後にフォンビーレフェルト卿はこう語る。
「……あれは事故だ。ぼくのせいじゃない。ぼくのせいじゃないし、のせいでもない!ぼくはユーリのように浮気者じゃないし、ぼくの婚約者は間違いなくユーリだ!こんな事態になるなんて夢にも思わなくて油断してて、だから……!」(以下延々と続く)



矛盾の配分(2)



ノックして入ってきた人数に、おれは目を瞬き、コンラッドはあからさまに顔をしかめた。
「あれ、なんで村田ひとり?」
戻ってきたのは村田だけで、しかも何だか様子が変だ。
おれの疑問に答えずに部屋に入ると、丁寧に振り返ってドアを閉めるし、なにより笑顔が誤魔化すように引き攣っている。
「……何があったんですか、村田サン?」
「あー………ごめん、渋谷。大変なことになりました」
「なに?なにが起こったの!?」
なんとなく村田ひとりの時点で予感はあったものの、はっきりと大変なことと、しかもあの村田がバツ悪そうに言うもんだから、心臓が一気に跳ね上がった。
「順を追って話すと……今回、フォンカーベルニコフ卿の実験は何かの器具じゃなくて、薬だったんだ」
その時点でコンラッドがぴくりと手を動かす。
おれもものすごく嫌な予感に捕われる。
「僕らがフォンカーベルニコフ卿を見つけたのと、ほぼ同時に彼女がフォンヴォルテール卿を発見した。彼女はフォンヴォルテール卿を捕獲次第、即座に薬を飲ませるつもりだったんだね。そこで蓋を開けて……止めに入ったと衝突した」
「え、ま、まさか……」
「……と、廊下に転びそうになったを庇おうとしたフォンビーレフェルト卿が、もろに薬を被って、飲んじゃった」
「『飲んじゃった』じゃねーよ!」
ギュンターが泡を吹いて倒れて、おれは頭を抱えて絶叫する。
の側に行かなくちゃと慌てて駆け出して、何かを踏んで転びかけたところを後ろからコンラッドが抱きとめて支えてくれる。
「落ち着いて、陛下。それで、そのアニシナ薬の効能はなんだったんですか?」
意外なことに、さっきまで見当外れなことで悩んでいたコンラッドの方が冷静だった。
八つ当たりだと判っていても、なんでそんな平気そうなんだよと怒鳴りそうになって、振り返って見たコンラッドの蒼白な顔色に言葉を失う。
……そうだった。ここでおれが混乱しても、ややこしくなるだけじゃないか。
「グウェンダルで試そうとしたということは、毒薬の類ではないはずです。なんの薬……」
「あまいでずよ、ゴンラード!」
苦しげに絞り出すような声が下から聞こえて、おれは初めて倒れていたギュンターを踏みつけていたことに気がついて、驚いて飛びのく。
「うわ、ごめんギュンター!大丈夫か、実は出てないか!?」
「くっ、はあ!大丈夫です陛下。私の身を案じてくださるのは大変名誉なことでありますが、陛下の一撃で目を覚ますことができました。そうです!殿下の一大事に倒れてなどいる場合ではありませんでした!」
「お前のことはいいから続けろ!甘いとはどういうことだ!」
コンラッドは、全然冷静じゃありませんでした。
コンラッドがギュンターを張り倒しそうな勢いで掴み上げて、慌ててそれを止める。
「乱暴はよせ、乱暴は。でもって、ギュンター続き」
「ロメロとアルジェント事件を忘れているのですか?」
コンラッドが雷にでも打たれたように、真顔で硬直したまま立ち尽くす。掴まれていた胸倉を解放されて、ギュンターは蒼白の顔色で服装を整えながら続けた。
「あの恐ろしい薬を、アニシナは最初グウェンダルに飲ませようとしたんですよ!?結果的に飲みませんでしたが、少しかかっただけであんなことになる薬をっ……うーん、殿下ぁ」
「あ、おいギュンター!気になることろで倒れるな!グウェンに何があったんだよ!?」
今度はおれがギュンターの胸倉を掴んで揺さぶり続けていると、コンラッドが突然、身を翻して部屋と飛び出そうとする。
「待った、違う、毒薬じゃないって!」
村田が慌てて扉に貼り付いて、コンラッドの行く手を遮った。
「どうして君達は僕に聞かないで、フォンクライスト卿の話で取り乱すんだ。僕はちゃんとなんの薬かは聞いてきてるよ」
「では何の薬ですか!」
コンラッドが村田に対して声を荒げるのは珍しい。っていうかおれも叫びたい。
ギュンターを放り出して、後ろで頭を打ちつけるような鈍い音が聞こえたけど絨毯があるから大丈夫だろう。
コンラッドと一緒になって、扉に張り付いた村田に詰め寄った。
「マージョルノキケーンって薬を知ってる?ヒヨコイソフラボボンとヒヨコアミリャーゼ配合の……まあ細かい話はいいや。とにかくそれの亜流版っていうの?鳥向けの薬を人間用に開発してみたんだってさ」
「マージョルノキケーンを知らねーよ」
「緑の1薬を飲むと最初に見た相手を父親と思い込み、赤の2薬を飲むと最初に見た相手を母親と思い込む薬……なんだけど、それの人間向けバージョン」
「なんだそりゃー!?」
その薬になんの意義があるのかさっぱり理解不能だ。
い、いやアニシナさんの研究に意義を求めても無駄なのは知ってるけど。
「それで、はどっちを飲んだんですか?」
コンラッドはとにかく先を促す。正しい姿だ。
「……一応、1薬」
「村田、『一応』の一言が非常に気になるんだけど」
「……うん、だってフォンビーレフェルト卿は、一応2薬だから……」
「ふたりで一緒に被ったんだろ!?じゃあどっちも飲んじゃったんじゃないの!?」
「……その可能性は高い」
「両方飲むとどうなるんですか?」
コンラッドは努めて冷静に振舞おうとし続けている。
けど、もう身を乗り出して村田の両肩を掴んでるよ。気持ちは痛いほど判るけど。
「……鳥向け版は、そのぉ……鳥と人間の種族を超えた感情を持つようになると……」
「つまり!?」
「……まあ、一種の惚れ薬かな?」
コンラッドは、村田を横に放り出す勢いで扉の前からどけて、部屋を飛び出した。


「あああ、ウェラー卿らしくない。の居場所も聞かずに飛び出して。まあ、予想はついているんだろうけど」
村田はやれやれと息をつきながら首を振って、慌ててコンラッドを追いかけようとしたおれの腕を掴んで引き止める。
「なに!?おれも早くのとこに行かなくちゃなんないだろ!?で、どこにいんの!?コンラッドが行った方向はホントに見当違いしてないのか!?」
「わかった、僕も一緒に行くから、取りあえず聞いてくれ。ウェラー卿は大丈夫、判ってる。フォンカーベルニコフ卿の研究室にちゃんと向かっただろう。薬の問題があるから、彼女のところに預けているんだ。フォンヴォルテール卿は約束の保険で預けてきているから、あそこに行けばみんな揃ってる」
何の保険だろう?
一緒に廊下を走りながら、村田が深く溜息をつく。
「でもまずいなあ。ウェラー卿は惚れ薬と聞いて、自分が真っ先にの目に映らないといけないと思ったらしいけど……」
「何がまずいんだよ。それなら万事OKだろ。いや、おれ的にはあれだけど、コンラッドが相手ならまあ、いつも通りだし」
「だから……本当に判んない?」
「もったいぶるなよ!」
「もう手遅れってこと」
「……どゆこと?」
廊下の角を曲がり、階段を地下へと駆け下りる。
「……だからさ、もフォンビーレフェルト卿も、もう誰かを見ちゃったってこと」
「だれを……」
「きゃあああぁぁぁっ!!」
おれの質問をかき消す大音量の悲鳴に、村田が驚いて階段を踏み外しかけて、慌てて手摺りに掴まる。
っ!」
申し訳ないが、村田に構っている暇はない。
の悲鳴が聞こえて、おれは転びかけた友人を放り出して階段を駆け下りると、最後の五段は飛び降りて、アニシナさんの地下研究室に飛び込んだ。
!」
研究室に飛び込んだおれの目に映ったのは、部屋の一角からびしょ濡れでよろめいて出てきたコンラッドに、投げつけられた桶がストライクした瞬間だった。
同時に、ところどころが血みたいに赤く染まったタオルを肩にかけたヴォルフラムがドアを閉めて、コンラッドを警戒するように立ちはだかる。
「ああ、だから止めて差し上げたというのにウェラー卿、わたくしの研究室を濡らさないでください」
紫色の煙が立ち昇る鍋をかき混ぜて、何かの薬を作っている最中らしいアニシナさんは、溜息をついてコンラッドに一瞬だけ目を向けると、側に置いていたタオルを投げつける。
「待てアニシナ!それは先ほどこぼれていた薬品を拭いた布だ!コンラート、使うな!」
アニシナさんの正面の椅子に、両手両足と頭を固定されたグウェンダルが椅子を鳴らしてコンラッドに警告している。
はっきり言って、異様な光景だ。
と、とにかく今はだ。
悲鳴とコンラッドの位置とあの様子からして、ドアの向こうにいるんだろう。
おれがいることに気付いた部屋の主であるアニシナさんに声もかけずに、呆然と桶を手に立ち尽くすコンラッドの方に走り寄って……ヴォルフラムに威嚇された。
「待て、今はが入浴中だ!」
「え、コンラッドの状態からして大体判るよ。押し入ろうとして叩き出されたんだろ?でもおれなら別に……」
「馬鹿を言うな!ユーリ、お前はの肌を覗き見る気か!?」
「覗きって……別に覗きじゃねーよ!だからこんなときにまで変な嫉妬すんなよ!兄妹なんだから平気だって!」
「平気なはずがあるか!駄目なものは駄目だ!」
「お前いい加減に……」
はぼくのものだ!」
だからおれたち男同士だろ……という言葉が反射で出そうになった。
だけど今ヴォルフはなんて言った?
いつもの「浮気者」じゃなくて?
「陛下、ウェラー卿、猊下からご説明はありませんでしたか?」
沈黙が降りた部屋に、アニシナさんの冷静な声と鍋で煮込む液体の泡立つ音だけが聞こえる。
おれはアニシナさんの方に首だけ向けながら、横目で立ち尽くすコンラッドを窺った。
コンラッドは機械仕掛けの人形のようにぎこちない動作で、アニシナさんの方をを向いて、やっぱりおれを少しだけ窺う。顔色が悪い。
「……惚れ薬の話?」
「惚れ薬ではありません、マージョルノキケーンです」
「混ぜたら惚れ薬なんでしょ!?」
「結果的には」
アニシナさんの辞書にはきっと、反省という文字はないに違いない。きっとそうだ。
「ですがご心配なく。今、解毒剤を作っているところです」
「普通は毒と解毒剤は同時に作ってから実験しない?」
「ええ、もちろんです。殿下とヴォルフラムには先ほど最初に作った解毒剤を飲んでもらいましたが、どうやら解毒剤だけが失敗してしまったようで……」
「どんな器用な失敗だよ!?」
おれは頭を抱えてその場にうずくまる。
「あーもーややこしい!じゃあなに、ヴォルフとが好き合っちゃってるの!?」
目の端に映ったコンラッドの足が震えた。
ああ……ごめん、嫌なこと言っちゃったな。
「いいえ?違いますよ」
アニシナさんの否定に、顔を上げたおれとコンラッドが不審な目を向けると、遅れていた村田がようやく到着した。
「フォンカーベルニコフ卿、フォンヴォルテール卿を実験台にするのはちょっと待ってよ。約束通りすぐに違う実験体が運ばれてくるから、彼は解放して欲しい。彼を長期間拘束されるのは、国政的にすごく困るんだよ」
「では実験体が到着次第、拘束を解きましょう。まったくグウェンダルなどに頼りきりとは、本当にこの国の男たちときたら情けない」
アニシナさんは呆れたように文句を言いながら、鍋から離れて何かよく判らない植物をぶつ切りにする。
「まあそう言わずに。ダカスコスたちがすぐにフォンクライスト卿を運んでくるから」
……本当にギュンターを犠牲にしやがった。
おれとしてもギュンターよりグウェンダルにいて欲しいけどね……ごめんギュンター。
あんたの勇姿は忘れない。
と、後ろからドアの開く音が聞こえる。
、大丈夫か?」
「うん、平気……」
ヴォルフラムが心配そうに声をかけると、濡れた髪を拭いて研究室付きの浴室から出てきたは、まだ正面に立っていたコンラッドを見てぎょっとしたように後退りする。
怒ってるとか恥ずかしがってるとかじゃなくて、正しく怯えている。
ああ……風呂を覗いた変態扱い……。
コンラッドは当然、かなりの衝撃に今度こそ捨てられた子犬状態。
「コンラッド、解毒剤ができるまでの我慢、我慢だ」
濡れたコンラッドの腕を慰めるように叩くと、ようやく視界に入ったおれにがほっと息をついた。
「有利、あのね……」
浴室から踏み出してきたは、ある一点を見て瞬時に顔を真っ赤に染めてまた浴室に引っ込んでしまう。
ヴォルフラムがあからさまに機嫌を悪くして睨んだ先を恐る恐る振り返ると、立っていたのは引き攣った笑いでおれとコンラッドに小さく手を振って見せた村田だった。








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