ウィンコット城までは馬で向かえばそう遠くないという話だったが、問題は馬の数だった。 おれたちを探しに来てくれたフォンウィンコット卿デル・キアスンと部下たちは、王都からの報せに急いでいたために、余分な馬は連れてきていなかったからだ。となるともちろん、誰かが相乗りになる。 おれは別に誰と一緒でも構わないとして、問題はだった。だって、自分から家族やコンラッド以外の男に抱きつくというのは……にはかなりの忍耐を要する。 そういうことで、申し訳なくもウィンコット家の人たちで一頭を相乗りしてもらって、空けてもらった馬におれとが乗った。 手綱はおれが握る。本当はおれよりのほうがまだ上手く馬に乗れるんだけど、やっぱりおれも兄として他人の目があると意地があるわけで。 そんなわけで手綱を握ったのだが、愛馬のアオとはやっぱり呼吸が違うのか、走らせることにとにかく必死で、出発時にはしっかりと腰に回っていたの手が途中で緩んだときもまるで気がつかなかった。 時を紡ぐ風に寄せて(2) 「殿下!」 おれが遅れたりしないよう、後ろについて走っていた人の声が聞こえて、初めて腰に回っていたの手が今にも外れかけていたことに気がついた。 「え!?ちょ、?おい!?」 どうにか指先が服に引っ掛かっているけど、外れるのも時間の問題という感じなのに、は服を掴み直すどころか返事すらしない。 「おい、眠ってんのかよ、!?」 「陛下、馬の足を緩めてください!」 横を走っていたキアスンが馬を寄せながらアドバイスを飛ばしてきて、半ばパニックだったおれは慌てて手綱を引いた。 だけどもっとゆっくり止めなくちゃいけなかったんだ。 馬が急ブレーキを掛けた拍子に、服に引っ掛かっていたの指がとうとう外れ……。 「!」 「殿下っ」 急な命令に嘶く馬を止めるのに必死なおれの目に、すぐ横まで馬を寄せていたキアスンが倒れかけたをどうにか支えてくれたのが見えた。間に合ってくれた。 「ありがとう、キアスンさん。助かったよ」 「どうぞキアスンと。それより陛下、どうやら殿下は熱が出ておられるようです」 「え!?あ、濡れたまま馬に乗ってたから風邪引いちゃったかな!?」 首を捻ってキアスンが支えてくれているを見ると、確かに熱が出ているらしく頬がほんのりと赤く染まって、息も少し荒い。 「そうかもしれません。ですがそうと判断するには、私やこの者たちでは病に対して知識が足りません。急いで城に戻りましょう。失礼いたします」 そう一言断って、キアスンはを自分の馬のほうへと引き受けた。確かに、おれでは自分で掴まる力もないと同乗はできないし、何より急ぐならその方がいいのは明白だ。 幸い……と言っていいのか、とにかく自身も意識がはっきりとしていなくて、自分を抱き寄せている相手が誰だか判っていないようだから問題ないだろう。 おれもかつてないほどの集中力で、できるだけキアスンたちの足を鈍らせないように懸命に馬を走らせた。 そういうわけで、ウィンコットの若様がを懐に抱いていたのは不可抗力だ。 だけど今日のは本当に間が悪い。 ウィンコット城に着いたおれたちは、ちょうど王都から到着したばかりだったコンラッドとヴォルフラムが、そのままおれたちを探しに行こうとしていたところに出くわした。 「ユーリ!王都から外れて来るにしても、今回は遠すぎるだろう!このへなちょこ!」 「おれのせいじゃないだろ!?それより大変だ、が熱を出してて!」 「なに?」 詰め寄ってきたヴォルフラムに急いでいるんだと説明すると、キアスンの腕の中でじっとしているを先に見つけて呆然としていたコンラッドは、一度おれを振り返ってすぐにキアスンのほうへ駆け寄った。事情が判ったのだろう。 「キアスン、を」 「判りました……っと」 吹き付ける風からできるだけ庇うようにと懐深く抱き寄せていたキアスンは、コンラッドにを渡そうとして困ったように眉を下げた。 「申し訳ありませんコンラート。殿下はこのまま私が」 「え?」 「しっかりと服を掴んで離してくださりそうもありません」 おれと同乗して落ちそうになっていたさっきとは逆に、今度は離しそうもない状態らしい。 「そうか」 さすがのコンラッドもこんな緊急事態の中では少しの不平も見せることなく、あっさりと馬から距離を空ける。 キアスンが片方の鐙から足を外して、を抱えて馬から飛び降りようとすると、意識があるのかないのか、腕の中のが擦り寄るように小さく身じろぎした。 おれはぎょっとしてコンラッドとキアスンを見比べる。 けどコンラッドが特に顔色を変えることもなく、キアスンはちょっと驚いたように目を瞬いて、何故か少しだけ笑った。 キアスンはすぐに表情を引き締めて馬から降りると、を抱えて部下に指示をしながら城に向かって歩き出す。 「殿下が発熱されている、医者を。それから急ぎ陛下を湯殿へご案内しろ」 「ヴォルフは陛下についていけ。俺はの傍に……」 「待った待った!おれも一緒に行くって。の熱がただの風邪ならいいけど、違うかもって思ってたらゆっくり温まるどころじゃないしさ!」 キアスンやウィンコットの人たちはちょっと困ったように顔を見合わせたけど、おれが絡みだと引かないことを知っているコンラッドは上着を脱いで、キアスンの外套の上から更におれに被せた。 「ならせめて、少しでも温かくしてください」 「キアスン閣下が癒しを掛ける前に、既に傷口から細菌が侵入していたのでしょう。大事はありません。それほど強い菌ではないので、このまま養生されれば、二三日ほどで熱も下がると思われます」 魔術とか症状とかでを診た医者の診断に、おれたちは全員でほっと胸を撫で下ろした。 「ああ、よかった。さっきまで元気だったが急に倒れたから、すごい病気だったらどうしよかと……破傷風とかだったら怖いしさ」 「濡れたまま風に当たったのも良くなかったのでしょう。陛下もお早く身体を温められることをお勧めいたします」 「ああ、ありが……へくしゅ!」 熱があるとはいえ、の状態もめちゃくちゃ心配するほどではないらしいと安心すると、急に寒さが込み上げてきて言ってる傍からくしゃみが出る。 キアスンは柔らかく笑ってどうぞ湯殿へと薦めてくれた。そう言うキアスンも、おれとに外套と上着を貸してくれた上に、上着に包まっていたとはいえ濡れたを抱えていたせいでよれよれだ。 「いっそ一緒に入ったほうが効率いいかな?」 「そんな!畏れ多いことです!」 「ユーリ!他の男を誘惑するなっ」 「人聞きの悪いこと言うなよ!」 しかもこれが誘惑になるなら、王様のおれとウィンコットの次期領主というキアスンの組み合わせだと「よいではないか、よいではないか」の悪代官のセクハラみたいだ。……何しろ、おれは男と婚約していることになっているから……とほほ。 「だ、だったらお前もくればいいじゃん」 これ以上おかしな誤解を国に広めたくはない。慌ててヴォルフラムも勧誘すると、コンラッドを振り返る。 「じゃ、じゃあおれたち風呂行ってくるから、コンラッドはについててやってくれるか?おれにはヴォルフがついてるし」 「ええ、判りました。どうぞしっかり温まってきてください。キアスン、陛下とそれに面倒を掛けるがヴォルフも一緒に頼む」 「どういう意味だコンラート!?」 「面倒などと。喜んでユーリ陛下とヴォルフラム閣下をご案内いたしましょう」 案内するとは言ったけど、一緒に風呂に入るという提案にはイエスともノーとも聞かないまますっかりそのつもりになっているおれとヴォルフラムに、結局キアスンも諦めたようだった。苦笑して、これまた広いウィンコット城の脱衣所に男三人で服を脱いでいく。 「ううっ、寒っ!の熱が下がっても、おれが風邪で寝込んでたら笑い話にもなりゃしない。さっさと風呂に入って……あっ、と」 濡れて張り付いて脱ぎ難い服を無理やり首から抜いた拍子に、紐を引っ掛けたらしくて大事な貰い物の石を落としてしまった。 それがまた、よりにもよってキアスンの足元まで転がってしまう。 「ああ!いい!拾わなくて!おれ自分で……っ」 遅かった。 はっきりとコンラッドから聞いたことはないが、いろいろと周囲から得た情報をおれが分析した結果、あれはおそらく亡くなったフォンウィンコット卿スザナ・ジュリアの持ち物だったという答えが弾き出されている。 それが正しかったことは、キアスンの反応で判った。拾った魔石を見て目を見張ったのだ。 「これは……」 「ああああ、あの」 「何を不審な行動をしている、ユーリ」 どもりまくるおれに、既に上半身裸だったヴォルフラムはキアスンの手の中に石に気がついて軽く眉を寄せた。 「落としたのか?別にコンラートからの贈り物など、なくしたところでぼくは一向に構わないが、ぼくが贈ったブローチはなくすなよ……そういえば、また付けてきていないのか?」 また怒りモードに入りかけたヴォルフラムに、おれは慌てて両手を振る。 「い、いやだって学校行くのにブローチはつけないって!目立つから没収されるよ!」 「王であるお前のものを、誰が没収するというんだ!」 「だっておれあっちではただの高校生だぞ!?」 ヴォルフを宥めようとしながら、横目でキアスンを伺う。 正直なところ、ジュリアさんとコンラッドの関係はイマイチよく判っていない。 推測では恋人のようなものだったのかと思っていたのに、ヴォルフに言わせるとそんな話は聞いたこともないということで、おまけにジュリアさんの婚約者はアメフトマッチョことアーダルベルトだったという。 三角関係なのか、略奪愛だったのか、とにかくジュリアさんのものをコンラッドが持っていて、しかもそれがおれに渡ったという状況がジュリアさんの弟の目にどう映るのかと思うと、もう何が何だかおれにもサッパリ判らない。 だがキアスンは、出所が判るとあっさりと納得したように、小さくああと頷いた。 「失礼しました、どうぞ陛下」 「あ、ありがとう」 予想に反して、キアスンは何も聞いてこなかった。 こうなると、それはそれで今度はおれのほうが気になってくる。 果たしてコンラッドとジュリアさんは略奪愛な関係だったのかとか、弟のキアスンはそれを知っていたのか、とか。だってコンラッドがこの石を持っていたことに納得していた。 「遅いぞ、ユーリ!早くしろ。ぼくに風邪を引かせる気か!?」 気がつけばヴォルフラムはさっさと脱ぎ終わっていて、腰にタオルを巻いた状態で仁王立ちしてイライラと足踏みしている。 「わ、判った、判ったから仁王立ちはヤメロ」 タオルが落ちたら大惨事だろう。主に、見せられることになるおれのほうが。 いつもなら風呂に入るにも首に掛けている魔石だけど、どうにもキアスンのことが気になって、外したまま首に戻さず、脱いで丸めた服に突っ込んで風呂場に向かった。 |