お母さんはさっきまでお兄ちゃんが座っていた場所に腰掛け、お兄ちゃんが手をつけてなかったコーヒーにミルクと砂糖を入れて口にした。
「まあ、じゃあその若さは人種的特徴であって、技術じゃないのね。あーん、残念」
「そういう問題か!?」
「お袋……」
「さすがママさん」
横で喚くお兄ちゃんと肩を落とした有利を気にも留めず、村田くんとお母さんは二人だけにこにこと上機嫌だ。村田くんの場合は、楽しんでいるというのが正しいんだけど。
「母さん、人種的特徴を納得する前に、異世界だとか魔王だとか、そこから胡散臭いと思ってくれ!」
「あら、しょーちゃん。そんなこと言ったって、ゆーちゃんが生まれるどころかまだママのお腹に来てくれる前から、うちの二人目は異世界の魔王になる予定だって言われてたのよ?魔王はゆーちゃんの方だったのね。一緒にちゃんも生まれてくれただなんて、とってもお得だったわ!」
ちゃんは駄菓子のおまけじゃないんだぞ、母さん!」
「もちろんよ。中学生になった途端に一人でここまで成長しましたって顔をしている二人の息子より、今でもママと女同士で仲良くしてるちゃんの方がずっと可愛いわ」
「話がズレてきてますよ、ジェニファーさん、友達のお兄さん」
この事態がどう展開するかを楽しみたいらしい村田くんが修正を入れて、お母さんは笑いながらコーヒーを飲んだ。



幸せですか?(5)



「それより今、聞き捨てならない話をしてなかったか!?おれが生まれる前からって……親父どころかお袋まで知ってたのかよ!?」
「そうよ。ウマちゃんが地球の魔王に、異世界の次期魔王になる子供を育てて欲しいって言われたんですって」
「陛下の魂をそれまで守る者として、その場に俺も同席していたんです」
コンラッドが短く注釈を入れると、お母さんは頬に手を当てて大きく頷く。
「聞いてるわ。ウマちゃんが言うには、高校生くらいにしか見えなかったって。それでウマちゃんより五倍近く年上だって言うじゃない?あのときも美容法を聞いてきて欲しかったのに、ウマちゃんってばその辺りの気が利かなかったのよ」
「五倍!?そういえばゆーちゃんの名付け親と……お、お前一体いくつなんだ!?」
「いくつって、百……」
「いい!言うな!聞きたくもないっ!」
自分から聞いておいて遮ったお兄ちゃんは、失礼なことにコンラッドに指を突きつけながらわたしに詰め寄ってきた。
「かなりの歳の差どころじゃないぞ!産まれたての赤ん坊に惚れる八十過ぎのじいさんみたいなものじゃないか!ちゃん、正気に戻れ!」
「わたしは最初から正気です!お兄ちゃんこそ、その例えは変だって気付いてよ!」
「その辺りは正気だけど、恋には狂ってるよね〜」
「村田、表現が親父クサイ」
「恋に狂ってるの?素敵ね、ちゃん。ドラマみたい!」
お母さんの賛同はどこかズレているんだけど、でも祝福してくれているのは間違いないので、そこは素直に嬉しい。
「でも勝利、つまりそれは異世界とか魔族とかは納得したわけだな?」
「んな!?ゆ、ゆーちゃん、それとこれとは話が……」
「一緒だろ。そこを信じてなかったら、コンラッドは二十代前半にしか見えないし」
有利の援護にお兄ちゃんは言葉を無くして、視線を彷徨わせる。
「ゆーちゃんだけは俺の味方だと思っていたのに……」
「なんでおれが勝利の味方なんだよ」
「だってちゃんのことだぞ!?ちゃんがどこの馬の骨ともわからない男にさらわれるんだぞ!?お前はそれでもいいのか!?」
「馬の骨って……」
興奮して立ち上がったお兄ちゃんに、有利は目を瞬いた。
「いやねしょーちゃん。わからないどころかゆーちゃんの名付け親じゃない」
「おまけに前魔王のご子息ですよ」
「今はおれの一番頼りになる護衛だし」
「ぐぐぐ………は、話にならん!」
お兄ちゃんはソファーから立ち上がるとリビングを出て行ってしまう。
「お兄ちゃん!」
わたしとコンラッドが追いかけようとしたら、お母さんがコーヒーを飲みながらわたしの手を掴んだ。
「いいから放っておきなさい。しょーちゃんはしばらく頭を冷やした方がいいわ。いまは何を言っても無駄よ、無駄」
「でも、お母さん……」
「どうせウマちゃんにも話をするんでしょう?その時改めて話し合った方がいいと思うわ」
コンラッドがお兄ちゃんを気にして廊下に視線を走らせると、お母さんは軽く手を叩いてソファーから立ち上がった。
「はいはい、じゃあちゃんはママと一緒に晩ご飯を作りましょうね。せっかく恋人が来てるんだから、地球の手料理を食べさせてあげるといいと思うのよ。コンラートさんはゆーちゃんと散歩にでも出ていらっしゃいな。健ちゃんも一緒に夕飯食べていくわよね?」
「ご相伴に預かりまーす」
村田くんがひょっこり手を上げてソファーから立ち上がった。
「でも渋谷、散歩より英語の勉強したらいいんじゃない?ウェラー卿に教えてもらえるし」
「それいい!村田いいこと言うよな!………あ、あれ?」
コンラッドを連れてリビングを出ようとしていた有利が首を傾げる。
「今、おれたち何語しゃべってんの?」
「何語って……日本語でしょ?」
有利大丈夫?と眉をひそめてしまったけど、有利の方がわたしよりずっと冷静だった。
「コンラッド、日本語話せたのかよ!?」
「あ、そういえば」
日本でコンラッドに会えたことに夢中でうっかりしていたけど、言われてみればわたしたちずっと日本語で話していた。でもコンラッドも普通に会話してたよね?
「それはこの……」
コンラッドが耳から小さなイヤホンのようなものを取り出して掌に乗せて差し出す。
「猊下の協力の元、アニシナが作った魔動自動翻訳機のおかげです。魔力の元が内臓されているので、俺でも使える優れもの」
そう説明するコンラッドは、今度は眞魔国の言葉を使っていた。
「へえ!アニシナさんすげえなあ。村田もいつの間にそんなこと……」
「美人のお願いには弱いんだよ。それに、翻訳機はあって困るものじゃないしね」
「俺はモニター役でもあるわけですが、お陰で今回は本当に助かりました」
イヤホンをはめなおすと日本語。
英語だと、お父さんとお母さんは大丈夫でも、有利とお兄ちゃんはなに不自由なく会話とはいかないものね。
有利と村田くんに連れられてリビングを出て行くコンラッドが、最後に苦笑しながら手を振ってくれた。
「じゃあお夕飯の準備をしましょうね。和食でもフォークとナイフで食べられるけど、いまだとしょーちゃんがケチをつける材料にしちゃいそうね。無難にカレーにでもしておきましょうか」
「……お兄ちゃん、どうしてあんなにコンラッドに冷たいのかな」
「そう?ママはしょーちゃんの気持ちもわかるけど?」
「え……」
キッチンに移動するお母さんの言葉に、驚いて立ち尽くしてしまった。


お母さんは賛成してくれると思っていたのに、話も聞いてくれないお兄ちゃんに同意するのだろうかと慌てて追いかける。
「お母さん、お兄ちゃんの気持ちがわかるって……」
お母さんはエプロンをつけながら流しの前に立って振り返らない。
「だってしょーちゃんはちゃんをとても大事にしてるもの。遠くにお嫁に行っちゃうだなんて、寂しいし心配するのも当然だと思うの。ちゃん、お米研いでちょうだい」
お母さんはくすくすと笑いながらまな板と包丁を調理台に用意すると、ジャガイモや人参、玉葱などの野菜を取り出してくる。
「で、でも……ずっと帰ってこないわけじゃないよ。向こうに行ってる間が会えないだけなのに」
「そうねえ。でも地球上なら遠くに離れていても色々な方法で今どうしているかを訊ねることができるけど、異世界の人だとそうはいかないでしょう?その間はどんな連絡も取れないわけだし。ちゃんは家に帰ってきている間、コンラートさんと連絡が取れなくても寂しくない?不安は?」
返事に詰まった。
会えないのは寂しい。声すら聞けないのはつらい。そして、いつだって少しの不安はある。
それはコンラッドの浮気を心配しているんじゃなくて、次もまた必ず眞魔国に行けるという保証がない不安だけど。
返事ができないわたしに、お母さんは米びつを指差した。
「お米を研いでちょうだい。それでね、やっぱりちゃんにもそういう心当たりはあるでしょう?ゆーちゃんはあちらのお国に一緒に行けるからそこまで深刻に考えてはいないようだけど、しょーちゃんはあちらには行けないのよ」
そんなこと、お母さんに言われるまで考えもしなかった。お兄ちゃんはただいつものシスコンで反対してるものだとばかり……それもあるとは思うけど。
でもそれだって、わたしを心配してくれているからだ。
コンラッドも言っていた。
お兄ちゃんが怒るのは、わたしを心配しているからだって。
自分のことばっかり考えて、お兄ちゃんに腹を立てていたことに申し訳なくなってくる。
「そのことだけは、しょーちゃんの気持ちもわかってあげてちょうだいね?」
「……ごめんなさい」
自分が恥ずかしくて、小さく声を絞り出すと、お母さんは包丁を握ったまま驚いたように振り返った。
「謝ることはないのよ。誰かを好きになるのは悪いことじゃないわ。いいえ、とてもいいことだもの」
「お母さん……」
ちゃんは男の人がずっと苦手だったから、好きな人ができたことはママも嬉しいのよ。だって恋も愛も、とっても素晴らしいものだから。今ならちゃんだって、それがわかるわよね?」
「……うん。わたし、コンラッドのことが好きだってわかってから、色々楽しいことが増えたよ。つらかったり、寂しかったりもするけど、でも、コンラッドと一緒にいるとそれ以上に幸せなこともたくさんあるの」
「そう。さすがママのちゃんね。とってもいい人を捕まえたみたいじゃないの」
お母さんは笑ってわたしを手招いた。
側に寄ると肩に手を回してぎゅっと抱き締めてくれる。
「大きな歳の差も、国際結婚もきっと大変だと思うわ。育ってきた基本的な社会が違うんですもの。でもちゃんならわかるわよね?どんな人とだって、どんな関係だって、大変なことはあるものよ。大切なのはお互いを尊重する心。だからって相手に合わせすぎても疲れちゃうわ。自分を見失ってもいけないの。どうかそれを忘れないでね」
「お母さん……」
コンラッドを好きな気持ちはとても大切なものだと思う。
だけど、わたしは浮ついてばかりだったかもしれない。
お母さんの言葉で初めてそれに気付いた。村田くんが言っていた恋に狂ってるってこういうことかな。
「これがママからの祝福の言葉よ。幸せになるための努力を惜しまないでね」
優しく戒めてくれるお母さんの言葉に涙が滲む。
「お母さん……ありがとう……」
「あらあら泣いちゃだめじゃない。嬉しいことにはね、にっこり笑わなくちゃ」
お母さんがわたしの滲んだ涙を拭って微笑んだ。
「きっとウマちゃんよりしょーちゃんの方が強敵よ。しょーちゃんを納得させられるくらい、幸せなんだってみせてあげなさい。そしたらたぶん、渋々認めてくれるわよ」
「渋々なんだ」
「そりゃ、しょーちゃんだもの。渋々よ。もっとも、しょーちゃんの場合はどんな相手でも反対しそうだけどね」
お母さんはこつりとわたしと額をぶつけて、これは女同士の内緒話よ、と笑って言った。








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