廊下を行くウェラー卿コンラートは面白くなかった。 昨日から身に覚えのない注意ばかりを受けている。 ただでさえ恋人と「昼間は有利も推奨する、清く正しいお付き合いをしましょうね」と半ば強引に約束させられて、彼女の信頼を得る為に少なくとも一か月……せめて半月はそれを守ろうと努力している矢先だったのでますます面白くなかった。 なぜならそれらはすべて、「彼女との付き合い方を、胸に手を当ててきちんと考えろ」という類のものばかりだったから。 精神安定剤(3) 最初に注意してきたのは弟で、に避けられた日から一週間ほど経った頃のことだ。 執務に疲れた有利を救出……平たく言えば脱走の手助けをして出かけた遠乗りから帰ってきたコンラッドは、激怒した弟に迎えられた。 「ユーリ!またお前は二人きりで……待て、二人きり?おいコンラート、はどうした?」 またうるさいのに捕まった、とウンザリしていた有利は愛馬のアオから降りながら首を捻って振り返る。 「え、?今日は一緒じゃなかったよ。探したんだけど、部屋にも勉強室にもいなくてさ」 「何を言っている。ぼくは中庭で会ったぞ。コンラートを待っていた」 「俺を?」 「そうだ、いくら王城で、いくらそれなりの人目がある場所とはいえ、を一人であんなところに待たせておいて、おまけにそのまま忘れて逃走しただと?ふざけるな!」 「いや、待ってくれヴォルフラム。俺はと待ち合わせなんてしてない。いつも俺が迎えに行くから。それに俺がとの約束を忘れるなんてありえない」 「じゃあ誰を待っていたというんだ。僕ではないし、ユーリでもない」 確認するように兄弟の視線が向くと、心の当たりのない有利は当然ながら首を振る。 「みろ、後はお前くらいのものじゃないか」 「いや、でも俺は本当に……」 「女性を待たせておいて忘れるとはなんてやつだ!に愛想を尽かされたって知らないからな!」 話を聞かない弟は、憤慨したままコンラッドを置いて、婚約者を無理やり連行していった。 「違うよ、コンラッドじゃなくて、城の人と待ち合わせしてたの」 夕方、所在が掴めず探し回っていた恋人をようやく捕まえて本人に確かめると、やはり自分が忘れていたわけではないことを肯定された。 並んでソファーに座り、肩を抱き寄せた態勢だが、も特に抗議することなく身を寄せて、楽しそうにコンラッドを見上げている。 「城の?城に働く者がを外で待たせたのか?」 「待たせたっていうか、あのね、この間の有利のイベントで迷子の子がいたでしょ」 「ああ……あの」 あのタイミングで迷子が現れなければ、を怒らせたまま別れずに済んだのにと思うと、を探し続けたあの日の焦燥が甦ってちょっと遠い目になる。 「あの子の親がね、お礼を渡したいって。でも廊下でたまたま会えた時は、用意していた物を持ってくるの忘れてたってめちゃくちゃ慌てちゃって、それであそこで待ち合わせしたの。 次の偶然を待ってたら、それまでお礼を持ち歩かなきゃいけないでしょ?」 「ふうん……まさか食べ物じゃ」 「ううん、お礼の手紙。食べ物だと誰かに報せなくちゃ食べちゃダメってきつく言われてるし。毒味役なんていらないのに、やだなあ」 唇を尖らせて呟くに、コンラッドも小さく呟いた。 「手紙くらい持ち歩けばいいのに……」 「え?」 「いいや、なんでもないよ」 子供から目を離して迷子にしたり、お礼の手紙を渡すのにわざわざを待たせたり、侍女か女性兵士かは知らないが、それにしても随分と抜けている。大体、礼なら口で言うだけで充分のはずだ。 「それでね、手紙と一緒に……」 項で括っていたワンピースの紐がはらりと落ちてきて、が言葉を切った。 「……何をなさっているのでしょうか、コンラッドさん」 「もう日が落ちたから、一日の締めくくりにに触りたいと思っているところ」 「でも」 「昼間は駄目なんだろう?もう夜だから」 「で、でもまだ夕飯もあるし……」 「触るだけ、最後まではしないから」 「今からまだ有利とも顔を会わせるからダメッ」 顎を押し返された。 「エッチなことした後に有利と顔を合わせるの、恥ずかしいんだもん。まだイヤ」 めっ、と子供を叱るように怒られて、あまりの愛らしさにより抱き締めたい衝動に駆られながら、やっぱり彼女の信頼を得る為にそこは大人しく引き下がった。 ……ところが夜になって我慢したご褒美を貰いに行くと、は既にベッドでまどろんでいた。 コンラッドを待つつもりはあったらしく、ベッドの中には入っていなかったが、ブランケットの上で意識は半ば以上眠りに入っている。 セックスがしたいからと起こすことも忍びなく、ベッドの中にきちんと横たえると、大人しく引き下がらざるを得なかった。 「贈り物をするにしても、もう少し考えて渡せ」 「は……?」 兄にそう叱りつけられたのは、翌日のことだ。 「俺はグウェンにプレゼントなんて贈ってないけど?」 それとも昨日有利の脱走を手助けして、結果的にグウェンダルに仕事をプレゼントしたという嫌味だろうか。 だがそうではなかった。 「私にではない。にだ。いくら本人が喜ぶとはいえ、出来もしない不器用な品を贈るな」 いつも有利に本当の動物を言い当ててもらえないあみぐるみばかり作っているグウェンダルに言われる筋合いはない。もっとも、グウェンダルの場合は出来上がりの質そのものは悪くないので、問題は手先じゃなくてデザインセンスのような気がする。 「え、コンラッド何かにあげたの?」 自分の執務机につきながら有利が顔を上げて、心当たりのないコンラッドは首を振って否定する。 「出来もしないって、俺は手作りの品なんてプレゼントしてないけど……」 「お前以外の誰が手作りの指輪なんて物を贈る。おまけにあの出来映えでも嬉しそうにしていた。お前以外はありえん」 「ゆーびわー!?まさか婚約指輪とか言わないよな!?」 「まさか!いや、でも」 「自分で贈ったと認めるのも恥ずかしい出来なら、もう少し修練を積んでから作った物を渡せ。私も幼い頃から努力をしてだな……いや、それはいい」 今更ごまかさなくても、弟は兄の趣味くらい知っているのに。 「でも婚約指輪ってプロポーズするときに渡す物だっけ?コンラッドはもうとっくに婚約自体はすませちゃってるわけだし……」 「陛下、俺じゃないですから」 「え?あ、ああそうだっけ?」 「とにかく、あの耳飾といい、もう少し王族として見栄えのするものを贈れ!」 兄といい弟といい、人の話を聞きもしないで言い訳と断定してくる。 少々ばかりではなく面白くないコンラッドに、有利の方は信じてくれているらしく、慰めるように軽く腕を叩いた。 「後でに聞けばなんかわかるだろ、気にすんな」 「……はい、ありがとうございます」 それはそうだが気になったのは、身に覚えのない指輪の話だ。 が、コンラッドからのプレゼントではない酷い出来映えの手作りの指輪を喜んでいたというのだから。 とどめは友人だった。 昨日と同じく、そして有利の言うとおり、身に覚えのない話は本人に確認するに限る。 を探して指輪の件を聞こうと思ったのに、途中で幼馴染みの親友に呼び止められた。 よほど急いでいるならともかく、昨日は愚痴の酒盛りに付き合わせたので、無下にするのも忍びない。 酔っている間は気の緩みもあって、ついつい欲求不満を漏らしてしまった。あまり邪険にすると、あんな話を漏らしたことを彼女に告げ口されるかもしれない。そんなことになれば、の怒りは一週間前の比ではないだろう。 友人への友情が三割、自分の都合が七割で話を聞くことにしたコンラッドは、すぐに機嫌を直角に落とした。 話は再び、兄と弟に揃って怒られた恋人のことだったからだ。 「お前さあ、もうちょっと姫のこと考えて差しあげた方がいいぞ」 「昨日の話か。つき合わせて悪かったな」 それじゃあと背中を見せると、まあ待てと肩を掴まれる。 「お前もいい歳なんだから、ちょっとは姫のペースに合わせて差し上げろよ。姫はまだ成人したてなんだぞ」 数百年の寿命を持つ魔族にとって、制度上では十六歳で成人となっているとはいえ、実質十六歳ではまだまだ子供と言っても差し支えはない。 そんな相手に、しかも今まで恋すらまともにしてこなかった相手に、それこそ何から何まで教え込んでいっているのがこの男なのだ。 羨ましい……もといヨザックとしては苦言の一つも呈したくなる。 「そんなことは言われるまでもない」 「そーかー?それなりに経験がある女だって、ヤリたがるばっかりの男だと思ったら気持ちが醒めることもあるぞ。そういうのが好きな女は別だが、姫は確実に前者だろ」 咄嗟に反論の言葉が浮かばなかった。 コンラッドとしては特にセックスばかりを強要しているつもりなどない。彼女と過ごす時間はすべて大事にしているし、夜にしても部屋を訪ねてベッドに直行というのはむしろ少ない。 事後だってゆっくりと睦み合っている。 だがそれはコンラッドの主観で、友人の言うとおり相手がどう『思うか』が問題なのだ。 は今まで男が怖かったせいもあって、コンラッド以外とは恋の一つもしていない。 コンラッドがかなり押さえているつもりのペースでも彼女には性急に感じるかもしれない。 「例えば手紙とか日記とかをやり取りするとか……」 それは一体どこまで子供に戻れというのだ。 一瞬は納得しかけていたコンラッドは、すぐに呆れて手を振った。 「わざわざ悪かったな。考えておく。それよりを見なかったか?」 どうやら無駄な忠告に終わったらしいとヨザックは息をつく。 姫、オレにできることはやっておきました。これ以上はこの男を怒らせてオレの身の安全に関わるだけなので、撤退させていただきます……。 心の中で言い訳をしながら、さすがにもう手紙も書き終えているだろうと最後に見かけた場所を教える。 「中庭にいらしたぞ」 「中庭?」 昨日、ヴォルフラムが見かけたというのも中庭だったはずだ。まさかまたあの迷子の親と待ち合わせではないだろうな、と思うとさすがに不愉快だった。 自分以外とは関わるなとの無茶を言うつもりではなく、何度も王族を……例え本人がいいと言っても、待たせるような行為そのものが感心できなかったせいだ。 コンラッドの表情をどう読んだのか、ヨザックは呆れた、あるいは困ったように眉を下げて苦笑した。 「オレは姫のあの純真なところは、貴重だと思うぞ。ああいう初々しさっていうのは月日が経てばなくなるんだから、精々今のうちに堪能しておけばいいのに」 「……わかってる」 そんなことは、わざわざ他人に言われるまでもない。 中庭に向かおうと階段を降りていると、丁度その下を通ってきた有利とヴォルフラムの姿が見えた。部屋を移動するところらしい。 声を掛けようと思ったら、その前に有利が庭に何かを見つけたようであっと声を上げる。 「だ……あれ、一緒にいる人、どこかで見たような」 「城内の者なんだから見たことがあって当然だろう」 「いや、そういうんじゃなくてさ、前もと一緒だったような……」 むっと考え込む有利に、ヴォルフラムも視線を転じた。 「ああ、あの落ち着きのない兵士か」 「え、ヴォルフ知り合い?」 「いや、単に昨日中庭でコンラートを待っていると別れた後、廊下を走っているところを見かけて注意したんだ。そういえば、あのときもあいつは中庭に降りていたな」 「それだ!おれも中庭で話しているのを見たんだ。一週間も前のことだから忘れてたよ」 有利はすっきりしたように胸を撫で下ろすが、コンラッドはすっきりしない。 それはヴォルフラムがコンラッドと勘違いした、の本当の待ち合わせ相手なのではないだろうか。 「がコンラッドに腹立てて、アニシナさんに頼んで隠れてた日があっただろ?隠れてるはずなのに、あんなところで立ち話してていいのかなーって思ったから覚えてたんだ」 「ふぅん……」 ヴォルフラムは何か気になるような呟きを漏らす。 「なら、には少し注意しておいた方がいいかもしれないな」 「え、なんで?」 「コンラートのいつもの様子を見ればわかるだろう。あいつはに関しては心が狭い。たとえ城内の兵士といえど、同じ男と何度も二人きりで話しているところを見たら、うるさい思いをするのはじゃないか?」 「えー?確かにコンラッドの心はのことだと四畳半一間のアパートより狭いけど、お前じゃないんだから話してるだけで浮気者ーってはならないだろ」 「ヨジョウハンヒトマとは誰だ?アパートって……いや待てユーリ!今、さりげにぼくを非難したな!?」 「だってホントのことだし!」 「なんだとー!?そもそもお前が尻軽なのが悪いんじゃないかっ」 詰め寄られて逃げ出した有利と、それを追いかけるヴォルフラムに声を掛けるタイミングを失ってしまった。 駆けて行く足音が遠ざかり、静かになった階段を降りきると廊下から見える中庭に、確かにがいた。 男の兵士と二人で。 昨日、が中庭で会ったのは、迷子の母親のはずだ。眞魔国では同性の結婚も珍しくはないが、男同士の夫婦が子供を養子にした場合はどちらも父親だ。母親とは言わない。 コンラッドは愕然として中庭を見詰める。 会っていたのは男なのに、女性だったと。 が、嘘をついた。 いや、まだあれが昨日会っていた相手だという確証はない。ただの推測だ。 コンラッドは急いで中庭に出れる場所まで廊下を迂回した。 |