最初、お願いがあるのと愛娘に膝に取りすがられた有利は頬を緩ませた。どうにか威厳を保とうとしているが、無駄な努力だと名付け親と妹は肩を竦めている。
「あのね、その人の成長のかていを知るのには、どんなお話を聞いて育ったかを知るのも有効なんだって、アニシナが言ってたの」
可愛い愛娘の言葉に、有利とヴォルフラムは僅かに複雑な気分を味わった。
確かに、毒女にしてはまともな意見に聞こえるが、そこで終わらないのがフォンカーベルニコフ卿アニシナという人だ。そこからどんなお願いに発展するのかと緊張の走る父親に気付くことなく、グレタは無邪気な笑顔で続ける。
「だからね、ユーリが聞いてきたお話を、演劇にして見せてほしいの」
「待て、待ってくれグレタ。その場合、普通はお父様が聞いてきたお話を語って聞かせて欲しいの、じゃないか!?」
なんで演劇!?とにわかに焦る父親に、グレタは軽く首を傾げる。
「視覚もあった方がよくわかるって、アニシナが言ってたから」
「いやでもあのな、お話を語って聞かせるというのは、想像力を養うという意味もあって、だから演劇より寝物語の方がいいんじゃないかと思うわけでして……」
「ですが陛下のお話は、ところどころお言葉だけでは情景が判らず注釈を入れていただかねばなりません。寝物語としては不適切かと」
「うわぁ!アニシナさん、いつの間に背後に!?」
「ふぇんしんぐという武術の臨場感は言葉では語れないように思えますし、めりけんさっくという武器も一体どのようなものなのか……」
「待ってくれアニシナさん!それって一体何を演劇にしろと……」
恐る恐ると訊ねる有利に、グレタは楽しそうに手を上げた。
「横浜のジェニファー・港町必殺拳ー!」
「それだけはダメだ!っていうか無理だからっ」



本当は怖い童話(1)



<どの話がグレタに見せるのにもっとも適切な話か会議>

「それで、どうしてわたしたちで演じなくちゃいけないの?」
いくつかの候補を紙に書きながら、が不満を漏らす。
「演劇なんて恥ずかしいし、素人の演技で見せたってー」
「しょうがないじゃん。魔王奥はこの間閉鎖しちゃってみんな新しい職場に行っちゃったし、プロを雇うと金が掛かるし、娘の情操教育なのに兵士にさせるのは職権乱用だしさ。それにグレタに見せるならやっぱり女の子が主人公の話がいいと思うんだよね。グレタは観客だから、自動的にには強制参加してもらう」
「もー」
はぶつぶつと文句を零しながら、紙に箇条書きしていた題名をいくつか消去した。
「女の子が主人公ということは、桃太郎とか一寸法師は却下だよね。花咲じいさんもだめだし、傘地蔵もだめだね。おむすびころりもだめかー」
「……前半はともかく、後半なんでそんな渋いセレクトばっかなの?」
「そう?有名な話ばっかりだと思うけど」
「でもさ、西洋風の話の方がグレタにも理解しやすいと思うぞ」
「有利が育った環境を知りたいなら、和風の話の方がいいじゃない」
「なんだかんだ言って、も結構熱くなってるな。グレタのことは可愛がってるから」
壁際で話を聞いてた男が楽しそうに呟いて、隣のオレンジ色の髪の友人はそっと溜息をつく。
「なんでオレがここにいるんだろう……」
「……ユーリとの役に立つことに不満があるのか?」
冷たい声で言われて、ヨザックは慌てて首を振った。
「違う違う!演劇に参加させられるのはいいさ、グレタ姫さんかーわいいしさ。ただオレはどうせ端役だろ?脚本が出来てからの参加で充分じゃないかと思うわけで!陛下と姫の産まれた土地の話なんて知らないしさ!」
「そんなことないって」
ヨザックの必死の言葉が聞こえていたらしく、有利が振り返って一枚の紙を掲げた。
「村田の提案でさ、もしもシンデレラをするなら主役はヨザックが適任だっていうから」
にこにこと主の隣で笑顔の大賢者に、ヨザックは嫌な予感に駆られながら恐る恐ると手を上げた。
「あのー……ちなみにそれはどんなお話で?」
「最終的には、不遇だった女性が幸せになる話だよ」
大賢者はごく簡潔に物語のラストだけを語る。だがヨザックとしては、その最初の不遇が非常に気になる。
大賢者の意見を取り入れたと言いながら、魔王は少し首を傾げていた。
「でも、これミスキャストじゃねえ?継母がお前、コンラッドとギュンターが義理の姉役って。おまけにが王子役」
「そうしたら絶対にウェラー卿の演技には熱が入ると思うんだよね。どう思う、ウェラー卿?」
「イロモノ演劇にするんですか?」
にこにことした友人の笑顔に含むものを感じて、僅かに横にずれたヨザックはそっとに訊ねてみた。
「どんな話なんですか?」
「シンデレラですか?あのね、継母とその娘の義理の姉たちに毎日虐められていたシンデレラが魔法使いに助けてもらって城の舞踏会に参加して、王子様に見初められて最終的に妃に迎えられるっていうハッピーエンド」
それはなんとしてでも遠慮したい。演技に熱が入るどころではない。演技だとしても、この姫に愛を囁かれる役を拝命すると、隣の男がどれだけ前半でいびってくれるかわかったものではない。嫉妬に狂う王佐も怖ければ、二人に知恵を貸しそうな大賢者も恐ろしい。
「しかも魔法使いのばあさんがグウェンで、最後の靴探しの従者がおれって……」
「ぼくはどうなっているんだ?」
「ヴォルフー?ヴォルフはえーと……かぼちゃの馬車を牽く……元ネズミの馬役……」
「ほら、フォンビーレフェルト卿は小動物みたいなイメージがあるからさ」
「ふざけるなーっ!」
第一案、却下。


「スノーホワイトなんかどうですか?」
コンラッドの提案に、有利は胡乱な目を向ける。
「それで白雪姫がで、王子役をコンラッドがするんだろ?」
それでもって、キスはふりじゃなくて本当にしちゃう気だろ、と疑いの眼にコンラッドは笑顔で首を傾げる。
「なら、王子役は陛下がなさるといいじゃないですか。俺は小人役でいいですよ」
「俺より背の高い小人なんてあるかよ!しかも小人は七人いなくちゃいけないんだぞ!」
「俺とグウェンとヨザックとヴォルフとギュンターと……そうだな、後はダカスコスとギーゼラに参加してもらえば七人になりますよ」
「小人が似合うの、ヴォルフとギーゼラくらいだろ!待てよ、意地悪王妃はどうすんの」
「ぴったりの方が残っていらっしゃるじゃないですか」
「それは僕のことかなー、ウェラー卿?」
うふふ、あはは。
部屋に響くわざとらしい笑い声に、逃げ出したくなったのはヨザックだけだった。
第二案、却下。


「やっぱりここは和風でしょう」
が提示したのはかぐや姫だった。
「絶世の美女という設定がちょっとあれなんだけど」
にぴったりじゃないか」
「……まあ、お伽話や童話の主人公はみんな美少女だから、この際そこは目を瞑って」
にこにこと笑顔のコンラッドの手が腰に回ってきて、振り返りもせずに甲をつねりあげる。
「かぐや姫、うーんかぐや姫か。どうよ村田」
「悪くないんじゃない?がかぐや姫、おじいさんとおばあさんをダカスコスとヨザックにやってもらって、帝を君、残る求婚者をウェラー卿とフォンビーレフェルト卿とフォンヴォルテール卿とフォンクライスト卿とギーゼラで、月からの迎えを僕がやるよ」
「待て。その場合月からの迎えがギーゼラで、求婚者がお前じゃないの?」
「えーでもお話ではかぐや姫と月からの迎えは同族だしさ、帝は特別な存在だし、この三人が双黒っていうのはこっちの世界では特別っぽくてわかりやすいかなって」
「求婚者?でもぼくはユーリの婚約者だ!それをにまで求婚しろと……」
「お芝居じゃないか、フォンビーレフェルト卿」
「……ちなみに、そのカグヤ姫とはどんな話?」
手をつねり上げられても怯まず腰を曲げて耳元で囁く恋人に、はその根性に負けて諦めて手を離した。
「子供のいなかった老夫婦が、竹の中から見つけた女の子を授かるの。その子は美しく成長して、五人の貴族から求婚されるんだけど、無理難題ばかりを要求して全員の求婚を退けて……」
「俺の求婚も?」
「役柄ではね」
芝居の話だというのに不服そうに呟くコンラッドに、は小さく笑ってその手をぎゅっと握り締めた。
「五人の求婚を退けた姫に、今度は帝……この国でいう魔王だね。が、求婚をしてきたんだけど、彼女は実は月の世界に帰らないといけないということが判るの。帝は兵士を配置して、月の迎えを追い払おうとするけれど、結局姫は迎えと月に帰ってしまうの」
「情けない話だな。俺ならをみすみす帰したりしないのに」
「コンラッドならホントに勝っちゃいそうだね」
指を絡めるように手を繋いで笑いあう二人に、有利から教育的指導が入る。
「そこーっ!お伽話にかこつけていちゃいちゃしないようにっ!」
「じゃあかぐや姫で決まりかな?」
「ですが、その月の迎えに備えた兵士役も揃える必要がありますよ」
「ああ、そうかー。じゃあかぐや姫も却下だな。あんまり大人数を拘束したら可哀想だし」
有利は残念そうに赤線を引いた。
「……月の迎え役が猊下じゃなければ、これで決まってたんだろうなー……」
無難な役になりそうだったのに、とヨザックは遠い目で呟いた。
第三案、却下。


「全然決まんねー!」
「そもそも家族内学芸会みたいなものだから、もっと登場人物を絞ればどうだろう?」
「たとえばー?」
「三匹の子豚とか」
「いや、それ主役女の子じゃねーし」
有利が呆れたように友人の案を却下しようとする。
「いやいや、待ちなよ渋谷。女の子にこだわるより、メッセージ性にこだわった方が、情操教育にはいいんじゃないの?三匹の子豚なら判りやすいよ」
「うーん、言われてみれば」
「子豚役をと渋谷とフォンビーレフェルト卿がやって、狼役をウェラー卿、お母さん豚をヨザックあたりでどうだろう」
「お前はよ」
「ナレーション」
「グウェンは?」
「大体、彼が演劇に出てくれるとは思えないし、衣装担当をしてもらうのも手じゃないかな」
「ああ、いいねそれ」
「……ごく当たり前にギュンター閣下が抜けてるんですけど」
「それより俺としては、狼がどんな役が気になるところですが」
「それよりって……」
「んー、でも子豚の家がさあ、藁と木とレンガだっけ?違いの表現を紙に描いた背景じゃ判りにくそうだよな」
常識的なヨザックの小さな声は誰も聞いていなかった。
三匹の子豚なら家にこだわりたいという有利の考えにより、第四案も却下。


「スリーピングビューティはどうですか?」
「コンラッドはディズニーばっかだなあ」
「知識の基盤がアメリカならしょうがないんじゃない?」
「あ、そっか。えーと、眠りの森の美女だよな。どんな話だっけ」
「お姫様が産まれたときに、自分だけ祝いの宴に招待されなかった魔女が呪いをかけるお話でしょう?でもそれって魔女役が十三人いるんじゃないの?」
「同じ囚われの姫ならラプンツェルとかは?」
大賢者の意見に、有利は首を傾げる。
「あれは登場人物が少なくなかったっけ?」
「ラプンツェルと王子と魔女だけかな?」
も思い出すような仕種で軽く天井を見上げた。
「じゃあ千夜一夜物語とか」
「あれ長いだろ」
「だからさ、シェラザードが話す物語を厳選するんだよ。これならひとつの劇で色々な話を見ることもできるしさ」
「反・対!」
が机を叩いて強く反対して、有利は目を瞬く。
「なんでそんな力強く……」
「有利、あの話の前提判ってる?王妃が浮気しているのを目撃して、それで女性不信になった王様が一夜を共にするたびに女の人を殺してしまうんだよ?都の若い女性が殺し尽くされて、最後に大臣の娘が王の元にあがって、殺されないように毎夜、興味深く面白そうな話を語って聞かせるの。語る相手は妹になんだけど……とにかく、そういう前提の話をグレタに見せるわけ?」
「……それはマズい」
「そもそもグレタ姫さんの希望は陛下が聞いて育った物語だから、陛下が筋を覚えてないような話だと意味がないんじゃ……」
やはりヨザックの呟きは誰も聞いていなかった。








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