温泉行きを境に、有利はかなりのお風呂好きになっているようだった。 某国民的アニメのヒロインじゃないけど、昼間でも手もちぶさたになるとお風呂に行っている。ヒルドヤードでの温泉三昧が確実に影響しているに違いない。 「あー、やれやれ午前の仕事もようやく終わりか肩凝ったなー。風呂にでも行くか」 謁見の間から出てきてすぐの声がこれだもの。 「も一緒に入るか?」 久々に聞いたセリフに、一瞬呆れたことなど吹き飛んだ。 だって最後に一緒に入ったのって、ヒルドヤードの温泉を抜かせば高校入学前だったから、半年以上が経過している。 「入るー!」 「駄目です」 にこやかな笑顔でコンラッドが割り込んできた。 熱に溺れる(1) 「あそこは魔王専用だから、は駄目」 「なんだよ、別におれがいいって言ってるから問題ないだろ?ヴォルフラムとだって入ってるしさ」 「そうだよ!ヴォルフラムばっかりゆーちゃんとズルイっ!」 「ヴォルフは陛下の婚約者だから」 「おれは友情を深めてるんだよ!なんか怖い事を想像するような言い方するなっ!」 有利が真っ青になって全力で何かを否定するのを軽やかに無視して、コンラッドは廊下の窓から外を眺める。 「ああ、いい天気だ。、剣術の鍛錬をしようか。今日ならいい汗をかけそうだよ?」 「………こういうときの切り札にするの、ずるいよ」 コンラッドはコンラッドで忙しいし、元々があまり乗り気でないことからヴォルフラムの魔術講座に比べて時間が取れないことが多い。だから、コンラッドからこう言い出してくれた時は断れない。 もっとも、ヴォルフラムの魔術講座もヒルドヤードでのあの発動不良?みたいなののせいで、現在は一時停止で様子見なんだけど。 「じゃあおれ、鍛錬が終わるのを待ってるよ。横で素振りでもやってる」 有利はわたしが有利のために、国のためにできることがないと気に病んでいる事に最近、気付いてしまったらしく、わたしがすることにはあまり反対しなくなった。 ちょっと嫌そうな顔をしたけど、剣術なんて駄目だとは言わない。 ちなみに、有利の言う素振りはもちろんバットのことで、決して剣のことではない。 「なに言ってるんですか。昼食を挟んで陛下は午後の執務があるでしょう。入浴する時間がなくなってしまいますよ」 「ぐあっ、そ、そうか……しょうがない、ヴォルフラムを探して誘うかな」 「ヴォルフラムばっかりずるーい」 「そんなに誰かと一緒に入りたいなら、俺と入る?」 「却下だ!」 「絶対にイヤっ」 わたしと有利が同時に叫ぶと、コンラッドは苦笑しながらわたしの背中を押した。 「そこまで否定されるといくら俺でも傷つくよ?さ、俺は陛下を湯殿までお送りしてくるから、は鍛錬の準備をしておいで」 「はーい」 有利とコンラッドと別れて部屋に戻ると、鍛錬用の動きやすい服に着替えて剣を片手に部屋を出る。 そこでちょうどヴォルフラムとばったり会った。 「あ、ヴォルフラム。有利が捜してたよ」 「ぼくをか?」 「うん、お風呂に誘いたいみたい」 少し嬉しそうな顔をしたヴォルフラムは、次の言葉にすぐにがっくりと肩を落とした。 「なんだ……またか」 「なにその態度!嫌なら代わってよー」 ここでいつもなら「兄妹のくせにハレンチだな!」と怒るのに元気のない溜息が返ってくる。 「そうだな……ユーリの奴、ぼくとを同列にしか扱ってないよな……」 「ど、どうしたの?」 婚約者だからと自信満々のヴォルフラムの珍しい言葉に驚いて目を瞬いた。 ヴォルフラムは少し考えるようにわたしが持っている剣を見つめ、ゆっくりと顔を上げた。 「今からウェラー卿と鍛錬か?」 「う、うん、そう。珍しくコンラッドから教えてくれるっていうから」 「ああ……じゃあやっぱりぼくはユーリと一緒にいた方が良いな。行って来る」 「え、待って。なんか元気がない。調子が悪いときは入浴は控えた方が良いよ」 どこかふらふらして見えるヴォルフラムの袖を掴んで引き止めると、額に手を当てて熱を測ってみた。 「いや、具合が悪いわけじゃない。………は」 元気がないままに、ヴォルフラムが何かを言い淀む。 「なに?」 こんな様子のヴォルフラムは珍しくて、優しく訊ね返すと躊躇して彷徨っていた視線がわたしの目を見返した。 「は、コンラートと共に入浴しているか?」 真剣に、そう言った。 「………………………え?」 「はコンラートと入浴するか?そろそろ斬新な方法を試してみようとか……」 聞こえなかったわけではない。だけど一体なにを聞いているのかと思わず問い返せば、さっきよりも聞き捨てならない質問が加わっている。 「入るわけないでしょ!?大体、そろそろもなにも、それ以前にコンラッドとは人に言えないようなことは、まだしてませんっ!」 女の子になんてことを聞いてくるの! セクハラだよ、セクハラ!と騒ぎそうになったけれど、ヴォルフラムはやっぱり元気がない。 思わずぶん殴りそうになってしまった拳を引っ込めて、怒り損ねて言うことを変えた。 「お風呂がどうかしたの?」 「どうして共に入らないんだ?」 質問に質問が返ってきて、ちょっと口元が引き攣る。どうしてこちらの事情を聞きたがるの。 「……どうしてって、恥ずかしいから」 それだけの問題でもないけれど。 それでも元気のないヴォルフラムを見ると怒る気にはなれず、今までお世話になったんだから、これからもお世話になるんだからと、自分に言い聞かせる。 「はコンラートと口付けは交わしているよな?素肌を見せることはないのか?」 「…………一体なにが聞きたいの?」 駄目だ。この元王子様にはセクハラはセクハラだとはっきり言わないといけない。 恐らくここから先の質問はほとんどがNOになるに違いない。そんな質問自体を聞きたくない。恥ずかしくてコンラッドと顔を合わせられなくなっちゃう。 「ユーリはぼくを入浴に誘うんだ」 「うん、そうだよね。羨ましいことに」 「羨ましいものか!ユーリときたら、ぼくと入浴をしても、話をするばかりで指一本触れてこないんだぞ!?」 「…………え、えっと……で、でも背中を流したりは」 「それくらいがなんだ!婚約者同士で共に入浴しているのに、なぜ何もしない!ぼくはいつでもいいのに!」 「だ、大胆だね……」 そんな明け透けに、しかもわたしに訴えられても困る。 「……ユーリはぼくのことを何とも思っていないんだろうか」 「そ……そーいうことでもないと思うんだけれども……」 有利はヴォルフラムのことを大切に思っている。「何とも」思っていないわけじゃない。 かといって、今ヴォルフラムが言った意味かと問われると、今のところは違うとしか言いようがない。先のことはわかんないけど。 どう言えばいいのかごにゃごにゃと口の中で言葉を濁していると、ヴォルフラムはそっと溜息をついて首を振った。 「まあいいさ。あいつはへなちょこだからな……気後れしてぼくに触れられないだけかもしれない。ぼくに触れていないくせに不貞を働くというなら許せないが」 「不貞って」 有利は決して気が多いわけじゃないんだけど、とりあえずヴォルフラムがそれで納得したならいいのかなあ。 「だってそうだろう。ぼくが拒絶しているわけでもないのにぼくに触れず、別の男や女の下に行くのは許せない」 その言葉にはドキッとした。 「きょ……拒絶してたら、浮気しても仕方ないと……思う?」 「仕方なくはない。だが、拒絶していればぼくにだって非があることになる」 む、胸に刺さる意見だね……。そういうことを拒絶ばっかりしているわたしはヴォルフラムの考えでいけば、コンラッドに浮気されても広い度量で許すべきだということに。 「や、やだな。そんな心配。コンラッドが浮気なんてするはずないのに」 「そういえばさっきもウェラー卿とはまだ何もしていないとか言っていたな」 心の中だけで考えたつもりだったのに、口に出てた……? ヴォルフラムが気付いたようにそう言ってきたので、思わず両手で口を押さえる。 「許すというのはぼくの考えだ。別にが許せないと思えばあんなやつ捨ててしまえばいいだろう」 「コ、コンラッドは浮気なんてしないもんっ」 「だが、押し切られるということはあるかもしれないぞ。ぼくなんかは、ユーリがお人よしだからな。一度だけの思い出にとか涙ながらに言い寄られれば、ついその願いを叶えかねないと心配している。だから常にあいつを見張っている必要があるんだ」 い、いやー、それはどうだろう。そんなこと言い寄られても、たぶん有利はもっと自分を大事にしなよとか何とか言いながら逃げるだけのような気がするんですけど。 有利は、ね。 「……コ、コンラッドはどうだろう……」 「あいつか?あいつはにこれ以上ないくらい惚れているからな……」 ほっと息をついたのも束の間。 「だが、あの胡散臭い笑顔でとにかく異性には人気がある。と争おうなどという無謀な女がいるとも思えないが、何かのはずみくらいはあるかもな」 「はずみでもやだーっ!」 「だから嫌なら捨ててしまえ」 「それはもっといや!」 「まあ……」 ヴォルフラムは少し考えるように顎を撫でて廊下の向こうに視線を送る。 「理性と欲望というものはまったくの別物だからな。そもそもあいつが禁欲的だなんて話は聞いたこともない」 「そ、それは浮名を流していたとかそういう感じのことですか!?」 「そういうわけでもない」 どっちなのよ! 「いいじゃないか。待つと言うなら待たせておけば。餌がなくとも従順に従うなら結構なことだろう」 「い、犬じゃないんだから」 でもそうだよ、犬じゃないんだからじゃれ合うだけで満足するはずもなく……。 「………コンラッド、待つのって大変かな……?」 「……理性と欲望は別物だからな」 その意見には思わず唸ってしまった。綺麗な顔をしていたってヴォルフラムも本当に男の子なんだね……。 「……ヴォルフラムはさ……有利に拒絶とかされたら、ショック?」 むっと不機嫌そうに眉をしかめ、唇を尖らせたその表情は可愛いんだけど。 「もう何度かされた」 会話の内容はちっとも可愛くないわけで。 え、でもということは、有利とヴォルフラムも、わたしとコンラッドみたいな雰囲気になったことあるの!? 有利ってば、あんなにヴォルフラムとは何でもないって言ってるくせに! 付き合うつもりがないならそれはちょっと無責任なんじゃないの? わたしがショックを受けていると、ヴォルフラムは溜息をついてわたしの肩を軽く叩いた。 「つらいことは、確かにつらいが。どんな形でも拒絶というのは突き放されたと感じるものだからな。だが、それはぼくとユーリの問題だろう。の参考にはならないぞ」 「う、うん変なこと聞いてごめん……」 あれ、おかしいな。初めはヴォルフラムに質問されていたんじゃなかったっけ? どうしてわたしの相談になっているんだろう。 「ああ、ヴォルフこんなところにいたのか」 後ろから聞こえた声にぎくりと肩を震わせると、ヴォルフラムは呆れたような、あるいは同情したような目でわたしを見た。 「焦るとろくなことはないぞ」 もう一度軽くわたしの肩を叩いて横をすり抜けて行った。 「から聞いた。ユーリが入浴に誘っているんだろう?今行く」 恐る恐ると振り返ると、コンラッドもヴォルフラムの後姿を見送っていた。けれどもすぐにわたしを振り返る。 「行こうか。……、どうかした?」 「え、な、なにが!?」 心配そうに眉をひそめたコンラッドに、有利が一緒にいたときの会話を思い出す。 「元気が無いようだ。ヴォルフと何か喧嘩でも?」 「う、ううん。違うよ。何でもない」 一緒にお風呂に入ろうと冗談でだったけど、そう言ったコンラッドに、わたしは。 「絶対にイヤっ」 ……こう答えたんだ。 コンラッドも言っていたよね。 いくら俺でも傷つくよ………て。 |