わたしは星座とか血液型とかの占いは信じない。 だって何十億という人の運勢が、四パターンだとか十二パターンだとか十三パターンだとかで分けられるはずがない。 そういう系統立てた不特定多数向け以外の占いの場合は、当たるも八卦当たらぬも八卦くらいで、信じているとも言えるし、信じていないとも言える。要は占いの内容の良いことは信じて、悪いことは信じないようにしている。 そんな程度のこと。 でも信じていないとはいえ良いことを言われたらなんとなく気分がよくなったりする。 ……だから逆に悪いことを聞くと、なんとなく気分が沈んだり、ね。 時を紡ぐ風に寄せて(1) 「ごめんなさい!今日のアンラッキーは獅子座です!」 学校に行く準備をしていたら、時計代わりに点けっ放しだったテレビから流れてきた声に、制服のタイを結んでいた手が止まった。 振り返ってテレビ画面を見ると、獅子が泣いている絵の横に嫌な感じの文章が並んでいる。 星五つで満点の点数のうち、全体運と金運が一、健康運が二、そして恋愛運がゼロ……。 「恋人と誤解や擦れ違いの一日になりそう!無理に会おうとしないで、少し間を空けてみるといいかも。怪我にも気をつけて!」 恋人と誤解や擦れ違いなんて言われたって、会えない人とは良いことも悪いことも起こりようがない。少し間を空けるどころか、間が空き過ぎてるくらいなのに。 「この占い、恋人がいない人間にはなんのアドバイスにもなんねーな」 椅子に掛けていた学ランを羽織りながら有利が小さく不平を零すと、新聞を読んでいたはずのお兄ちゃんが顔を上げる。 「最後に怪我にも気をつけてと言っていただろう」 「一言かよ!しかも付け足し」 「テレビの星占いなんてそんなものだ。ま、占いの結果はともかく、ちゃんも有利も車に気をつけて怪我などしないようにな。今日は雨だから滑りやすいし、視界も悪い。信号無視とか駆け込み乗車は事故の元だぞ」 「おれたち小学生かよ……」 何しろ有利もあんまり占いとかは信じないし、お兄ちゃんはそれに輪を掛けて信じない人だったから、テレビの星占い結果は、そんな話題を提供した程度だった。 「……それで済むはずだったなのになあ……」 水の中から這い上がろうと岸辺に両手をついて上半身を乗り上げると、赤い液体が水と一緒に草の上に落ちた。 「ホントに怪我しちゃったよ」 這い上がってズキズキと痛む右の額、髪の生え際辺りを手で押さえるとぬるっとする。 「うわー、血だ」 右手の掌にべっとりと血がついて、嫌な気分で濡れた制服のポケットからハンカチを抜き出した。 学校に行く途中、車が跳ね上げた水溜りの水を避けたら、間が悪いことに傘を差した片手運転の自転車が角を曲がって現れて、それに跳ねられた……わけではない。 自転車まではどうにか避けたけど、代わりにどこかの家の壁に激突して水溜りの上に転んでしまったのだ。そしてそのままスタツア。額の傷は壁に激突した時に擦ったものだと思われる。 ある意味、今までで一番最悪なパターンかもしれない。 「でも公衆トイレからよりはマシかなー」 「……悪かったな。思い出させるなよ」 「あれ?有利も一緒だったの?」 「お前が引きずり込まれたから慌てて手を掴んだんだろ……って」 後ろから聞こえた声に振り返ると、岸に上がりかけていた有利はぎょっとしたように目を見開いて、水の中に転がり落ちてしまう。 「有利!」 「げほっ……!怪我、怪我してんじゃん!」 「でも顔の傷って浅くても結構血が出るし」 「お、女の子の顔に傷がーっ!!」 悲鳴を上げながら水から上がってきた有利は、ポケットや鞄を探って大いに嘆く。 「ハンカチ忘れたー!どうしておれは消毒液も脱脂綿もガーゼも持ってないんだ!」 「学校行くのにそんなもの常備している人のほうが珍しいよ」 お兄ちゃんじゃあるまいし、有利にしては大袈裟に騒ぐなあと思ったけど、たぶん場所が悪かった。顔なんて目立つし、さっきも言ったように顔の傷は、深さに比例しない量の血が出たりするし。 「わーっ!ハンカチが見る見る真っ赤に!」 「いや、あの有利、これ水が混じってるから多いように見えるだけだと……」 有利は大袈裟に何か止血に使えそうなものはと、自分のとわたしの鞄を両方ひっくり返して探っていて、わたしといえばハンカチを絞って水気を切るとまた額に当てて周りを見回す。 「それより現在地が不明なのが問題じゃない?今回、どこかの山の中の湖に出たっぽいよ。服も濡れて寒いし」 どうやら眞魔国ではもう寒さも一段落ついた後だったようで、震えが止まらないというほどではないけど、濡れたままだときつい。 「それはじっとしてたらコンラッドかヴォルフラムかギュンターが見つけてくれるって!それより傷の手当てどうしよう!」 「そんな大騒ぎしなくても、もうちょっとすれば止まるって……あーっ!」 「何?どうした!?」 「携帯が水浸しーっ」 有利がひっくり返していた荷物が散乱する中で、水浸しの携帯電話を見つけて慌てて飛びついた……んだけど。 「動く!……けど、画面が真っ暗……」 「あーあ、とうとうの携帯も壊れたか。諦めろ、むしろ今まで一度もスタツアに巻き込まなかったことのほうが、運が良かったんだって」 「それはそうだけど……手痛い出費だー」 怪我はするし携帯は壊れるし、なんて日だろうと嘆いていると、ふとテレビの星占いの声を思い出した。 今日のアンラッキーは獅子座。怪我にも気をつけて。金運も悪かった。 星占いなんて信じてないけど、不幸の連続にいやーな予感がじわりと心に広がる。 「……恋人と誤解や擦れ違いにも注意なんだっけ」 「不吉なこと言わないでよ!」 有利も同じことを思い出していたらしく、小さく呟いたので思わず怒鳴ってしまう。 「ご、ごめん」 「あー……ううん、わたしのほうこそごめん。有利に八つ当たりしても仕方なかった……」 「いや、でも、あれだよ、ほら、星占いだったらおれにも当てはまるはずだし!」 「……うん、そうだよね。気のせいだよね」 「そうそう!ってそれどころじゃないよ!の傷口を縛るものを探してるんだった!」 「傷口を縛るって、更に大袈裟になってる……」 有利が再び鞄の中身を探し出したとき、後ろのほうで土を踏む音が聞こえた。 コンラッドかヴォルフラムかギュンターさんが見つけてくれたのかな、と振り返ったら、立っていたのは知らない人だった。 「ああ、よかった!陛下、殿下、お探し申し上げておりました!」 現れたお兄さんは、唐突に地面に膝をついて緑がかった茶色の髪を土につけんばかりに頭を下げる。 「ええ!?へ、陛下っていや、そんなご丁寧に……ってことはおれを知ってる人?」 血盟城の人たちは有利やわたしの気性を知っているから、こんな非常に心苦しくなるようなほど頭を下げられるということはほとんどない。 わたしも有利も戸惑って、顔を見合わせてまたお兄さんに目を向けると、顔を上げないままで口上が続いた。 「王都より陛下並びに殿下がこちらにお出ましになるとの報せを受け、急ぎお迎えに参上いたしました」 「そ、それはどうもご丁寧に……えっと」 「お久しゅうございます。もっとも即位式のときは遠目にご挨拶申し上げただけでしたので、陛下が覚えておられないのも無理はございません。改めて、初めてお目にかかります殿下へのご挨拶と……」 言いよどんだ有利に顔を上げたお兄さんは、名乗ろうとして有利とわたしとに交互に目を向けて、急に顔色を変えた。わたしを見た途端、両目を見開いて口を半分開けて、せっかくの美形が台無しになりそうなほど、ホラー映画さながらの表情だと思ったくらい。 「殿下!お怪我を!?」 「へ?あ……」 そういえば額を擦っていたんだった。怪我をした本人が、初めて会った美形のお兄さんに、本当に眞魔国って顔のいい人ばっかりだなあと感心していたというのに、お兄さんは顔を真っ青にして駆け寄ってくる。 「そうだった!早くの怪我を手当てしなくちゃ!」 そして有利までお兄さんにつられたようにまた騒ぎ出して、当の本人が一番白けている状況だった。 「あのね、有利。そんな大袈裟な傷じゃないから。お兄さんもそんなに……」 「手当てをいたします。殿下、失礼してよろしいでしょうか」 「は、ハイ……」 あまりにも真剣な顔をして言われたせいで、大袈裟を嗜める言葉も引っ込んでしまう。 初対面の男の人の手が濡れた髪を後ろに撫で付けるように上げて、反射的に一歩下がる。傷を見るためだから仕方ないのは判ってるけど、距離も近いし顔も近くてちょっと泣きそう。 「傷は浅そうです。すぐに癒しますので今しばらくご辛抱を」 「あ、そうか、魔術で治せばよかったんだ」 有利が横で手を打つ中、お兄さんに手を握られた。 「あ、いえ、そんな魔術を使うほどの怪我じゃないですし」 謝絶しようとしたら、前と横から同時に反対される。 「何言ってんだよ!浅い傷だからって、跡が残ったらどうするんだよ!」 「どうかお任せください。私は癒しの術には長けておりませんが、心得はございます」 二人がかりで詰め寄られて、そこまで意地になって断る話でもないのでありがたく治してもらうことにした。こんな小さな傷でもコンラッドに見つかったらやっぱり大袈裟に心配しそうだし……ああ、それよりもギュンターさんに見つかったときのほうが大変かもしれない。 こういうとき、ヴォルフラムとかヨザックさんとかグウェンダルさんなら「その程度の傷か」と普通に対応してくれそうなのに。 「……これで傷は塞がったかと思いますが……」 握っていた手を放してお兄さんが一歩下がったので、濡れたハンカチで傷があった辺りを拭ってみた。 「よかった、ちゃんと治ってるよ!助かったよ、ありがとう!えっと……」 喜んでお礼を言おうとした有利は、どうやら一度会っているらしいのに覚えていないことが申し訳ないらしくて言葉を濁した。 だけどお兄さんは柔らかく微笑んで小さく頷く。 「名乗り遅れました。陛下、殿下、改めてご挨拶申し上げます。私はフォンウィンコット・デル・キアスンと申します」 「え、フォンウィンコット家の方ですか!?」 まさかこんなところで、おまけに濡れ鼠のこんな格好で十貴族の人と会うことになるとは夢にも思っていなくて、思わず声を上げてしまう。 「はい、殿下。ウィンコット当主オーディルの次男に当たります」 しかも本家の人だよ。きっと有利も同じ状態だろうと思って目を向けると、驚いていることには間違いないけど、どうもわたしとは違う驚きのようだった。 大きく目を開いて、制服の胸の辺りをぎゅっと握り締めて、慎重にゆっくりとといった感じで口を開く。 「ジュリアさんの……」 「姉をご存知でいらっしゃいますか?」 驚いたのはフォンウィンコット卿も同じだったらしい。目を瞬いて、だけどすぐに嬉しそうに表情を綻ばせた。 「姉は陛下がお生まれになられるより以前に他界したというのに、光栄です」 どうして生まれるより前に亡くなったこの国の人を有利が知っているのか不思議だったけど、それを聞く前に長い間濡れたままだったからぶるりと震えが来た。 フォンウィンコット卿がそれに気付いて慌てて外套を脱ぐ。 「失礼致しました、陛下、殿下。どうぞこれをお使いください。すぐに城までご案内いたします」 わたしより少しだけど背の高い有利に外套を、わたしには上着を貸してくれたのは妥当な判断だとは判っているんだけど……逆のほうがよかったなー……。 借りておいて贅沢な、と自分自身を叱咤して、男の人の熱が残っている上着に袖を通すと、馬を留めてあるという道へ案内されるままに歩き出した。 寒くないかとか、馬はすぐ先に繋いであるとか、城につけばすぐに王都へ使いを出すとか、フォンウィンコット卿は色々と気を使って話し掛けてくれたけど、どうも有利の表情が硬い。ほとんど初対面に近いフォンウィンコット卿は気付かないだろう程度に、なんだけど。 途中で他の方向へ探索に行っていたというフォンウィンコット卿の部下の人とも合流して、ウィンコット城まで馬で向かった。 |