広間に作った特設の簡易舞台を前に、本日の主賓グレタとその保護者代わりとしてアニシナ、絶対に演劇を見るんだと駄々を捏ねて執務をグウェンダルに押し付けてきたギュンターとその面倒を見るためのギーゼラが揃っていた。 「楽しみだねえ、アニシナ。どんなお話なのかなあ」 「残念ながら『横浜のジェニファー・港町必殺拳』ではないとのお話でしたが、グレタのような年頃の娘が見るにふさわしい童話だとか。毒女アニシナの系統でしょうか」 「あんなびっくりどっきり話が演劇でできるわけないですわ」 にっこりと笑顔で言う養女の横で、一観客のフォンクライスト卿ギュンターはぎゅっとハンカチを噛み締めた。 「こうして観覧席で陛下、殿下、猊下のご尊顔をじっくりとたっぷりと拝見できるのは幸せですが……参加できなかったことが悲しくもあります……ああっ!陛下はどうして私を除け者に!」 演劇で配役をもらえなかったギュンターは、役がないからこそゆっくとり敬愛する方々を見ることができると喜ぶことで、締め出された悲しみに傷ついた心を癒そうとする。 「それはあなたがことあるごとにセリフに殿下への過剰な誉め言葉を挟むからでしょう」 陛下がそうぼやいておられましたよ、と毒女に一太刀の元に切り伏せられて、座席から滑り落ちるようにして泣き伏せた。 「あれ、じゃあギュンターはどんなお話か知ってるのー?」 途中までは参加していたと聞いてグレタが首を傾げると、床に倒れていたギュンターが跳ね起きる。 「ええ、もちろんです!殿下の可憐でお可愛らしいあのお姿!題して『赤帽子ちゃん!』」 「赤頭巾ちゃんです、閣下」 娘に入れられた訂正に、フォンクライスト卿が床に両手をついて項垂れたところで、降ろしていた幕が上がった。 本当は怖い童話(2) 「昔あるところに、周囲でも大層可愛らしいという評判の娘がおりました」 「おや、猊下が語り手ですか」 まだ誰もいない舞台を見ながらアニシナは腕を組んでゆったりと座り、グレタは楽しみで身を乗り出す。 「彼女はいつも森に住むおばあさんから贈られた赤い頭巾を被っていたので、赤頭巾ちゃんと呼ばれていました。その赤頭巾ちゃんがある日おとうさんに呼ばれます」 舞台端から出てきたのは、珍しく質素な服装のヴォルフラムで、反対側の舞台端に向かって呼びかける。 「、ー!ちょっとこっちに来るんだ!」 「はーい、おとうさん!」 パタパタとヴォルフラムとは反対側から駆け出してきたに、ギュンターはだらりと眉を下げ両手を握り締める。 「ああ殿下!なんとお可愛らしいお姿でしょう!いいですか、グレタ。あれはメイドの服に似ていますが、陛下のお育ちになられた土地ではエプロンドレスと言って立派な衣服だそうです。それにあの赤い頭巾!グウェンダルのお手製ということが非常に……べぶっ!」 とうとうとうんちくを語ろうとしていた王佐は、隣の養女に顎を掴んで押し上げられた。 「閣下、黙って見ていないと『邪魔』になりますわ」 「ふぁい……」 「森に住むお前の祖母が病に倒れたらしい。焼き菓子を作ったから見舞いに持って行け」 「はい、おとうさん」 差し出された籠をが受け取ると、ヴォルフラムは鷹揚な様子で頷く。 「森は深い。いいな、決して寄り道なんてするんじゃないぞ」 「はい、おとうさん」 「知らない者に声をかけられたときも気をつけるように」 「はい、判っています」 「うん、では気をつけて行け」 「はい、いってきます」 ヴォルフラムが袖に下がり、がくるりと振り返ってゆっくりと足踏みを始めた。 「こうして赤頭巾ちゃんは、一人で森の奥に住むおばあさんのところにお見舞いに行くことになりました」 その場で足踏みをするの後ろで背景の衝立が流れて、確かに歩いているように見えた。 森の背景を象った衝立が流れてくると、それと一緒にコンラッドが舞台に出てくる。 「おや、可愛らしい女の子がいるな。あれが噂の赤頭巾の子か」 「森にはおとうさんが注意したように、恐ろしい狼が住んでいました。赤頭巾ちゃんはさっそくそのずる賢い狼に目をつけられてしまったようです」 コンラッドはちらりと僅かに舞台袖を見たが、すぐに気を取り直したようにに近付く。 も数歩歩いて歩み寄った。 「こんにちは、お嬢さん」 にっこりと爽やかな笑みを浮かべて、コンラッドが丁寧に礼を取るとは足を止めた。 「こんにちは、狼さん」 「狼と普通に会話していますね。つまり狼とは比喩でウェラー卿は人間役ということでしょうか」 「だったら役名をつけてあげたらいいのにね」 声を潜めて呟く観客を気にせず、芝居は続く。 「どこへ行かれるのですか?」 「森の奥に住むおばあさんのうちよ」 「お一人で?」 「ええ、おとうさんにお見舞いに行ってきなさいとお使いを頼まれたの」 「お見舞いに。では、何か花を摘んできてはどうでしょう?」 「おとうさんに寄り道をしてはいけないと言われたわ。それにお見舞いなら焼き菓子が」 「寄り道というほどではないでしょう。こちらの道を少し行くと、綺麗な花畑があります。女性のお見舞いには、花を添えると喜ばれるのではありませんか?」 「そうかしら?」 「ええ、きっと」 コンラッドの他意のない笑顔に、もにっこりと笑い返してコンラッドが指差した舞台奥の方へ一歩踏み出した。 「そうね、おばあさんが少しでも元気になってくれると嬉しいから、少しだけ」 「あ、お嬢さん」 呼び止められたは驚いたように振り返る。 「可愛らしいお嬢さん。お名前をお聞きしてもよろしいですか?」 胸に手を当てて、軽く腰を曲げるように礼を取るコンラッドには戸惑ったように首を傾げる。 「えっと……です」 「そうですか……よくお似合いの可愛らしいお名前ですね」 コンラッドはの手を取って、そっと口付けを落とした。 「なっ……」 「何やってるんだよー!?」 「おっと、通りすがりの狩人さんが見ていられずに注意しに来たようです」 「あ……」 ビシリと人差し指を突きつけた格好のままで有利が固まった。 固まる有利と驚いているを見比べて、コンラッドは焦った演技での手を離した。 「これはいけない。狩人に捕まると大変だ」 コンラッドがおどけてそう言うとさっさと舞台袖に下がってしまって、有利は眉を下げて視線を彷徨わせながらごほんと咳払いする。 「あー……お嬢さん……えー……見知らぬ男……じゃない、狼に近付くと危険ですよ。気をつけるように」 「え、ええ、はい。ありがとうございます、狩人さん」 「イエイエ、それではおれはこれで……」 有利が慌てて舞台袖に走り、は奥の衝立の後ろに回って舞台から姿を消した。 同時に幕が引かれたが、その向こうで物音がして数十秒ですぐに開く。 舞台の上は背景の衝立が全て取り払われ、簡易ベッドとその近くに小さなテーブル、客席に向かって垂直に立っている衝立だけになっていた。 「さて赤頭巾ちゃんが花畑へほんの少し寄り道をしている間に、全速力で駆けてきた腹黒い 狼がおばあさんのうちへやってきました」 コンラッドが舞台に現れて、衝立の前に立つと軽くノックするように叩く。 「誰だい?」 ベッドから顔を覗かせたのは、ナイトキャップを被ったヨザックだった。 「おばあさん、です」 のうのうと普通に名乗るコンラッドに、ヨザックは困ったように眉を下げる。 「……声が違うような気がするんですけどねぇ」 暗に声真似のふりをしろと言うヨザックに、コンラッドは気にした様子もなく再び地声のままで名乗る。 「きっと走ってきたから喉が渇いて声が掠れているんでしょう。です」 ヨザックは諦めたようにばったりとベッドに倒れて込んで衝立に背中を向けた。 「そうかい、気のせいだったかねえ、入っておいで」 コンラッドはドアを開ける仕種で衝立の横を通り過ぎると、一歩でベッドまでの距離を詰めて、ヨザックを蹴り落とした。 「ぐあっ!」 ベッドから落ちて腰を打ったヨザックは、悶絶しながら健気にベッド向こうの幕の後ろに転がって退場した。 コンラッドは一仕事終えたようにやれやれと空になったベッドに潜り込む。 「……こうしておばあさんは容赦ない狼に食べられてしまいました」 「食べられちゃったの!?蹴り落とされたんじゃなくて?」 「あれが食べられたという表現なのでしょうね」 あちらの表現方法は面白いですね、と地球組には不本意な印象が毒女に根付いた。 「やり方の汚い狼が食べてしまったおばあさんのふりを整えたころ、ようやく赤頭巾ちゃんがやってきました」 バスケットと花を持ったが舞台に現れると、コンラッドと同じように衝立を軽くノックする。 「おばあさん、わたしです。孫の」 「だね。入っておいで」 毛布を引き上げて応えた声も口調もやはり普通にコンラッドのもので、はヨザックと同じように僅かに戸惑ったがすぐに衝立を越えた。 「お加減はいかがですか?お見舞いにきました」 「ああ、少し熱があるみたいだ。診てくれないかな、。こちらへおいで」 ベッドから伸ばされた手に、はバスケットをテーブルに置いてゆっくりと近付く。 「おばあさん、なんだか手が大きくなったみたい」 「可愛いを強く抱き締めるためのものだ」 「それに、足も大きくなった?」 「どんなときでもの元へ早く駆けつけられるようにだよ」 「耳も大きくなっている。まるで狼みたい」 「の雲雀のような可愛い声がよく聞こえるようにだよ」 「……それに、口が大きく裂けているようだけど……」 「それはを食べるためさ!」 ぱっと毛布を跳ねつけて飛び起きたコンラッドは、そのままの腕を掴んでベッドに引きずり込むと上から覆い被さるようにして毛布を被る。 「え、あ、やっ、ちょっと……っ」 「っ!」 声はすれども姿が見えない有利に、グレタが舞台を見回したがまだ有利は現れない。 ベッドの上を覆い隠していた毛布が動かなくなり、ギーゼラは養父の顎を押し上げていた手を離した。色んな汁に汚されてはたまらない。 叫んで飛び出しそうになっている養父を掴んで椅子に引っ張り戻しながら、そのケープを掴み口に突っ込む勢いでやはり叫び声を押さえ込んだ。グレタのための演劇を邪魔させないことが、ギーゼラの役目なのだ。 「こうしてスケベな狼は、赤頭巾ちゃんも食べてしまいました……そこに飛び込んできたのが、赤頭巾ちゃんを心配してストーカーよろしく後から尾行ていた狩人さん……」 「!大丈夫か!?」 「……と、心配性で実は後をついて来ていたらしいおとうさんです」 有利とヴォルフラムが同時に舞台に乗り込んできてベッドから毛布を剥ぎ取ると、コンラッドを突き飛ばした。 「、大丈夫か!変なことされなかったか!?」 「え、あ、だ、大丈夫……です、狩人さん……」 少し捲れかかっていたスカートを押し下げたに、ヴォルフラムが眉を吊り上げてコンラッドの胸倉を掴んで揺さぶる。 「貴様!ベッドの上に引き上げるだけのはずがどうして姿まで隠してしまうんだっ!」 「その方がよりらしいかな、と」 悪びれもせず上手くヴォルフラムの手を外すと、コンラッドはベッドから落ちるふりで転がる。 「……ああ、やられたっ」 そのままヨザックが消えた舞台後ろの幕に消えると、そこからナイトキャップとネグリジェ姿のヨザックがひょっこりと現れた。 「こうして狩人さんとおとうさんの手によって、腹黒極悪狼は退治され、お腹の中でまだ消化されていなかった赤頭巾ちゃんとおばあさんは助け出されましたとさ。めでたしめでたし……ダカスコス、幕」 ざーっと幕が引っ張られて舞台が隠されると、向こうの騒ぎが漏れていることも気にしてないように、いつもの大賢者の制服を着た村田がひょっこりと現れる。 「さて、お姫様。このお話の教訓は判ったかな?」 「うん!」 グレタは嬉しそうに頷いて、勢いよく挙手をした。 「お父様が一番強いってことだよね!」 「……まあ……間違っちゃいないかな……グレタのお父様は最高権力者だ……」 「殿下が!殿下が無事でようございましたーっ」 おいおいと泣くギュンターを、その場の全員が見ないふりをして、ギーゼラは微笑んで胸に手を当てた。 「姫様が楽しまれたようでよかったです。皆様、迫真の演技でしたし」 「以外はアドリブばっかりだったからねー」 「猊下のお住まいの世界では食人人種が普通に存在するのですか。研究してみたいものです」 「……いや、ウェラー卿は一応狼だから……狼が人を食べるかも定かじゃないけど」 ふう、と溜息をついて村田は騒ぎの続く幕の降りた舞台を振り返った。 「渋谷ー、教訓はともかく、面白さは好評だったよー」 「あとね、人を騙すときほど爽やかな笑顔でだよね!」 嬉しそうなお姫様に、生温い笑みを返しながら村田はグレタに余計な知恵をつけるような演技をしたコンラッドのことを有利にそのまま告げることを心に決めた。 |
本当は(ヨザックだけが)怖い童話。どうして彼はいつもこんなに不憫なのか……。 小話で舞台裏というか、めちゃくちゃになった劇の反省会です(^^;) |