サラレギー王が苦手だからって、常に有利に押し付けているわけにもいかない。 食事は大抵、サラレギー王と有利とわたしで一緒に取るわけだけど、このあと少し話をしようと誘われるとできるだけ頷くようにしている。 いつまでも苦手苦手で逃げていても始まらないし、本当にこの人が信用できないのかどうかは、話をしてみなければ不審のままだ。 そうして有利と二人、出た結論は「生粋の王様だね」という結論にもならないものだった。 だって……ねえ……。 ある日、サラレギー王は思いついたように尋ねてきた。 「そういえば、うっかりしていたのだけど、あなたは入浴はどうしているの?」 「え?」 わたしと有利の声が同時に重なる。 だってそんなお風呂の話なんて、普通女の子に振る!?と疑問を持つのは当然だと思う。 ところがもちろんサラレギー王はセクハラや痴漢をしたかったわけじゃなくて、純粋な疑問だったらしい。 「だってこの船には女性船員はいないもの。まさか一人で入っているわけじゃないだろう?もしかして、あの体格のいい男に端女仕事をさせているの?もう少し見目の優しげな者を見繕おうか?」 「え、ひ、ひとりですよ!ヨザックさ……く、国の者となんて入りません!」 「そんな!じゃあ一体どうやって髪を洗うの?背中は?」 わたしと有利は絶句した。 後で有利から聞いた話によると、有利が初めて血盟城に入ったときもお風呂には三助さんがいたらしい。そ、そうか、王様とかそういう人種の人は身体を洗うのまで人にしてもらうものなんだー……。 「だ、だからあのネグリジェでも平気なんだ」 お風呂まで人と一緒に入るのが当たり前なら、下着を着た状態でのスケスケくらいは平気だろう。 引きつりながら納得したわたしに、有利もなるほどと手を叩いた。 ちなみにわたしではあれは着られない。借りたままの状態で今でも部屋に畳んである。 ああいうのはサラレギー王のように気にしないか、ヴォルフラムやツェリ様みたいに似合う人のためのものだと思う。 099.咲けずに枯れてく花(1) そんな風に、お互いにカルチャーショックを与えるような会話ばかりでは、なかなか盛り上がるというところまで到達しない。 こちらはひたすら「へ、へぇー」とサラレギー王の私生活に圧倒されるだけだし、あちらは「そんなに何でも自分でできるものなんだね」と感心している。 お風呂ひとつをとっても、服を脱がせるのも、身体を洗うのも、汚れを流すのも、身体を拭くのも、服を着せるのも、全部お付きの人がやることらしい。 剣なんて持ったこともないし、港までの道のりのときに話した通り、馬には乗れないから移動は全て馬車だとか、そんな話を聞いて有利は腕を組んで小さく感心の唸り声を上げた。 「そ、そっかー、馬には乗れなくても別の移動手段があるんだもんな」 有利は昔、馬に乗れないことをヴォルフラムに呆れられた経験があるから、ふむふむと頷いている。 それならあんなに悪戦苦闘することなかったのかなと首を傾げる有利に、隣で聞いていて呆れた溜息を零してしまった。 「有利は身軽に動きたがるから、自分で馬に乗れなくちゃ大変じゃない。ちょっと息抜きの遠乗りに出かけようとしても……」 言いかけた言葉に、はっと口を閉じてももう遅い。 有利が執務から一時的に抜け出す時、遠乗りに一緒に出かけるのはいつもコンラッドだった。 それでギュンターさんやヴォルフラムが、泣いたり怒ったりしながら、二人を必死に探している光景は、一種の血盟城名物だったほどだ。 あの、雨の日までは。 「そっかそっか。確かにな、おれの場合は自分で乗れなくちゃ意味がないか。それに馬車でいいのを羨ましがっちゃ、アオが可哀想だ」 「アオ?」 「おれの愛馬だよ。青毛……こっちでは闇毛っていうんだっけ。とびっきりのレディーなんだ。最初は上手く噛み合わなかったけど、今ではすっかり仲良しでね」 だけど有利は特になんの反応も見せず、アオの名前に首を傾げたサラレギー王の疑問に答えている。 わたしが気にし過ぎなのか、有利が芝居をしているのか、どっちなのか判らない。 「は」 「え!?」 急に話を持ってこられて、失言を悔いて有利を伺っていたので大袈裟に驚いてしまった。 「も馬に乗れるの?それに、他に何か手習いをしている?」 「ええ、馬には少し乗れます。手習いなら、剣と弓を嗜む程度に」 「見合いの会話みたいだぞ、」 お茶を啜りながら呟いた有利を横目で軽く睨む。 失礼な。お見合いで剣と弓を習ってます、なんて会話は聞いたことないよ。 「やっぱり!」 だけどいきなり正面のサラレギー王に手を捕まれて、掌を撫でられたことにぎょっとして振り払いそうになった。 「この前と手を繋いだとき、きっと剣かなにかを習っているんじゃないかって思ったんだ」 「手を繋いだ!?」 人がサラレギー王の手を振り払うのをぐっと堪えていた横で、有利が驚いて腰を浮かせる。 サラレギー王は有利の反応にこそ驚いたように、きょとんと目を瞬いた。 「そうだよ。ほら、港で彼女の手を引いて船に乗り込もうとしたときに」 「あー……そういえば、そんなこともあったような……」 サラレギー王の繊細そうな指先が、掌をなぞって気持ちが悪い。 コンラッドに言われなくても、最近はもう男の人が苦手なのもだいぶマシになったと思っていた。ヴォルフラムとか村田くんとかヨザックさんとかグウェンダルさんとか、男の人と一緒に動くことも多かったから。 それなのに、これじゃ治るどころか余計に酷くなっている。 テーブルで上に向けられた掌をなぞっていた指先が離れてほっとしたのも束の間、上から包み込むように手を握り締められる。 油断していたせいで、思わず声を上げそうになって寸前で唾を飲み込んで堪えた。 「でもやっぱり女の子の手だね。それでもわたしのほうが大きいよ」 「わあ、サラ!王様なのになんでそんな合コンテクを知ってんの!?」 有利が慌ててわたしの手首を掴んで引き寄せてくれた。 「ゴウコンテク?」 サラレギー王は勢いで跳ね除けられた形になった手を引っ込めながら、判らなくて当たり前の有利が叫んだ言葉に首を傾げる。 「え、いや、き、気にしないでくれ。えー、と、とにかくほら、前に言ったように、は恥ずかしがり屋だから!急に男に手を握られるとびっくりしちゃうよ!」 「そうか、それは失礼したね」 有利の焦りを素直に解釈したのか、サラレギー王は苦笑して両手を組んでわたしを見た。 焦りの半分は、わたしが反射でサラレギー王をぶん殴りはしないかと恐れているのも入ってると思うけどね。 「いえ……少し、驚いただけです」 気持ちが悪かったとはさすがに言えない。 そうか、なんとなくこの人が苦手な理由が判った。 サラレギー王はとにかく物理的な距離を縮めてくるんだ。それも自然な形で、無断で。 ヴォルフラムは紳士だから最初からいきなり接触はしなかったし、村田くんやグウェンダルさんなんかは、少なくとも仲良くなるまでは自分のほうが距離を取るタイプだ。ヨザックさんはふざけ半分で近付いても、相手が嫌がればそれを察して即座に引く。 サラレギー王は本人が鈍いのか、それともわたしがそれなりに抑えられているのか、拒否の空気を感じていない……ということなのかな。 外交の観点でいえば、それはとても助かるのだけど、個人的には非常につらい。 でも、わたしもいい加減に慣れないといけない。 何も抱きついてきたり、痴漢みたいな触り方をしているわけじゃないんだから、サラレギー王が気分を害さないうちに慣れないと。 ファイトよ、! 膝の上に降ろした手を握り締めて、心の中で自分を奮い立たせる。 けれど、サラレギー王はもっと一足飛びに先へ進んでしまった。 組んだ手を解いて有利に向かって身を乗り出す。 「けれどね、ユーリ。あなたと話していると、眞魔国と友好を結びたいという気持ちがますます強くなった。だからわたしはとも、もっと親密になりたいと思っているんだ」 「それは嬉しいよ、サラ。で……」 「には一度話したのだけど」 でも、と言いかけた有利に被せるように急き込むサラレギー王は、今度は有利の手を両手で握り締めた。 「陛下!」 「その方法のひとつとして、彼女をわたしの元に迎えることができたなら、とても強い結びつきができるよね」 「……どういうことだよ、!?」 サラレギー王の部屋から出た途端、有利は噛み締めた歯の間から絞り出すように小声で唸るように怒鳴る。 「わたしに言わないで」 「だってには前に話したって言ってただろ!?」 「冗談だと思ってたんだもの!」 廊下を早足で歩きながら、小声で怒鳴り合ってわたしにあてがわれた部屋へと向かう。 「あ……ううん、もしくは、そんな方法もあるっていう一例として言っただけだと思って」 「そりゃサラもそう言ったけどさ!そんな話されただなんて、おれに報告しとくべきだろ!?」 「そうだけど!」 「陛下ー、姫ー、どうかしたんですかー?」 廊下を曲がるとすぐにヨザックさんが立っていて、わたしも有利も飛び上がる。 「ヨ、ヨザック!いたのか!?」 「そりゃまあねえ。何か聞かれるとマズイ話で?」 「いや……あんたならいいんだけど」 有利は溜息をついて髪を掻き毟った。 最初あの部屋でサラレギー王の提案を聞いたとき、有利はよく判らなかったらしい。 「どういう意味?」 不審そうな顔でそう聞き返した有利に、サラレギー王は対照的な笑顔で椅子に深く座り直した。 「とわたしが婚姻すれば、我々は兄弟だと言ったんだよ、ユーリ」 「こ……!?きょ……!?」 「我が国内に、わたしに近しい女性がいれば、逆にユーリの元へ赴かせるという方法もあったけれど、残念ながらわたしには姉も妹も、従姉妹もいなくてね」 「い……や、チョ、ちょっと待ってよ。あんまり急な話で、頭がついていかなくて」 「あれ、から聞いていない?」 有利の問い詰めるような目がこちらに向いて、わたしは一度目を閉じた。 完全に失敗だ。こんなことなら、出港前に話しておくべきだった。 目を開けると、わたしを見ていたサラレギー王と色のついた眼鏡越しに視線が合う。 「申し訳ありません陛下。非公式なお話でしたので、兄とはいえ吹聴するのはよくないと考えてしまって」 「ああ、なるほど。思慮深い女性は、わたしは好きだよ」 苦しい言い訳にも、にっこりと他意のない笑顔を見せたサラレギー王を前に、有利は突然わたしの腕を掴んで椅子から立ち上がった。 「ちょっとごめん、サラ。と話がしたいんだ」 「そう?あのねユーリ、もしもいきなりの話で気を悪くしたなら申し訳ない。の言う通り、わたしは正式に求婚したわけではないから、彼女があなたに話さなかったことは怒らないであげて。冗談のように軽く話したわたしが悪いのだから」 「違うよ、怒るつもりじゃないんだ。その……ちょっと驚いただけだから。うん、と話して落ち着きたいだけなんだ。もちろん気を悪くなんてしないよ。だって光栄な話だろ?」 「それならいいのだけど……」 気遣わしげにわたしを見たサラレギー王に、あなたのせいではないと示すように微笑んで会釈をした。 ……のだけれど、部屋から出た途端にギリギリと言い争いになっている。 爆弾発言をしてくれたのはサラレギー王だけど、やっぱりこの場合に悪いのはわたしだろう。 いくら冗談っぽく話したからといっても、外交に関わる重要なことだったのに黙っていたのだから、有利が怒るのは無理もない。 判っている。判っているけど……。 「どうかしたんですか?」 「さっきサラレギーにビックリ話をされたところだよ」 有利が不機嫌そうなのを隠さないので、ヨザックさんは困惑したようにわたしを見るけれど、わたしの口からは説明したくなくて身体ごと横を向いて視線を外す。 「ビックリ話ってなんです?」 わたしが言わないことに諦めたのか、ヨザックさんに聞き返されて有利はまた溜息をついた。 「小シマロンとうちとの友好に、とサラレギーが結婚するって手もあるって」 「はあーぁ?」 心の底から不審たっぷりのヨザックさんの呆れた声に、有利は勢いよくわたしの肩を掴む。 「おまけには船に乗る前に、そんな話をサラレギーにされてたって!なんでおれに一言も言わなかったんだよ!」 「どこまで本気の提案か判らなかったのに、大騒ぎしたら失礼だと思ったの!」 「ちょ、ちょ、落ちついてお二人とも」 ヨザックさんがわたしたちを両方宥めるように、間に立って押さえてとジェスチャーをする。 「廊下でそんな話はご法度ですよー」 まず険悪な雰囲気をどうにかしたいと思ったのか、気楽そうな口調で注意したヨザックさんに、わたしも有利も揃って口を閉ざす。まったくもってその通り。 有利は床に視線を落として、また髪を掻き毟った。 「そうだな、ヨザックの言う通りだ。ちょっと外で頭を冷やしてくる」 「有利……」 呼び止めたわたしに、有利は振り返らないで首を振る。 「後で。……サラと結婚なんて話で頭に血が上って……だけど、一方的に怒鳴って、ごめ ん」 「陛下、お一人で行かないで」 ヨザックさんが慌てて後を追って、わたしはただ二人の背中が甲板に上がる階段の方向へ消えるまで見送ることしかできなかった。今は有利を追えない。 「……失敗ばっかり」 自分に呆れて溜息が漏れる。 とにかく、わたしはわたしで頭を冷やそうと部屋に入ろうとして、床板の小さな軋みに振り返って血の気が引いた。 ドアノブが回った音なんて聞こえなかった。きっとその前から……有利と言い争っていた時に、開いていたんだと思う。 本当に、失敗してばっかりだ。 向かいの部屋の扉が開いた先に、コンラッドが立っていた。 |
聞かれたくない話を聞かれてしまいました。 |