「ようやく着いたー」
ヒルドヤードの港に着くと、は開放感いっぱいの様子で大きく伸びをした。
実際、そうなんだろう。
隣の部屋の親子(あの親子が隣だったことには未だに気付いていないようだけど)に現場を見られたせいで、は船にいる間はずっと部屋に閉じ篭って随分窮屈な思いをしていたのだから当然だ。
船では部屋に入ってすぐ鍵を掛けるとの警戒心を煽るかもしれないと、ドアを閉めるだけでそのままにしておいたことが裏目に出た。
せっかくが色々させてくれそうだったのに。
旅の本番は宿に着いてからなので、それまでにの警戒が強くならないように、あれから船の中では自然に触れる以上のことは、できる限りしないようにした。
お陰では船から出れて上機嫌なこともあって、振り返って当たり前のように俺の腕に抱きついた。の耳に付けられた琥珀の石のイヤリングが揺れる。
いつも俺のことばかり言うけれど、本当はもこうやって触れ合うことが好きなんだ。
だから触れる回数が少ない日が続くと今度はから傍に来る。
本人は、きっと自覚なんてないだろうから、俺からは教えないけど。
「次は馬車だっけ。早く宿でゆっくりしたいな」
「そうだね」
早く宿に入って、可愛いにもっと触れて独り占めしたいなあと頷きながら赤茶に染めた髪を撫でると、はくすぐったいのか小さく笑って首をすくめた。
旅に出ると顔見知りの目がないので、がいつもより自然に俺に触れてくれるのは嬉しいが、こうして髪や目の色を染めてしまうのが少し残念だ。
やはり、是非とも早く宿の部屋で独り占めにしないと。
馬車に乗り込んでから髪にキスを落とすと、個室で他人の目すらないので、素直に俺に身体を預けてくれた。



唇から魔法、指先から愛(2)



温泉街に着き飲食店や遊戯店の多いエリアを抜けて先に宿に荷物を置きに行くと、はゆっくりしたいと言っていた前言を翻して町に行きたいと言い出した。
どういうつもりなのか判ったので、手を繋いで一緒に町に出る。
が真っ先に向かったのは、アニシナの構想を生かして作られた編み物とショッピングのアミューズメントモールだ。ここがどうなっているのかは、経営委任しているヒスクライフ氏や監修役を買って出たアニシナから報告がきているが、自身の目で見に来たのは、あの騒動以来のことだった。
ずっと気にしてはいたんだろうけど、やユーリの立場ではおいそれと国外に出るわけにはいかないし、それ以前にこちらの世界にいる時間が限られていることもあって、今まで来ることが出来なかった。
新しくスタートした町並みには観光客も多く、働いている女性達も生き生きとした表情で、にぎわっている様子にはほっと胸を撫で下ろす。
「安心した?」
「うん……アニシナさんもヒスクライフさんも話は聞かせてくれたけど、やっぱり自分の目で見たら、ほっとした」
周りの笑顔に釣れたように子供っぽい笑顔で俺を見上げてくるのが可愛くて仕方がなくて、ぎゅっと抱き締める。
「ちょ、コ、コンラッド!」
「ああ、ごめん」
せっかく船で我慢したのに、ここで怒らせたら意味がないとすぐ離すと、は俺に手をついて離れた。
「おや……?そこにいるのはウェラー卿と……殿下でいらっしゃいますか?」
聞き覚えのある声に、思わずこのままを連れて回れ右をしたくなる。
だがは逃げるどころか逆にそちらを振り返ってしまった。
「アニシナさん!」
「やはり、殿下でいらっしゃいましたか。まさかとは思いましたが、他の女性でしたらどうしてしまおうかと思っていましたよ。おは、おはは、おははははは」
はアニシナの独特な笑い声に軽く首を傾げるだけだが、俺には背筋に冷たいものが走った。
俺が以外の女性と親密にすることはありえないが、世の中にはタイミングによって誤解が生じることもある。
彼女に誤解を与えるようなことがあれば、何かと厄介なことになりかねないと心に刻んだ。
気をつけよう。よりによってアニシナだ。間に入ってくれば漏れなく嵐を巻き起こしてくれるに違いない。
元より女性の味方であることを差し引いても、色恋沙汰には興味のない彼女にああまで言わせるとは、どうやらよほどのことを気に入っているらしい。
「どうです、殿下。この賑わいは」
「すごいです!本当に、アニシナさんにお任せしてよかったです」
「殿下がお気になされていた、彼女達への学業などの啓蒙活動も上手く回っていますよ」
もアニシナもそれぞれ上機嫌で辺りを見回す。
が嬉しそうだと俺も嬉しい。
そっと肩に手を置くと、はすぐに俺を見上げてにっこりと微笑んだ。
「特に人気が高いのは、わたくしの発明品を販売している女王様の着想・ヒルドヤード店です。人間の土地でもまったく問題なく使用できるものを厳選して販売しているのですが、評判が良いようです」
「へえー、そうなんですか?」
は感心したように目を瞬いた。俺は、つい顔が引きつった。
一般販売されているものは、安全が保証されていることは判ってはいるのだが、他国でアニシナの発明品が暴発して国際問題という事態だけは避けてほしい……。
「人気ベストスリーは温泉街ですからね、入浴にちなんだものばかりです。たとえばこのお肌つるつる自宅でもヒルドヤード気分、温泉の素風味・入浴剤モドーキ顆粒版などはセットで売れています」
どこから取り出したのか、アニシナは温泉の素セットを詰めた箱をに手渡した。
「風味ということは、もちろん亜流なんだな」
「そうです。温泉成分が配合されているわけではありません。そのことはきっちり店頭でも説明が入っています。ですが美肌効果抜群のヒヨルルエルロン酸が弱々アルカリ成分と上手く混ざり合い……」
「それで、そっちに持っているものは?」
成分説明にまで入ってしまうときりがないので無理やり割って入ったが、アニシナは特に気分を害した様子でもなく、残りの二つもが持った箱に乗せる。
「こちらは使うと割れにくい泡が発生する石鹸シャボボボンランチャーに、お湯につけると内蔵魔動によって豪快な水飛沫を上げて泳ぐあみぐるみ、バタフリャーモード改です。ヒルドヤードは親子連れも多いですから、こういった商品が人気なのです。どうぞ殿下もお持ちになってください」
「え、ええ?あ、ありがとうございます」
風呂場で遊ぶ玩具を渡されて、は僅かに困惑の声を上げた。
「それではどうぞ、殿下も休暇をお楽しみください」
言うだけ言うと、アニシナは颯爽とその場から店に歩き去ってしまった。本当に、自分のペースを崩すことがない女性だ。
は手元に残った箱と玩具に視線を落として首を傾げる。
「グレタのおみやげにしたら喜んでくれるかな」
「そうだね、玩具はグレタにあげるといいんじゃないかな」
の両手を塞いでいるアニシナからの「好意」を俺が預かって、一緒に宿に戻ることにした。
それにしても……入浴剤か。
上手く使えば、血盟城に戻った後もヒルドヤードの温泉風味を楽しむという名目でを入浴に誘ういい口実になるだろう。それこそヒルドヤード風に水着を着用と俺から先に提案すれば、もそこまで警戒しないだろうし。
しかも入浴剤を買ったのは俺じゃなくて、アニシナからのプレゼントということでごく自然な形で手に入ったのもよかった。
他はともかく、これはいいものをもらったかもしれない。


宿に戻ると、移動続きで疲れていたのだろう。これ以上遊びに出るのは明日ということにして、はベッドに横たわる。
「上手くいってるみたいでよかった!さすがアニシナさんとヒスクライフさんだよね」
気がかりも消えて、すっかり上機嫌だ。
俺がベッドの端に腰掛けて赤茶に染めた髪を梳くようにして横に払うと、気持ち良さそうに目を閉じた。
「でも、それもこれもが頑張ったからだよ」
「えー?わたしはヒスクライフさんの話し合いに割り込んだだけだよ。あの賭けで頑張ったのはライアンさんとケイジだし」
「自分を賭けの対象にするなんて無茶は、誰にでもできるものじゃない」
それまで気持ち良さそうにくすくすと笑っていたが、ぱちりと瞼を上げて赤茶色の硝子片を被せた瞳で俺を見上げた。
「怒ってる?」
「もう怒ってない。でも、あんな無茶はもう駄目だよ」
「うん……」
少し不安そうなその瞳に、苦笑して額にキスを落とす。
「……それに、言っただろう?俺は君を誇りに思うよ」
ほっとしたように、嬉しそうに息をついたに軽く口付けると、の手が自然に俺の頭に回った。
の横に肘をついて、もう少し深く口付けるように身体の角度を変えると、薄く唇を開けて俺を招き入れる。
舌を絡める湿った音と、の途切れがちの吐息に煽られそうだ。
本格的にベッドに乗り上げようとすると、に軽く押し返された。
「い、今はここまで」
「駄目?」
「だってまだ明るいもん……」
「じゃあ、続きは日が落ちてから」
あまりしつこくするとの機嫌が悪くなるから、少し拍子抜けするほどあっさり引く。
こうすると我慢させたかと思ったは、夜に好きにさせてくれるしね。
俺の不埒な考えなんて知らないで、はベッドの上で目を瞬いて、それから僅かに頬を染めて視線を逸らした。続きと言われて夜のことを考えたんだろう。
「あ、明日はライアンさんたちに会いに行こうよ」
そして誤魔化すように話題を転換する。
いつまで経ってもこういうところは変わらない。
「こっそり客席から見るだけでもいいんじゃないか?」
「わたしはそれで大丈夫だけど、コンラッドは気付かれちゃうんじゃない?」
「それはそれでいいだろう。がケイジの近くに行きたいなら、話は別だけど」
「……客席からでも充分かな……?」
あの独特な愛情表現を思い出したのか、は引きつった笑いでそう言った。








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