急いで廊下を回って中庭に着くと、風に乗って途切れ途切れにの声が聞こえてくる。
「昨日は………で嬉しか……で、これ……」
が兵士に右手を上げて見せたが、コンラッドのいる場所からではよく見えない。
だが、手の甲を見せるあの仕種はまるで……。
グウェンダルは何と言った?
指輪だ。手作りの。
そうだのあの仕種は指輪を見せているように見える。
それを見た男は大袈裟に驚いて、おろおろと両手を上下に振ってそんなものをと言う声が聞こえた。
ではあれは、あの男からのプレゼントなのか。
は慌てた男がおかしいのか小さく吹き出しながら、傍らのテーブルから何かを取って男に差し出す。
ヨザックは何と言った?
手紙や日記のやり取りをするとか……。
が差し出しているのは封筒だ。
背筋に言いようのない悪寒が走り、動かなかった足が勝手に動き出す。近付くほどに段々明瞭に話が聞こえるようになってきた。
「……そんな……わざわざ……まで……は…………殿下のことが本当に好きなんです」
最後の言葉だけ、妙にはっきりと耳に入ってきた。
相手がどう思っていようと、が受け入れるはずがないのだから関係ない。
そう思うのに、段々足が速くなっていく。
差し出された手紙に泡を食ったように真っ赤になって落ち着かない男は、コンラッドと歳はそう変わらないくらいに見える。純粋な魔族ならもう少し年上かもしれない。
だがコンラッドより、ずっと女性に慣れていないようで、反応が随分と拙く……それゆえに、のような恋愛ベタには好印象かもしれない。
現には笑いながら。
「えへへ……嬉しいです」
にっこりと微笑むに、足元が崩れたのかと思うほど不確かに世界が歪んで見えた。



精神安定剤(4)



「殿下にそう言っていただけたなんて……」
音高く東屋の階段を踏みしめた音に、も兵士も驚いて飛び上がって振り返った。
「あ、コンラッド」
「こ、これは閣下!」
兵士は慌てたように敬礼をして、はきょとんと目を瞬いた。
「どうしたの、何か怒ってる?」
「怒って……」
ないとでも思っているのだろうか。
に他意はないかもしれない。有利と同じで他人の恋愛感情に疎いところがあるから。
好きと言われても、ヨザックが寄せるような敬愛と同じ意味だと捉えているのかもしれない。
手紙を持ったの右手の小指には、赤い石の稚拙な指輪がある。では手紙は礼か何かをしたためたものだろうか。どれだけ下手な細工でも、のためを思って作られた物なら、国民に認められたようで嬉しいのかもしれない。
だけど。
コンラッドは唇を噛み締め、無言で残りの数段を上がるとの腕を掴む。
「え、なに?」
戸惑っているにも、兵士にも一瞥もくれず、そのまま引き摺るようにして歩き出す。
「ちょっと……ねえ、コンラッド、何を怒ってるの?」
一言も口を利かず、振り返りもしないコンラッドには戸惑うばかりだ。
恐れや、バツの悪さというのは見受けられない。
やはりにとっては、大した意味のない行動だったのだろう。
だがそれなら昨日はなぜ嘘をついたのか。笑って、何でもないことのように迷子の母親と会っただなんて。
引っ張る腕に少し抵抗があって、が兵士を振り返ったのだと判ると、ますます強く腕を引いた。
「痛いっ」
小さな悲鳴に反射で手を離しそうになって、唇を噛み締めると逆に更に強く力を込めた。
こんなときにまで、ついの声に反応してしまう。
あんな男に、たとえ意味がすれ違っていようと、好きだと言われて、嬉しいと微笑んで。
嘘をついたのは、男と二人だけで会ったなどと言えば、嫉妬深い恋人が怒ると思ったからだろうか。だとすれば、恋人が不愉快だと判ったまま逢瀬を重ねたことになる。
裏切ったのはの方だ。
絶対にこの手を離してなんてやらない。
服の布越しに、握り締めた柔らかな二の腕に指が食い込んでいくのを感じた。


自分の部屋まで無言のままの恋人に引き摺られたは、困惑するばかりだった。
「どうして怒ってるの?あの、わたしが何か悪いことした?」
言ってくれなくちゃ判らないよと、本当に何もわかっていない様子のにいらいらする。
何か?
言われなくては判らない?
どうして判らない。
嘘をついて会っていた男にあんな風に笑いかけて。
下手な手作りの指輪なんてものを喜んでつけて見せたりして。
あれではにその気がなくても、相手の男は自分に気があると思っても仕方がないではないか。
「昨日中庭で会ったのはあの男?」
「え、うん。だから……」
「この指輪もあの男から渡されたのか!?」
右手を掴んで上に引き上げると、は怯えたように反射的に身体を引いた。
「そ……そうだけど……あの、コンラッド……?」
「こんな……子供の細工みたいなものを喜んで……」
小指の指輪を引き抜くと、部屋の隅へと放り投げる。
「あっ!ちょ、ちょっと!コンラッドひどいっ」
それまで戸惑っているだけだったは、憤慨してコンラッドの手を振り払うと窓際に駆け寄る。屈み込んで拾った指輪の無事を確認している後ろから、手の中の手紙を抜き取られた。
「何する……」
驚いて振り返るの目の前で、手紙を封筒ごと二つに裂いて破る。更に重ねて四つに裂き、紙くずとなったそれを床に放り捨てると、はあまりのことに怒るよりも呆然として言葉もなくコンラッドを見上げる。
蒼白になるに、コンラッドはゆっくりと笑みを見せた。
、俺のこと好き?」
「え……」
「俺のこと、好き?」
「う、うん。もちろん……」
戸惑いながらもが頷くと、コンラッドは笑みを消して真顔での両手を掴んだ。
「じゃあ他の男に思わせぶりなことをしないでくれ」
「思わせぶりって……そんなことしてないっ!」
困惑していたの眉が吊り上がる。
「ひょっとして、さっき男の人と話してたから怒ってるの?それくらいで!?……いっ」
手首を掴んだ力をさらに強くすると、の手から拾ったばかりの指輪が落ちて床の上を転がった。
「いた……い……コ、コンラッ……」
「それぐらい!?俺がいるのに、それを知ってるくせにに想いを寄せる男がいると思うだけで、俺がどれだけ悔しいと思う?おまけにはそれを嬉しいって言ったんだ。俺の目の前で、俺に向けるものと同じ笑顔で、嬉しいって!」
「待って……違……」
「違わないっ!は違う意味で言ったのかもしれない。だけどそういう態度が思わせぶりだと言ってるんだ。は無防備すぎる。少しくらい武術の心得があったとしても、男が本気になればこんな風に押さえ込むことだって簡単だっ」
掴んだ手を上に吊り上げて手首を重ねて交差させると、片手で窓硝子に押し付ける。
「男と約束してまで会うことに俺が不愉快になることも判っていた。だから昨日会ったのは女だと嘘をついたんだろう?判っていて今日も会ったんだろう!?」
「わたし嘘なんてついてないっ!あの人は……っ」
の顎を捉えて、乱暴に唇を重ねる。
謝るならまだいい。迂闊だったと気付いてくれるならよかった。
だがは、あんな風に男の好意に嬉しいと応える危うさがまだ判っていない。
これ以上、言い訳なんて聞きたくない。
他の男のことを、の口が語る言葉なんて聞きたくもない。
「んっんぅ……んっ!んんっ」
がキスを照れて嫌がることはある。だけどこんな風に、本気で逃れようと暴れることはなかった。腕を捕らえて押さえ込んだ窓硝子がガタガタと音を立てて揺れる。
ドレスの背中の紐を解いて緩めて、残りの釦も外していく。髪をまとめていたリボンを指先で摘んで引いた。
光沢のあるそれは簡単に解けて、の髪が肩や背中に落ちかかってくる。まだ編目の残る髪に指を入れて梳くと、一度も引っ掛かることなく通り抜けた。
存分に舌で口内を荒し、吐息の全ても飲み尽くすようなキスを終えると、は息も絶え絶えに弱々しい視線で恋人を見上げる。
「コン……ラッ……ド……」
……覚えてる?」
涙の浮かんだその瞳を見下ろしながら、掴んでいたの手首を少し窓から浮かせた。
両手首を片手で掴んだまま、腰の辺りまで無理やり降ろさせる。
「俺は君を逃がさないと言ったよね?絶対に逃がさないと」
「待っ……ちが……う……の。違う、の……」
は荒れた呼吸で小さく首を振って、コンラッドに縋り付こうとして愕然とした。
手が動かない。
コンラッドに押さえられているからではない。窓からは少しだけ離すことができる。
だが、手首になにか巻き付いていて、後ろから引っ張られる。手を引くと窓硝子が鳴った。
首を捻って背中から僅かに見えたのは、の髪を飾っていた白いリボンだ。手首を縛り、恐らくその一端が窓の取っ手に通されている。
「――――コンラッド……?」
コンラッドがワンピースの襟口を掴み乱暴に引き降ろす。背中の紐が解かれ釦も全て外されてるせいで、簡単に肩から滑り落ちる。窓枠に手首を括られているせいでワンピースは肘より下には落ちないが、それでも上半身は下着姿になってしまう。
「や……やだっ」
少し後ろに押されると、素肌の肩が窓硝子に触れて冷たかった。
ここはカーテンなんて引いていない窓際だ。外から見ればこの様子は丸見えに違いない。
「やだ……っ」
こんな強引での意思なんてまるで無視された行為は嫌だ。
たとえ背中でも、こんな姿が外から見えるなんて絶対に嫌だ。
とにかく全てを拒絶したくては窓を鳴らして腕を解こうとする。
「いやっ!いやだっ」
暴れるなど気にもならないとでもいうように、コンラッドの手が下着を外した。
露になった胸の頂きに軽く口付けをする。
「んっ……!」
の身体が僅かに震えると、コンラッドはそれに満足したように微笑み腰を伸ばして唇にもキスをした。
「俺がいないと駄目だとこの身体に教え込んでいたことを、ここで思い出させてあげるよ」
「……うそ………でしょう…?」
怖いのか腹立たしいのか、震えながら睨みつけてもコンラッドは僅かに目を細めるだけで、信じられないことを囁いた。
「そして俺に感じて淫らに喘いでいる姿を晒せばいい。城内中の男に、は俺のものなんだって、見せつけよう。ね、。ここで俺のものを咥えて存分に乱れてくれ」








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