大学生が高校生と大きく異なることと言えば、毎日同じ時間だけ授業があるわけではないということだ。
この日、俺は二限目が休講だったので、面倒になって残る四限目も自主休講にして大学には行かなかった。
昼まで惰眠を貪り、腹時計に起こされて昼飯を求めリビングに下りると、お袋は主婦仲間と食事会に行くというメモが残されていた。
有利とは期末試験の真っ最中だからそろそろ帰ってくるとわかっていたが、腹の減り具合がそれを待つことを許さない。
まったく何も作れないわけでもないが、自分一人分の食事を用意するのも面倒で、仕方なしに適当にレトルトで腹を膨らませて、ゲームでもしようと階段に足を掛けたところで、家のチャイムが鳴る。
リビングに戻ってインターホンに出るのが面倒だったから、直接に玄関のドアを開けると、やけに爽やかな笑顔の、顔のいい茶髪の外国人が門扉の前に立っていた。
「こんにちは、初めまして。俺はコンラート・ウェラーといいます。貴方はのお兄さんですね?」
血管がまとめて二、三本切れるかと思った。
「俺に断りなくを呼び捨てにするな!その前に、貴様何者だ!」



幸せですか?(2)



コンラート・ウェラーなる人物は、黒スーツに身を包んでいた。清潔感の漂う白いシャツに、ネクタイなんかもシックな茶色で、よくよく見ると薄い同色で格子柄。本当にクラシックな仕上がりになっているというのに、更にその上にベージュのロングコートを羽織り、黒い皮手袋を着用している。すべてどこかのブランドとみた。
顔の良さもとガタイの良さが相まって、まるでどこかのモデルのようだ。
そんな完璧な出で立ちでにこりと爽やかな笑みを見せる茶髪の外国人に、俺は精一杯胡散臭げな目を向けた。
まるでと接点など見えない男が、なぜのことを知っている。
俺が心から不機嫌な顔をしていると言うのに、男は気にした風もなく笑顔で続ける。
とは結婚を前提に交際している仲です」
「はっ、何を言うかと思えば!」
ありえない話に、鼻先で笑う。
「ありえんな。なんだそのでたらめは」
「嘘ではありません。本当は先にに報せてからご両親にご挨拶に伺うつもりだったのですが、ニッポンに来る許可をどうにか例外的に取り付けたものですから、こんな突然になってしまって。せめて先にに会おうと思ったのですが、それももう学校から出ていたようで、入れ違いになってしまって」
「冗談にしても笑えん!大方どこかでうちのを見かけて、そのあまりの可愛さについうっかり妄想しちゃった挙句に現実と混じったんだろう。見逃してやるからもう帰……」
帰れ、と手を振りかけて思いとどまった。
待て、今この男は学校に行ったと言わなかったか?
頭の中にスで始まって伸ばし音で終わる文字が点滅する。
そうだ、昨日まさにそんな話をしていたところではないか!
がもう既に帰宅しているのなら、会わせてもらえれば嘘でないことが証明できるのですが……」
「いかん、いかんぞ!可愛いちゃんを妄想男の前に出せるか!」
「も、妄想男?」
「警察を呼ぶぞ!さっさと帰れ!」
しまった、なぜ俺は警察を呼ぶと口にしてしまったんだ。ここは黙って通報だろう。ここで逃げられて、ちゃんを陰からつけまわすようなことをされたら危険じゃないか!
しかも、ちゃんが学校にいなかったなら、そろそろ帰ってくるはずだ。
このままでは妄想男とがかち合ってしまう。それは大変危険だ。
どうする俺!どうする!?
1、 家に素早く入り鍵を掛け、には近くの交番に駆け込むように携帯に連絡する。
2、話を聞く振りで家に上げ、リビングに落ち着けた後、こっそり携帯でと警察に連絡。
3、とにかく家から引き離すことが先決。
1は駄目だ。携帯電話は便利ではあるが、確実に出てくれるとは限らない。それにここで逃がせば、ちゃんに危険が及ぶかもしれん。2も同様だ。
やはりに危険が及ぶ可能性を少しでも上げるわけにはいかない。
必然的に、3番。とにかく家から引き離す。
「……そこで待ってろ。三十秒で用意する」
「用意、ですか?」
「まだあんたの話を信用したわけじゃない。そういう奴を家に上げるつもりはないんでな。本当にと交際しているというのなら、俺を信用させてみろ」
俺がそう言うと、妄想男は困ったように眉を下げた。とにかくが帰ってくる前に家から引き離さなくてはと、部屋に駆け上がるとコートだけ掴んで駆け下りる。
男は確かに門扉の前で待っていた。
「よし、じゃあ行くぞ」
「行くって、どこにです?」
「どこでもいいから、とにかくどっかにだ!家の前でずっと突っ立ってられると近所の目もあるだろう。迷惑なんだよ」
門扉を開けて道路に出ると、先に立って歩き出す。もちろん、たちが帰ってくる方向とは逆に、だ。
「困ったな……」
そう呟きながらも、男はちゃんと後ろからついてきている。よしよし。
「大体、さっきあんた『日本に来る許可を』と言ったな。ということは、普段は外国にいるんだな?」
「ええ、そうなります」
「その時点で嘘だとわかるじゃないか!うちのはもう十年以上も日本から出てないんだぞ!一体どこで交際するくらい親密になる機会があったっていうんだ!」
「それは、眞魔国で」
「なに?」
聞いたこともない国名だ。嘘に嘘を重ねるつもりか。知らないような小国家か、まったくのでたらめの国名を挙げれば誤魔化せるとでも思っているのか!?
「眞魔国の話を、ボブからお聞きになっていませんか?」
「……ボブ?」
出た。
どうしてこう、理解不能な話は全部あの男に繋がっているんだ。
「ええ、ボブから貴方がチキュウの次期魔王だという話を聞いていたのですが」
「あんたもあのわけの判らん妄想のお仲間か。どおりでおかしな話をすると思った。俺は都知事になるので忙しい。魔王ごっこで遊ぶ暇などない!」
曲がり角に差し掛かり、振り返ってきっぱりと言い切ると、さっきまで笑顔だった男の表情が変わった。
「……ごっこ?」
笑顔が消え、じっと俺を見据える。よく見ると、その茶色の目には銀の光が散っていた。
変わった色だな。
「王になるということは、重く大きなものを背負うことです。まるで遊びのように思われては困る。陛下はそのことをよく知りながら、眞魔国を統治されています。あなたも陛下の兄上でいらっしゃるのだから、このチキュウで良き魔王になれるはずなのに」
その真剣な眼差しに怯みかけたが、ふと今の言葉に引っ掛かった。
「……待て。今、陛下の兄上と言ったな?ま……まさか」
まさか、うちのが……。
「はい。第二七代魔王、ユーリ陛下です」
「なんでここでゆーちゃんになるんだ!」
今の流れだとじゃないのか!い、いやそんなことよりも。
この男は有利のことまで知っているのか。
危険だ。危険すぎる。
あまりに真剣な様子に思わず聞き入ってしまったが、つまりそれは妄想が激しいだけじゃないか!
どうする俺の三択がもう一度浮かぶ前に、最近よく聞く声が横から掛けられた。
「あれー、友達のお兄さんこんにちはー」
ゆーちゃんの友達の眼鏡か。
制服のままの奴は、角を曲がった先の道路をまっすぐ歩いてこちらに近づいて来る。
「なんだ、弟の友達!今忙しいんだ!」
「あーそうなんですか。じゃあ僕は、渋谷と勉強会の予定なんでこれで……」
「待て!勉強会だと!?大体お前が来てからというもの、ゆーちゃんが勉強で俺に頼る、ただでさえ少なかった回数が更に少なくなったんだぞ!?」
「そんなこと言われてもー」
俺の横を通り過ぎて角を曲がろうとした眼鏡はその場で固まったように立ち止まった。
「これは猊下。こちらでお会いするとは」
「なんだ!?弟の友達、お前知り合いなのか?」
まさに類は友を呼ぶだな。胡散臭い奴同士でお似合いじゃないか。魔王ごっこはお前たちでやってくれ。うちの弟と妹を巻き込むな。
「……ウェラー卿、どうしてここに?」
弟の友達は俺に目もくれずにじっと目の前の男を見上げる。
「大事な用事がありまして。上王陛下のお力添えで言賜巫女を説得いたしました」
「へえ……ウルリーケはともかく、彼がよく力を貸してくれたものだ。上王のとりなしということは、彼の用事じゃないんだろう?」
「ええ、ごく個人的なことです」
何となく、俺を素通りして二人の間で牽制し合っているように見えるのは、気のせいか?
「ふうん。まあ、彼……には弱かったしね」
弟の友達の眼鏡が声を低めて何か呟いたが、一部よく聞こえなかった。
「なんでもいい。確か村田だったよな。よし村田。こいつの知り合いなら、ちょうどいいから引き取ってくれ。に会わせろと言って聞かないんだ」
「えー、それはそうでしょう」
振り返った村田は、もういつもの飄々とした顔で、にやりと嫌な笑いを見せた。
嫌な予感がする。
「お兄さんご存知ない?」
「………なにを、だ」
村田は、「気の毒に」と呟いてから、男の腕をバシバシと音がするくらい強く叩いた。服の上からでもそれなりに効きそうな力強さだ。
「ねえ、僕も羨ましいよウェラー卿?あの男嫌いで有名なを落すなんてさ……というわけで、彼は妹さんの婚約者ですよ」
コンヤクシャ?
紺薬写?
根役者……?
「……大根役者と言いたいのか?それはお前だ。何の冗談を言っている」
「現実逃避はなはだしいなあ……じゃあ彼女をここに呼んでみましょうか?」
「待て!ストーカーの前にその対象を呼びつけるなんて、どういう神経をしているんだ!」
「ストーカー!?」
頭の天辺から抜けるような裏返った声を上げ、何が面白かったのか眼鏡は呼吸困難に陥りそうな勢いで、どこかの家の塀を叩きながら腹を抱えて笑い出す。
「さ……最高………さ…すが……ぷっ……お、お兄さんに……座布団、一枚……はー、おかしい……くくくっ……くるし……」
塀に片手をついたまま、ずるずるとうずくまって笑い続ける眼鏡に、思わずストーカー男と顔を見合わせてしまった。
が、どうやらストーカーという言葉を知らないのか、奴は気を悪くした風もなく、ただ突然笑い出した眼鏡に困っているだけのようだった。








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