「剣の軌道が上がってる!返しが遅いっ」 コンラッドの剣が振り下ろされる。 それを真正面から剣で受け止めたら、力負けして地面に叩きつけられた。 熱に溺れる(2) 「も、もう一本っ」 急いで起き上がったけど、コンラッドは練習用の剣を鞘に収めて首を振った。 「そろそろ切り上げないと陛下と一緒に昼食をとれないよ」 「う……」 それはわたしだけの問題じゃなくて、有利の警護というコンラッドの本来の仕事にかかってくることなので、仕方なくわたしも剣を収めて背筋を伸ばすと頭を下げた。 「ありがとうございました!」 この挨拶がいつも鍛錬の終わりの区切りとなる。 「うん、お疲れ様。……、肩は大丈夫?」 挨拶が終わるとコンラッドがすぐに心配するのもいつものことで、優しく肩を撫でさする。 「最後のあれは受け流すところなのに。の細い腕では俺の剣は受け止めきれない。そんなこと、いつものならわかっているはずなのに、今日はときどき気が散っていただろう」 「そ……そう?」 見上げたコンラッドの額から汗が一筋だけ流れ落ちて、それをじっと見ていたら運動のせいじゃなくてドキドキと心臓の動きが速くなる。 コンラッドに見惚れることなんて今更なのに、ものすごく落ち着かない。 触られた肩から痛み以外の熱が広がるみたいで、その手を払うように落としてしまった。 「?」 コンラッドの驚いた顔に失敗したと思ったけれどうまい言い訳が出てこなくて、剣を抱えたままじりじりと距離を開ける。 「じゃ、じゃあコンラッドは有利のところに行って」 「まだ最後の締めが残ってるだろう?」 「また怪我のチェック!?わたし絶対に脱がないからね!」 「そういうわけには……あっ、!」 後ろからコンラッドが呼んでいたけど、逃げるようにして走り出してしまった。 鍛錬の後はいつもコンラッドが部屋で服の下の怪我を確認しようとするから、こうやって逃げ出すことは毎回のことで、これで怪しくなく逃げられた。 ……わけではない。 逃げ出すのが毎回なら、コンラッドが追ってくるのも毎回で。 「そういつも逃げなくてもいいじゃないか」 「逃げるよ!恥ずかしいんだもんっ」 ひょっとしたらこのやり取りが嫌で、わたしから剣術の修行を止めると言い出すのを待っているんじゃないかと思うくらい、本当に毎回毎回繰り返される。 いつもはクタクタで最後まで逃げられないけど、今日の鍛錬は短時間だったからまだ体力があるんだから! 部屋まで逃げ切ってドアを閉めようとしたけれど、その瞬間にコンラッドが足を挟んで無理やり隙間をこじ開けてきた。 「どこの悪徳セールスマンなの!?」 こんな押し売りがいると噂には聞いていたけど、本当に実践する人は初めて見た! 軍用ブーツとはいえそんな無茶して大丈夫なのかと気を取られた一瞬で捕まってしまう。 「はい、じゃあ脱いで」 「いーやーっ」 手首を掴まれて、引き寄せられながら足を踏ん張って抵抗するとカーペットに引き摺った跡が残る。 「今日はそんなにハードな訓練じゃなかったし、上だけでいいから」 「いつも言うけど、見たって痣も傷も治んないでしょ!?」 「そうだけど、俺の気がすまない」 「わたしの気持ちはどうなるの!」 悲鳴を上げたら、手首を掴んでいた手がぱっと離れた。 思い切り後ろに体重をかけていたから、転びそうな勢いで後ろによろめいてしまった。 ソファーの背もたれに手をついてどうにか転倒を免れる。 「コ、コンラッド……?」 こんなに素直に離してくれたことなんて今までなくて、驚いて見返すと眉を下げて困ったような表情のコンラッドと目が合った。 「……確かにの気持ちも大切にしないといけないな……。そんなに嫌なら、今回は諦める」 珍しい。ものすごく珍しい。 そんなに素直に引いてくれるなんて今までなかった。 「でも、が本当に心配なんだってことだけはわかってほしい」 「う、うん。そ、それは疑ったことない…よ……?」 「ならいいんだ」 コンラッドは少しだけ寂しそうに微笑んで、わたしの頬にキスをすると大人しく部屋を出て行ってしまった。 「め……珍しい……。……けど」 先にヴォルフラムとあんな話をしていなければ、珍しいけどまあいいかと思えたかもしれない。 だけど、ヴォルフラムは言ってたよね? 「どんな形でも拒絶というのは突き放されたと感じるものだからな」 コンラッドだって、そんなに拒否されたら傷つくって言って……。 「やだ……わ、わたし…そんなつもりじゃ……」 でも、どんな形でもどんな理由でも、拒絶は拒絶なんだ。 大体わたしがコンラッドの希望を叶えられたことって、どれくらいあるんだろうと考えると両手の指で十分に足りそうだった。 コンラッドがわたしの気持ちを汲んでくれたことなんて、数限りないのに。 湯船にお湯を張っている間に服を脱いで鏡の前に立つ。 ぶつけた右肩は赤くなっていた。 今日は短時間しか鍛錬しなかったので、怪我らしい怪我といえばこの痣くらいのもの。 こんなことならTシャツの肩をずらして見せればコンラッドも気が治まったかもしれないのに。 コンラッドに謝った方が良いのか、でも脱がなくてごめんねなんて謝るのはどう考えてもおかしいし。 身体と髪を洗って汗を流している間にお湯の溜まった湯船に、洗った髪がお湯につかないように高い位置で纏め上げてからゆっくりと浸かった。 部屋についているお風呂だから、有利のお風呂みたいに広大ということはないけれど、それでも部屋付きのお風呂とは思えないくらいに豪華だ。 脱衣所も洗い場も湯船も、わたしどころかコンラッドが一緒に入っても楽々な広さ。 「………一緒に入ってってお願いしたら、ちょっとは喜んでくれるかな……?」 で、できもしないことを。 それに別にコンラッドはわたしと一緒にお風呂に入りたいと希望したわけじゃない。 午前中のあれは単に有利と入るくらいならと言ってきただけのことで、さっきは怪我をしていないかを見たかったから脱がしたかっただけだし。 「……わたしが反応しすぎるのかなあ……」 男の人と付き合うどころか好きになることもコンラッドが初めてで、そういうわたしだから友達もそんな際どい話をしてきたことがない。 わたしが過敏なのか、コンラッドが過剰なのか、わからなくなってきた。どっちもかもしれないけど……。 「……大体、ちょっと怪我してるかどうか見るくらいで恥ずかしがっててどうするんだろう。コンラッドとは……いつかもっとすごいことするのに」 自分で言いながら、それを「くらい」だと思えるなら最初から苦労は無いんだと溜息が漏れた。 それに、もっとすごいことって。 さ、最終的にはTシャツだけじゃなくて、全部脱いで……。 「………む、無理……」 そのまま背中から沈むように湯船に顎まで浸かる。 天井に向かって上げた腕は、日頃の鍛錬のおかげでたるんでこそはいないけど、力を入れると同年代の女の子よりはずっと筋張って見える。筋肉がつきにくい体質なので筋骨逞しいというわけでもなくて、妙に中途半端に思えた。 お腹も摘んでみる。贅肉なんてついていないけどツェリ様みたいにくびれているわけでもない。 太股もそこまで太いということはないけど、細いというわけでもなくて、それはふくらはぎや足首も一緒で……。 身体の欠点を上げていったらキリがない。 コンラッドによく触られるところと言えば肩や腰で、それから太股とか胸とかお尻とか。 考えてみたら、もう結構あちこちコンラッドに触りまくられているような。 「……こうやって思い返したら、コンラッドってすごーくエッチだよね」 湯船から起こした身体を抱え込む。 でも、そんなにエッチならやっぱりすごく我慢してるのかな。それともあれくらいは全然普通のことで、やっぱりわたしが恥ずかしがり過ぎなのかな。 「わかんない……」 考えながらお風呂に入っていたら、ちょっとのぼせてしまった。 くらくらする頭で着替えて髪を梳かすと、大体乾いたところで編み込んで纏め上げて部屋を出る。 忙しい有利を待たせないようにしないとと有利の部屋に向かう途中で、廊下の窓から角を曲がった向こうの廊下の窓にコンラッドが見えた。 有利も一緒なのかと角まで小走りで進むとひょいと覗いてみて、思わず角を曲がらずに戻ってしまった。 びっくりして廊下の壁に背中を張り付けて、ドクドクと嫌な鼓動を立てる心臓に左胸を押さえる。 特別なことがあったわけじゃない。ただコンラッドがにこやかに立ち話をしているだけで。 その相手が女の人だってだけで、特別なことじゃない。 コンラッドが誰とでも穏やかに話すには今に始まったことじゃない……のに。 「……こういうの、なんかやだな……」 心が狭いというよりは、人間が小さいように思える。女の人と話すなと言っているみたいだ。 そんな無茶な話はない。 「きっとまだのぼせが残ってるんだ。頭に血が上ってるから変な気分になるんだ」 それにきっと、後ろめたいからだ。 コンラッドがしたいと思っていることを、何もできないでいるから。 何か、何かコンラッドが喜んでくれるようなことができたら、こんな嫌な気持ちを持ったりしない。……たぶん。 深呼吸をして、心を落ち着けてから角の向こうに一歩踏み出した。何でもないようにコンラッドに声をかけようと思ったのに、ちょうど有利がヴォルフラムと一緒にコンラッドの向こうから来たところだった。 侍女の人が有利に頭を下げて通り過ぎると、有利とヴォルフラムとコンラッドが同時にわたしに気付く。 「あ、。もう剣の修行の汗流したの?髪はちゃんと乾かしたか?」 廊下の先から手を降って大声で訊ねるものだから、慌てて駆け寄って笑顔で頷く。 「乾かしたよ。有利こそちゃんと乾かした?」 大丈夫だよね、笑顔は引き攣ってないよね。 コンラッドを窺うけれど、わたしたちのやり取りを微笑ましく見ているだけで不審に思っているようには見えない。大丈夫、ちゃんと笑えてる。 「おれはすぐ乾くよ。ほら、もうほとんど濡れてない」 有利は髪を掻き回して笑う。 「おれといいといい昼間から風呂に入って、とんだ風呂好き兄妹だよな」 「わたしのは正当な理由があるんですけど」 「おれだって風呂が楽しいという正当な理由がある」 「それ、理由?」 「あーあ、ヒルドヤードの温泉尽くしは意外な効能もあったもんだよなあ」 「だからわたしは違うって………」 有利みたいに時間の隙間を縫うように入浴しているわけではないと言いかけて、頭に引っ掛かるものがあった。 ヒルドヤードの温泉。 「……水着!」 「え、な、なに?」 急に叫んだので驚いたように仰け反った有利に、わたしは嬉しくなって身を乗り出す。 「そうだよ、水着着てたら一緒に入ってもまだマシだと思わない?」 「ヒルドヤードの温泉郷みたいに?マシって?」 不思議そうに訊ね返されて、はっと気付いて口を閉ざす。 コンラッドと一緒にお風呂に入る方法を考えたなんて、有利にも誰にも言えない。進退窮まったわたしは、とっさに隣に立っていたコンラッドの腕を取った。 「水着着てたら、有利と一緒に入ってもいいでしょ?」 コンラッドは驚いたように目を瞬いて、それから仕方がないというように苦笑する。 「……そこまで一緒に入りたい?」 「う、うん」 微妙……かも。そこまでして一緒に入ろうとしているのはコンラッドとであって、有利とじゃないんだけど……。 「仕方ないな……ヴォルフもいいか?」 「ユーリも水着を着るならな」 「いやさ、おれとしては兄妹での入浴にそこまで目くじら立てるあんたらの方が仕方ない奴という気がするんだけど……」 有利は呆れたように呟いた。 |