三日前の朝、コンラッドは暗雲を背負っておれをロードワークの迎えにやってきた。
おれにわかるほど落ち込んでいるのが珍しければ、が一緒にいないことに驚いて何かあったのかと訊ねると、が部屋に入れてくれなかったという。
初めはの具合が悪かったと聞いて心配になったものの、コンラッドが近寄るのを泣くほど嫌がったということ、普段は人の手を煩わせることを嫌うが早朝から自分付きの侍女を呼んでくれと頼んだという話でピンときた。
「……大丈夫なんじゃないかなあ……?」
「ですが陛下、は立ち上がれないほどで」
「じゃあ、ちょっと見舞いに行くか」
アレのときはさすがのもおれでも近付くのを嫌がるから、行っても門前払いだろうと思ったら本当にそうなった。
ちょうど診察が終わって部屋を出てきたところだったギーゼラに止められたのだ。
「これは陛下、殿下へのお見舞いですか?」
「うん。コンラッドがすごく心配してて……」
おれがちらりと横目で隣の長身を見ると、ギーゼラは了解したように微笑んでコンラッドに向き直る。
「閣下、ご心配には及びません。病気ではなく、ほんの少しお加減がよくないですから」
「だが酷く混乱しているようだった。相当具合が悪いんじゃないのか?」
「今日のところはゆっくりとお休みになられることが一番ですから、殿下のご休息を妨げないことが重要です」
さすが女医さん。上手いこと、そしてきっぱりとコンラッドを跳ね除けた。病気ではないという答え、それにコンラッドとギーゼラのの不調に対する温度差で、おれの推測はほぼ正しいことが証明された。



orange blossom(2)



あの日はコンラッドがあまりにもを心配するから、朝のロードワークは中止にした。
おれに気を遣って大丈夫だとか言ったけど、顔色が悪すぎで走らせるのは酷な様子だったのだ。おれもが心配で走る気になれないと言ったらようやく納得した。
部屋を追い出されたと言っていたけど、一体どんな追い出され方をしたんだろう。
アレの酷いときのはカリカリしていて情緒も不安定だから、たぶん気遣いの欠片もなかったのではないだろうかと推察される。
コンラッドも可哀想だが、酷く苦しむも可哀想だ。
女の子って大変だよな。
軽いときと重いときの差があるとはいえ、毎月あんなものがやってくるんだから。
病気じゃないとはいうけど、くらい苦しんでいたら持病って言えるんじゃないの?
理由を教えてやるのが親切だとは思うけど、なんというか女の子の日というのを男のおれが口にするは恥ずかしい。それに、はコンラッドに知られたくないだろう。
初潮のときにおれがポカやったせいで、は親父と兄貴にも知られたことを恥ずかしがって一晩中泣き続けたことを思うと、どうしてもおれの口からは説明しづらかった。
明日か……長くても明後日には元気になるんだからという言い訳を自分自身に施して、その実同じ事を繰り返してに嫌われるのが怖かったおれは、申し訳ないがコンラッドの焦燥から目を逸らした。
このときコンラッドが慰められた事実といえば、がコンラッドだけじゃなくヴォルフやギュンターの訪問もシャットアウトしたことだった。見舞いに成功したのはコンラッドとヴォルフラムにせっつかれて仕方なしに訪ねたおれと、それから女性のツェリ様だけ。
おれは早々に追い出されたけど、理由を知っていて改めて見舞いというのは照れがあって、気詰まりだったのでそれは構わない。
嫌な予感は当たるもので、はその次の日も本調子じゃないと部屋から出なかった。
ギュンターは錯乱するし、ヴォルフラムは心配して何故かおれを怒るし、コンラッドは表面上は平然としながらも、気がつけば心配そうにの部屋がある方角を見ていた。
さらに翌日、元気になったが姿を見せて、調子が悪くて心配をかけたことと見舞いを断ったことを謝ると、三人はとりあえずそれで安心して納得した。
……かに見えた。
事件が起こったのは、さらにその次の日、つまり今日の晩のことだ。


重い症状こそ治まったけど、まだ女の子の日が続行中のは本調子とはいかないらしく、いつもよりずっと早い時間に部屋に帰った。三日前に倒れたばかりだったから、それをコンラッドが不審に思うことなかった。
部屋まで送ろうと申し出たコンラッドに、ちょうどヴォルフラムが不在だったからおれをひとりにするなとそれを断って部屋から出て行ってしまった。
取り残されて寂しそうにその背中を見送ったコンラッドに同情するような呆れるような気持ちで肩を竦めたところで、ヴォルフラムが果物を持っておれの部屋にやってきたのだ。
、今日の夕食もあまり食べていなかっただろう。これなら食べられるんじゃ……おいユーリ、は?」
「帰ったよ。もう寝るってさ」
「そうか……」
ヴォルフラムががっかりすると、顔がいいだけに本当に可哀想な気になってくる。
そうでもなくてもを心配しての行動だし、実際まだ食欲が戻らないというの食事量は極端に減っているから、食べられそうなものなら少しでも食べた方がいいとも思う。
「ホントにさっきのことだから、今すぐ行けばまだ寝る準備をしてるとこじゃないかな。それが好きなやつだし、持っていったら喜ぶんじゃないの?」
「そうか?……うん、そうだな。行ってくる」
おれの気楽なアドバイスが裏目に出るなんて、誰が予想できただろう。
「だがヴォルフラム、女性の寝室に夜訪れるなんて……」
「女性といってもぼくの妹だ。果物を持って行くくらいなんの問題がある」
妹のようなもの、だろ?
はまだコンラッドと結婚してないぞ。……あれ、コンラッドと結婚した場合は超年下の義姉になるんじゃないのか?
妹になるパターンはひとつだけだったのだが、おれがそれを必死に否定している間にヴォルフラムは出て行ってしまった。
「ユーリ……」
コンラッドが不満そうな顔をする。
「ああもう、心配性にもほどがあるぞ。もっと自分の弟と恋人を信じろよ。あのふたりは本当に仲がいいけど、お互いにそれこそ兄妹くらいにしか思ってないんだからさ」
「それはわかっていますよ。ですが、それでも男女なんですからなにがあるかわからないじゃないですか」
「つまり、様子を見に行きたいんだな?」
真剣な表情で言われると呆れるより他はない。
この心配性ぶりではは苦労しそうだな。
「……あんたって、悩みすぎて将来ハゲそうなタイプだね」
「ハ………」
「ドーンと構えてを信頼してるところを見せろよ」
のことはこの上なく信用しています。周りの男を信用していないんです」
「……自分の弟までその中に入れるなよ」
「もちろんヴォルフのことは疑ってません。相手の意思を無視するようなやつじゃないですからね。微妙に落ち着かないくらいで」
その答えも微妙だな。
取りあえず、の浮気は微塵も疑ってない……んだよな?
疑いようがないとも言うか。は兄であるおれか、恋人のコンラッド以外には絶対に一定以上の接近を許さないからだ。
おれとコンラッドを除けば、その次に仲がいいのは間違いなくヴォルフラムだろう。
グウェンダルやヨザックとも割りと仲はいいが、それでもヴォルフラムほどじゃない。
そしてヴォルフラムと仲がいいのは、あいつがおれの婚約者を豪語しているからだ。
もちろん男臭さが薄いせいも大きい。
男嫌いなんだからそりゃそうだろう。恋人としてはこれ以上なく信用できると思うんだけどね。
「あんまり口うるさいと、鬱陶しいって嫌われるぞー」
冗談で言ったら、コンラッドが片付けていた本を取り落とした。
「嫌われ……」
「冗談だよ。がコンラッドを嫌いになるはずないじゃん」
「……ええ」
コンラッドはゆっくりと屈みこんで本を拾った。
なんでそんなに動揺してんの?
既に嫌われる心当たりがあるほどいろいろ束縛でもしているのだろうか。
正式にふたりが付き合い始めたのはついこの間のことなのに。
それからしばらくとヴォルフラムのことを心配するようなことは言わなかったコンラッドだが、時間が経つにつれてヴォルフが帰ってこないことが気になり始めたようだった。
そのまま自分の部屋に帰ったんじゃないのか、ということも考えたけどヴォルフラムはもう半分おれの部屋の住人になっている。眠りに帰るならこの部屋だろう。
ちょっとおれも気になってきた。
いや、別にコンラッドと同じような心配をしているわけじゃない。は男が嫌いだし、ヴォルフラム相手でも変な触られ方は許さないだろう。
「……変な触られ方ってなんだ!?」
思わず声に出してしまって、向いに座って落ち着かなくお茶を飲んでいたコンラッドがびくっと震えて顔を上げた。
「ユーリ?」
「いい加減ヴォルフを迎えに行こうか。は寝るって言ってたんだから、そろそろ休ませてやらないと」
「ええ、そうですね」
どこか言い訳くさいおれの意見に、コンラッドは真剣な表情で頷いて同意した。








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