、何してるのー?」
アニシナと一緒に厨房に入ってきたグレタは、いつものピンク色のエプロンをかけてなにかの生地をこねているに無邪気に駆け寄って行く。
「ちょっとしたおやつにクッキーを焼くの。グレタも一緒に作る?」
「うん!グレタも作る!」
「相変わらず殿下ご自身のお手で作られるのですね」
「趣味ですから」
実験室ではなく厨房にいる毒女という珍しい組み合わせに苦笑しながら答えて、既に薄く伸ばしていた方の生地をグレタに任せることにする。
「じゃあグレタが型を抜いてくれる?」
「はーい」
側に置いてあった型抜きで生地から星型や花形を作っては天板に並べていたグレタは、こね終えた生地を今度は伸ばすことなく袋に詰めているに首を傾げる。
「そっちは?」
「こっちは絞り出しにしようかなって。アルファベットクッキーにするの」
そう言って、袋を絞りながら別の天板に生地でAの文字を書いた。



幸せについて各々の考察(2)



「なんです、その記号は?」
「これは地球の一部地域で使用している文字で、AからZまで26字で成り立っているものです。こっちの文字はちょっと複雑なので絞り出しでは再現できないのでこっちで」
「ユーリとが使ってる文字なの?」
「ときどきね。これはわたしたちの国の文字じゃないから。ほら、これがグレタの名前の頭文字のG」
「アニシナはー?」
「アニシナさんはこっちのA」
はー?」
「わたしのはこれ。グレタ、有利の文字を書いてみる?」
が絞り出しの袋を差し出すと、グレタは嬉しそうに受け取り、が指で書いたように文字を綴った。
「これがユーリの名前の頭文字?ヴォルフのは?」
「ヴォルフラムはWだからこう」
AからZまで書いても生地が余ったので何文字かは二枚分絞り出す。
すべての生地を天板に並べてしまうと、はまず型抜きした方の天板をオーブンに運ぶ。
グレタはそれを一緒に見守った。
天板をセットして、今度は絞り出しの天板を取りに戻ろうとすると、楽しげに文字を描いていたグレタを壁際で微笑ましく見守っていたはずのアニシナが、持ってきてくれた。
「どうぞ、殿下」
「あ、すみません、ありがとうございます」
お礼を言いながら、笑顔のアニシナから天板を受け取ってオーブンにセットする。
「どれくらいでできあがりですか?」
「えーと、ここのオーブンなら40分程度ですね」
「焼きあがれば即、召し上がるのですよね?」
「アニシナさんもご一緒に来られません?」
「ええ、ぜひお呼びください。それまで実験室に戻っておりますので」
毒女の笑顔は深読みしなくてはならない。
その意味で言えば、はまだまだ甘かったと言えるだろう。
アニシナが厨房を去り、グレタと使用した道具を洗いながらちらりとオーブンを顧みた。
クッキーは、コンラッドと仲直りしようと思って焼いたのだ。
仲直りというか、一方的にが怒っていただけなのだが。
三日前、アニシナに裸エプロンなんてろくでもない文化(?)を吹き込んだコンラッドに腹を立てて思い切り殴りつけたものの、とりあえず現時点においてがそれを要求されたわけではない。
やってくれと言われたならともかく、コンラッドの趣味趣向を理由に殴るのはやり過ぎたかもしれない。
三日のうちにそういう風に考え直して、有利のついでを装いながらお茶に誘って仲直りしようと考えたのだ。
喧嘩ではなくてが一方的に怒っていただけなので、から歩み寄れば間違いなくコンラッドは一も二もなく喜んで受け入れるだろうと踏んでの計画だった。


「お茶ですよー、休憩はいかが?」
がグレタとアニシナを連れてワゴンを押しながら執務室に入ってくると、有利とグウェンダルは対照的な表情を見せた。
有利はワゴンを押す手伝いをする愛娘に相好を崩し、グウェンダルは入ってきた幼馴染みの姿に反射で逃げ出しそうになって腰を浮かしたのだ。
「あのねー、今日のお菓子はグレタもお手伝いしたんだよ!」
「お、じゃあとグレタの合作か」
有利はますます嬉しそうに羽ペンを立てかけると、執務机からテーブルの方に移動した。
「あれ、アルファベットクッキー?」
眞魔国では見ない文字に有利が目を丸めると、グレタは嬉しそうに星型や花型や他のアルファベットの中からYの文字を探し出して有利に差し出す。
「はい、ユーリ。これグレタが書いたんだよ。ユーリの名前の一番最初だよね」
「うわぁ、ありがとうグレタ!」
有利が判りやすく感動して受け取ると、グレタは今度はWの文字をヴォルフラムに差し出した。
「こっちがヴォルフのだよ。これもグレタが書いたの」
「そうか、ではありがたくいただこう」
ヴォルフラムも嬉しそうに微笑んで受け取る。
グウェンダルとグレタは同じGだから半分こ、とグレタが半分に割ってグウェンダルに渡している様子を有利たちが微笑ましく見ている隙に、はCの文字をコンラッドにそっと手渡した。
「はい、コンラッドのC」
今朝までは口も利いてくれなかったが、自分からこうやって差し出してくれたということは、ようやくお怒りが解けたということか。
コンラッドはほっと胸を撫で下ろしながらクッキーを受け取ると、周りに気付かれないように耳元に口を近づけて囁く。
「ありがとう。これはが書いてくれたの?」
「……うん」
恥ずかしくて俯きながら、小さく頷く。この切欠が欲しかったからわざわざアルファベットクッキーを焼いたのだ。
有利やヴォルフラムの目を逸らすためにも、グレタが手伝いを申し出てくれたことは本当に助かった。これを有利に見られていたら、またバカップルめ!と呆れられるところだ。
「私の文字はどれですか?」
「あ、ギュンターもGだったんだ!」
「そ、そんな!私を忘れていたのですか!?」
泣き濡れるギュンターに、グレタが慌ててどうしようとを振り返る。
「え、あ、じゃ、じゃあフォンクライスト卿のVとか」
「フォンが付くのは、ぼくも兄上もアニシナもだが」
Aの文字をひょいと食べたアニシナは、皿を見て首を傾げる。
「あら……馬の蹄型がひとつないですね……」
アニシナの独白は誰も聞いていなかった。
「じゃ、じゃあ二文字目でUというのはどうでしょう。有利の二文字目もUなんですよ」
「陛下と同じですって!?」
仲間外れだといじけていたギュンターが勢いよく振り仰ぎ、受け取ったUの文字を愛しそうに指先で撫でさすると、大事に口に運んだ。
いつものことだと半分引きながらも笑っていたら、後ろから小さな呻き声が聞えた。
「くっ……」
振り返ると、コンラッドが口を押さえてうずくまっている。
「え、コ、コンラッド!?」
が驚いてコンラッドの横に戻ると、コンラッドは口を押さえながら油汗の滲む血の気の引いた青白い顔色で首を振った。
……や、やっぱりまだ……怒って……」
「そんなことないよ!?……え!?じゃあクッキーを食べて?」
途端に有利とヴォルフラムとグウェンダルも口を押さえる。
「ごええええぇぇ」
叫んだのはギュンターだけだった。
「ああ、では馬の蹄型を食べたのはウェラー卿とフォンクライスト卿ですね」
アニシナが星型クッキーを手にこともなげにそう言って、部屋中の不吉な予感に囚われた視線を一身に浴びる。もちろんそんなものに怯むアニシナではない。
「馬の蹄型って……」
と有利は顔を見合わせた。
CとU。確かに見る角度によっては馬の蹄に見えなくもない。
「アニシナ!お前はまた、私の弟に何を食べさせた!?」
「わたくしもウェラー卿に食べさせるつもりはなかったのですが、どうやらあなたの手に渡る前にウェラー卿が食べてしまったようです。まあ、ちょうどいいでしょう。ギュンターとウェラー卿なら、魔力のあるなしで違いがあるのかのデータが取れますしね」
「アニシナとも一緒に料理したのか!?」
ヴォルフラムに睨みつけられて、は慌てて手を振った。
「え?ううん、グレタとふたりだったよ!?」
「思い込みはいけませんよ、ヴォルフラム。わたくしは最後の仕上げにほんのちょっぴりと薬品を塗ってみただけです。殿下の目が離れている隙に」
「隙にとか言ってるし!」
有利は震え上がって紅茶を飲んで腹の中身を増やしてクッキーの占有率を薄めるべきか、それとも指を突っ込んで吐くべきかと迷う。
「ご心配には及びません、陛下。わかりやすいように薬品を塗ったのは馬の蹄型の二枚だけで、他のものに害はありません」
「い、今アニシナさん自分で害って……」
「とにかく!」
星型クッキーを噛み砕き、アニシナは有利のツッコミを黙殺した。
「毒ではありませんからご心配なく。以前殿下に服用していただいた薬を改良してみたものです」
「え、じゃあ美容液ですか?」
紅茶からは目を離していなかったから大丈夫だとコンラッドに差し出して、少しでも楽になるように背中を擦りながら恋人の様子を窺って覗き込んでいたが顔を上げる。
「いいえ!失敗を成功に変えてこそマッドマジカリスト、毒女ことアニシナの名が立つというものでしょう!あの時、殿下が子供に戻ってしまった、その効果を追及してみました。名付けて!」
アニシナが懐から赤い半透明の液体が入った試験管を取り出して掲げてみせる。
「アカイキャンディ〜。子供に戻る薬です。あと十秒」
「あ、赤いキャンディーって……でも、それ液体……」
「瑣末なことにこだわるものではありませんよ、殿下。四、三、二、一」
本当に子供に戻ってしまったらどうしよう!
は思わず傍らの恋人の身体をぎゅっと抱き締めた。
アニシナのカウントが止まり、しばらく待ったが腕の中の大きな身体は子供どころか少しも縮むことはなかった。
そろりと覗いてみると、コンラッドが大きく息を吐き出す。
誰も注目してくれていなかったギュンターもよろよろと起き上がった。
「な……何とも、ない?」
「失敗作か」
有利とグウェンダルがほっと息をつくと、アニシナは不愉快そうに眉を寄せた。
「焼き上がりでなく、焼く前に塗ったために加熱されて成分に変化が起こったのかもしれません。試用方法に誤りがあったようです。グウェンダル、こちらの原液を飲んでごらんなさい」
「誰が飲むかっ」
「大丈夫です。計算では三日ほどで元に戻りますよ」
「お前の計算が当てになると思っているのか!?」
グウェンダルを押さえつけて試験管を傾けようとするアニシナと、それを必死で阻止するグウェンダルに有利とヴォルフラムがそっと目を逸らし、ギュンターは我が身の無事を修飾華美な詩にしてとうとうと詠みあげ、グレタは安全を保証された型抜きクッキーを頬張っていた。
「ごめんね、コンラッド……」
のせいじゃないよ。もうだいぶ気分もよくなってきた」
「無理しないで。有利、今日はもうコンラッドを休ませてあげていい?」
「え?あ、ああ。そうだな、大事をとっておいた方がいいだろうな。ヴォルフとグウェンがいるから、コンラッドは部屋に帰っておけよ。なんなら医務室に行ったほうが」
「いえ、大丈夫です」
に手渡されていた紅茶を飲み干して、コンラッドは危なげなく立ち上がったが有利は首を振って駄目だと拒否をした。
「今日はもう休め。アニシナさんの薬が失敗じゃなくて成分が変わっただけなら、どんな影響が出てくるかわかんないし。、コンラッドが無理しないように部屋に送ったらそのまま見張っててやって」
「うん、ありがとう有利」
大丈夫なのに、と呟いたコンラッドは、そのくせ少し嬉しそうに顔を緩ませる。
この分なら本当に心配ないかもしれないとは思いながらも、医務室経由でコンラッドの部屋に行こうと考えた。








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