有利たちが部屋を出て行って、一人傍に残ったコンラッドは、ベッドサイドに持ってきた椅子に座って、わたしの頬を優しく撫でてくれた。 「ごめん、。つらいときに騒いでしまって」 しゅんと萎れてそんなことを言うコンラッドに、ゆっくりと首を振る。 「ううん、わたしこそごめんね……」 「が悪いことなんて、何にもない。俺が狭量だからいけないんだ」 そう言って、コンラッドはわたしの手を取って甲を額に当てる。 わたしの手を額に当てて、反省したような表情で眉間にしわを寄せて目を閉じているコンラッドに、わたしもゆっくりと瞼を降ろした。 まっすぐコンラッドを見ることができない。 ごめんねコンラッド。謝っているのは、コンラッドが思っていることじゃないの。 さっきの場面を見て怒ることが狭量だというのなら、わたしはもっとどうしようもない。 こんなことしても、意味なんてないのに。 時を紡ぐ風に寄せて(5) わたしが目を閉じたから眠ろうとしているか、それとも眠ったと思ったのか、コンラッドはそっとわたしの手を降ろした。 急いで目を開けて、ベッドの中にわたしの手を入れようとしていたコンラッドの服の袖を掴む。 「傍にいて」 コンラッドは驚いたように目を瞬いて、すぐに柔らかく微笑んだ。 「どこにもいかないよ。ここにいるから、安心して休んでいいよ。今度はちゃんと朝までここにいる」 さっき目を覚ましたときコンラッドがいなかったことに不安がっていると思ったのか、コンラッドの優しい言葉に急に泣きたくなった。 恥ずかしくて。 ごめんね、違うの。そうじゃないの。コンラッドに傍にいて欲しいわけじゃなくて……傍にはいて欲しいけど、一番の理由はそうじゃない。 フォンウィンコット卿は、亡くなったジュリアさんとコンラッドは友人だったと強調していた。それを信じたいし、もしそうじゃなくてももう亡くなってしまった人なのに、こんなこと考えるのは酷いって思う。 けど、だけど。 コンラッドはこの城に二年ほどいたと、フォンウィンコット卿が言っていた。 コンラッドにとってこの城は、ジュリアさんとの思い出がたくさんある場所だから。 だから、あちこち歩いて回って欲しくない。何かの拍子に、ふとしたことで、その人のことを思い出すかもしれない。その思い出に浸って欲しくない。 なんて狭量なんだろう。 ひどく我侭で、それもただ我侭なだけじゃなくて、すごく嫌なことを考えている。 コンラッドには、到底本当のことは言えない。 恥ずかしくて、情けなくて。 「?」 コンラッドの指がそっと目尻を撫でて、心配そうにわたしを覗き込んでいた。 「熱が上がってるんだ。必ず傍にいるから、眠って」 溢れかけた涙が熱のせいだと思っているのかコンラッドの優しい言葉に、ますます泣きたくなって慌てて目を閉じる。 「早く……血盟城に帰りたい……」 「熱が下がったらね。今はとにかく安静にすることだけを考えて」 今のわたしはすごく醜くて、そんな自分を決してコンラッドに知られたくないなんて、願っている。すごくずるい。 嫌い。こんな自分は、大嫌い。 今のわたしをコンラッドに見せるのは嫌で、でもコンラッドがわたしから離れてジュリアさんのことを思い出すのはもっと嫌で、ベッドの中に頭まで潜り込んで、手だけを出してコンラッドの袖を握り続けた。 ……吐き気がするほど、いやらしい。 「、そんなに潜り込んだら息苦しいだろう?」 コンラッドがブランケットの上から優しく宥めるように撫でてくれたけど、顔を出すのが嫌で首を振る。 苦しいよ。でもそれは、丸まって息苦しいんじゃなくて、自分で自分を押さえることができないずるさが苦しいの。 わたしの傍にいて、その人を思い出さないで。 いやだ、こんなこと考えたくない。 右手でコンラッドの袖をぎゅっと握りながら、左手は胸を押さえる。ズキズキと痛むのは、良心なのか、それとも。 コンラッドの袖を握る右手を離したいのに、離せない。自分がどうしたいかは判っているのに、そうできない。 苦しい。胸が痛い。 嫌い。こんなわたしなんて大っ嫌い! でも、コンラッドには嫌われたくない。 「……助けて……」 誰に言っているのか判らない。ただそう呟いて、ベッドの中で丸くなってそのまま眠るまで、声を殺して泣き続けることしかできなかった。 最悪な気分で目が覚めた。 眠っている間に夜は明けていて、カーテンの合間から光が差し込んでいる。 夢を見た。コンラッドが出てきたこと以外はどんな夢か覚えてないけど、きっと嫌な夢だった。胸がどんよりと重い。コンラッドの夢を見て気分が悪いなんて。 「、起きた?何か欲しい物はある?」 本当にずっと傍にいてくれたらしいコンラッドは、目を開けたわたしにすぐに気がついて、額に手を伸ばしてきた。 「まだ熱は下がってないな。スープぐらいなら食べられそう?水ならここにもあるよ」 心配そうな様子のコンラッドに、あんな我侭で徹夜までさせたのかと思うとたまらなくなる。 「いらない。ずっといてくれてありがとう。また寝るから、もうコンラッドも休んでいいよ」 ブランケットを引き上げて、コンラッドに背中を向けて早口にそう告げるので精一杯だった。 本当は傍にいて欲しい。でもコンラッドは一晩中わたしについて徹夜している。昨日王都から来たのに、わたしの汚い我侭で疲れているのに無理をさせた。 ……それに、部屋で休むだけなら、懐かしい場所を回って思い出に浸ることもない……。 嫌だ。起きたばっかりで、心配してくれるコンラッドの前で、傍に居続けてくれたコンラッドの身体を気遣ってじゃなくて、こんなことを考えて。 「うん、眠って。ちゃんと俺はここにいるから」 「もうコンラッドも休んでいいんだよ。徹夜したんでしょう?」 「一晩や二晩くらいはなんてことない。俺がここにいたいんだよ」 「わたしの我侭に付き合わなくていいの!」 「我侭なんて。俺を指名してくれて嬉しかったのに」 優しくされるほどつらくて、でもそれすらも自分勝手で、耳を塞いでしまいたくなった。 奥から淀み濁っていくかのような感覚が胸を満たしてきて、声にならない悲鳴を飲み込んで、またベッドの中に身体を折り曲げるようにして丸まる。 「、どうかした?苦しいならすぐに医者を……」 「違う、いいの、そうじゃない。いいからコンラッドはもう休んで」 「そんな、……一体どう……」 ノックの音がして、困惑したコンラッドの声が途切れた。 すぐに扉が開く音と有利の声が聞こえる。 「コンラッド、の具合はどう?」 「あ、陛下。それが……」 「わたし、有利がいい。有利に傍にいてもらうから!」 タイミングよく来てくれた有利に逃げ込むように、ブランケットを跳ね上げて振り返る。 だけどわたしは間違えたのだ。 その瞬間、コンラッドが酷く傷ついた顔をしたのを見てしまった。 わたしと目が合うと、すぐにコンラッドは傷ついた表情を消して困ったように笑う。 「……俺に気を遣ってるなら」 「違うの、そうじゃない。ううん、コンラッドに休んで欲しいのは本当で、でもあの、わたし、そうじゃ………なくて……」 そんな綺麗な、優しい感情で言ったんじゃなくて。 どこまでも、自分勝手で。 「お願いだから、コンラッドも休んで」 泣きたくなった。でも、わたしが泣くのは違う。間違ってる。今泣いても、それは自分を憐れんだ涙だ。 そんな涙をコンラッドに見せたくない。 「うん、の言う通りだよ。コンラッドは徹夜したんだから、一旦寝ろよ。にはおれがついているしさ」 事情は判っていないはずだけど、有利が部屋に入ってきてそう言うと、コンラッドは有利を振り返って、それからまたわたしを見て、また有利を振り返った。 「ですが」 「『ですが』はなし!昨日も言ったろ。メシを抜くのも、病人の傍で飲み食いするのも禁止って。丸一晩看病したんだから、休憩も入れろ。あんたが倒れたらが責任を感じるじゃないか」 「これくらいで倒れたりしませんよ」 「倒れなくても、に心配を掛けるのも禁止。判ったらさっさと用意してもらった部屋に行って寝て来い」 ベッドの傍まで来た有利に強く言い聞かされて、コンラッドはわたしを振り返ってしばらく黙った。 ズキズキと自己嫌悪に痛む胸を押さえているわたしがどう見えたのか、コンラッドは小さく息を吐く。 「判りました。では一時間だけ」 「短っ!そりゃあんた短いよ」 「それだけ眠れば十分です。それ以上は俺からを取り上げないで下さい」 「あんたさあ………いや、もういいや。何も言うまい。判ったよ。次にあんたが帰ってきたらまた交代な」 「はい。じゃあ、少しだけ席を外すけど、俺に用があったらすぐに呼んで。必ず駆けつけるから」 椅子から立ち上がったコンラッドが腰を曲げて、わたしの頬を撫でてそう言い含めて、わたしはぎこちなく笑い返すことしかできなかった。 コンラッドは、こんなにもわたしのことを心配してくれているのに、わたしは。 コンラッドの後ろで有利は両手を腰に当てて、呆れたような溜息をつく。 「コンラッドの部屋は、以前使ってたところを用意してくれてるって。あんたここにしばらくいたことがあるんだってね。場所は判るよな?」 有利の言葉に、一瞬でまた胸が詰まったような気がした。 「ええ。でも、あそこですか……あそこは……」 「あそこはなに?」 途中で言葉を切ったコンラッドに首を傾げた有利は、わたしの手がコンラッドの服を掴んだことにすぐに気付く。 「なんだよ……」 「やっぱり陛下より、俺がいるほうがいい?」 「やっぱりってなんだよ!」 「いえ、他意はありませんが」 「他意を感じまくりだ!」 目くじらを立てて抗議する有利を宥めようとするコンラッドは、すごく嬉しそうで。 わたしはこの人の、何を疑っていたんだろう。 亡くなったジュリアさんという人が、もし昔の恋人だったとしても、違ったとしても、今ここで、こんなにもわたしを大事にしてくれるこの人の、何を。 掴んでいたコンラッドの服を手放して、小さく息を吐いた。 「ううん……大丈夫。ごめんね、コンラッド。お願い、ゆっくり休んできて」 何が大丈夫で、何に謝っているのか。 コンラッドには判らないだろう。 わたしが首を振ってそうお願いすると、コンラッドは眉を下げて軽く息をついた。 「徹夜くらい大丈夫なのに」 「看病されるほうの気持ちが大丈夫じゃないっての。あんたそんなにから離れたくないのか」 「それもあります。それにあの部屋だと、ここから少し離れているんですよ」 「少しだろ!?」 呆れた有利はコンラッドの背中を後ろから押し出した。 「いいから休んで来いって!今からあんたが寝て起きたら、ヴォルフを起こすのにちょうどいいくらいの時間になるだろうから、そっちもよろしく」 今度は後ろから押されたコンラッドが呆れたような声で振り返る。 「あいつ、ここでも陛下の寝室に忍び込んだんですか?」 「むしろ外でこそ、目を光らせないとおれが浮気するって主張してたよ。あんたの弟どうにかしてくれ」 ガシャンと大きな音がして、コンラッドと有利が振り返る。 わたしがベッドサイドの水差しを落としてしまったから。 「あーあ、。大丈夫か?濡れてない?」 「すぐに替えのシーツと水を持ってきます」 「いい!大丈夫、ごめんなさい!シーツは濡れてないし、喉も乾いてないから!」 コンラッドが駆け出そうとして、慌てて引き止める。有利も落ちた水差しを拾い上げようと腰を屈めながらコンラッドを止めた。 「そういうのがいるならおれがするから、あんたは休めって。何度言や判ってくれるんだよ」 その襟元から紐が覗いて、青い石が服の下から滑り出てきた。 青い、魔石が。 「ですが……」 「『ですが』はなし!ほら行った行った!」 有利がまるで追い払うように手を降って、コンラッドは心配そうな目をわたしに向ける。 「、本当に俺がいなくても……」 「し・つ・こ・い!おれじゃ不足だって言うつもりか!?」 「いえ、そんな」 「じゃあ部屋に行けって」 コンラッドは溜息をついて、有利に頭を下げた。 「では、をお願いします」 「はいはい、頼まれました」 有利がなおざりに頷いて、コンラッドはわたしに視線を戻す。 「、いつでも俺を呼んでいいからね」 「………うん。………ごめんね、コンラッド」 「いいんだよ。俺がしたいからしてるだけなんだから」 優しく微笑んだコンラッドは、わたしが謝っている本当の理由を、知らない。 |