オレ?オレのせい?
言いがかりも甚だしいぞ!オレはちゃーんと否定しましたっ!
オレだって姫のトンデモ思考の被害者なのに!?
言うよ、言いますよ!正直に全部話すから、オレに凄まないでくれっ!
まあ、お陰でアニシナちゃんに会えたのはラッキーだったけど。
でも魔力のない男はロクに相手もしてもらえなくってさー。傷付くよねー、あれ。
………話を進めるから剣から手を離してくれ!



道化師は残照に見る(2)



「グウェンダル!いいところにいましたね。わたくしの偉大な研究に協力なさい!」
「ア、アニシナ!?」
勢いよく開いた扉の向こうに立っていたのは、コードネーム赤い悪魔、毒女ことフォンカーベルニコフ卿アニシナ閣下だった。
これはラッキー、姫に付き合わされた甲斐があったもんだ。
こうして改めて見ると、やっぱオレの好みなんだよねー。
うろたえているのは編み物閣下だけで、オレは喜んだし姫は登場の仕方にちょっぴり驚いた程度だった。
いいところもなにも、最初から捕獲態勢で部屋に現れた毒女に、気を取り直した姫はにっこりとその男殺しの輝くような笑顔を向ける。
「こんにちは、アニシナさん」
「おや、殿下。このようなむさくるしいところにおいでとは、なかなか奇特な方ですね」
さすがに女性のアニシナ様には効かなかったかと思ったが、よく考えれば獲物を前にかのマッドマジカリストが興味を別のところに移すなんて容易なことじゃないだろう。
男共とは違う意味としても、やっぱり姫の笑顔には効果があるもんだ。
「今、グウェンダルさんに休憩のお茶を持ってきたんです。よろしければアニシナさんもご一緒にいかがですか?」
グウェンダル閣下は信じ難いものでも見るような目を姫に向ける。
姫がアニシナちゃんを追い払ってくれるとちょっとでも期待していたのか、毒女をお茶に誘う度胸に驚いたのはわからない。
アニシナ様は少し考えたが、ひとつ頷いて空いている姫の隣に腰を降ろした。
「いいでしょう。殿下からお誘い頂いて断るほどわたくしも不粋ではありませんからね」
姫の真意はさておいて、オレとしては隅っこにいるだけなのだとしても、アニシナちゃんとティータイムが楽しめるなら、それで十分だ。
……いや、でもやっぱり少しはお近付きになれないものか。
アニシナ様の水色の瞳が正面のオレとその横のグウェンダル閣下を撫でた。
目が合っちゃった、なんてことくらいで喜べれるほどお子様でないのが我ながら惜しい。
せめて手が触れ合うくらいのことがなくっちゃなあ。いくら乙女なグリ江でもトキメキようがない。
「それはなんの遊びですか、グウェンダル?」
「遊びではない」
「何故か姫のご意見でご相伴に預かっております」
男ふたりでギュウギュウに座っているのがよっぽど変に見えたのか、哀れむような視線で首を振った。
いくら姫のお誘いとはいえ、姫の横に座るなんて身分的にも、ここにはいない姫のことなら見境のない某閣下に言いがかりをつけられる可能性のあることもしたくはない。
でもおかげでアニシナちゃんの正面に座れたからいいとしよう。
「無駄に図体ばかり大きくなるからそんな見苦しいことになるのです」
「まったくその通りで」
愛想笑いで姫お手製のお菓子を摘んだ。
姫が聞きたいことの援護射撃をオレに求めているのはわかっているけど、この際黙って茶をすすって姫の手作りお菓子を食べて口を塞いでしまうことにする。オレは何にも知りません。
姫が隊長の性癖を疑っていることも、編み物閣下に同じことを聞こうとしていることも、オレには関係ありません。
大体、オレとしては姫がそんな疑問を持ったことの方が驚きだ。
だって姫は確かに年齢よりは幼めの顔立ちかもしれないけど、困難に立ち向かうときの決意を秘めた表情は息を飲むほど美しい。頭の回転だって速いし、陛下に対する絶対の信頼を見せるときはさすが魔王の妹殿下だとつくづく畏怖を覚えるほどだっていうのに、どこが子供っぽく見えるんだろう。
それに顔立ちはともかく、結構ナイスボディーだしね。ツェリ様の愛船の中で姫を抱えたとき、腰は細かったしちょっと触ってしまった胸もなかなか悪くないサイズだった。
オレの好みはアニシナちゃんなわけだけど、それでもコンラッドを羨ましく思う気持ちがないわけではない。同じ男として、ベタ惚れなのもわかるよなと至極納得してるんですけどね。
「はい、どうぞ。お口に合えばいいんですけれど」
姫は紅茶を入れてアニシナちゃんの前に焼き菓子と果物で作ったジャムを載せた小皿を置く。
茶はともかく、焼き菓子まで姫の手作りだと知ってアニシナちゃんは驚いたように目を瞬いた。
「まさか、殿下がお作りになられたのですか?」
「はい。グウェンダルさんには、日頃から有利ともどもお世話になっているので、少しでも感謝を表そうかと」
「不粋な男では思いもつかないような細やかなお心遣いですね。ですが殿下、グウェンダルが陛下や殿下のために身を粉にするのは当然のこと。感謝する必要などございませんでしょうに」
「ええっと……」
細やかなお心遣いの真意を知れば、マッドマジカリストは納得するだろうか、呆れるだろうか、それともまったく予想もつかない手だと褒めるだろうか。


一口で食べてしまえるサイズの菓子を、オレは丁寧に端から齧ってゆっくりと味わった。
だってこれは本来オレの上官に向けられたもので、さすがにひょいひょいと食べてしまうわけにはいかないからだ。かといって、何も口にしていないと姫に視線でせっつかれるに違いない。
酒飲みのオレとしてはちょっと甘すぎるけど、香ばしい菓子の味は悪くない。姫って本当に高貴なお方なのに、下々のするようなことでも器用にこなされる。
そんな風に心の中で菓子に高評価を下したオレの横で、可愛いもの好き閣下は青い顔でカップに口をつけたままどこか遠くを見ていた。
「わ、私はこの休憩が終れば仕事に戻る。お前の研究に付き合っている暇などないぞ」
「暇?今、暇と仰いましたか?わたくしの偉大な研究に貢献することは、なにを置いても重要なこと!むしろいちいちわたくしの手を煩わせずに、ご自分で出頭なさい!」
「おふたりはホントに仲良しですね」
上官を憐れみそうになったとき、姫が強引に割り込んでいった。
このままでは閣下が連れ去られるだけだと焦ったのかもしれないけれど、ちょっと強引じゃなぁい?
予想通り、アニシナちゃんは驚いて、グウェンダル閣下は蒼白の顔色で姫を凝視した。
「お前の目はどこについている……」
「仲良しという表現はいささか外れていますね。わたくしがこのだらしのない男の面倒を見ているのです。これでも国家では重要な地位にいる男ですからね。惰弱で頼りにならないままでは、この国のためになりません」
この強面の男をそんな酷評できるのは、世界広しといえどきっとアニシナちゃんくらいのものだろう。ツェリ様は我が子を可愛がってるしね。
抗議する気力がないのか、暴風雨が過ぎ去るのを待っているのか、グウェンダル閣下は黙ったまま菓子を食べて茶を飲んだ。
「でも、やっぱり仲良しですよ。幼馴染みで、今でも一緒にいるんですから」
「いたくているわけではない!」
「これでもグウェンダルは眞魔国の男の中では最高位の魔力を持っていますからね。被験者として、優れている以上は仕方のないこと」
ああ、オレは魔力を持ってませんから、アニシナ様のお目に止まらないんですよねえ。
ちょっといじけてしまいそうだ。
そんなオレのいじけ具合など知らない殿下は、笑顔で爆弾を放り込んだ。
「おふたりはご結婚はなされないんですか?」
我関せずを決め込んでいたオレもさすがに飲んでいた紅茶を噴出してしまった。横で、永遠の被害者閣下も同じく紅茶を噴出して激しくむせ返る。
姫は仰け反るようにして遠ざかり、アニシナ様はさも嫌そうに顔をしかめて首を振った。
「どうやら殿下は少々誤解されているようですね。わたくしはこの男に対してもにたあとして以外の価値を認めてはおりません。ましてや結婚など。わたくしのこの明晰な頭脳は眞魔国のために生かされるべきもの。くだらない形式に囚われている暇などないのです」
「でも、結婚しても働いている女性もたくさんいますよ?それともアニシナさんは、結婚すれば女性は家庭にいるべきだとお考えですか?」
「まさか!そのようなこと、ものの考え方を硬直させたくだらない男どもの弾圧に過ぎません。女性はもっと社会に進出すべきなのです。それが世のため人のため」
熱弁を揮うマッドマジカリストに可愛らしく小首をかしげながら、姫はグウェンダル閣下にレースのハンカチを貸していた。オレは粗相の後を布巾で拭くことにする。
「じゃあ、結婚が研究の邪魔になるということにはならないんじゃないですか?」
これには意表を突かれたようで、さすがの毒女も言葉に詰まりしばし考える。
「確かに。理屈の上ではそうなります。ですが残念ながらこの世にわたくしの目に適うような立派な男性というものがおりません。みな、脆弱で愚かなものばかり」
オレのこの屈強な身体でも駄目ですか?魔力がないから駄目ですか。心の中で独り質疑応答。
「さっきのアニシナさんの理屈で言えば、その立派な男性に一番近いのは、グウェンダルさんということになりません?」
隣の閣下はレースのハンカチを握り締めて、声にならない悲鳴を上げた。
オレなんかとしては、アニシナちゃんにお似合いだなんて言われるのは羨ましい限りなのに、閣下にとっては半分魂が抜けかけるほどショックなことらしい。
咳の途中で大きく息を吸い込んだせいで、ますます激しく咳き込む姿は少々憐れで、いつもの威厳の欠片もありはしない。
あまりに気の毒すぎたので、そっと背中を摩って差し上げた。
「この様子を見ても、そう仰いますか?まったく、落ち着きがない上にだらしもない。ついでに考えも足りません。グウェンダルはあくまでもにたあとして役に立つ以外の使い道などありません」
「……恋人って、役に立つ、立たないじゃないと思うんだけどなあ……」
姫はちょっとがっかりしたように声を落として紅茶に口をつけた。
「じゃあ、アニシナさんの好み……というか、結婚してもいいかもしれないというような男性って、どんなタイプですか?」
なるほど、そこに話を持っていきたかったんですね。ようやく姫の強引な切り出しの意味がわかった。そこからグウェンダル閣下の好みのタイプの話に持っていって、兄弟つながりで隊長の好みを訊く、と。
回りくどい作戦だなぁ。
「そのようなもの、おりません」
ところが姫の目論見を崩すほど、きっぱりとアニシナちゃんは言い切った。
オレとしては、魔力の高い男と答えると思っていたので意外だった。
これってタイプが好みと決まっていないなら、オレにもまだチャンスは残されてないかねえ。
「いいですか、殿下。男のために時間を使うなど、無駄かつ浪費としかいいようがありません」
「う…わぁ………」
夢も希望も打ち砕く断言に、ちょっと目頭が熱くなった。姫も困ったように首を傾げる。
ところが、何事か考えた姫は恐ろしいことを呟いた。
「まあ、わたしも人のこと言えないかなぁ……」
「おや、殿下もわたくしに同意してくださるのですか?それは喜ばしいことです。ああ、ウェラー卿は自分のために殿下の時間を使わせるような真似はしないのですね?そうです。男こそが女性のために尽くすことこそがあるべき正しい姿なのです」
姫が曖昧に笑う。オレと閣下も生温く笑った。いいえ、アニシナ様。あの男は姫にベタベタとくっついて、他の男が近付かないようになにかと行動に制限をかけてますよ。
姫がどこまで自覚しているかは知りませんけどね。
「ああいえ、そういうことじゃなくて。わたし、コンラッドと会うまでは家族以外の男の人がずっと怖くて。有利以外の人はいっそいなくなっちゃえばいいのにとか思ったこともあって」
姫の説明は、さっきの呟きより数段怖いことだった。
オレと閣下は同時に齧りかけた焼き菓子を取り落とした。べちゃりとテーブルにジャムが広がる。
「怖い?男がですか?確かに、男と言う生き物は愚かな己も自覚できずに女性を脅かすような真似をするどうしようもない生き物ですが、このような粗相する程度。所詮は女性が支配するべきものです。怯える必要などございません」
「ええっと……む、昔の話ですから。今はコンラッドと付き合っているし……」
隣で閣下はほっとした表情をしたけど、オレは姫に二回ほど腹を殴られましたけどね。
本当は、今でもちょっとは思ってるんじゃないだろうかと疑いの眼差しを向けてしまいそうになって、慌てて汚れたテーブルを拭いた。
「いいですか、殿下。確かにウェラー卿はある程度は見込みもあるようですが、懐柔されてはなりません。大切なことは、殿下が教育をするということです!」
「きょ、教育って……」
引き攣った笑みを浮かべた姫は、次になにか考え込み、そして隊長の兄を飛び上がらせるようなことを呟いた。
「教育か……いいかもしれない」
!」
閣下は悲鳴を上げてテーブルに身を乗り出すと、姫の両肩を掴んで前後に激しく揺さぶる。
「なんです、グウェンダル!落ち着きのない」
「アニシナの恐ろしい影響など受けるな!せっかくお前は小さくて素直で可愛いというのに!そのままでいてくれ!」
「わたくしの影響を受けるなとはなんという言い草ですか!女性解放のための啓蒙に殿下が目覚められるのは当然でしょう!」
アニシナちゃんの雷が落ちて、姫の肩を掴んで揺さぶっていた閣下の腕を捻り上げた。
苦痛に僅かに声を漏らした上官から、武人の情けで顔を逸らす。
姫は目が回ったのか、片手で頭を抑えながらオレにとって恐ろしいことを言ってくれた。
「そっかぁ……グウェンダルさん、やっぱりロリコンなんだ……」
「ろりこん?ろりこんとはなんです?」
オレがソファーから転がり落ちている間にも、幼馴染みの襟首を掴んでギリギリと締め上げていた永遠の研究者が未知の言葉に鋭く反応した。
「姫ぇ!待ってぇ!」
姫はオレの悲鳴など聞こえていない様子で、頬の手を当てて溜息をついた。
憂いを帯びた美少女のその仕種は身悶えしそうなほどに愛らしいけど、今だけでいいからオレの声にも注意を向けて欲しかった。
さらっとオレに言った説明を口にしてしまう。
「ロリータコンプレックスの略語です。幼女や少女を愛でる嗜好の人のことで」
「ああ、それはまさしくグウェンダルですね」
アニシナ様は、あっさりと頷いた。


それは誤解だ。
首を締め上げられたせいで薄れゆく意識の中で、グウェンダル閣下はそんなことを言ったと後日訴えられましたが、音として発せられなかった言葉を察知する能力は持たなかったので、姫にもアニシナちゃんにも、もちろんオレにも聞えなかった。








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