「あ、メール」
家に着いて門扉を開けたところで、のポケットから電子音が聞えた。
が携帯を開いている間に、おれは鞄の中の鍵を探す。
「村田くんだ」
「え、じゃあおれ宛て?」
二人が眞魔国で親睦を深めて以来、それまで直接自宅に繋がっていた村田からおれ宛の電話やメールはすべての元に届くようになっている。その逆も然りで、別行動しているときのからおれ宛の電話やメールも村田に届く。それで大体すぐに話が通るのだから、最近のおれの行動範囲って……。
「ううん、『へ』だって。なんだろ」
鞄の底に潜っていた鍵をようやく見つけて取り出すと、がメールを音読し始めた。
「『面白い見世物がやってるよ。いま家にいるならコンビニ方向の二つ目の曲がり角までおいで』だって」
「はあ?コンビニ方向ってあっちのことか?じゃあもう近くまで来てんじゃないか」
わざわざ呼び出すほど面白いものってなんだろうと首を捻りながら、鞄だけ玄関に放り込むと、おれとは一緒に村田を迎えに行くことにした。



幸せですか?(3)



「それにしても、村田くんを呼ぶなんて遊んでる暇あるの?明日は英語と数学があるよ」
「遊びじゃねえよ!勉強会!」
「それならわたしに聞いてくれればいいのにー」
は不満そうに頬を膨らませて唇を尖らせた。眞魔国という共通の意識を持ってからは、も村田と仲良くなったのに、こうやっておれのことで張り合うところがあるのは相変わらずなんだよなー。まあ、おれとしてはそれが嬉しかったりするんだけどさ。
村田の指示する場所に向かう、一つ目の角を曲がったところで、急にが足を止めた。
「どうした?」
振り返って聞いても答えない。驚いたように目を見開いて、ただこの先をじっと見つめている。
その視線を追って、道路の先を見たおれは、たぶんと同じ顔をしたに違いない。
後ろ姿だけど、見慣れないこっちの服を着ているけど。
おれとが、彼を見間違えるわけがない。
「コンラッド!?」
おれの絶叫に振り返った背の高い男は、やっぱり間違いなくウェラー卿コンラートその人だった。なんでこっちにいるんだ!?
「あ、来た来た。やっぱり二人一緒だ」
コンラッドの横で村田がひらひらと手を振って、おれは唖然とするの手を取って二人の方へ駆け出す。
「なんでコンラッドが日本にいんの!?」
「なんでも用事があったそうだよ」
「お久しぶりです、陛下、
「陛下って呼ぶなよ名付け親」
いつもの再会のやり取りをしながらコンラッドの側まで駆け寄ると、もう一人コンラッドの後ろに誰かいるように見え―――。
「んなっ!?」
なんで勝利がコンラッドと一緒にいるんだ!?
おれが驚いて立ち止まるとは繋いでいた手を離して、勝利なんてまるで目に入っていない様子でコンラッドの腕に抱きついた。
あ、あ、ああぁ…………勝利の顎が外れかけている。
「用事ってなあに?でも嬉しい。日本でコンラッドに会えるなんて!」
「俺も嬉しいよ」
なんて言いながら、軽くとはいえ人前でキスするのはやめろ。
は恥ずかしそうに唇を押さえて、コンラッドの腕を軽くつねった。とはいえ、あれじゃあせいぜいスーツくらいまでしか摘んでないだろうけどね。
「こんなところでキスするのダメ!」
「だってに久しぶりに会えたから、つい」
「いい加減にしろ……このバカップル……」
目の前でいちゃつかれたら、おれと勝利が可哀想だろう。
「と、いうことで信じていただけたでしょうか」
コンラッドが勝利を振り返ると、顎が外れそうになっている男にも初めて気がついた。
「お兄ちゃん!み、見てたの!?」
見ていたというより、見せつけられたの間違いだ。
事前情報なしで見るにはあんまりの光景に、石像のように硬直した勝利を憐れみながらこの先のことを思うと頭が痛くなってきた。
「村田、どういうことだよ」
「僕に聞かれてもねえ。僕は単にウェラー卿が君のお兄さんにストーカー呼ばわりされている場面に出くわしただけだから」
「ストーカー!?」
おれとの声が重なった。
「あまりに面白くて、メールでを呼んだんだけどね」
「面白いってお前な……」
「呼んだ!?お前いつの間にちゃんにメールなんか……!メルアドを知っているのも許し難いが……ストーカーの前にちゃんを呼ぶなんてっ」
見てしまった光景を頭の中でリセットしたのか、復活した勝利はいまだコンラッドのことをストーカー呼ばわりする。
はコンラッドの腕に抱きついて、勝利に向かって首を振った。
「コンラッドはストーカーなんかじゃないよ。……あのね、お兄ちゃん。今まで黙ってたんだけど実はわたし……」
「ああ!提出期限が近いレポートが降って湧いた!急いで取り掛からないとな!も試験勉強があるだろう。さー帰ろう、急いで帰ろう!」
レポートが降って湧くってどんな状況だよ。
勝利はみなまで言わせず、コンラッドに抱きついていたの腕を掴んで家に向かって歩き出す。
「え、ちょ、お兄ちゃん!」
「帰ろうな、帰ろう。……いやーオールカラーで総天然色、おまけに五感もばっちりある夢は俺の場合ほんとうに大体が悪夢だなあ」
今度は夢かよ!?
あまりの現実逃避っぷりに憐れになってきた……。
「涙ぐましい努力だよね、渋谷。身につまされない?」
「……おれはあそこまで見苦しくないよ」
少なくともふたりの仲は認めているし、応援もしている。
困惑しているコンラッドの腕を叩いて、おれたちも勝利の後を追う。
「悪いなあコンラッド。うちの勝利、ちょっと天然気味だから。」
「いや渋谷、あれは天然というより必死というんだよ」
「お兄ちゃん!ちゃんと話を聞いてよ!」
いつもなら何を置いてもの話を聞くのに、まるでそよ風だと言わんばかりの無視っぷり。
あーあ……。


そして、勝利の現実逃避は手痛い仕打ちで跳ね返ってきた。
家まで話も聞かずに引き摺った勝利に、当然というべきか、はとうとう玄関先で怒ってその手を振り払った。
「じゃあ聞いてくれなくていいよ!コンラッド、行こっ!」
おれと村田の後ろにいたコンラッドの腕を掴むと、おれたちの間から強引に引っ張り出して、さっさと二階の部屋に連れて行ってしまったのだ。
ちゃん!待ちなさい!そんな男を家にあげるんじゃありません!」
勝利が慌てて二階に追って駆け上がり、おれはその騒音を聞きながらと勝利が脱ぎ散らかした靴を揃えて整える。
コンラッドはあの一瞬で脱いだとは思えないほどきちんと左右揃えている。さすがに踵が玄関方向だったので、その方向転換だけはやっておく。
「ふーん、靴もブランドだ。出資者は間違いなくボブなんだろうけど」
「え、コンラッド、サップと知り合い?それともディラン?」
「はいはい、お約束のボケはいいから、お兄さんを止めてあげなくていいの?」
村田が指差す二階からは、勝利の見苦しい悲鳴のような雄叫びのような泣き言とともに、ドアを激しく叩く音が聞こえてくる。
「……このまま逃げてえなあ……」
「それ、どっちを見捨てて?」
激しく嘆きすぎて冷静な判断ができない余り、ますますを怒らせるに違いない勝利と、あの超絶シスコンの呪いを受けるコンラッドと。
「……この場合、勝利を、かな」
「まあ、そうだろうね。ウェラー卿には無敵になれる女神がついてる」
そう、たとえ勝利がどれだけ嫌がらせを敢行しようとも、が側にさえいればコンラッドは少しも堪えないに違いない。
「……まあ、なんだな。コンラッドは元々用事があってこっちに来たんだろ?兄妹喧嘩に巻き込んじゃ可哀想だ」
「その用事っていうのが、僕としてはとっても気がかり」
「え、ヤバそうな話?」
「……さあねえ……お兄さんの血管が切れるような用事じゃないかなあ、たぶん」
村田は両手で耳を押さえながら家に上がり、溜息をついた。
「なんで勝利が関係あるんだよ」
「でなければ、ウェラー卿だって顔も知られていない君たちのお兄さんに、わざわざ声を掛けたりしないだろ」
「あ、そっか………って……うわぁ……」
二階に上がると、想像以上の光景が広がっていた。
ちゃーんっ!!出ておいで!出てきなさいっ!!」
勝利は廊下に両膝をついて泣き崩れ、の部屋のドアに縋りついて激しく叩き続けている。
「男と昼間から二人きりだなんて……っ!そんなふしだらなことする子を産んだ覚えはないぞ!ちゃん!ここを開けなさい、っ!!」
も産んでもらった覚えはないと思うけどな……」
とうとう本格的に廊下にうずくまって泣き始めた勝利に、おれは回れ右したくなった。
正直な話、関わりたくない。
だがここで勝利を放って逃げたことを後でに恨まれるくらいなら、自らに封じた手を使ってでも引き離した方がいいと思う。
おれは勝利の横に膝をついて、そっとその背中を二、三度さすった。
「ちょっとは落ち着けよ、ほら下に降りようぜ。……お……おにい、ちゃん」
反応は、恐ろしいほど激しかった。
「ゆぅーちゃぁーんっ!!」
「のわっ!」
腹にタックルを受けて廊下に強くケツをぶつけた。
顔をしかめているのは痛みのせいか、おれの腹に顔をこすりつけて嘆く勝利の気持ち悪さのせいか、自分でも判別がつかない。
ちゃんが……ちゃんがあぁーっ!」
「……村田、おれちょっと今ここが眞魔国の気分になってきた」
「奇遇だねー、僕も同じこと考えたよ。七色のギュン汁じゃないだけましじゃない?」
「ましじゃねえよ。おーい、おれからも頼む。もう一回勝利と話してやってくれよ。ちゃーん、おれを助けてー」
勝利を腹に乗せたままおれが両手を口に当て、手をメガホン代わりにそう言うと、の部屋のドアが開いて、そっと顔をのぞかせた。
「ほら勝利、がドア開けたぞ」
ちゃん!」
ようやく気持ちの悪い抱きつき男が離れて振り返ると、不機嫌そうな表情でが念を押す。
「お兄ちゃん……ちゃんと話聞いてくれる?」
「聞く!一から十まで全部聞くとも!」
「……じゃあ……コンラッドがきちんと話しをしたいって……」
喜びの表情のまま、勝利は石像のように固まった。








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