まだ生理は終わっていないけど、痛みはほとんどなくなったので気は楽だった。 これでひと月くらいは嫌な痛みとは無縁でいられる。 生理四日目の今日もまだいまいち本調子ではないからさっさと眠ってしまおうと部屋に帰ったら、昼間ツェリ様にもらった香水の瓶が目に入った。 「夜つけるって、リラックスして深い睡眠に誘ってくれるとかそういうやつかな?」 掌くらいの大きさの小瓶に入った、ピンク色の可愛い香水を両手首と首筋に軽くつけて瓶の蓋を閉める。 ほのかな香りはやっぱりわたしの好みで、これは確かに気分よく眠れそうだと思ったところでノックがあった。 orange blossom(3) 「ぼくだ。まだ起きているか?いいものを持ってきたんだ」 「起きてるよー、どうぞ?」 ドアを開けると、ヴォルフラムが持ち手に白い花をあしらっている籠を片手に立っていた。 「今日もあまり夕食をとっていなかっただろう。これなら食べられるんじゃないか?」 「わ、ありがとう!」 ヴォルフラムが持ってきてくれた籠に入っていたのは苺と桃とオレンジに似た果物。 どれもほとんど地球のものと味も変わらなくて、わたしは大好きだった。 もう歯は磨いていたけれど、また磨きなおせばいいや。 せっかくの好意なんだし。この果物好きだし。 ヴォルフラムを招き入れると、ちょっと首をかしげて部屋を見回す。 「なにか……甘い匂いがしないか?」 「さっきツェリ様からいただいた香水をつけたから」 「もう夜なのにか?」 「うん、そういうものなんだって。きっとリラックス効果があるんだよ。いい匂いでゆっくり眠れそう」 「確かに、ぼくもこの匂いは好きだな」 ヴォルフラムはテーブルに籠を置くと、わたしの右手をとって手首に顔を近づける。 「だがどこかで嗅いだ覚えがあるような」 「ツェリ様の香水だからね」 「それもそうか」 納得したヴォルフラムとふたりでソファーに座る。 けど。 ヴォルフラムは珍しく、向かいではなくてわたしの隣に座った。 一緒に食べるからかな、とさして気にも留めずにさっそく食べやすいように皮も剥いてあったオレンジを手に取る。 「いただきまーす」 小さく切り分けられていた果実を噛み締めると、オレンジの爽やかな酸味の利いた果汁が口いっぱいに広がる。 「美味しい!」 「そうか、よかった。どんどん食べろ」 「うん、ありがとう」 ヴォルフラムの笑顔はいつもより更に五割増しくらいに優しくて、そんなに心配をかけていたのかとちょっと申し訳なくなる。二日も寝込んで、もう治ったと言いながらあまり食事を取っていなければ心配にもなるかもしれない。 昨日今日と二日、コンラッドもちょっと様子がおかしかったし。 昨日の朝、二日ぶりに顔を会わせたとき、心配したと言いながらわたしの頬を撫でる手がなんだか随分と恐々だった。 昼くらいからはいつも通りだったけど……。 あれ、でもこの二日はあんまり触られてないかも。 つい先日、ようやくわたしもコンラッドのことが好きなんだと自覚して、晴れて両想いになれてからは、毎日がセクハラすれすれの過剰接触気味だったのに。 まだ調子が悪そうに見えたのかな。それで遠慮したとか。 うーん、これくらいの距離が理想だったはずなのに、なんだか物足りないのは既に慣らされているのかしら。 色々と考えながら果物を食べていたら、ヴォルフラムがまったく手を出していないことに気がついた。 「食べないの?」 「お前のために持ってきたものだ」 食べ続けるわたしをじっと見ている視線はとても柔らかいのだけど、食べている姿を見られるというのも落ち着かない。 「こ、このオレンジの花綺麗だよね」 なにか間をもたせる物はないかと捜して、籠の持ち手と籠の中にも飾りとして散らしてあった白くて甘い香りのする花を手にとってヴォルフラムに見せた。 「花の名前なんて知らないが」 「たぶんオレンジの花であってると思うけど。オレンジブロッサムって花嫁さんのブーケにしたり髪に飾ったりするんだよ。花言葉は確か……」 こっちの世界と地球の結婚の制度は同じじゃないんだろうけれど、わたしに想像できるのは地球の結婚式でね。白のタキシードってコンラッドにすごく似合うだろうなあと想像する。そういえば一度見せてもらったコンラッドの正装は白い軍服だった。 それがすごく決まっていて、思い出すだけでもなんだか照れてしまう。 いつかこのオレンジの花をブーケにしてコンラッドの隣に並べたらないいな……。 ずっと先の希望を想像しかけて、すぐにヴォルフラムが一緒だったことを思い出す。 「ヴォルフラムも食べてみたら?独り占めするのはもったいないし、ね?」 ぼんやりしていなかっただろうかと慌てて取り繕いながら苺のヘタを持って差し出すと、ヴォルフラムは苺そのものではなく、わたしの手首を掴んだ。 「……そうだな。ではもらうとするか」 そんなことしなくても「やっぱりあげない」なんてネタをしたりしないのに、わたしが手に持ったままの苺に直接噛りつく。 ゆっくりと果実を口に含むその姿はその、ものすごくなんと言いますか……色っぽい。 なんだろう、落ち着かない。ものすごく落ち着かない。 ヴォルフラムがゆっくり食べるものだから指先に苺の果汁が伝わってきて、思わず手を引こうとしたら指先を舐められた。 舐められ、ました。 「な!?ななな、なに!一体なに!?」 「何って、果汁がついたからだが」 「そ、そそそ、そう?」 でも普通、舐める? 今のヴォルフラム、何だか急にコンラッドとの血縁関係が納得できてしまった。 これを有利にしてみせたらイチコロな気がする。 わたしもヴォルフラムだと妙に照れるだけなんだけど、これをコンラッドにされたらのぼせてしまいそう。 食べ終わったのにヴォルフラムは手を離してくれない。 離してくれないまま、籠の中のお皿に目を向けた。 ヴォルフラムの視線が外れて少しほっとしたのも束の間、先割れスプーンは使わず指先で桃を摘むと、また妙に優しい視線をわたしに戻して、そして桃を差し出した。 「お返しだ。も食べるといい」 「じ、じじじ自分で食べられますよ!?」 「いいから、口を開けろ」 ヴォルフラムは掴んだ手を離してくれなくて、とにかく食べないことには引いてくれそうにもない。 どうしてこんなことに。 じっと見られているのに差し出された桃を食べるのって、妙に気恥ずかしくて目を瞑って甘い果実に噛りついた。 桃は相変わらず美味しいんだけど、ヴォルフラムの不思議な行動に落ち着かないので味わうどころじゃない。 有利、コンラッド、助けて……。 心の中でへこたれて助けを求めながら、ヴォルフラムの指まで噛らないように目を開けると、楽しそうな表情の綺麗なエメラルドグリーンの瞳と視線がぶつかる。 なんなの一体!? 絶対におかしい。何か悪いものでも食べて人格が変わったとしか思えない。最後の一口をヴォルフラムが指先で少し押すように口に入れてくれたところで、ノックとほぼ同時にドアが開いた。 SOSが通じたのか、ドアを開けて立っていたのは有利とコンラッドのふたり。 ふたりともこの変な状態に絶句したように入り口で立ち尽くしている。 「い……いいひょこ……むぐっ」 いいところに来てくれた! 口の中の桃で上手く喋れないままふたりに視線で助けを求めると、ヴォルフラムは桃の果実に濡れた指先を舐めながら、入り口で硬直しているふたりに冷めた声をかける。 「なんだお前たち。みっともなくそんなところに突っ立って」 「みっともないって……!そ、それより何やってんの!?」 有利はそこに縫い付けられたように一歩も動かずに、わたしとヴォルフラムを指差した。 「へなちょこだとは知っているが、見てわからないのか?デザートを食べているところだ」 「わかんねぇよ!なんでそんなに距離が近いんだ!離れろよっ」 有利は一度大きく足を踏み鳴らすと、ようやく動けるようになったみたいで側まで駆け寄ってきてわたしとヴォルフラムを引き離した。 「なんで食べさせる必要があるんだよ!どこのバカップルだお前らっ!」 「ぼくはが薦めてくれた礼に、同じことをしただけだ」 「じゃあだ!相手が違うだろ!?」 「え、それはその、わたしばっかり食べてるのは悪いかなって思っ……」 有利が間に割って入ってくれたお陰で自由になっていた右手首をまた掴まれた。 見上げると、さっきまで入り口で固まっていたコンラッドが、わたしを吊り上げるように引っ張った。 「え、あ、あの……っ」 力強く引っ張られるままに立ち上がると、強引に引き摺られるように連行される。 その先は隣の寝室だった。 「!」 「おいコンラート!」 コンラッドは更に強くわたしを引き摺って部屋の奥へ押し込めると、焦った有利と怒ったヴォルフラムが追ってきたのを丸ごと無視してドアを閉めてしまう。 「コ、コンラッド……?」 ガチャンと鍵を閉める音が響いて、ドアが叩かれる音を背後に振り返ったコンラッドの表情は、明らかに怒っていた。 「コンラッド!開けろ、開けろったら!」 「、無事か!?待っていろ、今助けてやるからなっ!」 「わーっ!ちょっと待った、こんなところで魔術をぶちかますなー!!」 ドアの向こうは大騒ぎなのに、寝室の中は痛いほどの沈黙が流れていた。 真剣な表情のコンラッドが一歩前に出てくると、わたしが気圧されて一歩下がってしまう。 じりじりと静かな、そして短い真剣な追いかけっこは、わたしがベッドにつまづいてその上に転がったところで終わった。 |