後にウェラー卿はこう語る。 「あれは近年、稀にみるほどの拷問だった……」 矛盾の配分(1) その日、相変わらずグウェンダルがアニシナさんに追いかけられていることは知っていた。 だって部屋の窓から、激しく周囲を気にしながら逃げ隠れするように、回廊から庭に降りているグウェンダルの姿が見えていたからだ。 あのクールなグウェンダルが、あんな判りやすい状態の時はアニシナさん絡みに決まっている。 「あー、グウェンのやつ帰ってこないと思ったら、またアニシナさんに追いかけられてんだ」 あの仕事の鬼が少し席を外したまま全然帰ってこないから、何か不測の事態でも発生したのかという話になりかけていた室内は、おれの言葉で深い溜息に包まれた。 グウェンダルが足止めされるような、重大な事件がどこかで起きたんじゃなくて、グウェンダルが足止めされるような笑える事件が起きただけということで……本人には重大だろうけど。 そういう安堵と、呆れと、あと同情も混じっている。特にギュンターのは真に迫っていた。 「しかしアニシナにも困ったものだな。最近は新開発のペースが上がってきていないか?」 窓から庭を見下ろすおれの隣に並んで、コンラッドはそれほど深刻そうじゃない口ぶりで一緒に庭を見下ろした。 執務が邪魔されること以外は、コンラッドにとってそんなに重要じゃないんだろうかというほど、言葉とは裏腹に声は素っ気ない。 「純粋に仕事の効率で言えば、フォンクライスト卿が連行される方がマシなんだけどねえ」 グウェンダルの行方がわかったところで、ろくにおれの手伝いもせずに、テーブルでとヴォルフラムの二人としていたトランプゲームを再開した村田が呑気に言うと、ギュンターが髪を振り乱して絨毯に泣き伏せる。 「そんな!あまりにもつらいお言葉です、猊下!私のこの陛下、並びに猊下に捧げる忠誠がグウェンダルに劣るとでも!?」 「そういう勘違いしているところが、猊下に指名された理由じゃないのか?」 ヴォルフは手持ちのカードを見ながら、長兄みたいに眉間にしわを寄せている。ポーカーフェイスが出来ないやつめ。ちなみ現在のゲームはポーカーじゃなくてババ抜きだ。 「……じゃなくてさ!お前ら遊んでるだけならグウェンを救出してこいよ!なんでわざわざ仕事中のおれの目の前で遊ぶんだよっ!」 「仕事中って、有利も今は休憩してるじゃない」 「あ、そうだな……って、おれは今やっと休憩に入ったの!グウェンがいないとろくに仕事が進まないんだから、アニシナさんを説得するなり、隠れてるグウェンダルのところに書類を運ぶなりしてくれよ!」 「……アニシナを説得……ユーリ、お前本当にそんなことができると思っているのか?」 ヴォルフラムが真剣な表情で返してきて、二の句が継げなかった。 「わ、私は陛下のお側で王佐としての仕事があります!」 身の危険を感じたのか、ギュンターが上擦った声で絨毯から飛び起きると、村田が笑ってトランプを伏せる。 「さっきのは冗談だよ、フォンクライスト卿。王様の命令だし、じゃあちょっとは働くか。フォンヴォルテール卿の救出にでも行ってくるよ」 「何か方法あんの?」 大賢者ならではの、何かすごい秘策があるのかと期待するヴォルフとギュンターの視線を受けて、村田はあっさり笑って手を振った。 「ええ?ないない。あるわけないよ。僕は女性に手荒な真似はしないしね。単に当たって砕けろだよ。行こうか、」 「はいはい。じゃあ有利、行ってくるね」 名指しされたは、面倒がるかと思ったらごく自然に頷いて立ち上がる。 そうか、おれは村田とヴォルフだけじゃなくてにもまとめて言ったことになるのか。 「も行くなら俺も……」 ついて行こうとしたコンラッドの服を掴んで引き止める。 「コンラッドはダメだ。あんた、と一緒に行ったら、グウェンダルのことほったらかしで、いちゃいちゃするだろ」 「まさか。陛下のご命令を果たさないまま、そんなことしませんよ」 「……ってことは、グウェンを救出したあとは判んないんだよな?」 「猊下が一緒ですから、ご心配なく。それに猊下とだけでは警護の問題が」 にこにこ笑顔だけど、ああそう、村田と一緒なのがそんなに心配か。 「……ヴォルフ、ついて行ってやって」 「ウェラー卿が行くと言っているんだから、そいつに行かせればいいじゃないか」 「そうですよ陛下、俺が……」 「けどさあ一応ほら、ウェラー卿は渋谷の護衛っていう役職が決まってるんだからさ、ここは本人の希望より決まりごと優先でいこう。フォンカーベルニコフ卿に事実上の執政官の返還を求めるなら、こっちも形式を整えなくちゃね。さ、行こう行こう」 村田が話をまとめてしまって、ヴォルフラムの腕を掴んで歩き出す。 その意見にも一理あると思ったのか、ヴォルフラムは不満を消して素直について行ってしまって、不服そうなのはコンラッド一人だ。 「じゃあ行ってくるね……上手くいくかどうかは判らないけど」 が最後に付け足したのは、相手が相手なんだから当然といえばまあ、当然だ。 少なくともこのメンバーは全員、魔力は高くてもグウェンダルやギュンターのように強制的には実験台にされたことがないから、心配することもないだろう。 楽観的に手を振ったに、おれも手を振り返した。 が村田と一緒に出て行ってから(ヴォルフラムも一緒にだけど)、コンラッドを見上げると捨てられた犬のような……ではなく、お使いに出した我が子を心配する親みたいな目でドアを見つめていた。 「なんであんたってそう、を信じないの。が村田とどうこうなるなんてないって」 「信じる信じないの話ではなく、は少々素直すぎるところがあるでしょう。俺はそれが心配なんです。猊下は人をからかうことを好まれるじゃありませんか」 「そーかなぁ……」 村田が人をからかうのが好きなのは同感だけど、がお人好しというのはどうだろう。 少なくとも村田に対してなら、は甘くない。むしろビターな反応がほとんどだ。 「コンラート!なんですか、猊下に対してそれは失礼でしょう!ああ、ですが殿下が澄み切った水のように清らかなお優しいお心根でいらっしゃることはその通りですが……」 「どっちにしてもヴォルフラムがついて行ってるんだから大丈夫だろ」 「ヴォルフラムはすぐに猊下に騙されるから……」 おれもコンラッドも、ギュンターの意見は丸々無視した。部屋の隅に項垂れている姿が見えたけど、慰めるのは仕事に戻る時でいいだろう。今は休憩中なのでなるべく面倒なことはしたくない。 「心配しすぎだって。あんたは知らないだろうけど、眞魔国っていう共通の話題ができるまでははどっちかっていうと村田とは仲が悪かったくらいだし……まあ悪いというか、一方的に嫌ってたっていうか」 「がですか?どうして……猊下となにか……」 「ないないない!なんでそんな心配!?単におれが村田とつるみ出してからは、村田と遊びに行く機会が増えてさ、その分だけといる時間が減ったのが、ちょっと気に食わなかっただけだよ。村田になんかされたんじゃないから」 本当に何かをされていたら、なら今でも村田のことを家庭内害虫並みに嫌うだろう。 ちなみに決してブブブンゼミ並みではない。 「ああ、なるほど……」 コンラッドは安心していいのか、どうなのか複雑な顔をした。 「ですが、今は逆にユーリと二人だけ、共通の話題がある相手なんですよね……」 「あ、あのなあ」 それにしても、なんでこんなにコンラッドは心配性なんだかと考えて、日本と眞魔国でのの違いに気がついた。 そういえば、こっちではにもそれなりに男友達がいるんだ。 果たしてヴォルフラムとかヨザックとかグウェンダルとかを友達と言っていいのか非常に疑問だけど、とにかく普通に話しているし、側にいても距離を自然に開けていかない。 だけど日本では、は家族以外の男とはほとんど接触がない。最近になって村田とも友達付き合いをしてるけど、それ以外の男には自分から用事もないのに話し掛けたりはしないし、場合によっては会話中でも自然に距離を開けたりもしている。 こっちでその扱いを受けているのは、身近ではギュンターだけだ。 おまけに村田が面白がってコンラッドを挑発するのに、は最初からコンラッド以外をそんな意味での相手にする気がないから村田のコンラッドへの嫌がらせには鈍いし……コンラッド、ひとりでストレス溜めてたんだな……。 急に呆れから同情的な気分になって、コンラッドの背中を軽く二回叩いた。 「心配しなくてもさあ、すぐにグウェンを連れて四人で帰ってくるって。ひょっとしたら三人かもしれないけど」 アニシナさんを説得できなければ、本来の目的だったグウェンダルがいないから三人での帰還になる。 「そうですね」 おれが慰めると、コンラッドはようやく納得してくれたんだけど。 ……結論から言えば帰ってきたのは一人だけだった。 |