一日目は移動で疲れていたから、ほとんど部屋でゆっくりして過ごした。 美味しい食事をとって、それから部屋でコンラッドとおしゃべりしたり遊んだりしている間に眠くなってきて、少しだけ仮眠を取った。 コンラッドが言っていた家族風呂は個人で入れるようになっているから予約制で、どうやら夜中にしか枠が空いていなかったらしい。予約宿を急に変えたからしかたがない。 時間まで寝てていいよと言うコンラッドの言葉に甘えて少し眠っていたんだけど、起きたらコンラッドの腕の中というのはどういう状況なんだろう。 ぎゅっと抱き締められていて、視界一面が真っ白でびっくりした。 「あ、起きた?」 見上げると、コンラッドはにこにこと上機嫌でわたしを覗き込んでくる。 「……えーと、いつの間にこんな状態に……」 「ついさっき。俺が起こしちゃったかな」 それが本当か嘘か、眠っていたから判らないけど……夢うつつで温かいなーと、もう一度眠りに入った時間があったような気がするんだけど……。 「ちょうどいい、そろそろ時間だから今から起きていたほうが風呂場で居眠りしないで済むんじゃないかな」 コンラッドはからかうようにそう言って、指先でわたしの頬をくすぐった。 お風呂で居眠りして湯船に沈むなんて事故を起こすほどは疲れてません! 唇から魔法、指先から愛(3) 「部屋から出るならコンタクトしなくちゃ」 お風呂に行く準備をしながら、居眠りするからと外していたコンタクトの携帯ケースに手を伸ばすと、コンラッドがやんわりと手を握りこんできた。 「今から風呂に入るし、風呂自体は宿の中だし、それは外してて大丈夫だろう」 「ああそっか。そのほうが面倒じゃなくていいしね」 「うん。俺もいるから、不測の事態が起きないようにフォローするし」 髪はともかく目はじっと覗き込まれない限りは大丈夫だろうとコンタクトはしないことにしたんだけど。 「……あの、コンラッド」 「なに?」 「コンラッドには先に行っててほしいんだけど……」 「どうして?」 心底驚いたように目を瞬かれてしまった。 「だ、だって……い、一緒に行くとですね……家族風呂って個人用のお風呂なら、脱衣所がひとつでしょ?コンラッドの前で水着に着替えるのって……あの、ほら、その……」 今更とか言われそうだけど、やっぱり気分的には色々と問題が。 だけどわたしの提案に、コンラッドは軽く首を傾げる。 「別に、ヒスクライフ氏の経営温泉じゃないから水着着用は義務じゃないけど」 「え!?じゃ、じゃあ部屋のお風呂に入る!」 「待って、待ってくれ。それじゃあせっかくここまで来た意味がないよ。別に水着で悪いわけでもないんだから」 コンラッドは苦笑でわたしの髪を撫でた。 「風呂になんて、もう一緒に何度も入ってるのに」 「あ、あれは……」 その……い、いろいろした後で、気分的にもう少しいちゃいちゃしたい時とかの話で。 こう、なんでもないときに改めて一緒にお風呂って照れるじゃない! 「じゃあ俺も水着のほうがいい?」 「で、できましたら」 コンラッドは笑ってわたしの髪にキスを落とすとそれ以上は聞いてこなかった。 いつまでも尻込みばっかりでごめんなさい。 結局、コンラッドはわたしが水着に着替えて、さらにその上に服を着るまで部屋から出てくれて、お風呂までは手を繋いで一緒に歩いた。 繋いだ手を軽く揺らしたら、それに気がついたコンラッドがもっと大きく揺らした。なんだか子供みたいで楽しい。 お風呂に着くと、脱衣所なんかの掃除もちゃんと済んでいた。一組ごとに片付けてるなら大変だなあ。 「こういう二十四時間っぽい営業ってこっちで見ると思わなかったな」 棚にタオルを置いて服を脱ぎながら、日本みたいと零したらコンラッドが軽く笑った。 「歓楽郷ならでは、かな。さすがに一晩中風呂を開けてるわけじゃないけど、どこの宿でも他と差をつけようと必死なんだろう」 「ああ、競争社会……」 『温泉街の宿の戦い舞台裏』とかで、特別番組が組めそう。 下に水着を着ていたので服を脱ぐだけだったわたしの用意が早いのはともかく、ここで水着にまで着替えたコンラッドが同じくらいってどういうわけ? 男の人って服を脱ぐのも、水着を着るのも楽そうでいいな。 そう思いつつ、僅かに視線を逸らした。 だって、ねえ……コンラッドの水着って、相変わらず競泳型のビキニタイプで目に毒で。 「あれ、。そっちの水着にしたの?」 わたしの白のワンピース型水着を見て、コンラッドが明らかにちょっと眉を下げた。 「……エッチ」 「いや、だってあの桃色のビキニのほうが身体を洗いやすいだろう?」 それは、コンラッドが強力にプッシュして勝手に荷物に詰め込んだやつだよね? 「ヒスクライフさんの温泉店でも貸し水着の大半はこんな感じでしょ」 「ここには俺しかいないから、俺になら見せてくれてもいいのに」 ……コンラッドって、海とかプールでの際どい水着の使用は禁止しそうな気がする。別にそんなタイプの水着に憧れなんてないからいいんだけど。 コンラッドと手を繋いで、お互い片手にタオルを持って浴室のドアを開けると、風が吹いて括り上げていた髪の後れ毛が揺れた。 「露天風呂だ!」 部屋からは見えないよう建物側には斜めに屋根があって、石造りの浴槽の中から真上に星空が望める造りになっている。 洗い場に敷き詰められたタイルも石になっていて、有利がいたらまた「熱海?」とか言いそうなほど、ちょっと日本を思い出す造りだった。 「うわあ、露天風呂までこっちで楽しめるなんて!」 いよいよ楽しくなってきて、上機嫌でコンラッドを引っ張って浴室の中に入った。 「気に入ったみたいだね」 「うん!露天風呂は特有の硫黄の匂いも強くないし、のぼせかけたらお湯から上がって少し休憩したらいいし、夜だと星空が綺麗だし、昼でも風景が綺麗でしょ?大好き」 「俺より?」 かけ湯をしようと桶を手に取ったところで、おかしな言葉が聞こえたような気がして振り返る。コンラッドは、間違いなくわたしを見ていた。 「比べる対象がおかしいでしょう?」 思わず笑ってしまう。もちろんコンラッドも一緒に笑って、揃ってかけ湯をしてから温泉に足をつけた。 温度も熱すぎず、ぬるいということもなく、長時間浸かっていられそう。 ここの温泉は濁っていなくて透明だったけど、照明が壁に等間隔で並んでいるランプだけなので、この時間だと薄明るい程度でお湯の中まではよく見えない。 肩までお湯に浸かりながら、向かいで温泉に浸かるコンラッドに笑いかけた。 「でも、好きだからって温泉とか旅行とか、一人で来ても楽しくないよね」 傍にコンラッドがいてくれるから、楽しい。 そう言いたくて小さく付け足すと、コンラッドは軽く目を瞬いてから柔らかく笑った。 「うん、そうだね。が一緒だから、きっとこんなに楽しいんだ」 お湯から上げた手を差し出されて、膝でコンラッドに近付いた。その手を取ると、大きな掌に握り込まれて一気に腕の中まで引き寄せられる。 跳ねたお湯に強く目を閉じて、次に目を開けたときそこにあったのは広い胸板だった。 「ちょ……コ、コンラッド!」 「こういう露天風呂って、俺と来るのは初めてだよね。でも好きってことは、他の誰かとも行っているんだろう?誰と……陛下や友達かな?」 ぎゅっと抱き締められて抗議しようとしたのに、質問で遮られて思わず答えのほうを考えてしまう。 「家族、だけかな。友達とはまだ旅行とか行けるような身分じゃないし。高校生の持ってるお小遣いはしれてるんだから」 個人旅行以外でというと、修学旅行では露天風呂は望めない。 思い返しても、お母さんと背中を流し合った記憶しかないので間違いないだろう。 「陛下と一緒に?」 「……日本で混浴は少ないのよ」 最近は増えてるみたいだけど、でも水着着用義務のところがほとんどだと思う。 「もー!また有利にまで嫉妬して」 「陛下が女性なら嫉妬しないんだけどね」 ひ、開き直った! はっきり嫉妬していると認めたコンラッドは、苦笑しながらわたしを抱き締める腕に力を込める。 「こんな広いお風呂で、こんなに密着しているのって、なんだかもったいなくない?」 「そう?俺としては一番落ち着くけどな」 「……ふーん……コンラッドは、他にどんな人とこんなところに来てた?」 やり返してコンラッドの胸に手をついて無理やり身体を起こして見上げると、慌てた様子もなくにっこりと微笑む。 「女性と温泉に来たのは、だけだよ。部下となら来たことがあるけどね」 「うっそだー」 コンラッドがモテモテだったということはヴォルフラムやギュンターさんから聞いている。 別に正直に答えて欲しいわけじゃなくて、単にコンラッドがちょっと困る顔が見たかっただけなのに、全然動じないんだもんね……つまんない。 「本当。王都周辺に温泉なんてないし、基本的に俺は役目柄、長期休暇なんて取ったこと自体が少ないんだ。陛下の護衛になる前でも、人を束ねる立場になってからは特に」 「今はいいの?」 今回といい、前回といい、ヒルドヤードにはヴァン・ダー・ヴィーアやスヴェレラに行ったときみたいな公務で来てるわけじゃない。それなのに、気軽に国から出ているような気がするんだけど。 「今はいいんだよ。だって、王妹殿下の護衛という立派な言い訳ができるから」 「じゃあ、コンラッドにはお仕事なの?」 「だから、それは言い訳だよ。だって、護衛はこんなことしないだろう?」 「きゃっ!」 わたしの腰を抱いていた手が下に滑って、お尻を撫でてくる。 「ちょ、ちょっと!」 その手を止めようと振り返って腕を押したら、首筋にキスをされた。 「や……もう!ダメっ」 茶色の髪に指を入れて頭を押し返そうとしていると、お尻を撫でていた手の指先が水着の中に入ってくる。 「コ……コンラッド!」 ぎゅっと髪を掴んだら、さすがに痛かったのかコンラッドはようやく顔を上げた。 ……けど、お湯の中の指先は水着を横にずらすし。 「コンラッド!」 「ところで、胸に何か詰めてる?」 コンラッドはしっかりとわたしの腰を腕で固めながら、片手はずっとお尻を撫でたまま……変態って呼ぶわよ。 「……パットが入ってるから」 コンラッドがつまらなそうな顔をして、ますます変態と呼びたくなるようなことを呟いた。 「の胸は充分あるのに。抱き締めた時に当たった感触がいつもと違うんだ。いつもの方が、俺はいいなあ」 「別に、大きく見せるためのパットじゃないんですけど」 これは、形を隠す目的のもので。 「ふーん……」 コンラッドは目線をわたしの胸に向けて、それから顔を上げると笑顔でろくでもないことを提案する。 「そのパット、抜いていい?」 「ダメ!」 「でも水着の上から身体を洗うなら、なるべく薄着のほうがいいよ」 「でもダメっ」 両腕で胸を隠すように自分の身体を抱き締めると、コンラッドはちぇっと拗ねたように小さく唇を尖らせた。 その表情は妙に子供っぽい。 ……すでに実行していることや、言ってることとのその落差はなに!? 「じゃあ、身体を洗うのは……」 「自分でやります」 きっぱりと言い切ると、コンラッドは眉を下げる。 「せっかく一緒に入ってるのに」 いつもなら身体を洗わせてくれるのに、と耳元で囁かれて一気に顔に熱が篭る。 「だっ……それはっ」 コンラッドのせいで身体がつらいからじゃない! 「エッチ!」 急にのぼせそうになって、コンラッドの顔に掌を押し付けて身体を引き離すと、湯船から上がって身体を洗うことにする。 ずらされた水着を元に戻しながらカランの前に行くと、後からついてきたコンラッドが隣に座る。 「じゃあ、せめて髪は俺が洗ってもいい?」 「染料を落としちゃうの?」 「部屋に帰るまでは俺がしっかり隠しておくから、ね?」 コンラッドがギュンターさんほどじゃなくても黒髪を好きなのは知ってるから、別にいいんだけど。明日染め直すのが面倒なんじゃないかと思っただけで。 「ひょっとして、毎日洗って、毎日染め直す気、とか?」 「そう。そのつもりだよ」 「面倒じゃないの!?そんなに黒が好き?」 「黒は好きだけど……ちょっと違うな」 コンラッドは首を傾げて、括り上げてないわたしの前髪の一房を手に取った。 「の、自然にしたそのままの姿が見たいだけなんだ」 にっこりと、その笑顔にわたしはきっと真っ赤だったに違いない。 |