ああ、そんなに怯えないで。怒ってなんかないよ。
ただ、身の潔白は証明したいじゃないか。もちろんも協力してくれるよね?
は何もしなくていいよ。明日の朝にはきっと俺の潔白を信じる気になるさ。
さあ、部屋に行こうか。
、俺は本当に君を心の底から愛しているよ。
……例え変態の疑惑を掛けられようとね。



道化師は残照に見る(5)



わたしを眞王廟に送って、そのままヴォルテール城に戻ると言うなら持って出る書類があるということで、わたしとグウェンダルさんは執務室を経由してから厩舎に行くことになった。
わたしもグウェンダルさんも血盟城からいなくなるなら、自分はそれよりも先に出て行くと言って、ヨザックさんはとっくに走り去っている。
コンラッドもアニシナさんも、まさかスタート地点のグウェンダルさんの執務室を張っていることはないだろうから、危険なのはむしろ厩舎までの道のりの方だと思う。
グウェンダルさんが書類をまとめている間に、わたしは紙とペンを借りて有利に手紙を書いておいた。内容は、先に日本に戻っていますという簡潔なものを日本語で書いておく。血盟城を出て行く前にこの手紙がコンラッドに見つかっても、側に有利がいなければこれで解読できないはず。
お互いにこれで完璧という準備を整えてから、厩舎に向かって全力で急いだ。
とはいえ、派手に走れば余計に目立つので、周囲を気にしながらも早足で。
沈みかけた太陽のオレンジ色の光に照らされた廊下を並んで競歩並みの速度で歩く。
既に十分不審で目立つような気がしないでもない。
それでも、コンラッドにもアニシナさんにも見つからずに無事、厩舎に到着したときはふたりして安堵の溜息が漏れた。
グウェンダルさんは眞王廟からそのままヴォルテール城へ向かうので、わたしまで馬に乗って行くと後でその馬の扱いに困ると言うことで、相乗りさせてもらうことに。
グウェンダルさんが鞍を準備している間、荷物を預かった。
「……あーあ……結局疑問は解消されないまま、追われるだけかあ……」
あの時、誰もいないと思い込んでうかつなことを口にしなればよかった。
「疑問?コンラートに追われているのはそのためか?一体何の疑問だ」
ことここに至って、ようやくグウェンダルさんに直接聞けるとは。
あ、でもグウェンダルさん自身が小さな女の子が好きなら、それを恐ろしいことのように聞くのはマズイかも。
質問の方向を考えて、聞きたいことでありながら一番の疑問からは微妙に外れて聞こえるように、ヨザックさんのときと同じ切り出しにした。
「コンラッドのお兄さんと見込んで、グウェンダルさんに質問です」
「ではコンラート自身のことか?何だ、言ってみろ」
「……コンラッドって、どんなタイプの女の子が好きなんですか?」
鞍を括りつけていたグウェンダルさんの手が止まった。
振り返ったグウェンダルさんの表情は、戸惑っているというよりは呆れ返っている。
「何の話だ」
「だ、だから!コンラッドが今まで付き合っていた人の傾向とかタイプとか……そのぉ、外見的特徴とか……」
「くだらん」
「まったく、くだらないね」
はっと溜息とともにグウェンダルさんが呟くのと、真後ろから低く押さえられた声が聞こえたのは同時だった。


「捕まえた」
「ぎゃあーっ!!」
後ろから、ぎゅーっと大きな腕に閉じ込められるように抱きつかれた。
振り返るまでもない。逃げて逃げて、結局ここで捕まるなんて!
「コ、コンラート!」
グウェンダルさんはコンラッド自身というよりは、その後に自分にも災厄が降りかかってくるのではないかと恐れるように忙しく前後左右を見回す。けれど、アニシナさんの姿はここにはなかった。ほっと胸を撫で下ろす、その姿が恨めしい。別にグウェンダルさんが悪いわけじゃないけど。
……」
「あ、有利っ!」
ひょっこりと横から有利が顔を出した。
心なしか顔色は悪いけれど、有利ならコンラッドの過剰接触を注意してくれると期待したら無情な通知が。
「諦めろ」
「諦めろってなにーっ!?」
「えー…今回は全面的にお前が悪い。悪いったら悪い。男の沽券に関わるような疑問を持つなんて」
「なんで有利が知ってるの!?」
有利には訊ねてないのに、コンラッドが自分でそんな疑問を持たれていると訴えたのかと思ったら、有利は青褪めた顔色のまま首を振った。
「お前がヨザックと逃亡したとき、おれも一緒にいたの。コンラッドと」
ああ……そう……。
「今回はお前が悪いから、おれは何も口出ししない。……たぶん大丈夫だろうから、コンラッドの制裁を大人しく受けろ」
「たぶんってなに?制裁ってどんな!?」
「……と、こんなところでどうでしょう……?」
有利がまるでコンラッドの機嫌を伺うように訊ねると、わたしの頭上から晴れ晴れとした肯定が落ちてきた。
「大変結構です。宣言なさったからには、陛下は今夜のことは全て目を瞑ってくださいね」
「できればお手柔らかに……」
一体なんの取引があったの!?
唯一の光明だった有利の手助けを期待できなくなった今、自分でどうにかしなくてはとコンラッドの腕から逃れようと暴れても、全然動けない。
「コンラート、はそのままでもいいからそいつに預けている荷物だけ私によこせ」
馬の準備を整えたグウェンダルさんが非情なことをのたまった。
「ひ、酷いグウェンダルさん!わたしを捨てて行くのね!?」
「よせっ!コンラートを刺激するなっ!私を巻き込むなっ!」
グウェンダルさんは蒼白になりながら、コンラッドに拘束されたわたしの手から書類の入ったケースを奪おうとした。
けれど、コンラッドがわたしごと引き摺って後ろに下がったお陰でその手は空を切る。
「コンラート!」
「酷いじゃないかグウェン。小さくて可愛いを見捨てて逃げるなんて」
ぎくりとグウェンダルさんの顔に冷や汗が伝い落ちる。
「な……何故それを……アニシナか?アニシナがいるのか!?」
「ここにはいない。だけど、グウェンを見つけたら報せるように言われていてね」
まるで手品の助手の人のように、有利がさっとズボンに挟んでいた筒を取り出した。
「今陛下がお持ちなのは、アニシナから渡された連絡用の発光筒」
「なぜお前がアニシナに手を貸すのだ!?待て、呼ぶなっ!」
グウェンダルさんが有利に手を伸ばすと、やっぱりわたしを引き摺ったままコンラッドが間に割って入った。
「呼ばないでこのまま見逃してもいい。聞きたいことを答えてくれればね」
「待て。少し待て、コンラート。冷静に話し合おうではないか。聞きたいことがあるのだったな。一体何だ」
真上で、コンラッドがゆっくりと微笑んだような気配がした。気配なので、それが正しいかどうかはわたしにはよくわからないけれど、グウェンダルさんの顔色を見る限りはそう外れてはいないと思う。みなぎる緊張感。
の手作り菓子を食べたって、本当か?」
そこで出された質問は、あまりにも場違いなもののように思えた。現にグウェンダルさんの表情も呆気に取られている。
の『手作り』の焼き菓子を食べたとは本当なのかと聞いている」
「あ……ああ、確かに、食べた、な」
それがどうしたのだといわんばかりの表情ですが、わたしもまったく同感です。
何かもっとすごい質問があるのかと思ったら。
「そう……どんな味だった?」
「味だと?あの状況で味わうことなどできたと思うか!?」
あの状況と言ってもコンラッドはあの場にいませんでしたよ、グウェンダルさん。
「焼き具合は外はさっくり、中はふわりと出来上がり、付け合せのソースも甘さ控えめで口当たりがよかったことくらいしか覚えていない!」
味わう状況ではなかったと言うわりには結構な感想だった。せめてグウェンダルさんの味覚にそれなりのものを出せたことを喜んでおこうかな。
……今のわたしの状況からは、とってもささやかな嬉しいお話でした。そっと目の端に浮かんだ涙を拭いたくても手が動かない。
「陛下、合図を」
「な、なにをする、コンラート!待て、待てと言っているだろうっ!質問には答えたではないかっ!」
それは満足する答えじゃなかったということではないでしょうかねー。というより、最初から見逃す気なんてなかっただけでは?
そう思ったけれど、コンラッドは小さく笑ってわたしの手からグウェンダルさんの荷物を取って差し出した。
「冗談だよ。どうぞ」
「う、うむ」
グウェンダルさんは僅かに上擦った声で、コンラッドから書類の入ったケースを受け取ろうとして……コンラッドがそれを上に上げた。
「コンラー……」
「見つけましたよ、グウェンダル!」
「ア、アニシナ!?」
夕日の差し込む厩舎の出入り口の方から聞こえた声に、グウェンダルさんは蒼白になって飛び上がった。


外への出口には、腰に両手を当ててアニシナさんが立ちふさがっていた。
オレンジ色の光がまるで後光のよう。
「貴様らっ」
グウェンダルさんの鋭い視線が有利に向かい、当の有利はびくりと震える。だけど、その手に握られた発光筒は使われた形跡はない。
と、いうことはアニシナさんが自力でグウェンダルさんを見つけたということ?
「まったく、すぐにわたくしの手を煩わせようとするのですね、あなたは」
アニシナさんが小柄な身体で男前な歩調を披露しながら歩み寄り、怯えるグウェンダルさんをがしりと捕まえた。
「母親の気を引こうとする小さな子供ではないのですから、少しは自分で動くということをなさい!」
「だからこうやって自らを助けようとしたのではないか……」
反論の声はとてもとても小さかった。
「アニシナ、これも」
コンラッドは持っていたケースをアニシナさんに差し出した。
「ヴォルテールに持って帰ろうとしていたら、ヴォルテール地方の案件だろう。さすがにこれは陛下のお手を煩わせるわけにはいかないからね」
「わかりました。お預かりしましょう。実験の合間にでも処理させれば十分でしょうから」
「実験の合間!?何を言っている!私は明日には……今すぐにでもヴォルテールへ帰……」
「なにを言っているのです!今日中に捕まえればわたくしの手を煩わせたことを反省してすべての実験もにたあになると自分から言ってきたのでありませんか!」
「いつ私がそのようなことを言った!?」
「ああ、俺がグウェンの気持ちを代弁して伝えるように言っておいたんだ。伝言は届いたようだね、アニシナ。誰が君と会えた?」
「グリエ・ヨザックです。他にも使いを出していたのですか?さすがはウェラー卿。手際が良いですね」
「な……なんだとー!?」
なんだ、ヨザックさんも捕まっていたんだ。てっきり逃げおおせたのかと思ったら。
グウェンダルさんはずるずると引き摺られて行きながら、悲鳴のような呪詛のような言葉を叫ぶ。
「コンラートォー!私が一体何をしたというのだ!グリエめぇーっ!!」
「何って、俺より先にの手料理を食べたじゃないか」
ぽつりと答えた声はグウェンダルさんにはもう聞こえなかったようだけど、隙間無く抱きしめられているわたしにはしっかりと届いた。
そ、そんなことくらいで怒ってるの?
「……コンラッド」
有利が発光筒を握り締めたまま、青褪めた顔色で後ろを振り返った。だけどそちらには誰もいない。ただ西日がジリジリと落ちて行ってるのか、少しだけ光が翳り始めているだけだった。
ああ、こんな騒動だけで一日が終わるなんて。
おまけに疑問は解消されていないし。
「ヨザックをさあ……アニシナさんへの使いに出すとき、あいつ自分が告げ口したことだけはグウェンに言わないでくれって頼み込んでなかったっけ?そんなことされたら、給料カットだ、休暇も特別賞与もこれから先なくなるって泣いて言ってたよね?そんでもって、おれはあんたがそれを了承したように記憶してるんだけど」
「ええ。だから、俺の口からはヨザックの名前は出してませんよ?」
「あんた他に使いなんて出してないじゃん!」
………………………。
心の底から寒気のするお話でした。
ごめん、ヨザックさん。グウェンダルさんにはわたしがどうにかできないか、時間を置いてからお願いしてみるわ。でもしばらくは耐えてね。だって、コンラッドの怒りの原因を知れば、たぶんわたしも恨まれるから。
「それでは行こうか、
「え?ど、どこへ?」
ようやくコンラッドから解放されて、そのまま距離を取ろうとしたら腕を掴んで引き寄せられた。逃げる間もなく、横抱きにして抱え上げられる。
「ちょ、お、降ろして!」
「ああ、そんなに怯えないで。怒ってなんかないよ。ただ、身の潔白は証明したいじゃないか。もちろんも協力してくれるよね?」
「きょ……協力……ですか?」
身の潔白ってやっぱりアレのことだよね?でも証明に協力って一体どうやって?
は何もしなくていいよ。明日の朝にはきっと俺の潔白を信じる気になるさ」
「朝?明日?ど、どういうこと!?もう夜ですよ!お休みなさいまで数時間くらいだよ!う、ううん、それよりもうわかった。違うんだよね!?ごめんね、変なこと疑って!!」
コンラッドは、こんなときに爽やかに笑う。
今その笑顔をされるのは恐怖以外の何ものでもない。
「わかった?まだなにもしてないのに?そんなことないよね。さあ部屋に行こう。、俺は本当に君を心の底から愛しているよ。……例え変態の疑惑を掛けられようとね」
「ちょちょっと……その、コンラッド一応最終確認だけしておくけど、やりすぎるのはちょっとあれだぞ」
「……ええ陛下、わかっています。でも今日の夕食はちょっとは一緒には取れないと思いますから」
「どうしてー!?」
なにが起こるのだと恐怖に怯えるわたしを抱き上げたまま、コンラッドは有利を促して歩き出した。
「部屋にお送りします。今日からしばらくはあまり夜更かしはしないほうがいいですよ。明日から大変ですからね」
「え、なんで?」
有利がどうしてコンラッドを恐れているのか。ひょっとして妹がロリコンの嫌疑をかけたくらいで恐縮してるとか?そんなことくらいで?
有利はコンラッドの表情を見たくないのか、見上げることなく首を傾げる。
「なんでって、グウェンは恐らく一週間くらいアニシナの研究室に篭りきりになりますよ。その間、陛下には頑張ってグウェン不在のヴォルテールのフォローをしていただかないと」
「おれ?おれがーっ!?無理無理無理無理!」
「大丈夫、ギュンターもいますし、グウェンもアニシナの研究室から何かと言ってくるでしょう。それを上手くヴォルテールまで通すだけですよ。……ただ、しばらくはとても忙しくなるだろうなあというだけです」
「……しっかりおれにも怒ってるじゃん……」
「なにか仰いましたか?」
「……イイエ、ナンデモゴザイマセン」








えー……可哀想な人しかいないお話でした。
……おまけもアップしてみました。(びみょー)
6話じゃなくておまけなのはちょっと雰囲気が変わる予定だったから……なんですが、
次男と一緒でヘタレなので目論み失敗。
どんな内容にするつもりだったかはコンラッドのセリフから推して察してください。
ふつーに第6話なおまけもよろしければどうぞ……。


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