待て。少し待て、コンラート。冷静に話し合おうではないか。
……焼き菓子?ああ、食べたな。
味だと?あの状況で味わうことなどできたと思うか!?
焼き具合は外はさっくり、中はふわりと出来上がり、付け合せのソースも甘さ控えめで口当たりがよかったことくらいしか覚えていない!
な、なにをする、コンラート!待て、待てと言っているだろうっ!



道化師は残照に見る(4)



ユーリの乗馬訓練の帰り、部屋までの道のりで廊下を見渡すアニシナに出くわした。
「おや、ウェラー卿よいところに。陛下もご一緒でしたか。グウェンダルを見ませんでしたか?」
またいつものやつか。長年ふたりともよく飽きないものだと呆れながら俺は肩をすくめた。
「いや、見てないが」
「先ほど確保したのですが、わたくしの研究室に運び込む途中で目を覚まして逃亡してしまいましてね。まったく世話の焼ける……ああ、そうです陛下」
「え?おれ!?おれはグウェンみたいにアニシナさんのお役に立てるとは思えないなー」
先日が子供にされてしまった事件があったばかりなので、さすがのユーリも即座に辞退を申し出る。そうでなくても、俺がお止めするけどね。
「いえ、もにたあではなくお聞きしたことが。先ほど殿下がグウェンダルを的確に表現する言葉をお教えくださったのですが、綴りを聞き忘れてしまいまして。辞書に記載するためにこの紙に書いていただけないでしょうか」
「え、ひょっとしてまた緊急報告。実録……なんとかに載せるの?なんて言葉?」
「『緊急報告。実録!ユーリ陛下二十一字』です。ちなみに最後につく数字は記載された言葉の数によって変化します。現在まだ二十一字しかありませんが、今回で二十二字と改訂されます。ろりこん……正式にはろりーたこんぷれっくすだそうです。綴りをお教えいただけますか?」
羽ペンを受け取ったユーリはそのまま固まった。
「ロリータ……本当にがグウェンをそんな風に?」
「ええ。グウェンダルが殿下に小さくて可愛いままでいて欲しいと訴えかけましてね」
「……へえ…グウェンがそんなことを」
意識もせずに俺の声が半音下がり、ユーリはそれに気付いたように勢いよく振り返る。
「グウェンが小さくて可愛いもの好きなのはいつものことだろ?そ、そんなに怒るなよ」
「やだなあ陛下。怒ってなんかいませんよ」
俺は笑顔で羽ペンをユーリの手から抜いてアニシナの差し出す紙に英語でロリータコンプレックスと綴った。
ついでに意味も加えておく。性的嗜好が幼女という変態を指す言葉、と。
「それでアニシナ、が今どこにいるかわかるか?」
「殿下ですか?先ほどまでグウェンダルの執務室でご一緒しておりましたが…。それにしても殿下のお可愛らしいこと。グウェンダルのために焼き菓子などお作りになられて、わたくしもいくつか頂きましたが、大層美味でした」
「……グウェンの『ため』に作った?」
「ええ。グウェンダルや一緒にいた諜報員……あなたと懇意の。そう、グリエ・ヨザックでしたね。彼も殿下に招かれたらしく、グウェンダルと共に感動して落ち着きもなく食べ散らかしていましたよ」
そこから続いたアニシナの男性批判を軽く受け流し、グウェンダルを見つけたら引渡しを確約してその場で別れた。


「ココココンラッド、落ち着けよ」
グウェンダルの執務室へ歩きながら、ユーリは何故か顔色を悪くして俺の腕を揺さぶり続ける。
「なにがですか?俺は落ち着いてますよ」
「全然落ち着いているように見えねえよ!グウェンがを好きだなんてありえねーんだから、猫を可愛がってるのと同レベルの可愛い発言にキレんなよ!」
「そんなことはどうでもいいんです。グウェンダルの性癖は俺だって十分に承知してます。それよりも、が眞魔国で初めて作った料理がグウェンのための物ということに納得がいかないんです」
「……そっちかよ。というか、やっぱり怒ってるじゃん……」
「怒ってませんよ。納得できないだけです」
「……あんたって、結構乙女だね」
ユーリが呆れたように心外なことを呟いた。
だってユーリ。が俺のために作った料理をグウェンにわけたというのなら別に構いませんよ。だけど、はグウェンのために作った。つまり料理を作っている間グウェンのことを考えていたんですよ?
……おまけにそれを、ヨザックまで食べたという。
俺ですら、の手料理なんてまだ食べたことがないのに、だ。
もう既に無人の可能性が高いが、の居場所の現時点での唯一の手がかりであるグウェンダルの執務室に到着したとき、ちょうど扉が開いた。
開いた扉にぶつかりそうになって慌てて足を止めると、の声が聞えた。よかった、まだここにいた。
「そういう話じゃなくて!もしコンラッドがロリコンだったら、数年後にはもっと可愛い女の子を見つけてそっちに行っちゃうかもしれないじゃないですか!」
「ロリコン……俺が?」
それはグウェンダルが認定された性癖ではないのか?
思わず呟きが漏れると、扉の向こうで緊張した気配がする。が小声でその単語の意味を俺がわからないことを祈っていた。
「どうして俺がロリータコンプレックスだなんて、馬鹿なことを」
笑顔でそう言ったのに隣でユーリは息を飲み、はヨザックと共に扉の影から素晴らしいまでのスピードで駆け出した。
追いかけようかと思ったが、ふたりはあっという間に廊下のずっと向こうまで駆けている。
これは追いかけても体力の無駄遣いだ。
「………コ、コンラッド……さん?」
「……ヨザの持っていた盆は、空の皿だけが載っていました」
「頼めば作ってくれるって!んでもって、さっきのはきっとグウェンの名前と聞き間違え…」
「グウェンダルは頼んでいなくとも作ってもらえたのに、婚約者の俺は頼んで初めて作ってもらえるわけですね?そして、グウェンがロリータコンプレックスで数年後に可愛い女の子を見つけて交際しても、には痛くも痒くもないはずですよね?」
「いやその……あ、あの言いがかりはともかく、お菓子くらいで心が狭いぞー」
俺はゆっくりと開け放たれたままだった扉を閉めて、ユーリを振り返った。今笑顔を作っても、目が笑っていないと言われそうだったので、無表情で。
「部屋までお送りします。夕食までの数刻はヴォルフと過ごしていてください」
「あ、あんたはどうすんの?」
「捕獲しなければならない相手が三人ほどいますから」
「グウェンも!?だってグウェンは持って来られたお菓子を食べただけだろ!?」
「そうですね。俺より先にの手料理を食べて、に小さくて可愛いなんて言って詰め寄っただけですよね」
「めちゃくちゃ心せまっ!お、おれも一緒に行くよ」
ユーリは恐る恐ると手を伸ばしてきたのに、俺の服を掴んだ手にはしっかりと力が篭めていた。
「さ、殺人はだめだからな、殺人は」
「まさか。そんなことをしたら陛下にもにも嫌われてしまいますから。でも人生って山があれば谷もあるものでしょう?」
「おれにはあのふたり、谷ばっかり人生に見えるけど……」


グウェンダルの捕獲は最後に回した。血盟城から出て行く可能性が現時点では一番低いからだ。
「でも、だからってなんで厩舎なわけ?の部屋で待ってた方が確実じゃねえ?」
先ほど出たばかりの厩舎に戻ってきて、愛馬アオの頭を撫でながらユーリは不思議そうに首を傾げる。
「俺もそれは考えました。ですが、それではヨザックに確実に逃げられます」
「……見逃してやれよ」
ユーリの慈悲深い言葉を聞えなかったふりで、俺は入り口の方からは見えない場所でじっと幼馴染みの元部下を待っていた。
が大人しく部屋に帰ってくるか、疑問がありまして。その点、ヨザックが相手なら労せず話を聞けます。あの様子だとある程度の事情は知ってるでしょう。そしてあいつは包み隠さずすべて話してくれますよ。自分の身が可愛い男ですから」
「それは誰だってそうじゃないかなぁ……」
「ここで逃がせば恐らく国外任務に飛んでいってしまう。そんな卑怯なことを見逃すなんて、狭量な俺にはとても無理です」
「ひ、卑怯なのかな……?」
ユーリがアオの首にぎゅっと抱きつく。
厩舎の入り口に見慣れたオレンジ色の髪が背後の夕日に解けるようにして現れた。
こそこそと馬に鞍を載せて荷物を括りつけているその後ろに回って、背後の気配に気付いたヨザックが振り返る前に肩を掴む。
「どうした、ヨザック。こんな時間にこそこそと」
「ひっ!」
俺の後ろでユーリが感嘆の息をついた。
「う、わぁ……さすがコンラッド、ドンピシャだ」
「お褒めに預かり光栄です、陛下」
「褒めてない……」
小さく呟かれた声はあえて聞き流して、肩を掴んだ手に力を込める。
「いたたたたた!か、勘弁してくれ隊長!」
「コンラッド、ロープロープ!肩に指が食い込んでるって!どんな握力だよ」
「ヨザックは頑丈だから大丈夫ですよ。それより、はどこだ?今まで一緒にいて、仲良く逃亡して、そういえばその前はの手作り菓子を食べたんだよな?なぜか俺の性癖がグウェンダルと同じことになっているようだし」
「オレ?オレのせい!?言いがかりも甚だしいぞ!オレはちゃーんと否定しましたっ!」
「そうか……だが、なぜが納得するまで否定してくれなかったんだ?」
「いたたたた、肩、骨、や、ヤバイっ!!」
「コンラッドー!グリ江ちゃんの理想的外野手の黄金の肩を砕くなって!ホントにどんな握力だよ!」
まさか、本当にこの野太い骨を握力だけで握り砕けるはずがない。ヨザックの大袈裟な演技を素直に信じることはないのに。
ユーリが俺に飛びついてまで止めるので仕方なしに肩を離してやると、床に膝をついたヨザックの肩は確かに一部俺の指の跡が型になったようにへこんでいた。これくらいは一時的なものだ。
カチリと音を立てて剣に指をかけると、ヨザックはぶんぶんと大きく首を振ってついでに両手も振る。
「言うよ、言いますよ!正直に全部話すから、オレに凄まないでくれっ!」
「それは結構」
「大体オレも被害者なのにさー。アニシナちゃんに会えたのはラッキーだったけど……」
「なぜは俺をロリータコンプレックスだなんて言い出したんだ?」
カチリと再び剣を鳴らすと、ヨザックは青褪めて後退りする。
「言うから剣を放せって!……ええっとなんだっけな……確か初めは…そうだ、姫は自分が童顔なことを気にしてらしたみたいだ」
「それくらいで?だけどは立派な成人女性だ。俺は一度も彼女を子供だなんて思ったことはないぞ?」
「オレだってそう言ったけどさー。全然納得してくれないんだってぇ。そしたら今度はグウェンダル閣下にあんたの女の好みを聞くと言い出して……」
「……まさかそのためにわざわざお菓子焼いて行ったの?」
ユーリが呆れ顔で言うと、ヨザックは溜め息をついて厩舎の床を指先でこね回す。
「オレは止めましたよー?でも、姫ってば隊長の性癖をめちゃくちゃ疑っててぇ……えーとなんか聞きなれない事を言ってましたね。そうだ、ヒカルなんたら作戦と聞いたら不安だとかなんとか」
「ぎゃぃやらまっ!?」
隣でユーリが謎の悲鳴を上げて大きく仰け反る。
俺とヨザックの不思議そうな視線を受けて、大きく見開いていた目が泳ぎながら厩舎の天井に向かって彷徨う。
「………陛下」
ユーリがびくんと震えて、急に俺に背中を見せた。
「なにか、心当たりがおありですか?」
「……な、なんのこと?」
声が震えていますよ。








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