が他の男に身を寄せているところを目撃するなんて、一回だけで充分だ。
爪先に体重が移動しかけて、それを堪えて踵を踏みしめる。今ここで一歩でも動いたらキアスンを締め上げそうだった。
判っている、そういうことじゃない。そう、ちゃんと判ってる。高熱に苦しむの前で騒ぎは禁物だ。
目に飛び込んできた光景に、数秒の間に心の中で何度も言い聞かせてから口を開く。
「キアスン」
よし、冷静な声が出せた。
俺自身はそう思って言葉を続けようとしたのに、何故か左右からユーリとヴォルフが俺に取り付いて悲鳴を上げた。
「落ち着けコンラッド!」
落ち着いてますよ。
「いいかコンラート!病人の前では騒ぐな!」
騒いでいるのはお前だろう。


時を紡ぐ風に寄せて(4


陛下と殿下をお呼びした地点が王都から大幅にずれました、と眞王廟からの報せが届いたのは昨日のことだった。本日に血盟城内に呼び出せるはずだったのに、二人の到着は明日、王都から遠く離れた地になる、と。
血走った目で眞王廟からの手紙を読み上げていたギュンターは、そこで唐突に黙り込んだ。
おまけに急に興奮から覚めたかのような冷静さを取り戻した表情になって、おかしなことを言い出す。
「陛下と殿下のお出迎えには私が行きます。コンラートは王都に残りなさい」
「突然何を言い出すんだギュンター」
「まったくだ!大方ユーリやと遠方で一泊などと企んでいるのだろう!王佐が王の不在時に王都を空けるなど言語道断だ!」
「私の陛下へのまごうことなき忠誠と、殿下への純粋な敬愛を汚すがごとき言いようはおやめなさい、ヴォルフラム!」
「まごうことなき忠誠が聞いて呆れる」
「失礼な!どこにケチをつける要素があるというのです!」
放っておくと違う方向へ流れていきそうな言い合いに、修正を加えようと割って入った。
「何にしろ、ヴォルフの言ったことのほうが正当だろう。王佐が王都を空けてどうする」
「お黙りなさいコンラート!いつもいつもいつもいつもいっっつも!!陛下と殿下のお傍に上がってばかりのあなたに言われたくありません!!たまにはあなたが留守居役を引き受けてもバチは当たりませんよ!」
「それは役職や立場の差だ。当然だろう?俺は陛下の護衛で、の婚約者だ」
「護衛なら私にも出来ます」
「出来る出来ないの問題ではなく。大体、お前に陛下の護衛が出来ても、俺に陛下の代行はできない。それは職分を越える。適材適所だと思って諦めろ」
ユーリやのことで無茶を言い出すのはいつものことだが、今回はそれにしたって妙に頑なだ。
ギュンターが俺に食って掛かってくる隙をついて、その手からヴォルフラムが手紙を抜き取った。
「ヴォルフラム!」
「それで結局どこに出てくるん……だ」
手紙を取り返そうとするギュンターを避けて内容を確認していたヴォルフラムは、俺が近づくと急に先ほどのギュンターのように手紙を握り潰して、その拳を背中に回した。
「今回はぼく一人で行く。二人で留守番をしていればギュンターも文句はあるまい」
「大アリです!陛下と殿下のお傍にいつもいつもいつもいつも上がっているのはあなたも同罪ですよ!」
「ぼくはユーリの婚約者で、の義兄なんだから当然だろう!難癖をつけるな!いいなコンラート、お前はギュンターを見張っていろ。こいつが王都を抜け出せば、それだけ政務が溜まって結局はユーリにしわ寄せがいくんだからな」
ギュンターだけならともかく、ヴォルフラムまでおかしなことを言い出して、どうやら二人の到着場所に俺を近づけたくないらしいということが判ってきた。
二人が俺に気を遣いそうな場所というといくつか思いついたが、その中でも有力候補は二つだ。
アルノルド周辺と、グリーセラ家の周辺。
だが答えはそのどちらでもなかった。
「二人とも、いい加減にしろよ。ギュンターは職分を守れ。ヴォルフは、まず陛下の安全を第一に考えろ。護衛の数を減らそうなんて言語道断だ」
二人を叱りつけながら、ヴォルフラムの手から手紙を取り上げた。
「コンラート!」
二人の咎めを無視して文面に目を通し、拍子抜けして目を瞬く。
「なんだ、ウィンコット城の近くじゃないか。だったら余計に俺が行くべきだろう。あの辺りなら、この中では俺が一番良く知っている」
「そういう問題じゃないだろう」
ヴォルフラムが溜息をつけば、ギュンターが深く頷く。
「陛下だけならよいですが、殿下もご一緒なのですよ?」
言いたいことは判らないでもないが、やっぱり俺としては呆れ返るしかない。
「お前たちは変な気を回しすぎだ。キアスンにも長く会っていない。オーディル殿も近年は病がちだというし、見舞いもできてむしろちょうどいい機会だ」
ギュンターはまだ何か言いたげにしながらも口を閉ざしたが、ヴォルフラムはまだ食い下がってくる。
「お前はときどき、ひどく無神経だ」
「酷い言われようだな。俺がとウィンコット城に入って何が問題だって言うんだ」
「ウィンコット家は魔王陛下に忠実だ。王妹ののことだって疎かにはしない。そんなことは判っている。そうではなくて……」
ヴォルラムはムッと眉を潜め、不愉快そうな表情で溜息をついて首を振った。
「ヘマだけはするなよ」


ヴォルフラムとギュンターが何を気にしているのか、おおよその検討はついたがそもそも俺とジュリアは最後までいい友人であって、やましいことなど一つもなかった。
それで何をどうヘマするというのか。
だがウィンコット城へ到着してみれば、俺のヘマ云々の話ではない事態が起こっていた。
キアスンの腕の中で大人しく抱き寄せられているを見たときは、最初その光景を上手く飲み込めなかった。
ユーリでもなく、俺でもない男を相手に、が身を預けるなんて。
事情はユーリの説明ですぐに判ったし、キアスンも俺にを返そうとしたから、それで納得しかけたのに、がキアスンを放さないと聞いて僅かに胸が騒いだ。
それでもその時点ではまだ、とにかく傍にいる相手に縋ってしまうほどが苦しいのかと、嫉妬よりも心配が上回っていた。
だがキアスンが馬から降りようとを抱え直し、が更にキアスンに擦り寄って、不快指数が一気に上昇する。
それだって、が悪いわけでも、キアスンが悪いわけでもない。
その怒りにも似た身勝手な感情を収めたのは、を運んで城に向かう途中にキアスンが告げた一言だった。
「コンラート、どうやら私はあなたに間違われているようです」
「え?」
何のことだと頭一つ背の低い年下の友人を見下ろすと、僅かな苦笑を滲ませて俺を見返してくる。
「私の服を握り締め、あなたの名前を呼んでいました。城に着くまではどうにか意識も保っておられたようですが、私をあなたと勘違いした途端に、気を失われて……よほど深くあなたを信頼しているのですね」
「そうか」
そうか……は何でもいいから傍にいたものに縋ったのではなくて……俺に縋っていたつもりだったのか。だから離そうとしないで。
それなら仕方がない。
頷き返しながら、じわじわと底で燻っていたような焦燥はそれで収まった。


だがこれはどうだ。
背中に手を回して抱え込み、ベッドにを押し倒すような格好のキアスンに瞬間的な怒りが込み上げる。
だが俺が更に愉快でなかったのは、の手がキアスンの服の端を握っていたことだ。
頭の冷静な部分では、話しているうちに容態が悪くなったをキアスンが寝かしつけたのだろう、それだけだと判断している。
俺が相手なら、も素直に身を任せたか、からも俺の背中に手を回して体勢を安定させたかもしれない。
俺でなく、ユーリでもない男が相手だからこそ、は素直に身を任せることも、自分から抱きつくこともできず、緊張した様子で男の服を握り締めた。
だがそんな些細な動作が逆に、キアスンが上から覆い被さっていた様子と相まって……まるで床入りの瞬間に踏み込んだような強烈な錯覚を呼んだに違いない。
高熱のを心配する気持ちと、込み上げた不快感と。
反発するような性質のそれだけでも複雑なのに、それを制御しなくてはという意思が間に入って余計に胸がざわつく。
「あ……の……キ、キアスン……何を」
俺に取り付いたままのユーリが上擦った声を上げると、蒼白になってキアスンはを寝かしつけたベッドから、両手を上げて跳び退った。
「あ!いえ、陛下、違うのです!コンラート、私は!」
「判っている。の具合が悪くなったんだな?」
「ええ……ええそうです」
俺が冷静に指摘すると、キアスンはほっとしたように息をつく。
「私が不注意でした。殿下のお加減がよくないことは判っていたのに、長々と話し込んでしまったために再び目眩を起こされて。それで慌ててベッドへお戻りいただこうとしたのです」
「そ、それなら仕方がないよな」
ユーリがぐいぐいと俺の腕を引きながら頷いて、俺にも頷けと合図してくる。
それに渋々だが従おうとしたのに、ベッドに戻ったの心配そうな視線と目が合うとそんな気は引っ込んでしまった。
俺がキアスンを責めることを心配しているのか。
他の男の心配を。
「確かに不注意だ」
「はい……申し訳ありません」
厳しい声で咎めると、ユーリがまた強く腕を引く。
「いや、でもほら、ってちょっと我慢強いところがあるからさ、自分の状態に無頓着だったりするし!キアスンだけが悪いわけじゃ……」
「俺がキアスンを咎めているのは、病人を相手に話し込んだこともありますが、女性の寝室に一人で踏み込んだことを言っているんです」
「ウェラー卿の仰るとおりです」
キアスンは深々と頭を下げて、ユーリがおろおろと俺とキアスンを交互に見る。だがユーリとは逆の俺の腕に取り付いていたヴォルフラムは、確かにと頷いた。
「あの、でも、フォンウィンコット卿は有利に用事があったの」
熱が上がったせいか、少し掠れた声でが説明に割って入ってくる。キアスンを庇うような必死の様子にますます苛立ちが募る。
「有利がここにいるはずだからって訪ねてきて」
「確かにキアスンだけが悪いわけじゃない。キアスンを呼び込んだも不用意だ」
不愉快を隠そうとした平坦な声色は、より判り易く俺の心情をに伝えたのか、は何か続けかけた言葉を飲み込んで、ぎゅっと唇を噛み締めて黙り込んだ。
「おい」
キアスンがの寝室に入ったのは不用意だということには頷いていたヴォルフが、招き入れたも不用意だと言うと咎めるような声で俺を突く。
「あーもう!やめやめ!病人の部屋で何やってんだよ!キアスンももちょこっと悪かった。でも理由があったんだし、それで解決したんだからもういいだろ!コンラッド、あんたはもうちょっとおれとの看病を交代しておいて、頭冷やしてこい!」
「陛下それは」
「キアスン、悪かったよ。おれのせいだよな。あれを持ってきてくれたんだろ?」
ユーリは俺を丸ごと無視して、キアスンに歩み寄って手を差し出す。
キアスンは驚いたように一度だけ俺を見たが、すぐ前で手を出すユーリに答えないわけにはいかないように、持っていた布を差し出した。
「は、はい。ですが元は我が城の者の不注意ですから」
「いや、だからそれだっておれが洗濯物でくるんだのがまずかったんだから、持って行っちゃった人を叱ったりしないでやってくれ。頼むよ」
「そんな!頼むだなんて、私こそ重ね重ねのご無礼を」
「だから、気にしないでって。おれが悪かったんだし……コンラッドにも、悪かった」
「え?」
何の話か判らないまま黙っていた俺を振り返って、ユーリは受け取った布を開いて、挟まれていた中身を見せた。
それをユーリが持っているのは当然のことなのに、一瞬ぎょっとしてキアスンと、そしての様子を、ユーリを見ながら視界の端で伺ってしまう。
キアスンは俺ではなくユーリに恐縮していて、俺を見てはいない。
そしても、そっとシーツに視線を落として俺を見なかった。
まさか、石の由来を知っている?
いや、ユーリも知らないはずのことをが知っているはずがない。
「せっかくもらったお守りの魔石を、おれの不注意で無くしかけた。だから悪かった。キアスンはこれを探し出して返しに来てくれたんだ。だからキアスンがここに来たのが悪いというなら、それもおれの責任だ」
「陛下、そんな!」
異を挟もうとしたキアスンを片手で制して、ユーリは俺を真っ直ぐに見る。
「魔石のことは、本当におれが悪かった。謝るよ。だからあんたもちょっとだけ頭を冷やして、病人の前でイライラしないでくれ」
ユーリの言うことはもっともで、俺は自分に呆れ息をついて頭を下げる。
「はい、陛下。俺こそ不適切な態度でした」
「うん。判ってくれたらいいよ。確かにだってちょっとは悪かったんだし。な、?」
「うん……」
俺が怒っているとまだ心配なのか、はおずおずと頷いて不安そうな目を俺に向ける。
高熱のに危惧を作るなんて、馬鹿なことをしたと申し訳ない気持ちになった。
「ごめん、。俺はこういうとき、本当に了見が狭い。キアスンも、悪かった」
「いえ、私が不用意だったのは事実です」
キアスンが背筋を伸ばして頭を下げて、ユーリのおかげですべて丸く収まった。部屋の空気が少し軽くなったようだった。
「まったく、自覚があるくせに器の小さい男だ」
俺の後ろでヴォルフが小さく毒づくと、ユーリは安心したように胸を撫で下ろしながら笑う。
「お前に人のこと言えんのかよ」
「どういう意味だ!?」
「だから病人の前で騒ぐなって!」
にわかに騒がしくなった部屋に苦笑して、俺は開けたままだったドアを指してヴォルフたちを促した。
「さあ、そろそろにはゆっくり休んでもらおう。キアスンとヴォルフは陛下を部屋までお連れしてくれ」
「え、ちょっと待てよコンラッド。の看病はおれがするって……」
「それは俺が頭に血が昇った状態だったからでしょう。もう反省したんですから、その役目は返してもらえませんか」
「でも」
反論しようとしたユーリが、急に斜め後ろのベッドの上のを振り返る。
が傍に立つユーリの服を指先で握って引いていた。
「有利はゆっくり休んで?」
「……あー……はいはい。コンラッドがいいんだな」
髪をかき回しながら頷いて、ユーリは素直にキアスンと一緒に部屋の入り口まで戻ってくる。俺は擦れ違いに部屋に踏み込んで、ベッドの脇まで近づいた。
一連の騒ぎでますます熱が上がったのか、はベッドの中から上気させた赤い頬と、潤んだ瞳で俺を見上げる。
そういう表情を、キアスンには見せなかったことを祈る。
……やっぱり俺は、ヴォルフの言うとおり器の小さい男だな。






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