この前、上着を返しに会いに行ったときはいなかったのに、どうしてこんなときばっかり部屋にいるの。 しかもどうしてこのタイミングで部屋から出てきちゃうのかな。 せめてドアが閉まっていれば、言い争っていた声の大きさからも、聞こえていなかっただろうと希望を持つことだって出来たのに。 正面からまっすぐにぶつかった視線を逸らすこともできなくて、開けかけていた自分の部屋のドアを、よろめいた拍子に背中で閉めてしまった。 099.咲けずに枯れてく花(2) あの話を聞かれたと動けなくなったわたしの前で、なぜかコンラッドもこちらを見下ろしたままで動かない。 どうしよう、どうしたらいいんだろう。 どうしたらって……え、でも今のコンラッドにどんな言い訳したらいいのかさっぱり判らない。 だって前なら恋人同士だったから、そんなことはありえないとかなんとか、言うべきことがあったけど、今の関係で何をどう言い訳できるんだろう? そもそも言い訳の必要だって、それはわたしがコンラッドに誤解されたくないだけで、コンラッドにはどうでもいい話で……で、でも元彼女に婚約とか結婚とかの話が出たら、ちょっとは気になるものなんではないでしょうか。 こう、悔しいとか悲しいとか嫌だとか、そんな感情は持たなくても、どんな相手かくらいは気になったりしないものかなー……とあまりにも自虐的なことを考えすぎて、コンラッドの反応がある前にヘコんでしまった。 気にされないというのはあまりにも悲しく、気にしても「へえ」で済ませられる程度だったらそれでも充分につらい。 そんな風にひとりでぐるぐるしている間にコンラッドが取った行動は、ドアを閉めてそのまま船内のどこかへ移動というものだった。 コンラッドの行動は、『無反応』でした……。 鈍器で頭を殴られたような衝撃ってこれ?こういうもの? 涙が滲んで足がよろめいて、おまけにそんなときに限って船が揺らいで、たたらを踏んで転ばないようにと握り締めたのは、立ち去ろうとしていたコンラッドの上着だった。 ぎゅっと握って思い切り下に引いてしまったから、首が締まったのかコンラッドは息を詰めて後ろに傾く。 「ご、ごめんなさい!」 慌てて手を放すと、襟元に指を入れて直しながらコンラッドが振り返る。 「いえ、構いません。それより転ばないように気をつけてください」 「はい……ごめんなさい」 もう一度謝ると、それで話が終わったというようにすぐに背中を向けられて、思わずまた翻った上着の裾を握り締める。 「……なにか?」 「え、えっと、その……」 言葉でも態度でもどうでもいいと言われ続けたというのに、まだ何の話があるのよ。 言い訳したいのはわたしの都合で、わたしのことなんてどうでもいいコンラッドには言い訳されても迷惑なだけで……。 情けなくて泣きたくなって、コンラッドを見上げることも出来ずに床板に視線を落とす。 「あの……さっき聞いた話は、誰にも言わないで下さい」 「誰にもと言われても、この船内に得た情報を交わすような相手はいませんのでご安心を」 何の感情もない、平坦な言葉に床を見つめたまま拳を握り締める。 ダメ、泣くな。ここは泣いていい場所じゃない。 「ふ、船の中にはいなくても、後で話が漏れたら一緒だもの!眞魔国と小シマロンが婚姻外交をするとか、そんな話にまで膨れ上がったら―――ふがっ」 肩を捕まれて、大きな手に口を塞がれる。 何が起こったのか、何をされているのか理解できないうちに、気がつけばコンラッドの部屋に引きずり込まれていた。 コンラッドはわたしの口を押さえて抱き寄せた格好のまま、足で蹴ってドアを閉めると溜息をつく。 「人に吹聴するなと言っておいて、ご自分であんな場所で叫んでどうするんですか」 う……。 指摘されて気がつくなんて、本当に馬鹿だ。有利とも廊下で言い合いになったからコンラッドに聞かれたのに。 口を塞がれたままだったので文字通り声も出なくて、強く押さえてくる手を軽く叩いたら、コンラッドはぱっと両手を放して万歳の格好をする。 自分で引きずり込んだくせに、大きく目を開いて驚いた表情でのその行動は、まるで銀行強盗に襲われたときのようだ。 「……わたし強盗じゃない」 「え?」 「なんでもありません」 ふいと顔を背けて呟くと、コンラッドは部屋の中央に戻りながらまた軽く息を吐く。 「失礼しました。あなたの不用意な発言を止めることに気が向いてしまって」 どうせ不用意ですよ。 部屋に置いてある水差しからグラスに水を注ぎながら言われた言葉に、不貞腐れながらどさくさに紛れて部屋を見回してみる。 部屋の内装は正面のわたしの部屋と変わらない。 それもそのはず、恐らく同じく士官用の部屋なんだと思う。部屋にはベッドと小さなテーブルと棚があるくらいで、内装というほど物がない。客船じゃなくて公用の貨物船なんだから、当たり前なんだけど。 でも、もともと身一つで船に乗り込んだわたしや有利並みに、私物までまったく見えないというのはどうなんだろう。コンラッドは最初からこっちに乗り込んでいたから、自分の荷物も少しはあるはずなのに。 「そんなところにいないで、どうぞ」 言われて正面に視線を戻すと、テーブルに水の入ったグラスが置かれていた。 どうぞって……コンラッド、今どうぞって言った? 「こんなものしかありませんが」 「い、いえ!船の上での水は貴重ですから!」 我ながら、どんな切り替えしなのかとツッコミたくなるようなことを言いながら、慌ててテーブルまでの距離を詰めて椅子に座る。 あの考えなしの発言は止めたからもう用はないし、さっさと出て行けと追い出されるかと思ってた。 わたしが椅子に座ると、コンラッドはベッド傍の小さな棚に半ば乗り上げて座るようにしながら両腕を組む。 「元より、あなたに念を押されなくとも、あなたの危惧するように俺が吹聴することはありえません」 「大シマロンにはよくないことだから?」 「小シマロンと眞魔国の同盟がありえないから、です」 呆れたように言われて、ついムッとしてしまう。どうして平和的に済むかもしれない可能性を、ありえないなんて言い切れるんだろう。 「ありえない話を報告などしたら、国で俺がいい笑い者になるだけです。だから話さないと言ってるんです」 「あ、ありえないなんて判らないじゃないですか。だって、聖砂国と国交を結ぼうとするなんて、今までどこの国も考えなかったようなことをしようとしているのが、サラレギー陛下なんでしょう?」 強く睨みつけるようにして反論すると、コンラッドは組んでいた腕を解いて、膝の上に掌を置いてまっすぐにわたしを見据える。 「結婚、したいんですか?」 「……うん」 思わず頷きかけて、慌てて口を押さえる。 ち、違う! だってまっすぐに目を見て、結婚したいのかなんてコンラッドに聞かれたから、主語が抜けてるだけにコンラッドと結婚したいのかと聞かれたのかと都合のいい脳内変換が行われてしまった結果であって! 目を見開いたコンラッドが口を開いて、何か言葉が出てくる前に慌てて上から被せる勢いで否定する。 「ううん!したくない!政略結婚とかはイヤ!」 「しーっ!判りました、落ち着いて、静かに。声を荒げないで」 棚から腰を上げて、わたしに静かにするようにとジェスチャーをしながらドアまで近付き、外の様子をドア越しに伺ってから戻ってくる。 「あまり大声を出すと外まで声が漏れます」 「誰が盗み聞きにくるっていうの?」 「さあ?ですが、用心に越したことはありません」 コンラッドは一口、二口しか飲んでいなかったわたしのグラスに水を継ぎ足して、また棚の定位置に戻ってしまう。 テーブルを挟んで、おまけに狭い船室で空けられるだけ距離を空けられて、これがコンラッドと開いてしまった距離なんだと思うと寂しい。 「いいですか、もし小シマロンが本気で眞魔国との外交を考えているのなら、この時期に聖砂国への訪問なんて、刺激するような真似をするはずがありません」 「でも、それは順番が逆だわ。サラレギー陛下は先に聖砂国に行くつもりで、予定外にやって来た魔王の有利と話をして、眞魔国とも話し合えるかもしれないと思ったんだもの」 「だとしても、です。以前に話した通り聖砂国と小シマロンが国交を結ぶようなことがあれば、眞魔国にとっては脅威になるんです。どうして優位に立てる相手と対等の国交を開くでしょう。小シマロンからの婚姻の提案があるとすれば、それは人質を差し出せと言っている脅迫紛いの交渉だ」 「決め付けないで!」 いつも笑顔で話すサラレギー王を、どこか信用できないのはわたしも同じだ。 でもだからこそ、コンラッドの言葉にぐらつきそうになって、それを打ち消すためにテーブルを叩く。 「それは話が飛躍しすぎです。聖砂国から間違いのない協力を取り付けた後の申し出なら、脅迫紛いになるかもしれないけれど、今の時点では戦争をしかけてくる意図の欠片も見えないのに、どうして脅迫になるの?」 「ですから、先を見据えての判断だと」 疑い出せばキリがない。 最初からサラレギー王とは腹を割って話す、なんてことも出来ていないし、そうなればどんなに親切な言葉だって裏があるんじゃないかと勘ぐってしまう。 だから有利は、まず自分が信じる。相手の好意を信じて、自分から一歩踏み出す。 有利がまず信じる人だから、わたしはまず疑うようにしていた。 そう思っていたのに、コンラッドと話しているとそれがただの言い訳だったような気がしてきて、胃の辺りがムカムカする。 有利の代わりに疑うなんて言い訳で、本当はただ自分が信じることができないだけなんだ、と。 鏡を前に見せ付けられているような気がして。 コンラッドを前にしてイライラしているなんて、信じられない。 これはきっとただの八つ当たりだと思うのに、サラレギー王の意図を疑えという意味の言葉をひとつ掛けられるたびに腹が立ってしょうがない。 「ですから、迂闊なことを外に漏らせばあなたが困ることになります。人質を要求するということは、もちろん対等な関係ではなく隷属を求めるということですから……」 「判りました!」 これ以上聞きたくなくて、椅子を蹴って立ち上がる。 「大シマロンの方のご忠告、確かに承りました」 そう言ってしまってから、酷い皮肉を言ったと口を押さえたけれど出した言葉は消えない。 恐る恐る様子を伺うと、コンラッドはぎゅっと口を閉ざして、眉を寄せて少しだけ身を乗り出した。 「……ではあなたは、サラレギー陛下との結婚も、考えておいでですか?」 違う。そんなはずない。 そう言いたいのに、喉まで出かかった言葉が音にならない。 それが有利の信じるような、国交を開く手段のひとつとして提案されただけなら断れる。 だけど、もしコンラッドの言ったような意味だったら。 それが脅迫だったとしたら、そのときはそれだけ眞魔国が圧倒されるだけの要素が揃っているということになる。 サラレギー王を疑うようなコンラッドの言葉にイライラしたのに、やっぱりここでわたしも疑っている。 だからこそ、信じられない自分を、見ているようで……。 こんなにも、何もかもを疑っているのに、わたしは本当にコンラッドを信じてる? 本当は、どこかで疑っているのかもしれない。 だってわたしはこんなにも、有利のように人を信じることができないじゃない。 「判ら……ない」 涙が出そうになって、唇を噛み締めると強く目を瞑った顔を見せたくなくて俯く。 「判らない。だってもし、本当にわたしが小シマロンに行くだけで戦争を止めることができるなら、行きたくないなんて、言えない」 結局、わたしは信じてない。 サラレギー王を。 だってこの答えは、サラレギー王の提案が脅迫だったときを考えてのものだ。 零れそうな涙は、政略結婚なんて想像するだけでも嫌だから? それとも、コンラッドを疑っているかもしれないことを考えたくないから? 「……美しい自己犠牲ですか」 呟くような声に、反発心が沸き起こって顔を上げる。 「犠牲が綺麗なはずないじゃない。そんなの自己満足だもの」 だってもしそんな事態で、わたしがその道を選んだら有利は怒るだろう。きっとヴォルフラムだって怒ってくれる。 だけどそれなら、わたしが好きじゃない人と結婚したくないという我がままを通して、もし本当に戦争になったりすれば、誰かが犠牲になって死んでしまうんだ。 カロリアで過ごした日々で、コンラッドの無事が判るまで、何度も気が狂うかと思った。 恐くて恐くて、涙が止まらなくて、胸が張り裂けそうだった。 眠りに落ちるたびにこれが夢ならと思って、目が覚めるたびに現実に打ちのめされた。 そんな思いを、戦場に出る誰かを待つたくさんの人に、わたしが強いることになるんだ。 そんなことできない。 したくない。その悲しさと苦しさを知っているから、したくない。 したくないから……だからそういう事態になったときには政略結婚をするというのは、自己満足だ。だってわたしの一番大切な有利を悲しませる。 ただの自己満足が綺麗なはずがない。 だけどそう言った瞬間、コンラッドが顔をゆがめてまるで今にも泣き出しそうな、そんな顔をして、すぐに背中を見せた。 「そこまで判っていての覚悟なら、ご立派です」 立派なんかじゃない。 ただの逃げた選択を誉めるような皮肉に耐えられなくて、今度は振り返ることも出来ずに部屋を飛び出す。 「うわっ!?って、!?」 ドアを開けた先に有利が戻ってきていて、後ろに飛びのきながら目を瞬いた。 「え、あれ?でもその部屋って……」 有利の顔色が変わる前に、ドアを乱暴に閉めると有利の胸倉を掴む。 「あ、ちょ、おい!?」 さっきのコンラッドじゃないけど、今度はわたしが有利を自分の部屋に引きずり込んで、ドアを閉めたところで限界だった。 「う……え……っ」 涙が零れて、掴んだ有利の胸に額をぶつける勢いで抱きつく。 「?どうした?コンラッドに何か言われた?」 違う。コンラッドに言われたことに傷付いたんじゃなくて、コンラッドの言葉に自分を突きつけられたようで、それが悲しいだけ。 そう言いたくて、でも上手く言葉にならなくて、有利に泣きついたまま首を振る。 政略結婚が戦争の対価かもしれないという話は、サラレギー王の好意が嘘だという前提だ。 わたしは彼を信じてない。 じゃあ、コンラッドのことは? 他の誰を疑っても、信じていたい人まで信じられていないんじゃないかって、それが怖い。 こんなにも好きなのに、コンラッドを信じられないなんて、そんなこと考えたくもないのに。 わたしは、コンラッドをちゃんと信じているの? 本当に? |
考えることが多すぎて、つらいことばかりで、自分の涙の意味さえも 判らなくなってきました。 |