おや、ウェラー卿よいところに。陛下もご一緒でしたか。 おふたかた、グウェンダルを見ませんでしたか? 先ほど確保したのですが、わたくしの研究室に運び込む途中で目を覚まして逃亡してしまいましてね。 ああ、そうです。陛下がいらしてちょうどよかった。 先ほど殿下がグウェンダルを的確に表現する言葉をお教えくださったのですが、綴りを聞き忘れてしまいまして。辞書に記載するためにこちらに書いていただけないでしょうか。ええ、ろりこん……正式にはろりーたこんぷれっくすというそうです。 殿下ですか?先ほどグウェンダルの執務室でお会いしましたが。 それにしても殿下のお可愛らしいこと。グウェンダルなどのために焼き菓子をお作りになられて。わたくしもいくつか頂きましたが、大層美味でした。グウェンダルや一緒にいた諜報員……あなたと懇意の。そう、確かグリエ・ヨザックでしたね。彼も殿下に招かれたらしく、グウェンダルと共に感動して落ち着きもなく食べ散らかしていましたよ。 まったく、これだから男というものは……。 道化師は残照に見る(3) 気を失ったグウェンダルさんはアニシナさんに地下研究室へ連行されてしまい、わたしとヨザックさんで残りのスコーンを片付けた。結局グウェンダルさんにはほとんど食べてもらえなかった。目的は別にあったとはいえ、久しぶりに作ったお菓子だからグウェンダルさんにも食べてもらいたかったことも本当なのに。 ヨザックさんにもお世話になっているのは一緒だから、『日頃の感謝』の意味は果たせたし、まあいいか。 「あーあ…コンラッドもお兄さんの影響を受けてたらどうしよう。ヴォルフラムが小さい頃なんて、まさしく天使のような愛らしさだったに違いないもの。弟で小さな子の魅力に憑り付かれていてもおかしくないかも……」 いよいよ不安になってきて、カップと大皿小皿を重ねてお盆に載せながら溜息が漏れた。 だってわたしが小さくて可愛いと言われるのなら、常日頃からわたしの容姿も好みだと言っているコンラッドはやっぱりグウェンダルさんと同じということに……? 「ところでですね……さっきものすごく気になったんですけど、隊長を教育って、一体何をなさるおつもりで……?」 呆れるというよりは何故か恐る恐ると訊ねられて、ちょっと恥ずかしくなる。そりゃ、遥か年上で人格者のコンラッド相手になにを教育するのだと言われてもしかたないけど。 テーブルからお盆を持ち上げて、そっちに意識を集中している振りで俯いたまま小さく早口で言ってしまう。 「だって、コンラッドの愛情表現って大袈裟なんだもん」 「はあ……でもそれって隊長が姫にベタ惚れだからで、ならもう疑問の方も解消……」 「でも!だからってところ構わず抱きついたり、剣術の鍛錬の後は必ず怪我のチェックとか言って服を脱がせようとするんですよ!やりすぎじゃないですか!?」 「隊長とは婚約者同士なんですから、裸くらい今更でしょうに」 「そんなわけないじゃないですかー!?」 ヨザックさんの恐ろしい発言に声がひっくり返ってしまった。ついでにお盆の上でカップが激しくぶつかって、ヨザックさんが慌ててわたしからお盆を取り上げる。 「ははは裸なんて!コンラッドに見せたことなんてないですよ!」 「え、じゃあ今までずっと着衣で?姫ってば意外なこだわりが……」 「服を脱ぐのなんて着替えかお風呂に入るときくらいでしょう!?ヒルドヤードの温泉は混浴だけど水着着用なんですよ!?」 ヨザックさんは驚いたように目を瞬くと、ちょっと顔を赤らめて天井を見上げながら大きな掌で顔を覆った。 「すみません今オレ、隊長に同情すべきか、自分の汚れ具合を恥じ入るべきか混乱してます」 「え、コンラッドに同情って?」 「そっかあ……まだなんだ……」 ヨザックさんは深く溜息をついて、首を振った。 コンラッドに同情って、わたしまた何かまずいことをしたのだろうかと疑問に思いながら扉を開けて廊下へ一歩出る。 「それで、次は誰に訊けばいいと思います?」 「まだ探るんですか!?だから隊長は姫一筋ですって!」 「そういう話じゃなくて!もしもコンラッドがロリコンだったら、数年後にはもっと可愛い女の子を見つけてそっちに行っちゃうかもしれないじゃないですか!」 「ロリコン……俺が?」 開けたドアの向こうから聞えた声に、わたしとヨザックさんは揃って固まった。 軋んだことのないはずのドアが、ギギーとゆっくりと音を立てて動いたような気がする。 「……で、でもあっちの言葉だもん、コンラッドも意味わからないよね……?」 小声でヨザックさんに一縷の望みを訴えると、コクコクと必死に頷いて同意した。そう信じたい。 ギギギッとドアが少しずつ閉まり始めて、コンラッドの靴先が見えた。 「どうして俺がロリータコンプレックスだなんて、馬鹿なことを」 わたしとヨザックさんは、同時に弾丸スタートを切った。 「姫、来ないで!オレをこれ以上巻き込まないでーっ!!」 「ひとりで怒られるの怖いのっ!」 「姫は怒られるだけでしょう!?オレなんてどんな目に遭うかわかったもんじゃないんですってばっ!」 「そんな大袈裟な!」 「大袈裟なもんですか!オレは巻き込まれただけなんだから、姫がオレの命を保障してくださいよ!?」 「じゃあ、ヨザックさんは有利にとってもわたしにとっても大切な人なんだから、変な事しちゃダメだよって言えばいいのね!?」 「誤解を受けそうな発言はやめて!!」 ヨザックさんは半泣きになりながらスピードを上げた。 わたしもヨザックさんも怖くて後ろを振り返れない。ターミネーターに追いかけられる恐ろしさが判った気がする。 でもターミネーターではリンダ・ハミルトンとマイケル・ビーンが恋人同士になるわけで、この配役だとそこが矛盾するわ。 ……余裕があるんじゃなくて、混乱してわけのわからないことを考えてしまう。 「大体姫が変な疑問を持つからこんなことにー!」 「それは確かに悪いとは思いますけど、光源氏作戦とか聞いたら心配になるじゃないですか!」 だって、わたしがやっとコンラッドと並んでも不釣合いじゃないくらいの歳になったと思ったら、「彼女の方が好みなんだ」とか言って若い(小さい?)女の子に心変わりされたらショックじゃない。 しかもコンラッドって絶対モテるんだもん。まさしく光の君じゃない? 若紫にも葵の上にも明石の君にもなりたくない。 「捨てられるのも二番三番になるのも絶対ヤダ!」 「また変な想像してるーっ!隊長が姫を捨てるはずないでしょ!?」 「ロリコンだったらわかんないじゃない!」 「その単語もう使わないでーっ」 お盆を片手によくぞそこまでと思うけど、ヨザックさんが片手で窓枠に手をついて庭に飛び降りた。ひとりで捕まりたくないわたしも、当然それに続くわけで。 「いやーっ、姫ってば淑女なのにはしたないっ!」 全力疾走でスカートが太腿までまくれ上がっている状態で、今更窓枠越えをした程度ではしたないもなにもない。 壁沿いに走り、建物の端で直角に曲がってすぐに木の扉が見えた。 ヨザックさんは土煙を上げて急ブレーキをかけると、そのドアを足で蹴り開けて中へと飛び込む。やっぱりわたしもそれに続いて、急いでドアを閉めようとしたとき、別の人影が飛び込んできた。 「いやーっ!ご、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいっ!!」 「オレは被害者です!強引に付き合わされただけでっ」 「大声を出すなっ」 コンラッドだとばっかり思っていたら、聞こえたのは威厳に満ちた重低音。 だけど今は少々……かなり焦り気味。 「……ひょっとして閣下ですか?」 全力疾走の後に急ブレーキ、おまけに一息で謝り続けたお陰で息が乱れてロクに言葉の出ないわたしとは違い、ちょっと息切れした程度だったヨザックさんがランプをつけて明かりを入れた。 夕暮れ時のようなランプのオレンジ色の光の元、確かに後ろ手にドアを閉めてもたれかかっていたのはグウェンダルさんだった。 「お前たちは何をしている」 グウェンダルさんは特に息を乱してはいなかったけれど、ランプの明かりでも顔色が悪いことはわかった。 わたしとヨザックさんは顔を見合わせる。 「……ちょっとばかり隊長と追いかけっこを……」 「コンラート?だがお前たちの後ろには誰もいなかったぞ」 意外な言葉に目を瞬く。 てっきり正視できない笑顔か、あるいはそれこそターミネーターばりの無表情で追いかけてきているものとばかり……。 ようやく息が整ってきた脳裏によぎったのは、わたしの部屋のソファーで手を上げて帰りを迎えるコンラッドの姿だった。 「……部屋で、待ち伏せ?」 「ああ……ありえますね。無駄な体力は使わず、姫が勝手にぐったりして帰るのを待っているかもしれません。そしたらクタクタの姫はきっとコトに及ばれちゃいますよねー」 「ことって?」 ヨザックさんが妙に自棄気味の引き攣り笑いでそう言うと、グウェンダルさんは大きく咳払いする。 「とにかく、コンラートはいなかった」 「そういえば、もうアニシナさんの用事は終わったんですか?」 訊ねた瞬間、迂闊な疑問だったと後悔した。グウェンダルさんは血の気の引いた顔でジロリとわたしを鋭く睨みつける。 「お前たち……アニシナが私を運び出すのを黙って見ていたな?」 うっと言葉に詰まると、ヨザックさんがぱたぱたと手で顔を仰ぎながら溜息をつく。 「無茶言わんでくださいよ閣下。姫やか弱いオレに毒女をどう止めろと仰るんですか」 か弱いの形容詞をつける人物を間違ってやしませんか? 「とにかく、ここには憐れな逃亡者が三人いるだけってことですねー」 夢も希望もありはなしない事実。 狭い部屋を見回せば、どうやらここは庭の掃除道具等を入れている納屋のようだった。 部屋に帰ればコンラッドがいることはほぼ確実で、捕まれば当然あのロリコン発言の裏を全て吐かされることも確定だった。今日は恐ろしくて戻れない。 「……グウェンダルさん、今日お部屋に泊めてもらえません?」 「何だ、突然!?」 グウェンダルさんはものすごい勢いで、狭い小屋の中で目一杯わたしから距離を取る。 「リビングの方のソファーをお借りできればありがたいなーと」 「絶対に断る!」 そんなに嫌がらなくても。 「じゃあヨザックさ……」 「オレをどうしたいんですか!?もう二度と国に戻れなくなりますよ!絶対に嫌ですっ!」 ふたりとも、そんなに絶対を強調しなくてもいいじゃない。 いじけたくなったわたしは、ヨザックさんの言葉に急に閃いた。 国に戻る。 「そっか、日本に帰っちゃえばいいんだ」 「ええ!?姫ずるいっ!」 「だってじゃあヨザックさんの部屋に泊めてくれるんですか!?」 「選択肢の幅が狭すぎます!ひどいわー、アタシを見捨てるのねーっ」 「……眞王廟へ行くのなら、私が送ってやろう」 「え、いいんですか?」 「閣下ぁ!」 グウェンダルさんは重々しく頷いた。 「殿下の御用となれば、城を出るのもいたしかたないからな。そのままヴォルテールまで戻ってしまえば……」 アニシナさんから逃亡したいのね。 |