未来の毒女に憧れるグレタが、アニシナの研究室を訪れることはよくある話だ。というより、日常茶飯事の光景だった。
以前作った失敗作を改良して別の薬に仕立て上げようとしているアニシナの後ろで、まだ処分されていなかった失敗作の魔動発明品を探っていたグレタは、その中でひとつだけ他とは異なる物を発見した。
何しろ、他の道具は木の箱であったり鉄の箱であったり、とにかく角ばって硬いものばかりなのに、それだけはただの布にしか見えなかった。
むしろ、ただの前掛けだ。
ハート型の。
「アニシナ、これなーに?」



幸せについて各々の考察(1)



「どうしたグレタ、何持ってるんだ?」
仕事に一段落つけて休憩に入っていた有利は、遊びに行っていたはずの娘が執務室に入ってきたので相好を崩して手に持った布について訊ねてみる。
現在執務室には有利と補佐をしていたギュンターと、また呼び出されていたグウェンダルと、有利の傍らで歴史の本を読んでいたがいた。
コンラッドは休憩のお茶を持ってくるため厨房に出向いており、ヴォルフラムは部下を連れて城下へ出ている。
「失敗作だからいらないって、アニシナにもらったのー」
グレタが嬉しそうに告げると、部屋の温度が確実に一度は下がった。
特にギュンターとグウェンダルの反応は顕著だった。
「アニシナ?アニシナに何をもらったのだ!?」
「い、い、いけませよグレタ!毒女に近付いてはいけませんっ!」
「おとーさんとしても、毒女より白衣の天使を目指して欲しいところなんだけどなーって、なんだ。ただのエプロンじゃん」
グレタが嬉しそうに広げた布は、手触りもよいサテンの生地らしきエプロンだった。ただし胸の辺りがハート型。
「グレタ、料理でもするの?……って、でもちょっとグレタには大きすぎない?」
が首を傾げると、グウェンダルが小さく呟いた。
「それは……」
「あのねー、グレタ、ユーリのいやしになれないかなって」
「癒し?なるよ。グレタはそこにいてくれるだけで、おれすごく癒されるよっ」
「ほんと?じゃあグレタ、もっとユーリをいやせないか試してみるね。グレタなら大丈夫かもしれないってアニシナが言ってたし!」
相好を崩す有利に苦笑していたは、突然服を脱ぎ始めたグレタにぎょっとして本を取り落とす。
「グ、グレタ!?」
「ちょ、、グレタを止めてくれ!ギュンターとグウェンは見るなーっ」
慌てて二人の臣下に後ろを向けと命令を下したが、そこまでする必要はなかった。
その前にがグレタの脱ぎ捨てた服を拾い上げて肩に掛けたからだ。
「だめだよグレタ!こんなところで服を脱いじゃ!」
「だって裸にならないとだめなんだよ」
「なにが!?」
有利も慌てて机を迂回して駆けつけると、グレタはちょっと不満そうに唇を尖らせる。
「それはアニシナの作ったはーとのえぷろんとやらだな」
グレタが外した釦をが留めていると、有利はそのエプロンをグレタの手から預かった。
「……なんの変哲もないハート型エプロンに見えるけど」
「あのね、それを服を脱いで着るんだって」
使用方法を説明するグレタに、有利とは一瞬、自分の耳を疑った。
「………はあ!?」
そして、同時に裏返った声を上げる。
「その人にとって大事な人が、そのえぷろんだけを着て見せれば、いやし効果倍増なんだって。グレタじゃユーリのいやしになれないの?」
「ちょ、ちょちょちょちょちょっと待ったー!」
「そ、それ本当にアニシナさんが言ったの!?」
狼狽する有利との後ろで、グウェンダルがふっと溜め息をつく。
「それは失敗作だったぞ。グレタに問題があるわけではない」
「待て。待てよグウェンダル。失敗作って言い切るからには、試したのか?試したのか、アニシナさんと!?」
「……有利、顔が真っ赤」
エプロンを握り締めて凝視する有利にが冷めた視線を送る。
「アニシナさんがこれ着たのに癒されなかったのか!?あんたちょっとおかしいよっ」
「何を言う。あいつが自分で自分の発明品を試したことなどあるはずがなかろう」
「……は?」
渋面を作るグウェンダルに、ギュンターもしみじみと溜め息をつく。
「そうですよ陛下。アニシナは平気で人を恐ろしい実験のもにたあにはしますが、自分はもっぱら作るだけ……」
「本人に言わせると、自分で使用しては問題点や改良点が見えないからだそうだが」
それはある意味正しい観点だ。
有利ももそれは認める。
認めるものの、では一体なにを以ってこのエプロンを……もはや魔動とは関わりもない、なんの変哲もないエプロンを失敗作などと言えるのか。
「……………………………ひょっとして、グウェンダルさんが、着た……んですか?」
恐るおそるとが訊ねると、眉間に皺を寄せたままグウェンダルは明言を避けた。
それが答えだった。
「ぎゃあぁーっ!!」
悲鳴を上げて有利がエプロンを放り出す。
「ユーリ!グレタがもらったのにっ」
有利は泣きそうになって両手を服に擦りつけながら、膨れてエプロンを拾い上げるグレタを叱り付ける。
「だめだ、グレタ!捨てちゃいなさい!」
「…………有利、顔が真っ青」
だって真っ青だよ!」
二人で泣きそうになりながら、想像しかけてしまった恐ろしいイメージを懸命になって振り払う。
グレタなら全身が隠れてなおも裾を引き摺る大きさだが、グウェンダルともなれば恐らく丈はぎりぎりだっただろう。
「だから想像するなよ、おれ!!あーっ、こんな想像力いらねえーっ」
「アニシナさん、なんでこんな実験する気になったのー!?」
悶え苦しむ有利とに、地球出身ではない三人が目を瞬いた。
「それはアニシナのオリジナルではないぞ」
「え?」
両手で頭を抱えていた有利は、グウェンダルを顧みかけて慌てて目を逸らした。
今はグウェンダルを見たくない。
「あのね、コンラッドが教えてくれたんだって」
「………なんだって?」
グウェンダルから目を逸らして窓の外を見ようとしていた有利は、ぐるんと首を回して普段ならその姿だけで和むことの出来る愛娘を見た。
ソファーに座ったグレタが膝にエプロンを引き上げてそれを折り畳み始める、その手元は出来るだけ見ないようにはしているが。
「お前たちの国ではすべての男の憧れだそうだが」
グウェンダルが理解できないと息をついた。
「一体どの辺りに憧れるのだ」
「そりゃ使用者の選択ミスだったんだよ……」
名付け親の意外な一面を聞いてしまった気分で、がっくりと床に両手をついて項垂れた。
だが、すぐに恐ろしい事実に気がつく。
名付け親の現在の恋人は、自分の大事な大事な妹だ。
!?」
まさか恋人にこんなハレンチな真似を要求されていないだろうな、と蒼白になって妹を振り仰いだが、ここからでは背中しか見えなかった。
ちょうどその時、ノックがあって扉が開く。
「ユーリ、。休憩の準備が整ったよ」
ポットとカップと茶菓子を載せたワゴンを押して入ってきたコンラッドに、有利は青白い顔を向ける。
「コンラッド……あんたってやつは……」
「どうしたんです、ユーリ?……、顔色が悪いけど」
ワゴンから離れて心配そうに側に寄った恋人の肩を叩こうとしたその瞬間。
「この……………ドスケベっ!」
強烈なボディーブローがまともに入った。


突然の出来事に有利以外のメンバーが呆然としている間に、は激怒したまま部屋から飛び出して行ってしまった。
「い……一体なにが……」
いくら身体を鍛えているとはいっても、何の構えもない状態で突然攻撃されればそれなりにダメージも大きい。おまけには居合いや弓道をたしなむだけに同年代の少女たちよりは力もある。
腹を抱えて掠れた声を上げるコンラッドに、有利が冷ややかな視線を送った。
「自業自得じゃないのー?」
「そんな……心当たりはないですよ」
少なくとも休憩のお茶を取りに行くまでは、は特に不機嫌でもなかった。
心当たりがないと断言するコンラッドに、が飛び出したまま開きっぱなしの扉を呆然と見ていたグレタの手元を有利が指差した。
「アニシナさんに変なこと吹き込んだだろ、あんた」
「アニシナに、俺がですか?」
やっぱり心当たりがないと言いかけて、畳み掛けのその布を見たコンラッドは「ああ……」と嘆息して大きな掌で両目を覆った。
「別ににはお願いはしてませんよ、まだ」
「まだってなんだよ!?」
聞き捨てならないと眉を吊り上げる有利に、コンラッドは困ったように苦笑する。
の嫌がることはしませんから、ご心配なく」
「心配するに決まってるだろ!?自分の名付け親の趣味が裸エプロンで、おまけにそんな奴が妹の恋人なんだぞ!?い、いやその前にコンラッドだって判ってるだろうけど、はまだ子供なんだから、そ、そういう関係になることだって早いんだからな!」
冗談じゃないと有利が地団駄を踏むと、コンラッドが少しでも主を和ませようとそれこそ冗談のつもりでこう言った。
「俺の趣味が裸エプロンって、俺が着てるみたいじゃないですか、やだなあ」
「………あんたの兄貴は着たらしいよ」
愛想笑いの表情のまま、コンラッドが固まった。
だがすぐに、自分の兄をものすごい勢いで睨みつける。
「何でも言いなりならず、たまにはアニシナに毅然として断ってくれ!」
「元々の原因はあんだだろ!」
もっともすぎる有利の叫びは、この日を境に三日ほどが口も利いてくれなくなったことで、コンラッドにも反省を促したはずだった。








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