「悪い、コンラッド」
コンラッドと村田を連れておれの部屋に入ると、勉強机に放置していた教科書とノートをまとめて部屋の中央のテーブルに持っていきながら、コンラッドに謝った。
「え、何がですか?」
「何がって、勝利がさ」
「お兄さんのことですか。謝ることなんてないですよ。むしろ当然の反応だと思います」
「ホントにコンラッドって大人ー」
「普段の君の発言を聞いていたら、ウェラー卿だって覚悟はあったんじゃないの?」
「おれの話?」
村田はおれの右に、コンラッドは正面にクッションを敷いて座る。
「だって君、よく言ってるじゃないか。お兄さんのシスコンぶりはこんなものじゃないって。渋谷よりすごいなら、ねえ?」
「失礼なこと言うなよ!」
だがコンラッドは曖昧に笑うだけで、特にコメントを残さなかった。



幸せですか?(6)



コンラッドの全面協力の元、英語の復習がひと段落着いた頃、がコーヒーを入れた盆を片手に現れた。
「あれ、もういいの?」
「今日の晩ご飯はカレーなの。後は煮込むだけだって」
「……カレーなら別にの手料理の意味ないじゃん」
「それより、は試験勉強しなくていいの?」
「普段から予習と復習をちゃんとやってれば、試験前に慌てないよ。今から一緒にする」
それはおれに対する嫌味か、
が床に置いた盆には、コーヒーが五杯載っていた。……五杯?
ちゃん!『放課後(はぁと)イケナイLove Lesson!』ごっこは駄目だあっー!!」
奇妙なセリフを叫びつつ勝利がドアを蹴破る勢いで乱入してきた。
「なんだよ勝利、そのイケナイなんちゃらって。それより、友達がいるときはノックしろよ」
「俺の評価は星二つという程度の微妙な駄作だ。設定がありきたりなのにシナリオもありきたりでなあ。大学生の主人公が五人の女子高生の家庭教師をやっていて……いや、そんな話はどうでもいい!それよりちゃんは当然!ここで勉強するんだな!?」
途中で誤魔化したけど大体わかった。勝利の持ってるギャルゲーだな?そして家庭教師をコンラッドに、女子高生をに置き換えちゃって、一人でパニックになったんだな!?
こんな馬鹿と血が繋がっているなんて泣けてくる。そしてこんなアホが有名大学で優秀な成績を修めていると思うと、偏差値ってつくづく当てにならない。
村田は俯いているが口元を抑えているところを見ると、必死で笑いを堪えている。
コンラッドはまだ勝利の馬鹿さを知らないから、いまいち意味を量りかねたようでにこやかに迎えた。
は。
「あ、お兄ちゃんちょうどよかった。コーヒー持っていこうと思ってたの」
まったくわかっていなかった。勝利にとっては幸いだろう。
それにしても、さっきまであんなに怒っていたのに、まるでなんでもなかったように勝利に声をかけて驚いた。
元々はいつまでも怒りを引き摺るタイプじゃないけど、あそこまで勝利に対して怒鳴りつけたことはない。大事なコンラッドが不審者扱いなんだから腹が立つのもわかるけど。
の軟化した態度に、勝利はあからさまに驚いて、村田は意外そうな顔をした。
コンラッドは少しも顔色を変えず、むしろ嬉しそうにに微笑んでいる。大人だよな。
「お兄ちゃん、コーヒー持っていく?それともここで飲む?」
四つのカップをテーブルに置いて、残り一つが載った盆を掲げてながらそんなことを言ったので、おれは驚いて心の底から抗議する。
「えー!なんで勝利が居座るんだよ。友達とベンキョーしてんのに邪魔だろ」
「邪魔ってゆーちゃん。……いいや!俺はここいいるぞ。どうだ有利、わからないところがあったら教えてやろう」
「いいよ、コンラッドの教え方うまいし」
「ですが陛下、俺は英語しかお手伝いできませんよ」
「こっちで陛下はないだろ、名付け親」
大体、この中で一番に勝利を追い出したいのはなんじゃないのかよ。
「数学と古文はも村田もいるし」
「まあいいじゃない、渋谷。現役の一ツ橋大生だよ?頼りになるじゃないか」
そう言う村田の顔は明らかに笑いそうになっていて、このあとの騒動を期待しているのがよくわかる。お前なー。
「けど広いテーブルじゃないし、四辺で四人。勝利がいる場所ないじゃん」
「じゃあお兄ちゃんは椅子に座ってる?」
おれがあくまで抵抗してるというのに、はキャスター付きの勉強机の椅子を転がしてきた。
「なんだよ。さっきまで一番、勝利に怒ってたくせに」
「考え直したの。お兄ちゃんが怒るのは、わたしを心配してのことだし」
ちゃん!やっとわかってくれたのか!」
「だからお兄ちゃんと冷静に話し合いたいの。ちゃんと話を聞いて欲しかったら、わたしもお兄ちゃんの主張を聞かないとね」
がちらりとコンラッドを見て、二人で頷きあったりしている。
あー、そういや立て篭もった部屋から出てきたときも、コンラッドが話し合いたがってるって言ってたっけ?
だけどそんな通じ合っちゃってる態度が勝利を焚き付けたようで、示された椅子は使わずにとコンラッドの間のテーブルの角に無理やり割り込んだ。
「何かわからないところはあるか、ちゃん。お兄ちゃんなら英語と言わず、数学でも 古典でも現国でも化学でも物理でも世界史でもなんでも聞いてくれ!」
コンラッドと対照的な、あまりにも大人気ない態度に唖然として大口を開けてしまう。隣で村田はテーブルにつっ伏して、肩を震わせ声だけ堪えて大笑いしている。
コンラッドは苦笑するだけだったが、爆発するかと思ったが溜息をついておれとの間の角を指で軽く叩いただけだったのに驚いた。
「わたしより、有利の方が質問も多いと思うけど。こっちの方がよくない?」
「広いテーブルじゃないからここからでも教えられる!な、ゆーちゃん?」
「……そうだなー……とりあえず、おれは充分に心が広いということを教わったよ」


やっぱりというか、勉強会に最初に音をあげたのはおれだった。
「あー、もうやめ。限界。頭ン中で数字と活用形がぐるぐる回ってる」
勝利がいるならいちいちや村田の勉強の邪魔をするのも悪い気がして、ほとんどの質問を勝利にすることになった。お陰で勝利はかなり上機嫌になっている。
「もう終わるか?じゃあ『ありがとうございました、お兄ちゃん』の挨拶で締めような」
別に勝利に二度と教えてもらえなくなっても、おれにはと村田がいる。だがここで、おれが堪えて勝利を満足させれば、少しはとコンラッドの助けになるかもしれない。
「……………ありがとうございました………お……おにい、ちゃん」
「そぉかぁ?ゆーちゃんの助けになったかー!」
にこにこと笑顔大安売りだったのは、ここまでだった。
「ごめんねコンラッド。暇だったでしょう?」
がノートを片付けながら申し訳無さそうに謝ると、そうでもないよとコンラッドは首を振る。
の都合を聞かずに来たのは俺だからね。学業をまっとうしてくれた方がいいよ。
それに、とユーリの側にいられれば、俺はそれで十分だから」
背中が痒くなるようなセリフとともにの頬に触ろうとした手を、勝利が叩き落した。
「お兄ちゃん!」
「妹に気安く触るな」
「いい加減にしろよ勝利。それくらいなんだよ。お前だって二人の再会のとき一緒にいた だろ。あれに比べたら全然だ。なんたって目の前でキ……」
「あー!腹が減った!いい匂いがしてきたぞ。そろそろ飯か。いくぞ、ちゃん」
勝利は何にも聞こえませーんという態度で、片付け途中だったを引っ張って部屋を飛び出した。確かに、時間的にも、そしていい匂いも漂ってきてはいるけど。
恥を堪えて一時的に満足させてやっても無駄だったか。
「そろそろ親父が帰ってきそう」
時計を見てそう呟いた途端、家のチャイムが鳴った。
コンラッドの顔が一瞬だけピリっと引き攣って、かなり緊張していると、おれにもわかった。
「んー、親父なあ……親父はどうだろう。は一人だけ女の子だから、なかなか首を縦に振ってくれないかもしんないけど……勝利よりはまだ話はわかるって」
だけど親父にとっても、に恋人だなんて寝耳に水だろう。
楽天的なことを言ってよかったのか、ちょっとおれまで不安になってくる。
でも勝利の馬鹿は別として、親父やお袋はに好きな人ができたことを喜ぶような気がする。おれだって、複雑で複雑でしょうがなかったけど、最終的には自分で後押ししたくらいだし。
「ま、ここでぐずぐずしてもどうしようもないでしょ。さあ、ウェラー卿。レッツゴー」
赤の他人のはずなのに、しっかりこの事態に食い込んでいる村田が無責任に促して追い立てる。こいつ……。
階段を降りると、やはりというか親父の声が聞こえてきてコンラッドの背筋が軽く伸びた。
「ただいまー。お、今日はカレーか。いい匂いだなあ」
コンラッドは一瞬だけ階段で立ち止まり、すぐに残りの数段を降りて顔を出した。
「お久しぶりです、ショーマ」
「コ、コンラッド!?」
驚いた親父が通勤鞄を取り落として、横にいたがその鞄を拾った。
「あのねお父さん。大事な話があるの」
が窺うようにそう言うと、親父は更に驚いたように後ろに下がって……脱ぎかけの靴に引っ掛かって玄関先に尻餅をつく。
「有利じゃなくてだったのか!?」
コンラッドからもお袋からも、親父はおれが魔王になることを知っていたとは聞かされていたけど、やっぱり知ってたんだなあとその言葉で実感した。
「違います。貴方にお預けした王は確かにユーリです。ですが、二人を素晴らしい人物に育ててくれたことに感謝しています」
コンラッドが手を差し出して、玄関に転んで座り込む親父を引き上げた。
「お前に感謝される謂れはない。ちゃんもゆーちゃんも渋谷家の一員なんだからな」
「いや、勝利に言ったわけじゃねーじゃん」
親父への感謝を勝利が断って、呆れて突っ込みを入れたが勝利はめげない。
「何を言う!ちゃんもゆーちゃんも、俺が一番近くで育てていたんじゃないか!」
それは妄想だ。
おれがそうツッコム前に、コンラッドは当然のように頷いた。
「もちろん貴方にも感謝しています。素晴らしい王と王妹を迎えることができた臣下として、感謝するのは当然でしょう?」
「ち……」
舌打ちした勝利がリビングに入ろうと方向転換をしたとき、一瞬だけその足が止まる。
すぐに逃げるようにリビングへ移動した勝利の視線の先を追うと、親父の横で鞄を持ったまま、が悲しそうな顔でリビングへ消えた勝利を見送っていた。
勝利の奴、を護るつもりで悲しませてどうするんだよ。
頑固な態度に段々おれの腹が立ってきた。
一言ガツンと言ってやろうとリビングに入ると、お袋が勝利の肩を掴んで引き下げて何かを耳打ちしている。
勝利の顔色を見る限り、おれが何か言う必要はなさそうだった。
お袋はの味方だもんな。
帰ってきたばかりの親父が着替えて席に着くのを待ってから始まった食事の間、勝利はずーっととコンラッドを恨めしそうな目で見ていた。
「コンラッド、カレー食べられそう?」
「大丈夫。美味しいよ、
甲斐甲斐しく隣に座ったコンラッドのサラダをボウルから取り分けながら、は本当に嬉しそうに、楽しそうに満面の笑顔だ。
コンラッドはコンラッドで、丁寧に礼を言いながらサラダを受け取って、こう言うのもなんだけど……ベタベタする新婚みたいな絵面だった。
ああ、勝利の目が吊り上がっている。
おれと村田は、それでも二人のこういうところにも慣れてきているから、砂糖の塊を口に突っ込まれた気分になる雰囲気を目にしても気にしない。
「村田ー、福神漬け取って」
「はいはいっと。あ、じゃあそのドレッシング貸して」
勝利ほどでないにしても、コンラッドが気になるのか親父はスプーンをおろして水を一口飲んだ。
「コンラッドはいつこっちに来たんだ?」
「今日の午後です。どうしてもショーマに話したいことがあって」
「俺にー?」
親父もなんだかおかしな雰囲気に気付いているようで、不審そうな顔でそう尋ねる。
まあ、ね。が家族以外の男にベッタリしている時点で気になるのは当然だ。
勝利よりは、衝撃発言を受け取る心の準備期間があることになるのかもしれない。








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