目が覚めると、ずくんと下腹部が酷く痛んだ。覚えのありすぎる痛みに、嫌な予感に駆られながら恐る恐るブランケットを捲ると、寝巻きもシーツも血に汚れていた。 「さ……最悪……」 眞魔国で初めて生理になった。 orange blossom(1) 生理、月経、アンネ、メンス。どの言い方でもやってくるのは同じもの。 しかもわたしの場合、酷いときは本当にその痛みが尋常じゃなくて起き上がることすらできない。そういうときは鎮痛剤も効きが悪い。 お母さんに付添ってもらって、恥ずかしくて敷居の高い産婦人科にもかかったけれど、子宮内膜症などの病気ではなく体質らしい。思春期を過ぎると痛みが軽くなる人もいるそうだけど、それってあと何年我慢しなくちゃいけないってこと? 産婦人科の先生はもうひとつ、冗談混じりに体質が変わる方法を教えてくれたけど。 「ああ……もう……こんなに痛いなら子宮なんていらない……」 そう先生に訴えたら、苦笑しながら一緒に頑張りましょうとか言われたものだった。 半泣きになりながらベッドからクローゼットまで這って移動する。眞魔国でなった初めての月経はものすごく重かった。 お腹はもちろん腰も背骨も痛い。吐き気はあるし眩暈も酷い。貧血からくるのか頭痛もする。 「生理キライ………」 くらくらする頭でクローゼットの中の下着入れを漁って、用意してあると教えてもらっていたサニタリーのショーツとこちらのナプキンを探し出した。 下着もシーツも洗わなくちゃ。でも立ち上がることすらつらいのに。 そうして、こんなに大変なのにノックがあったりして。 「、まだ寝てる?」 毎朝のロードワークへのコンラッドの迎えだった。 「は、入らないでっ!」 慌てて怒鳴ったら貧血で眩暈がした。 「……ああ、着替え中?」 頭を押さえてへたり込んでいるこちらの状態なんて知る由もないコンラッドの声は気楽なものだ。知らないんだからしょうがないけど。 「今日、わたしロードワーク行かない。悪いけど代わりに……」 「行かない?具合でも悪いの?」 ベッドの方に這いずりながらお願い事をしようとすると、途端に声のトーンが落ちてドアノブが回った。 「入らないでってばっ!」 焦るあまりに悲鳴のような声になった。入るなと言ったのにそれが逆効果だったらしく、コンラッドは吹き飛ばす勢いでドアを開けてしまう。 「!」 ベッドの脇で床に座り込んだままだったわたしに、血相を変えて走り寄ってきたので手近にあった枕を掴んで投げつけた。 力が入らないので枕はコンラッドまで届くどころか、ベッドの端までも飛ばなかった。 「近寄らないでっ!」 それでも、驚いたらしくコンラッドの足が止まる。 まだ着替えてないから寝巻きには血がついている。血というか月経特有の匂いも側に来るとわかるかもしれない。 このときは眩暈はするし恥ずかしいし、血を見られたくない恐怖に焦りすぎて、自分で何を言っているかわかっていなかった。 「来たら絶対に許さないからっ!」 「だけど……」 「いいからエリスさん呼んできて!」 「せめてベッドまで運ばせ……」 「いやっ!」 来るなというのに戸惑いながら距離を詰めようとじりじり近付いてくるコンラッドに腹が立って怒鳴りつける。 「寄らないでってば!コンラッドなんて嫌いっ!」 痛みとそれに対する怒りで涙が止まらなくなって、大泣きしながら側に寄るなと繰り返したらようやくコンラッドが出て行ってくれた。 この時は本当に混乱していたから、わたしの態度がどれだけコンラッドに衝撃を与えたのか、ちっとも気が回らなかった。 少し落ち着いたのは、昼を回る頃になってからだった。 コンラッドは頼んだ通りにわたし選任の侍女を務めるエリスさんを呼んでくれて、事情を了解した彼女はテキパキとシーツを変えて汚れ物を始末してくれた。 こんな早朝から呼び出して申し訳ないと謝ると、逆にもっと頼って欲しいと苦笑されてしまった。 エリスさんが呼んでくれたギーゼラさんに鎮痛薬を処方してもらったけれど、やっぱり効きはいまいちで、まだ残暑が残っている気候の中で湯たんぽや暖めた石を包んだ布のカイロなどで足やお腹を温めてベッドの上の住人となった。 痛みのあまりベッドの上に身体を伸ばすことも出来ず、グウェンダルさんにもらったヒヨコちゃんのあみぐるみを抱き締めて丸まりながら苦しんでいるうちにまた眠ったらしく、次に目が覚めたのが昼を過ぎてからだったのだ。 「お目覚めですか、殿下?お加減はいかかです?」 枕元にはエリスさんがいた。ずっと側についていてくれたんだろう。 「……だいぶマシに……まだ目が回るけど……」 でも目が覚めてくるほどに痛みが増してくる。これはもう、さっさと今日が終わる事を待つしかないに違いない。 「……生理なんて大っ嫌い……」 「お食事はどうなさいます?」 「吐きそう……」 一口だっているものかと言い切ったとき、ドアにノックがあった。 「コンラッドだったら絶対に入れないで!ヴォルフラムでもギュンターさんでもダメっ」 できれば有利も入れたくない。 お母さんも産婦人科の先生も保健体育の授業でも、月経は大切なものだから決して恥ずかしいことではないと教えられはしたけれど、どうしても『女』を意識させられてしまうようで、恥ずかしいという感情は抑えられない。 わたしが初潮を迎えたと知ったのは、小学生の頃に有利と一緒に入浴しようと服を脱いだときで、まだ子供だった有利は血に驚いて大声でお母さんを呼んでしまった。 「お母さーん、が怪我、血、血が!!」 おかげでお父さんとお兄ちゃんにまで一気に知れ渡り、わたしは恥ずかしさと自分の変化に対する恐怖で、一晩中泣き通したのだ。お母さんがずっと慰めてくれたけれど、あれは未だに思い出すのもつらい。 「承知しております。殿下のお言いつけどおり、コンラート閣下にもヴォルフラム閣下にも、もちろんギュンター閣下にも殿下のお加減がよくない理由はお話ししていません。ただ、陛下はお気づきのようでしたけれど……」 「ええ、有利は気付くと思ってました……」 これだけ症状が重いときがあれば、家族には誤魔化しきれない。理由を絶対言うなという調子の悪さなら、ピンとくるだろう。 例え婚約者であることを言い募るコンラッドでも絶対に通さないと頼もしく請け負ってくれたエリスさんが対応に行くと、訪問者は予想の誰でもない、自由恋愛旅行から一時帰国していたツェリ様だった。 「、具合が悪いと聞いたわよ」 女性のツェリ様なら拒む理由はない。 わたしが二つ返事で部屋に入ってもらうと、ツェリ様はその麗しいお顔に憂いを帯びた表情で枕元までやってきた。 「すみません、わざわざ。でも大丈夫です」 「顔色が紙のように白いわ。ちっとも大丈夫じゃないでしょう」 寝転んだままでは失礼だと起き上がろうとしたけれど、目が回って体勢が崩れる。 「いいのよ。具合が悪いときに無理をしないで」 「いえ……すみません……」 どうにか起き上がるとエリスさんがクッションを持ってきて腰の後ろに置いてくれた。 ベッドにもたれるのもだいぶ楽になる。抱いていたヒヨコちゃんのあみぐるみは膝の上に置いた。 「本当に……ただの月経ですから」 「あら、そうなの?」 ツェリ様は驚いたように目を丸め、前髪をわけるようにしてわたしの額に手を当てた。 「まあ熱もある。ずいぶん重いのね」 繊細な掌はお母さんを思い出させてくれて、ほんの少し気が楽になった。 「時々。毎回ここまで重いわけじゃないんですけど」 「大変ねえ」 この一言で、ツェリ様は月経痛に悩まされたことがないのがわかった。羨ましい。 わたしの場合、周期も不順なのでいつやってくるかわからない恐怖だったりする。 「鎮痛薬は飲んでいないの?」 「効きが悪いんです。お医者さんに診てもらっても病気じゃないって言われて、寝て過ごすしかなくて。せめて原因があれば治療できる可能性があるだけ気が楽になるんですけど、体質じゃどうしてもなくて」 「まあ……」 ツェリ様が心底同情するように眉をひそめたので、苦く笑って付け足した。 「でも、思春期を越える頃には体質が変わっているかもしれないって言われました。あとは……出産とか」 「出産?」 「子供を産んで体質が変わることもよくあるそうなんです」 これが先生に教えてもらったもうひとつの体質変革の方法なわけだけど、中学生には気の遠くなるような先の話にしか思えなかった。それなら思春期の終わりの方が先にくると思う。 それに、わたしの場合は絶対にありえない話だと思っていた。今はコンラッドがいるから……必ずしもないとは言い切れないけど。 自分で考えたことに恥ずかしくなってヒヨコちゃんを指先で突いていると、急に横でツェリ様が手を叩く。 「あたくしの力になれると思うわ」 「え?」 「今回はもうしょうがないけれど、きっと役に立つわ」 家では体質改善の漢方薬を飲んだりもしているけど、今の所はまだ効果がないのが現状。 だけどツェリ様はわたしの手を取って、役に立つだろう薬を持ってきてくれると力強く約束した。 三日後、生理痛からは解放されたわたしにツェリ様が持ってきてくれたのはピンク色の香水で、思わず首を傾げてしまった。 だって体質改善で香水? 軽く手首に一吹きすると、心地のいい香りが漂う。 なるほど、そういえばツェリ様は力になるとも役に立つとも言っていたけれど、体質改善だなんて言っていない。これはきっとアロマテラピーの一種なんだろう。 「ありがとうございます。次の月経のときは使わせていただきますね」 「あら、それは普段使うのよ」 「えーと?……ああ、普段からリラックスするのは大事ですよね」 ストレスが大きいときは月経痛が酷くなりやすいし。 「ええそうね。リラックスはとても大切よ。緊張すると失敗してしまうものだし。ああ、けれどたくさんあるから何度でも使って、たくさん励んでちょうだいね」 「えっと………あ、ありがとうございます?」 「それと、使うのは夜がいいと思うわ。朝からつけてしまうと大変よ」 ツェリ様はくすくすと笑ってわたしの手を握ると「楽しみにしているわ」と言った。 なにを? 意味がわからない言葉と、なにか嫌な予感を覚える笑顔に、だけどツェリ様の好意であることは確かだったので、戸惑いながらもお礼を言った。 |
お題元:自主的課題