起き上がろうとするより先に、コンラッドに肩を押さえられた。 「コ、コン……」 見下ろす茶色の瞳は怒っているかのような色合いで、いつもは綺麗だと思う銀の光彩が今日は冷たく光って見えた。 ベッドの上に押し上げられて、床についていた足が宙に浮く。足先が半ば宙に浮いているせいで地面もベッドも蹴ることもできなくて、力を入れた抵抗ができなくなったと気付いたときには足の間にコンラッドの右足が差し込まれて、閉じることができなくなっていた。 orange blossom(4) 「や……やだっ」 今までコンラッドのやることをセクハラだとか冗談混じりに言ってきていたけれど、それは全部コンラッドが気軽な様子だったからこそだとわかる。 押し返そうとした両手を簡単に掴まれて、手首をひとつに纏め上げて片手でベッドに押し付けられた。コンラッドは片手なのにびくともしない。両手も両足も動かせない。 コンラッドはいつもみたいに優しい笑顔も、悪戯するときのような気軽さもまるで見えない真剣な表情で、ゆっくりとその端正な顔を下ろしてくる。 「いやっ」 こんな無理やりなキスは嫌だと顔を背けると、頬をコンラッドの髪が掠めた。首筋を温かな舌が這う。 「ひっ………」 普段コンラッドが悪戯で触ってくるときの恥ずかしさと嬉しさが混じり合ったような感覚なんて微塵もなくて、ただ怖くて身が竦む。コンラッドの左手が背中の下に潜り込み、紐を解くのがわかった。 「やっ……!」 「いい香りだね、。わざわざ眠る前に香水をつけたの?まるで男を誘うみたいに」 耳元で囁かれた言葉に驚いて、怖くて強く瞑っていた目を開いた。でも見えるのはベッドの天蓋だけ。 「ヴォルフとはじゃれ合って、俺には触られたくない?」 「ち、違……っ」 痛みに息を飲んだ。 コンラッドが首と肩の境辺りに噛み付いたのだ。 「いた………」 服の上から乱暴に胸を掴まれて、痛みに唇を噛み締めた。 どうしてこんなことになっているのか、痛みよりも怖さで涙が滲む。 「いやだ………っ」 「……ヴォルフとはデザートを食べていたんだろう?」 「そう……だよ、それだけ、なのにっ」 「だったら俺にも食べさせて」 コンラッドの舌が、噛まれてズキズキと痛む場所の上を這った。 「この世で一番甘美な実を……」 首筋にキスを受けて、新たな小さな痛み身がすくんだ。 顔を上げたコンラッドの表情は何かを堪えるように苦しげなもので。 「食べさせて………を」 囁かれた声に篭った熱も、苦しげに歪められた表情も、確かにコンラッドのものなのに、まるでコンラッドじゃないみたいで、怖くて滲んでいた涙がとうとう零れ落ちた。 「い……いや」 震える声も身体も涙も堪え切れなくて、怖いのに傷ついた顔をしたコンラッドに酷いことを言っているように思えて、悲しい。 でも、今のコンラッドはわたしに触りたくて触ってるんじゃない。怒っている。 怒って、そうしてわたしの拒絶に傷付いている。 「こんなのはイヤだよ………」 涙は止まらなかった。 深い溜息が落ちてきて、コンラッドがわたしに覆い被さった。 「い、いやっ………!」 「………ごめん。怖がらせてごめん」 だけど、耳に流れてきた声にはもう、怒りも苛立ちも、篭った熱さえもなかった。 両手ももう外されていて、絡めた足で押さえ込まれていた両足もコンラッドが位置を変えていたお陰で動くようになっている。 「ごめん、酷いことをした。わかってる。……でも、あと少しだけ……少しだけ、こうさせてくれ」 怒りも苛立ちも消えた声はただ弱々しくて、コンラッドがとても傷ついているのだということだけをわたしに伝えた。 「もう何もしない。だからあと少しだけ………」 少しだけ目を横に移しても、伏せられたコンラッドの顔は見えない。 拘束を解かれてベッドに投げ出していた震える手が、意識してじゃないけどコンラッドの背中に回る。コンラッドの背中でぎゅっと服を握り締めると、低く小さく搾り出すようにコンラッドが囁く。 「好きなんだ……愛してる………」 熱い、苦しそうなその囁きに、コンラッドの背中に回していた手から震えが止まった。 怖かったよ。すごく怖かった。 でも、わたしはずっと拒絶ばかりしている。今だけじゃなくて。先に進むことが怖くて、待つと言ってくれたコンラッドに甘えていたんじゃないだろうか。 「ごめんなさい……」 でも、本当にあなたを好きなの。 どうか信じて。 コンラッドはゆっくりと起き上がり、悲しげな頬笑みでわたしの涙を指先で拭う。 「好きだよ」 「………うん」 小さく頷くと、コンラッドは痛みを堪えるような表情で消え入りそうな声を口にした。 「最後に………最後に、もう一度だけキスをしてもいいかな?」 「さい……ご……?」 もういらないと思われてしまったんだろうか。好きだって、言ってくれたのに。 言ってくれたけど、もう待てないということ? 「あ………」 捨てないで。 勝手な言葉が出そうになる。拒んでばかりで、コンラッドを傷つけて、耐え切れなくなったというのをそれでも引きとめようと。 待って。お願い、どうか嫌いにならないで。 言いたい言葉が言えなくて、言っていいのかもわからなくて、また涙だけが溢れてしまう。 「泣かないで……困らせたいわけじゃないんだ」 コンラッドは指先でわたしの目尻を拭うと、そっと額に口付けをした。 「……どうか君を愛させて……君が幸せになることの邪魔をしたいとは思わない。だけど君を想うことは許してほしい………君が……他の誰を愛していても」 涙が引っ込んだ。 「何の話?」 今までの悲しい気持ちはなんだったんだろうというくらいに、一気に全部吹き飛んだ。 わたしが声にも表情にも不審を張り付けて聞き返すものだから、コンラッドも戸惑ったように眉を下げた。 「何のって……だって、俺を見限って…その……ヴォルフの方がいいんだろう?」 「だからそれは一体何の話!?」 腹筋に力を込めて起き上がろうとしたけれど、いまだコンラッドが覆い被さっているから上手くいかない。 わたしの困惑が怒りに転化し始めたので、コンラッドはますます戸惑ったようだ。 「だって、さっき仲良く……デザートを食べさせ合っていて……」 「あれはわたしにも何がなんだかわかんなかったの!ヴォルフラムが変だったんだよ!食べてるところをじっと見られてたら居心地悪いでしょ!?」 「……それだけ?」 「そうだよ!だからヴォルフラムも食べたらって薦めたら……なぜかああいうことに」 「本当に……?」 「あのね!わたしがどれだけコンラッドと有利に助けを求めていたか、あのときの心の声を聞かせたいくらいですっ」 よりによって、ヴォルフラムとの仲を疑われていただなんて。 確かにさっきのはちょっと雰囲気がおかしかったかもしれないけど、いつものやりとりを見ていてどうしてそんな誤解が生まれたのか。ヴォルフラムはあんなに有利大好きで、わたしとは有利を巡ってときどき喧嘩になるくらいなのに。 さっきまですごくすごく怖くてつらかったのに、それが変な疑いのせいだったなんて! 悔しいのか腹が立つのか、コンラッドの背中を回していた手でぎゅっとつねる。 「いたっ!」 「こ、怖かったんだから!」 「ごめん……」 痛みに顔をしかめながら、しゅんとうな垂れて謝るコンラッドにちょっとだけ気が晴れた。 「無理やりなんてイヤ……」 「もう絶対こんなことしないから」 慌てたように約束してくれたので、つねっていた手を離して、代わりにコンラッドを抱き締めた。 「………逃げてばっかりで……ごめんね……」 「それはいいんだ。約束を破ったのは俺なんだから。怖がらせてすまない」 コンラッドも安心したようにわたしを抱き返してくれる。 「……でもそれじゃあ、俺を嫌いって言ったのと、ヴォルフは関係ないんだね?」 耳元でそう聞かれて、驚いて目を瞬いた。 「………わたしそんなこと言ったっけ?」 さっき抵抗していたときについ口に出たのかと考えるけれど記憶にない。 怖いしこんな形でなんていやだとは思ったけど、それでもコンラッドが嫌いだなんてことちっとも思わなかった。 コンラッドは少しだけ身体を起こしてわたしと視線を合わせる。 「……覚えてないの?三日前の朝、すごく具合が悪そうだったから俺が様子を見ようとしたら、近付くな、側に寄るな、俺のことなんて嫌いって」 「………………そ、そんな酷いこと、言ったっけ?」 痛みと恥ずかしさしか覚えてない。 確かにコンラッドに近付かれたくなくて必死だったけど、心配してくれている人にそれは酷い言い草だよねー………。 「ご、ごめんね。嫌いなんて嘘だよ。絶対そんなことないから!本当に具合が悪かっただけなの!自分で何を言ったかもわかってなくて!」 一変して今度はわたしがオロオロとコンラッドの顔色を窺って、コンラッドは憮然とした表情を見せた。ううん、そういう態度を作った。だって。 「じゃあ俺のことどう思ってる?」 こんなことを聞いてくるんだもん。 「うあ……それはそのぉ………」 心の中では何度だって繰り返していても、自然と言えたときを除けば改めて口にするのは恥ずかしい。 だけど。 「あの、あのね」 「うん、なに?」 わたしの答えなんて確信している笑顔でコンラッドは言葉で返ってくるのを待っている。 「………好き」 「本当に?」 「……うん。大好き……。……こ、こんなに好きなの、コンラッドのことだけだよ」 「じゃあキスしていい?」 じゃあってなに? そんなことを思いながらも小さく頷いて、もう少し大胆に付け足してみた。 「………いっぱいして」 「……」 瞼を下ろすと優しく微笑んだコンラッドの顔は見えなくなってしまったけれど、代わりにゆっくりと近付いてくる気配がして―――。 リビングの方から轟音が轟いて、わたしもコンラッドも驚いて飛び起きる。 見るとリビングに続くドアが燃えながら叩き壊された。 「!大丈夫か!?」 肩で息をしている有利の手には足が折れて壊れた椅子。ヴォルフラムは魔術を収めているところだった。 破り開けられたドアは、更に蝶番が壊れてしまったらしく燃えカスになりながらゆっくりと倒れる。 ドアが床に倒れ落ちるのと、有利の悲鳴は同時だった。 「から離れろ!このエロ男っ!」 ドアの向こうの騒ぎは、いつの間にか耳に入ってなかったよ……。 |