寝室に踏み込むと、当然すぐにベッドが目に入る。
毎日ベッドメイキングされるとはいえ、はいつも起き出した後に軽くシーツを整える。
今、目の前にあるベッドもそうだった。
どうにか今夜まで時間を引き延ばせないかと言い訳を考えるつもりだったのに、目の前に現れた光景に、脳内風景は恋人の媚態に取って代わってしまう。
ウェラー卿は皺ひとつない真新しい白いシーツに恋人を降ろして、彼女が吐息を漏らし身悶えするほどに少しずつ乱れていく夜具を見るのがとても好きだ。
だががベッドを整えると、それは新たにベッドメイキングされる時間まではここに戻らないという証。それを覆して、彼女が寝乱れた跡を軽く整えたベッドをもう一段乱す。
これも悪くない。
とても楽しい新発見だった。



幸せについて各々の考察(5)



一度起き出した後のベッドへを連れて戻ることが楽しい理由は、もうひとつある。
普段なら絶対にできないことだという、希少さだ。
昨日の昼間からということもあんな事故でもない限りありえないが、朝といえば有利を起こしてロードワークという順番が日課だから、そんなことを楽しむ時間などない。
今日も有利を起こしに行かなければならないが、それでも夜明けまではあと一時間はある。
は今回のことは治療というより治療に役立つための、ある意味では実験だと思っている。だから頑張っても成果がでないことだって覚悟はしているだろう。
それでも、恥ずかしい思いをしてまで頑張ったのにコンラッドのものが反応しなければ、きっと顔には出さないようにしながらもがっかりするに違いない。
の努力に応えて今ここで復帰してくれたら言うことはない。しかしアニシナによると回復するのは昼過ぎということになる。
「……………ごめんね、
には聞えないくらいの小さな声で呟いて、コンラッドは心を決めた。
。今夜必ずお礼に隅々まで可愛がるから、今回だけ。どうか今回だけは、誘惑に負けた俺を許してくれ。
それに摂取した薬は少量だったから、効果が切れている可能性だってゼロではないし。
が聞けばぶん殴りそうな言い訳だった。
「えっと……す、座って?」
そんな恋人の不埒な嘘など知りもしないは、初めてのことに戸惑いながらコンラッドをベッドに座らせた。
座ってようやくほんの少しだけ見下ろせる恋人の肩に手を置きながら唇を重ねる。
何度も角度を変えながらキスを続けて、肩に置いた手がコンラッドを後ろに倒すように力を込めたとき、危うく吹き出しそうになった。
ベッドの中のことでが積極的に自分から何かしようとするのは初めてで、参考にするのはコンラッドの普段の行動しかないのはわかっている。
だが本当にすべて踏襲しようとしたって、ベッドに押し倒した時点でどうすればいいのかわからなくなるだろうことも目に見えていた。
はどうするのだろうと期待と好奇心で素直にベッドに倒れると、上に馬乗りになって身体を倒してまた唇を重ねてくる。
いつもコンラッドがするようにキスをしながら相手の服の釦を外したいらしいのだが、真上に乗っているので身体の間に差し込んだ手の角度が苦しくて難しいようだ。
可愛らしすぎて耐え切れない。
とはいえ、せっかくが協力的なのだから、彼女にして欲しいことも確かで。
「……
キスの合間にそっと頬を撫でて呼びかけると、は明らかにほっとした表情を見せた。
どうしたらいいのかわからないので、要望を言ってもらえたほうが助かるのだろう。
だがコンラッドの最初の要望は、行動というよりそれ以前の下準備の方だった。
「して欲しいことがあるんだ」
「なに?何でも言って。……その、とりあえず聞くし」
思い出したように最後の言葉を付け足したのは、とんでもない要望だった場合の備えに違いない。
「難しいことじゃないよ。して欲しい格好があるだけで」
格好?
少し首を傾げたは、この事態のそもそもの発端を思い出した。
コンラッドと喧嘩した、というよりコンラッドに腹を立てた理由。
冷静になれば自分でもちょっと理不尽な怒りだったかもしれないと反省したから仲直りしようとクッキーを焼いて、そのためにこんな事態に陥ったのだ。
「……ま、まさか……」
心当たりがあると、明らかにしり込みしたの手を取ってキスをしながら、にっこりと邪気などまるでないような爽やか笑みを見せる。
「服を脱いで。エプロンだけはつけてね」
「ちょ、ちょっと待って!わ、わたしがそんな正気を疑うような格好したって意味ないでしょ!?し、刺激が必要なんだから!」
「だから視覚的刺激を。見た目を馬鹿にしちゃいけないよ。セックスは五感でするものだろう?」
「う……た、確かに視覚と触覚と聴覚はそうかもしれないけど……視覚……」
自分で答えた答えに墓穴かと青褪めるに、くすくすと笑って頬を撫でる。
「もちろんの肌を触って楽しみ、の媚態を見て楽しみ、の吐息を聞いて楽しむ。それにの肌の芳しさを楽しんで、のあらゆる箇所の味も楽しむんだ。ほら五感全部使ってる」
「最後の味わうの意味が違う気がします!」
が真っ赤になって抗議する様子がおかしくて撫でた頬に口付けをした。
「違わないよ。ほら、そう考えるとセックスって料理と似てるね。目で見て楽しんで、匂いで食欲を刺激して、口当たりを楽しんで、最後に味わう」
「耳は?」
「それだって調理しているときの音を聞いていたら、嬉しくなったり楽しみだったり。料理に下準備は大事だよね?」
「すっごいヘリクツ……」
は困ったように眉を下げたが、絶対に駄目だとは言わなかった。今回はコンラッドのための行為なので、コンラッドが望むことをするという名目があるからだろう。
「でもわたし、ハートのエプロンなんて持ってないよ?」
「別にエプロンの型にはこだわらないよ。ほら、いつもが料理のときに使う桃色のやつがあったよね。シンプルな直線型だけど」
「で、でもあれは料理のためのもので……そ、そういう使用法はどうかなあ……と」
どうにかして恋人を思い留まらせたいらしいの苦しい言い訳を、笑顔で一蹴した。
「そんなこと。世のカップルはわざわざセックス用のエプロンなんて用意してないだろう?が分けておきたいなら、今度までに俺が用意しておくから今回はそれで」
「今度はないから!」
「じゃあ今回は?」
は真っ赤な顔で絶句して、ぎゅっと唇を噛み締める。
恥ずかしそうにコンラッドから視線を逸らして。
「っ………さ、最初で最後……だからね……」


の持つエプロンは、膝上十センチほどの丈はある。グウェンダルがつけたハートのエプロンよりはまだ余裕があって、これなら短めの普通のスカートをはいているのとそう変わらない。
……ただし、それはその後ろまで足全体が覆われていればの話だが。
クローゼットからエプロンを取り出してリビングへ移動したは、ソファーに問題の品を広げてしばらくじっと凝視していた。
やっぱり無理と言えればどんなに気が楽だろう。
「……でもこれ、確かに……着るだけ、だもんね……」
行為と違って衣装は着るだけだ。できるできないは気持ちの問題ひとつ。
「……コンラッドのため、コンラッドのため」
目を閉じて両手を握り締めて、まるで自らを洗脳するように繰り返すとは意を決して服に手をかけた。
一方、主が不在の寝室でベッドに座って胡坐をかいていたコンラッドは、膝に肘をついてリビングに繋がるドアが開くのを待っていた。
はコンラッドが見ている前で自ら服を脱いでエプロンをかけるなんてできないと言い張ってリビングに移動してしまった。
が自ら服を脱ぎ、そしてエプロンを着用している様子をこの目で見る、または衣擦れの音を目を瞑って楽しむ。
それも確かに魅力的だったが、はわかっていないだろう。
このドアのノブが回る瞬間を、扉が開くそのときを想像して待つことも、とても楽しいのだということを。
「目で見ず、音も聞かず、すべて想像というのも卑猥でいいな」
もちろんそれは、想像が実現される保証があるがゆえではあるが。
何もかもを楽しんでいるだけに見えるコンラッドだが、まったく危惧がないわけでもない。
恋人の言動のすべてに喜びを感じるこの状況で、最終的にはやっぱりできないというのはつらいことだ。から寝室に誘ってくれたという状況の誘惑に負けたりせずに、楽しみは夜までとっておくべきだったか。
だが、別の思惑もある。
ここで回復しなければ、が今夜もう一度いろいろとチャレンジしてくれるのではないかという期待だ。
恥ずかしがり屋のだから、ほんの少し可哀想だという気持ちもあるにはあるが、今回だけだからと言い訳をして何をしてもらうかの候補に想像を巡らせると、罪悪感は軽やかに楽しみに凌駕される。
「……が俺の目の前で、自分でしてくれても楽しいだろうけれど……」
それはさすがに難易度が高いに違いない。
いつもひとりでやっている通りに、と求めたところで、例えばコンラッドに会えない日本なら、がひとりでしているかと考えると果てしなく疑問だった。
思い返せばから誘ってもらったことは皆無と言ってもいいかもしれない。
が日本へ戻ってしまうと長期間会えなくなることもあって、眞魔国にいる間はほとんど三日と空かずコンラッドが求めるから、その暇がないだけの可能性もあるが。
「………うん」
少し考えながら軽く顎を撫でたところで、小さなノックが聞えた。
「……は、入るよ……?」
「どうぞ」
の寝室で、のベッドに座っているのに、が入室を知らせてコンラッドが促す。
奇妙な感覚で、くすぐったいような楽しいような。
期待に胸を躍らせて待っていると、は半分だけ扉を開けてまず顔だけを覗かせる。
「……ほ、ホントにそっちに行かなきゃダメ……?」
「いくら最近は温かいとはいっても、エプロン一枚でいると風邪を引いてしまうよ。おいで」
誰がそんな格好をさせたの。
は喉まで出かかった言葉をどうにか飲み込む。
リクエストしたのはコンラッドでも、それを引き受けたのは自身だ。
「あんまり見ないでね……」
「見るよ。じっくり」
「……は?」
更に扉を押し開けようとしていたは、思わず足を止めた。
「もちろん、じっくりと見るよ。せっかくが『俺のため』に頑張ってくれたんだから、その気持ちに報いることができるように頑張るよ」
無駄なことを言わなければよかったと後悔しても遅い。そんなことを言われると余計に入りにくい。
扉に取り付いたまま動けなくなったに、コンラッドはやれやれと溜め息をついてベッドから降りようとする。
「リビングでする方がいい?じゃあ俺がそっちに行くから……」
「ごめんなさい!今すぐ行くからベッドがいい!」
僅かに青褪めて、はそろりとまず足を差し入れた。
すぐに行くと言いながら、それでも躊躇してゆっくりと部屋に入ってくるに、わかってないなあとコンラッドは内心で手を叩いた。
裸エプロンの醍醐味は、見えそうで見えないところにある。
紐だけしかない後姿を見るのが楽しいのは当たり前だが、後ろを向けばと考える正面の姿だって想像力をかき立てられて楽しい。
胸や足や、歩くたびに覗きそうで覗けないそのギリギリ感がいいのに。もちろん、その後に存分にその身体を堪能できることが前提での話ではある。
だからそうやって、まずその白くて細い足が覗いて、つま先を滑らせながらゆっくりと肩を覗かせて、と戸惑いながら少しずつ部屋に入ってくる様子は、逆に男の興奮を煽るだけだというのに。
元々コンラッドを興奮させることが目的なので、の行動は目的に叶っているわけだが、に計算してそんな真似ができるはずがない。
ただ恥ずかしいだけなのだろうけれど、その恥じらいもまた相手を喜ばせるだけだということを、たぶんわかっていない。
コンラッドは笑顔で、恋人がわかっていないことを心底喜んでいた。








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