確かニッポンの格言にこんなものがあったはずだとふと思い出して、実践してみた。 ついいつもこれ以上ないくらいにの側にありたいという気持ちに負けて、言い訳を作っては身体に触って怒らせるということを繰り返してしまっていたからだ。 が俺との接触に慣れてくれればそれが一番なのだが、どうにも恥ずかしがり屋の彼女にそれはなかなか難しそうだった。 怒られずに触れたければ、の方からそう思ってもらえることが一番いい。 押して駄目だから引いてみた。 熱に溺れる(3) 「自分で言ったものの、考えてみれば水着なんて持ってたっけと思ったけど」 衣裳部屋に入ったとユーリは呆然として辺りを見回した。ズラリと部屋の奥まで並ぶドレスやその他の衣装はすべてのために用意されたものだ。 どうやらふたりとも、衣類はベッドルームに隣接したクローゼットルームにあるだけですべてだと思っていたらしい。 「季節ごとに服が変わるでしょう。今は冬だからユーリの部屋にもの部屋にも冬の衣装が用意されています。その他の季節のものは全部こちらに収められているんですよ」 「え、おれにもあるの!?」 「当然でしょう。女性物ほど幅は取りませんから見た目はこれより地味に見えるかもしれませんが、数でいえばそんなに変わらないと思いますよ」 「そんなにいっぱいあっても着る機会ないじゃん!おれなんて成長中だから着ないままでサイズが変わっちゃうかも」 「そうしたら新たなサイズで作り直すだけです」 「もったいない!あ、でもフリマで売ればいいか」 「フリーマーケットに魔王の服?オークションに出品ならまだしも……」 は呆れたように呟きながら夏の衣類のある列の方に移動する。 夏のドレス群を抜けて進むと、水着の掛かったレーンがあった。 「み、水着だけで30着くらいあるのはなんで?」 「母上の仕業じゃないかな。を連れてバカンスに行きたいと言っていた覚えがある」 「あー……確かに……なんかツェリ様のチョイスっぽい」 ユーリがどこか遠くを見て呟いたのは、露出の多い水着が多いせいだろう。 「これなんて紐じゃん」 ユーリが手に取ったハンガーを後ろから取り上げる。 「これは駄目ですよ」 「わかってるよ!」 「着るわけないじゃないっ!」 ユーリとが同時に悲鳴を上げた。いくら相手がユーリとはいえ、が自分で肌の露出の多い水着を選ぶとは思ってないけどね。 数はあっても選択できる物は少なかったらしく、は迷うことなく脇に黒いラインの入った白のワンピース型の水着を取り出した。 「これにしよっかな」 「ああ、いいんじゃないかな」 肌の露出もヒルドヤードの貸し水着に近い程度でこれなら特に文句はない。だがユーリが首を捻る。 「風呂に入るんだろ?身体とか洗うんだからこっちの方がよくないか?」 ユーリが取り出したのはピンク色のシンプルなビキニタイプの水着だった。首の後ろで紐を結ぶものなので、背中は紐が一本通るだけで洗うということに関しては確かにこちらの方がいいかもしれない。 「え、で、でも」 は俺を窺いながら言い淀む。俺が反対すると思っているのだろう。 その通りだけどね。 「肌が出すぎです」 「だから身体洗うだろ?水着の上からより直接洗う方がいいじゃん。もーコンラッドちょっと心が狭すぎだぞ。おれしか見ないんだからそんなに目くじら立てんなよ。な、」 「え、う、うん。で、でもコンラッドの言うことも一理あるかなーって……」 「そっちの水着だと背中の流し甲斐がないだろ。な、こっちにしとけって」 ユーリが自分の選んだ水着を押し付けると、は俺とユーリと両方を窺って結局ふたつを持って行くことにした。 「さ、なんか調子悪い?」 一日も終わろうとする頃、夕食も終えてゆっくりと一休みしていたユーリは少し心配そうにを窺った。 俺も気にはなっていた。夕食があまり進んでいなかったからだ。声をかけると思い出したように食事を再開していたが、すぐにまた手が止まるを繰り返していた。 「え?そ、そういうことじゃ、全然まったくないんだけど……」 「調子悪いならさっさと寝た方が良いぞ。コンラッド、部屋まで送ってってやってよ。今日はおれももう寝ちゃうから、そのまんまコンラッドも休んじゃって」 「わかりました。じゃあ行こうか」 「う、うん」 調子は悪くないというだが、どこかギクシャクと硬い動きでソファーから立ち上がるとユーリに就寝の挨拶をして部屋を出た。 「……、本当に何かあった?」 「え!?う、ううんっ!何にもっ」 「何もという様子じゃないけど……俺にも言えないこと?」 「……そ、そういうことじゃなくて………あの……その……」 俯いて、後ろで組んだ両手の指を絡ませながら何を言おうか迷うように言い淀む。 どう見ても何かあったとしか思えない。 俺が覚えている限り、朝はいつもと変わりがなかったはずだ。だが夕食の時は既にどこか落ち着かない様子だった。ということは、昼食が終わって俺がユーリの側についてと一緒にいなかった午後に何かあったということだろうか。 が困っている間に、ユーリの部屋からはすぐ近いの部屋に着いてしまった。 このままだと部屋に逃げ込んでしまうと捕まえようと伸ばした手を、他ならぬから掴んできた。 「あ、あのね……お願いあるの」 意外だった。逃げないで俺にお願いということは、の様子がおかしかった理由は俺にあるんだろうか。 俺を見上げたは、すぐにまた俯いてしまったが俺の袖を指先で握り締めている。 ……可愛い。 「なに?なんでも言って」 今なら何でもいいよと言ってしまいそうだ。頬を染めて俯いたを抱き締めたい衝動を堪えながらできるだけ穏やかに聞えるように言うと、はしばらくの沈黙の後、俺の耳がおかしくなったのかと疑いたくなるようなことを掠れそうな声で囁いた。 「……………一緒に……お風呂、入ってくれる?」 「―――――――――――」 瞬間的に息が止まった。 ひょっとして俺は都合のいい夢でも見ているんじゃないかと思って絶句していると、それをどう取ったのかは不安そうにちらりと俺を窺う。 「だ、ダメ?」 身長差はそのままに上目遣いという凶悪な行為をさせて、よろめきながら抱き締めそうになった手を引いてどうにか堪える。 「俺はもちろん構わないよ」 一瞬で脳裡を駆け巡った妄想がに伝わらないように、できるだけ人畜無害を装った笑顔を浮かべる。今考えたことがに伝われば、きっとやっぱり止めたと言われそうだ。 いや、のことだから今にもやっぱりいいと言い出しかねない。 「じゃあ一緒に入ろうか」 の細い肩を抱いて部屋のドアを押し開けると、慌てたように首を振る。 「ま、待って、あのコ、コンラッドにも水着を着て欲しいの」 水着と聞いてようやく昼間のの唐突なアイデアの意味がわかった。 「ひょっとして、陛下と入浴するためじゃなくて、俺と入るために水着を思いついた?」 「だ、だってその、み、水着ならヒルドヤードの温泉と一緒だし……あの、わ、わたし今日は肩しか痣できてないよ。……それも確認できるでしょう?」 なるほど、昼間俺があっさりと引いたことを気にしていたのか。 俺としては、前回は大人しく引いたから今回はという論法で二回に一回くらいはが大人しくとまでは行かなくても渋々承知してくれるように話を持っていけたら、というくらいの企みしかなかったんだが……。 どうやらニッポンの格言は正しい事を言っているようだ。 押してばかりではなく、引くといいとは何て素晴らしい教えだろう。 望外の結果が出た。 の気が変わらないよう、できればこのまま水着だけ持って俺の部屋に連れて行きたかったのだが、湯上りのと廊下を歩いているところをユーリに見つかると厄介だ。 ユーリは調子が悪そうだからと部屋に帰したのだから不審に思われる。 には部屋で待ってもらい、の気が変わらないうちにと廊下を走らない可能な限りの速さで部屋を往復した。最近ヒルドヤードに行ったばかりだから、水着がすぐに取り出せるところに置いてあったことがまた幸いだった。 それが予想を越える早さだったらしく、俺が部屋に入るとは手にしていた白い水着を抱き締めて顔を赤らめながら俯いてしまう。 気をつけないと。 飢えていると思われたら、きっとはすぐにでも逃げてしまう。 「―――お待たせ。ところでそれは水着が違うんじゃないかな?」 白の水着を抱き締めたまま、は驚いたように顔を上げた。 「え、で、でもコンラッドが選んだの、こっちだよ?」 それは陛下と着る用にだよ。 「でも本当に肩以外に傷や痣がないのかを見るのなら、もうひとつの物の方が確認できるんだけどな」 「あ……う……そ、うだけ…ど……」 下手に押し過ぎない方がいいかと、の右肩に驚かさないようにそっと手を置いた。 「ぶつけたのはこちらだったね?肩だって、本当に打ち身だけで大丈夫なのか心配なんだ」 の身体に傷をつけてしまいはしないか、跡に残るような怪我をさせないか心配していることは事実なので、この件については芝居の必要がない。 俺が心底心配していると信じてくれたは、戸惑いながらも白ではなくピンクの水着を選択してくれた。 「じゃ…じゃあ……先に入ってるから……脱衣所にはわたしがいいって言ってから来て」 「わかった。それより緊張しすぎて風呂場で転ばないようにね」 夕食からずっとギクシャクと動きのぎこちないに笑って言うと、少し拗ねたように頬を膨らませる。 「そこまでドジじゃないもん」 少し緊張がほぐれたのか、はようやく微笑んでくれて、覗かないでよと俺に念押ししてからバスルームに向かった。 ひとり残された俺は少し考えて、部屋に鍵を掛けておくことにした。 他の者ならともかく、ユーリがなにかの気まぐれでの様子を見に来るかもしれないと思ったからだ。ユーリはの具合が悪いと思っているから、ノックに返答がなくても寝顔だけでも確認しようとするかもしれない。だが鍵が掛かっていれば眠っていると思って諦めるだろう。 リビングに戻り鍵を掛け、上着を脱いで椅子に掛けておく。 シャツ一枚で戻ると、中からの声が聞こえた。 「もういいよ、入って」 許可が降りたのでドアを開けると、ちょうどバスルームのドアが閉まる。うまく入れ違いにされてしまったようだ。 「まあこのまま逃げられるわけでもないし」 なにしろの方から誘ってくれたのだから、窓から逃走するはずもない。 几帳面に畳まれたの衣服の横に脱いだシャツや下着などを置いて水着を着込むとバスルームのドアをノックした。 「入るよ」 「は……はい」 微かに返事が聞こえた。どうやら緊張が復活してしまったようだ。まずはそれを解すことから始めるべきだろう。 裸の付き合いは変な気構えや垣根を取ってくれるというが、の場合は逆に緊張させている。 その状態で下手に手を出せば、怒らせるか泣かせるかしてしまいそうだ。のぼせない程度にゆっくりと入って、まずはいつもと変わらないのだと気楽になってもらおう。 できれば最終的には、彼女の身体を俺の手で洗えれば楽しいだろうけど。 あまり先走った考えは、察知されたときに警戒されてしまう。 下心を一時的に封印するつもりでバスルームの扉を開いた。 |