感がないキアスンには判るまいが。 そう思った俺の内心を知ってか知らずか、キアスンは苦笑を滲ませた。 「私はあなたを誤解していたかもしれません。こんなに情熱的だったなんて。それとも殿下だからこそですか?……あの頃もそうであったなら……今と何か違っていたでしょうか」 廊下に冷たい風が舞い込み、静かな沈黙が降りる。 だが俺はすぐに笑って首を振った。 「キアスン、お前までなんだ」 「あの頃の私は、あなたが兄になってくれたらと何度もそう思って」 「それは、ない。どうあってもお前のその望みは実現しなかっただろう。俺とジュリアはそんな意味で思いを通わせたことはなかった」 「それは先にグランツとの婚約があったから……!」 「先も後もない。過去にもしもは存在しない。事実があるだけだ。アーダルベルトとの婚約を快く思っていなかったのは、お前であってジュリアじゃない」 きっぱりと否定すると、身を乗り出していたキアスンは俯きながら首を振り、再び溜息をついた。 「……私の願望ですか」 「そう。アーダルベルトとの婚約が破談になればいいと願った、お前の願望だ」 「ではあなたは」 真摯な目で俺を振り仰いだキアスンは、まるで真実を見極めようとするかのように、俺の目を真っ直ぐに見据える。 「あなたがそう願ったことは、ないと?」 「……友人の幸せを願うことはあっても、不幸を望むことはない」 「姉は、ジュリアはどこまでも友人だったと?」 「俺たちの間に確かにあったのは、それだけだな」 息を詰めて俺を見上げていたキアスンは、気の抜けたような息を吐き出して、肩の力を抜いた。 「無粋なことを聞きました」 「いいや、お前はジュリアの弟だから、気にするのも無理はないさ。だがそんなつもりでいたから、言い訳が必死になってますますに疑いを持たせたんだろうな」 「す、すみません」 「俺の婚約に波風を立てる気か?」 「まさかそんな!」 慌てるキアスンに冗談だと笑って告げたとき、ちょうど前方からユーリの声が聞こえた。 「あれー?コンラッド、は?あんたが看病してたんじゃないの?」 「ええ、そのつもりだったんですが……」 ヴォルフを連れて駆け寄ってくるユーリに、眉を下げて困ったように苦笑して見せる。 「に追い出されまして」 「なんで!?」 「口付けを交わしているところをキアスンに見られてしまって。照れたんでしょう」 「あんたら……」 ユーリとヴォルフが呆れたように目を細めて俺をジロリと睨みつけたが、キアスンは別の意味で呆れたように小さく呟く。 「口付け……」 そんなものじゃなかっただろうという意味を含んだ呟きは、しかしユーリには聞こえていなかったようで、申し訳なさそうな顔でキアスンに謝る。 「そりゃ居心地悪かったよなー。悪いな、キアスン。あいつにはきつく言っておくから」 「あ、いえ、そんな……」 口付けくらいで?と言いたげなキアスンは、ちらりと僅かに俺を見上げる。 判っただろう。キスでもユーリはこうなんだ。これで婚前交渉が知れたらどうなることか。 「コンラッド、あんたもだぞ!人ん家で変なことはするなよ!」 「はい、すみません。でも変なことじゃないですよ」 「どこが!?」 「無駄だ、ユーリ。こいつはこういう奴だ」 ヴォルフラムが眉をしかめてユーリの肩を叩き、先へ行こうと促した。 「のところへ行こう。看病が必要だろう」 「ヴォルフの言うとおり、お願いします。今、陛下をお呼びしようと部屋に向かっていたところなんです」 俺が悪びれもせずにお願いすると、ユーリとヴォルフは仕方がないと苦笑を見せての部屋へ向かって歩き去る。 「……コンラート、あなた……」 その背中を見送って、キアスンが俺に呆れた声と目を向けた。 |